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Mac

 

 

 

 

受け入れの秘儀
The Rite of Acceptance

 

On mo shutta mani juntei abara jita tani tei sowaka

輪廻を渡り 辿り着いた
無量の慈悲 光の中へ
影に曇れど いま開かれる
師のまなざし 魂を射抜く

On mo shutta mani juntei abara jita tani tei sowaka

受け入れの秘儀 ここに結ばれ
第三の眼に 炎が灯る
仏陀の流れ 心に滔々と
一なる道を ともに歩もう

On mo shutta mani juntei abara jita tani tei sowaka

Across the cycles, I have come ashore
Into the light of boundless compassion
Though shadows veiled me, the gate now opens
The master’s gaze pierces through my soul

On mo shutta mani juntei abara jita tani tei sowaka

The sacred rite of acceptance is sealed
A flame is lit within the third eye
The Buddha’s current flows into my heart
Together we walk the one eternal path

 

おまえの中にいる他人 The Stranger Within You

おまえの中にいる他人
The Stranger Within You

On mo shutta mani juntei abara jita tani tei sowaka

影の声が 胸を揺らす
誰でもない わたしが囁く
震える指 止まらぬままに
見知らぬ言葉 夜に生まれる

On mo shutta mani juntei abara jita tani tei sowaka

おまえの中に 他人が住む
消せぬ影が 命を操る
ひとりじゃない 自分の奥に
知らぬわたしが 目を覚ます

On mo shutta mani juntei abara jita tani tei sowaka

A shadowed voice, it shakes my chest
No one at all—yet I hear it whisper
Trembling fingers, unable to halt
Unfamiliar words are born in the night

On mo shutta mani juntei abara jita tani tei sowaka

Inside of you, a stranger resides
An unyielding shadow that moves your life
You are not alone, deep in yourself
An unknown “me” begins to awaken

 

小説風改稿(仏教哲学的強化版) 山寺の静寂を破るのは、松風と

小説風改稿(仏教哲学的強化版)

山寺の静寂を破るのは、松風と遠い鐘の音だけだった。
弟子は師の前に端座し、深く息を吐いた。

師は蝋燭の炎を見つめながら、低く語りはじめた。

「霊性完成とは、カルマからの超越にほかならぬ。カルマとは何か。因果の網であり、縁起の鎖である。人はみな、この縁起の網に絡め取られ、輪廻の流転を余儀なくされている。存在そのものが、因縁によって支えられ、規制されているのだ」

師は指先で炎を覆い、火は一瞬にして闇に呑まれた。
「だが、因縁に結ばれたままでは、真の自由はない。業報の重力に引きずられる限り、人は涅槃の境地に達することはできぬ。霊性の完成とは、この縁起の網を超えて、空なる真実に触れることだ。言い換えれば、地の引力を離れ、無限の虚空へと舞い上がることだ」

弟子は師の言葉を胸に刻みつける。

「存在とは何か? それは究極には“波動”である。すべてのものは縁起の律動によって振動し、相互に依存している。自己もまた、固定した実体ではなく、ただの響きにすぎぬ。その響きを変えたとき、人はカルマの波動を超える。これが“反重力の修行”だ。すなわち、因縁の力を空へと転ずる修行である」

師の眼差しが、弟子の眉間を貫いた。
「波動を変える原点は、間脳――視床下部にある。ここが開かれるとき、全身の波動は調和し、如来蔵の光が顕れる。その光はカルマに縛られぬ“霊光”として現れる。涅槃の風がそこに吹き、衆生の存在次元を超えた証がオーラとなって輝くのだ」

蝋燭を再び灯すと、師の横顔が淡く光を帯びた。

「瞑想は必須である。心を澄ませ、念を一境に集め、空に通じる扉を開く。だが、瞑想それ自体は方便にすぎぬ。大脳辺縁系と新皮質を動かすにとどまる瞑想では、縁起の根源たる間脳は眠ったままだ。間脳を覚醒させ、如来蔵を顕現させる瞑想こそ、カルマを越え、涅槃に至る道なのだ」

弟子は深く頭を垂れた。
そのとき、眉間にかすかな温光が生じ、まるで闇を破る明星のように輝きはじめた。

 

 

霊性完成の到達点は、カルマからの超越である。

カルマとはなにか? いうならば

くに終交に行き着くことのてき。しメテて。07

なぜか?

