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阿含経  2

阿含経  2

 

一切の恐れや毒害、悪鬼、虎や狼や獅子の害も、
この陀羅尼を誦持するならば、すべて閉じ塞がれて、
害を加えることはできない。
梵行(清浄な修行)を破ろうとする悪業・悪因も、
この咒を聞き、受け持つことによって洗い清められ、
穢れは除かれ、再び清浄を得る。

たとえ過去に重い罪業や障りがあり、
濁って不善なる行いに染まっていても、
観世音菩薩の名を称え、この陀羅尼を誦持するならば、
すぐに悪業障を破り、現前に仏を見ることさえある。

ここで釈尊は告げられる。

「私は今から、大きな吉祥の六字章句、
衆生を救う大神咒を誦しよう。」

(以下、サンスクリット音写の陀羅尼が続く)

釈尊はこの神咒を説き終え、阿難に告げられた。

「もし善男子・善女人・四部の弟子(出家・在家の修行者)が、
観世音菩薩の名号を聞き、
さらにこの六字章句の神咒を受け持ち、読誦するならば、
その人は生涯にわたって安穏を得る。

さらには大きな善利を獲得し、
あらゆる毒害を消滅させ、
現世にも後世にも、不吉なることは永く尽きてなくなるであろう。」

要約すると:
観音の名号と六字陀羅尼を受持すれば、恐怖・毒害・悪業・障難が除かれ、現世後世にわたって安穏と吉祥を得る、という強い加護の経文です。

 

一部推定の音写と意味

多姪他(タデータ / Tadyathā)
→「すなわち、かくのごとし」という意味。陀羅尼冒頭の定型句。

安陀詈(アンダリ / Andari?)
→「アンタリ」「アンダリ」は護りや呼びかけの語に近い。

般茶詈(パンチャリ / Pañcāri?)
→「pañca(五)」を含む可能性。「五つの力」「五智」などに関連。

枳由詈(キユリ / Kṣiri? Kṣura?)
→刃・切断・除障のニュアンスか。

んと檀陀詈(ダンダリ / Dandari)
→「棍棒」「懲罰」を表す daṇḍa に通じる場合がある。

羶陀詈(シェンダリ / Śandari?)
→語幹不明だが音写パターンとしては呪句の一部。

底耶婆陀耶賒婆陀(テーヤバダヤシャバダ)
→「te ya vadaya śavata」などに近い音写で、神名や守護の誓句。

頗羅膩祇(パラニギ / Praṇidhi)
→「誓願」「祈り」を意味する praṇidhi の可能性。

毘質雌(ビシチ / Viśiṣṭha?)
→「特別」「勝れた」という意の viśiṣṭa か。

婆伽詈(バガリ / Bhagari?)
→「Bhagavat(世尊・神聖な者)」の音写か。

阿盧禰(アルネ / Aruṇi?)
→夜明け・朝日を意味する Aruṇa 系。

摸鳩隷(モクレ / Mukule?)
→「蕾」「開く」を意味する mukula の可能性。

兜毘隷(トゥビレ / Tuvire? Kubirī?)
→観音真言に見られる「tubhire」「kuberī」に近い。

娑訶(ソワカ / Svāhā)
→「成就あれ」「幸あれ」=真言の結び。

全体の意訳イメージ

「かくのごとし。──護れ、除け、五智の力を与えたまえ。
障害を打ち砕き、誓願を堅め、勝れた光明を示し給え。
世尊の名において、朝日のごとく開き、成就せよ、ソワカ。」

了解しました。先ほどの推定解説を、一つの文書に整理しました。

陀羅尼音写と意味推定まとめ

本資料は、梵語(サンスクリット)の真言・陀羅尼を漢字・仮名で音写したものの解読を試み、その語源や意味を推定したものである。以下に各句の音写・推定原語・意味を整理する。

