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念力をつよくして

バランスをたもつ

念覚支

これはどういう修行法かと申しますと。仏教辞典などを見ますと、「おもいを平らかにする」

というように説明しております。念覚えとは「おもい」つまり念を平安にすることである、とこういうように説明しておりますけれども、わたくしは、それだけでは念覚えの歩行の説明になっていないと思います。

わたくし自身の旅行体験によりますと、そんな簡単なものではなくて、こころを平安にする、 それは確かにそうでありますけれども、それは結果から出てくるものであって、歩行そのものではないわけです。おもいを平安にするというのは、念覚えを修行した結果、つねにおもいが平安になる、おもいが平らかになる、ということであって、それ自体が修行ではない。 で、わたくしは、この修行を二つに分けることができると思うんです。まず、

念の力を強化する。

念力といってしまうと、なにか安っぽくなってしまいますね。自分で「念力」という本を書いておきながら、そういうことをいうのはおかしいけれども、念力、と一言でいってしまうと、ちよっと安っぽくなってしまう。念の力を強化する、要するに、精神力というものを非常に強化するということですね。

それをただたんに精神力というと、漠然としますけれども、要するに、意志の力、知能の力、 こういったものを来常に強化する訓練である。

 

もっというならば、人間の精神作用というものは、知・情・意、この三つから成り立っています。知性の力、知能の力、そして情緒的なはたらき、それから意志の力です。

要するに念の力を強化するというのは、この三つの部門(知・情・意)のはたらきを強化し、

しかも、そのいずれにもかたよらないようにする、ということです。それが、結局、結果的におもいが平安になるということじゃないですか。

人間の精神力というものは、この知・情・意のはたらきから成り立っています。ところが、これがかたよりやすいわけです。

定覚支

修行法と梵行

定覚支

これは、心をひとつのものに集中してみださない修行です。瞑想法で、純然たる修行法ですから、文字や口では説明できない。実地に指導をうけて体得してゆく。「滅尽定」「四禅定」などをふくむ七科三十七道品の中でも、根本的な修行法です。

捨覚支

あらゆるものごとにたいし、とらわれる心を排離する。ものごとにとらわれ、飲消するところから、煩悩が生ずる。

「煩悩の犬、追えども去らず」

などということばがありますが、十分わかっていて、こだわってしまう。とらわれてしまう。

 

択法覚支

えらび取ることが修行

ということです。 これは、宗教、信仰、哲学というたくさんの教法、思想のなかから真実なるものをえらびだす

「択」というのは、チャクと読みますけれども、タクとも読みます、「選択」のタクです。略さない本漢字は「選擇」と書いて、「選」もえらぶ、「探」もえらぶ、という字です。

つまり、ほんとうに真実なる教法をえらびとる、ということですね。この世の中には、さまざ

まな宗教、信仰、思想があります。そのなかから真実なるものをえらびとる。そうして、まちがったものや、いつわりのものを捨てる、取捨選択するということです。

 

念力をつよくして バランスをたもつ

念力をつよくして

バランスをたもつ

念覚支

これはどういう修行法かと申しますと。仏教辞典などを見ますと、「おもいを平らかにする」

というように説明しております。念覚えとは「おもい」つまり念を平安にすることである、とこういうように説明しておりますけれども、わたくしは、それだけでは念覚えの歩行の説明になっていないと思います。

わたくし自身の旅行体験によりますと、そんな簡単なものではなくて、こころを平安にする、 それは確かにそうでありますけれども、それは結果から出てくるものであって、歩行そのものではないわけです。おもいを平安にするというのは、念覚えを修行した結果、つねにおもいが平安になる、おもいが平らかになる、ということであって、それ自体が修行ではない。 で、わたくしは、この修行を二つに分けることができると思うんです。まず、

念の力を強化する。

念力といってしまうと、なにか安っぽくなってしまいますね。自分で「念力」という本を書いておきながら、そういうことをいうのはおかしいけれども、念力、と一言でいってしまうと、ちよっと安っぽくなってしまう。念の力を強化する、要するに、精神力というものを非常に強化するということですね。

それをただたんに精神力というと、漠然としますけれども、要するに、意志の力、知能の力、 こういったものを来常に強化する訓練である。

 

もっというならば、人間の精神作用というものは、知・情・意、この三つから成り立っています。知性の力、知能の力、そして情緒的なはたらき、それから意志の力です。

要するに念の力を強化するというのは、この三つの部門(知・情・意)のはたらきを強化し、

しかも、そのいずれにもかたよらないようにする、ということです。それが、結局、結果的におもいが平安になるということじゃないですか。

人間の精神力というものは、この知・情・意のはたらきから成り立っています。ところが、これがかたよりやすいわけです。

 

和訳

是の如く我れ聞きぬ。一時、仏、含衛国の祇樹給孤独園に住まりたまえり。「上に説けるが如し。差別せば、若し比丘、七覚分を修習するに多く修習し巳らば当に七種の果、七種の福利を得べ

じゅうじし。何等をか七と為す。是の比丘は、現街の智証の楽、若くは命終時(の智証の楽)を得ん。若し現法の智証の楽、及び命終時 4 (の智証の楽)を得ざらんも、而も五下分結尽くるを得て、中般ぜ鸞せん。若し中継潤燃を得ざらんも而も、生理数を得ん。若し生般涅槃を得ざらんも而も、無行概涅槃を得ん。若し無行般涅槃を得ざらんも面も、有行艇涅槃を得ん。若し有行般涅槃を得ざ

らんも而も、上流戦涅槃を得ん」と。仏、此の経を説き已りた

まいしに異比丘、仏の説かせまう所を聞きて、歓喜し奉行しき。

あるとき、外道の出家が来て、釈尊に、成仏のための修行法をおたずねした。

数学は、「文」こそその成仏法であるとおっしゃって、念寛文・税込覚・精進党・喜

・・・文の七つの修行法をお説きになった。

そして、この七死光を移行すれば、阿果、阿那含果、斯陀含果、須陀区果が得られると解税された上で、男にも五種の祝祭の得かたがあるとくわしくお教えになられたのであった。

七党支成仏法

釈尊の成仏法は、前にのべましたように、七科三十七道品といって、七科目、三十七種類のカリキュラムから成り立っています。すなわち、四念処法、四正動法、四神足後、五根法、五力七支法、八正道です。

このうちの七葉文法について、解説されたものです。

成仏法について質問した外道の出家に、釈尊がなぜ、七科目の中の一つである七覚文について