◎霊性完成の到達点は、カルマからの超越である。

カルマとはなにか? いうならば、地球における引力のようなものである。

地球上に存在するものすべて、地球引力の支配下にある。いかなるものも、引力から逃れることはできない。いや、地球という存在そのものが、引力によって成り立っているのである。人間におけるカルマもそのとおりである。人はすべて、輪廻のカルマの絶対的な規制を受けている。このカルマから、もろもろの

「因縁」が生じて、人間を繋縛しているのである。いや、カルマと因縁によっけばく

て、人間が成立しているのだ。このカルマと因縁の緊縛から完全に解説したときが、霊性の完成である。いうならば引力からの脱出である。反重力の修行なっだ。その修行によって自分の存在の次元が変わるのである。

存在とはなにか? それは究極のところ『波動”である。『自分』という波動 ・を変えてしまうのだ。それにより『カルマ”という波動を越えてしまうのである。

人間という存在の波動を変える原点は、間脳の視床下部にある。ここの波動を変えることにより、全身の波動が変わり、特殊な精神波動と肉体波動を持つ存在になる。それは、カルマの規制を受けない、ふつうの人間とはまた異なった、高

オーラ殊な「霊光」が発生するようになる。この特殊なオーラの発生は、全身の波動が

・度な霊的存在とよぶよりほかない存在となるのである。これが成就すると、特オーラ変化したことを示すのである。オーラについてはまたあとでのべるが、このオーラの発光源は間脳なのである。瞑想だけでは、以上のような次元の変化”は不可能である。もちろん、心の安定、集中、まったく新しい高い次元へのメディ

テイト等、瞑想はこの修行に絶対必要なものである。しかし、それはひとつの

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手段にすぎない。瞑想は、大脳辺縁系と新皮質脳しか動かすことができない。だから瞑想だけではだめなのである。間脳をはたらかす瞑想でなければ、オーラは

発生しない。したがって、カルマを越えることはできないのである。

では、なにが必要なのか?

タバス ◎ 特殊なtapas (練行)である。

学者は tapas を苦行と訳しているが、わたくしはこれを、練行と訳したい。そしてこの練行が絶対に必要なのである。

思念による王者の相承

いている。 チベット密教のニンマ派では、古くから解脱の完成に三つの方法があると説

一、思念による王者の相承

じみようしゃ二、象徴による持明者の相承

ギヤルワゴン rgyal ba dgongs pa’i brgyud pa rig ‘dzin brda’i brgyud pa リクコンデュ

三、耳を通した言葉による人の相承 gang zag snyan gyi brgyud pa

である。

ゆたん

いる。 霊界の法の世界において、法の完成者タターガタ(如米)が常恒に法を説いて

一の「思念による王者の相承」とは、この法身タターガタが、言葉や象徴という媒介なしに、直接相手の心に自分の心を伝達するものである。この場合、 心、というのは単なる思念の心ではなく、パワーを主としたものと思うべきである。これによって、相手はたちどころに仏陀として完成するのである。

これは最高であり、理想的なものであること、もちろんである。「王者の」、と

いう所以である。

二の「象徴による持明者の相承」とはどういうものかというと、象徴とは、ある言葉、かたち、音、色などに複雑な思想の内容を圧縮して詰め込んだものをいい、また、持明者 (rig ‘dzin)とは、純粋な心で実相をそのまま見ることがで

きる真如の世界に到達した者たちのことである。この相承(方法)では、真如の理解を持つ持明者たちは、導師から象徴を示されることで、密教の深奥に到達のである。

 

YAMAHA

きる真如の世界に到達した者たちのことである。この相承(方法)では、真知の理解を持つ持明者たちは、導師から象徴を示されることで、密教の深奥に到達する教法を授けられるのである。

以上のすぐれた方法に対し、ふつうの人間は、霊感はなかなか得がたく、また象徴だけでは深い密教の教法を即座に理解することはできない。そこで、ラマが、いろいろな言葉をもちいてくわしく説き明かし、弟子に理解させていく。

いわゆる「口頭伝授」である。これが、三の「耳を通した言葉による人の相承」である。 こうとうでんじ

これは、チベット密教だけではない。世界中のいかなる宗教でも、究極至上のものに到達するためには、この三つの方法しかないであろう。 じよう

(しかし、究極至上のものに到達するためには、この三つだけでは不十分なのである。欠けているものがある。なにが欠けているのか? さきにのべた練行 tapas である。

だが、そういうと、一は最高理想のものなのであるから、他のなにものも必要ないのではないかといわれるかもしれない。そうではないのである。その最高理想のものを受けるために、tapasは必要なのである。