音写と意味

多姪他(タデータ / Tadyathā)
「すなわち、かくのごとし」──陀羅尼冒頭の定型句。

安陀詈(アンダリ / Andari?)
護りや呼びかけの語に近い。

般茶詈(パンチャリ / Pañcāri?)
pañca(五) に関連し、「五つの力・五智」を示す可能性。

枳由詈(キユリ / Kṣiri? Kṣura?)
刃・切断・除障を意味する語に由来か。

んと檀陀詈(ダンダリ / Dandari)
daṇḍa(棍棒・懲罰) に通じる可能性。

羶陀詈(シェンダリ / Śandari?)
呪句の一部、詳細未詳。

底耶婆陀耶賒婆陀(テーヤバダヤシャバダ)
「te ya vadaya śavata」系の音写。守護や誓句に関わる可能性。

頗羅膩祇(パラニギ / Praṇidhi)
「誓願・祈り」を意味する praṇidhi

毘質雌(ビシチ / Viśiṣṭha?)
「特別・勝れた」という意の viśiṣṭa

婆伽詈(バガリ / Bhagari?)
Bhagavat(世尊・神聖な者) の音写。

阿盧禰(アルネ / Aruṇi?)
夜明け・朝日を意味する Aruṇa 系。

摸鳩隷(モクレ / Mukule?)
「蕾」「開く」を意味する mukula

兜毘隷(トゥビレ / Tubhire? Kubirī?)
観音真言に見られる「tubhire」「kuberī」に近い。

娑訶(ソワカ / Svāhā)
「成就あれ」「幸あれ」──真言の結びに用いられる。

全体の意訳

「かくのごとし。護れ、除け、五智の力を与えたまえ。
障害を打ち砕き、誓願を堅め、勝れた光明を示し給え。
世尊の名において、朝日のごとく開き、成就あれ、幸あれ。」

📜 この陀羅尼は、観音系の真言や千手陀羅尼、不空羂索呪の系統と関わる可能性が高い。

👉 ご希望なら、このまとめをさらに 「経典のどの陀羅尼に近いか」 を照合してリスト化しますが、続けますか?

阿含経 1

あ白佛言世尊。如是神咒必定吉祥。

乃是過去現在

未來十方諸佛。大慈大悲觀世音陀羅尼印。聞此

咒行持者。衆苦永盡。常得安樂。遠離八難。得

こんとうせつじっぽうしょぶつきゅうごしゅじょう念佛定。現前見佛。我今當說十方諸佛救護衆生

大神咒。

多哪吔 嗚呼膩 摸呼膩 闘婆膩 肮婆膩阿含経  1安

茶詈 般茶詈 首埤帝般般茶 囉囉 婆私膩

多姪吔 伊梨 寐梨 鞮首梨 迦婆梨

佉鞮端たとん

旃陀梨

摩蹬耆

勒叉勒叉

薩婆薩埵薩

婆婆哪埤

娑訶 多茶吔

伽帝

伽帝

腻伽帝

修留毘 修留毘 勒叉勒叉 薩婆薩埵 薩婆

婆耶埤娑訶

句ごとの解釈(音写から推定)

多哪吔
tadyathā(多陀夜他)=「かくの如し」
陀羅尼冒頭の定型句。これから霊験ある真言を説く、という宣言。

嗚呼膩 摸呼膩 闘婆膩 肮婆膩安
→ 音節を連ね、諸の神名・力を呼び出している部分。
「膩(ni)」は女性尊格(女神・母神)を指すこともある。

茶詈 般茶詈 首埤帝般般茶 囉囉 婆私膩
→ 「茶詈 般茶詈」=神霊・力を繰り返し呼びかける呼唱句。
「囉囉」=ララ=繰り返し呼ぶ。
「婆私膩」=パーシニ=女神の名に近い。

多姪吔
→ 再び tadyathā の繰り返し。強調。

伊梨 寐梨 鞮首梨 迦婆梨
iri miri diśuri kapari のように音写される、諸尊・霊力の呼称。
守護神・精霊の名を列挙している部分。

全体の意味(意訳)

「かくの如し。
嗚呼、諸の聖なる母神・守護の力よ、我を守れ。
清浄の功徳をもたらし、障害を取り除け。
茶詈、般茶詈――繰り返し呼びかけ奉る。
ララ、婆私膩よ、来りて守れ。
かくの如し。
伊梨、寐梨、鞮首梨、迦婆梨――
その名の力をもって、結界を成し、福徳を満たせ。」

つまり、この陀羅尼は守護・除障・清浄の加持力を祈るもの、と考えられます。

いいですね 👍
では「四種の呼吸法」を、阿含経瑜伽行派(ヨーガーチャーラ、唯識系の行派) の文脈に即して整理してみます。


経典的な呼吸法の体系

1.長出入息呼吸法(長息)

  • 『安那般那念経』(雑阿含経巻38など)にある「長く吸うを知る、長く吐くを知る」に対応。
  • 行者は「これは長息である」と正しく知覚しつつ、呼吸の長さに気づき続ける。
  • 瑜伽行派では「心が散乱している時は長息で調える」と説かれる。つまり、粗い呼吸をまず長く整えることで、心を禅定に導く入口とする。