練行とはなにか

では、その練行tapas

思われる。 それには、ひとつの例

こしかないと

78

山寺の一室

山寺の一室。
蝋燭の炎が揺らめき、師の顔を陰影で包んでいた。

「これまでの大脳生理学はな、新しい皮質と古い皮質しか見てこなかった」
師は静かに語り始めた。
「だが――人間には、もうひとつの脳がある。二つを統合し、司る最も重要な脳だ。間脳と呼ばれる場所である」

弟子は息を呑んだ。
「間脳……ですか」

「そうだ。生理学はその存在を知っていたが、その働きについてはほとんど語れなかった。しかし、知っていた者がいる。ゴータマ・ブッダ――釈尊だ。釈尊は“成仏法”という修行体系によって、この霊性の場を再開発した。そして古代密教がその系譜を受け継いだ」

師は机上の蝋燭を指先でさすりながら、弟子の眼を見た。
「第三の目という言葉を聞いたことがあるだろう」

「はい……霊的な感覚器官のことだと」

「その通り。第三の目とは、霊的次元の現象を知覚する“もうひとつの眼”だ。そしてその働きを動かす場が――視床下部なのだ。肉眼が脳とつながって世界を見るように、第三の目もまた視床下部と結びついて、霊的世界を見る」

弟子の胸に電流が走った。

師はさらに続ける。
「視床下部がなぜ霊性の場であるか。脳生理学、ホルモン分泌学、酵素薬理学――三つの側面から解き明かせる。そして第三の目と結ばれるとき、人間は霊性を顕現し、ついには神仏へと到達するのだ」

弟子は言葉を失い、ただ耳を傾けた。

「人間は、新皮質という理性の場と、辺縁系という本能の場、その中間に“霊性の脳”を持っていた。本来はそれによって均衡が保たれるはずだった。しかし――この霊性の場は閉ざされてしまった。進化の途中で方向を誤ったのだ」

蝋燭の炎が、師の横顔を赤く照らした。

「ケストラーという思想家は『人類は設計の狂いによって狂気に陥った』と語った。だが私は違うと思う。設計は完全だった。ただ、人類の進化の過程で、霊性の扉が閉じられてしまったのだ。そのために狂気が生まれ、今のような破滅の時代に至ったのだ」

弟子は震える声で尋ねた。
「では……その霊性の部位とは、いったいどこなのですか?」

師は蝋燭の炎を見つめながら、ゆっくり答えた。
「間脳の奥、視床下部。そしてそのすぐそばにある松果腺が、特別なはたらきを持っている」

「松果腺……第三の目の残跡といわれる、あの小さな腺ですか」

「そうだ。しかし、残跡ではない。活用すれば、実際に“見る”ことができる。科学はまだその入口に立ったばかりだが、修行者は太古からそれを知っていた」

師は眼を閉じ、低く言った。
「われわれは二つの肉眼で物質世界を見ている。だが、もう一つの眼――霊性の眼を持っていたのだ。「人間とは何か、と問うならば、まず脳の構造を見ねばならぬ。
新皮質は知性と理性を担い、旧皮質は本能と情動を担う。
しかし――人間が人間として成立するためには、その両者を統御する“第三の原理”が必要なのだ。それが、間脳である。

ここに霊性の場がある。だが現代人は、その存在を忘れた。
知性と本能のあいだで引き裂かれ、均衡を失い、狂気を生んでいるのだ。

思い出すがよい。人間は本来、霊性の脳をもって創られた。
設計は完全であった。だが進化の途上で、この部位が閉じられた。
その瞬間、人間は宇宙との交響を失い、ただ“孤独な知性”となった。
その孤独が科学を生み、文明を築いたが、同時に破滅の種をまいたのである。

もし間脳が開かれるならば、知性は狂気から解放される。
なぜなら、霊性は理性を超えて“全体”とつながるからだ。
自己という小さな境界を破り、宇宙の呼吸と共振するからだ。

松果腺は、その扉の鍵である。
それは第三の目、宇宙を内奥に映し出す水晶のレンズ。
視床下部と響き合うとき、人は存在の深層を直視する。
そのとき、“我”は消え、“大いなるもの”が顕現する。

これを仏陀は“成仏法”と呼んだ。
成仏とは、死後の彼岸にゆくことではない。
いま、この瞬間に“霊性の場”を開き、宇宙と一体となることだ。
それが叶うならば、人類は二度と狂気に陥ることはない」

下部と松果腺が呼応するとき、その眼は開き、霊的世界を映し出す」

弟子は深く頭を垂れた。
その瞬間、蝋燭の炎が揺れ、まるで師の言葉を証明するかのように、第三の光が彼の胸の奥に点じられた。