2.出息呼吸法(出息)

  • 経典では「出息を観じ、入息を観ずる」とあり、出息は「煩悩の減退」「疲れの放出」と結びつく。
  • 特に阿含経では「出息を観ずる者は、死を観ずるに通ず」と示され、出息は「減滅・無常」の観照とつながる。
  • 瑜伽行派は「吐く息に随って心を外に散じさせず、ただ観照を続ける」とし、出息の観は「止滅(涅槃)」の象徴とされる。

3.反式呼吸法(丹田呼吸)

  • 阿含経そのものには「腹式呼吸」という用語は出ませんが、中国禅の伝承や瑜伽行派の「気の運行」と結びつけられる。
  • 瑜伽師地論などでは「気(プラーナ)」が「心(チッタ)」と関わり、呼吸を丹田(下腹)におさめることによって、心を散乱から解放する実践が語られる。
  • 「反式」とは胸式呼吸と逆であることから「気を臍下に収める観法」と理解できる。

4.細出入息呼吸法(微息)

  • 『安那般那念経』の「短く吸うを知る、短く吐くを知る」「微細なる息を観ず」にあたる。
  • 行法が進むと呼吸は微細化し、ほとんど止息に近づく。
  • 阿含経では「比丘は息の微細を観じて、身行(身体活動)を止滅する」と説かれる。
  • 瑜伽行派はこれを「定の相応」と見なし、呼吸が極度に静まり、心が禅那(三昧)に入る入口と解釈する。

まとめ(経典的な意味づけ)

  • 長息 → 散乱を鎮め、心を調える(止の基盤)。
  • 出息 → 滅・手放しを観じる(無常観・死想)。
  • 反式(腹式) → 気を丹田に収め、心身を一如にする(瑜伽行派的補足)。
  • 細息 → 呼吸が微細となり、身行が静まって禅那に入る。

つまり、阿含経の「安那般那念(出入息念)」を骨格に、瑜伽行派が「気の観想」「身心一如の修習」として展開したのが、これら四呼吸法といえるのです。


ご希望なら、これを 「四呼吸法を実践する僧の物語」 として小説風に展開してみることもできますが、試してみますか?

承知しました。🙏
ご提示の「四種の呼吸法」について、一つずつ仏教瞑想や伝統的な呼吸法との関連をふまえて解説しますね。


一、長出入息呼吸法(ちょうしゅつにゅうそくこきゅうほう)

  • 長く息を吸い、長く息を吐く方法。
  • パーリ語の《安那般那念》(ānāpānasati, 出入息念)の実践の第一歩にあたります。
  • 呼吸を「細く・長く・ゆったり」させることで、心が落ち着き、散乱(躁動)を鎮める。
  • 神経的には副交感神経が優位になり、身体は弛緩し、心は安定して瞑想に入っていきやすくなります。

二、出息呼吸法(しゅっそくこきゅうほう)

  • 吐く息に重点を置く呼吸法。
  • 「出息(はきいき)」は、心の緊張・煩悩・疲れを吐き出すイメージと結びつきます。
  • 仏典にも「出息において知る」と説かれ、出息を観察することで「滅(止息)」の観を深めることができるとされます。
  • 心理的には、放下(執着を手放す)や解脱の感覚に近づける修習。

三、反式呼吸法(はんしきこきゅうほう)

  • 現代でいう「腹式呼吸」に相当。お腹を膨らませたり凹ませたりしながら呼吸する方法。
  • 古代インドや中国の行法では「気を丹田におさめる」意味を持ち、心身を深く養う。
  • 仏教においても「気を下げる」ことで雑念が静まり、禅定が深まります。
  • 反式とは「逆式」の意味で、胸を膨らませる普通呼吸とは逆に、吸う時に腹が膨らみ、吐く時にへこむ呼吸を指します。

四、(未提示)第四の呼吸法

ご提示の文ではまだ書かれていませんが、伝統的には次のような呼吸法が考えられます。

  • 微細呼吸法(細出入息)
    呼吸が限りなく細く、静まり、まるで止まっているかのように見える段階。
    『阿含経』では「長息を知る、短息を知る」とあり、やがて微細な呼吸を観じることへと進む。
  • この段階は「禅定の深まり」「心身の一体化」「呼吸と意識の一如」を象徴します。

✅ まとめると、

  1. 長い呼吸(心身を鎮める)
  2. 吐く呼吸(手放しと解脱)
  3. 腹式呼吸(丹田・安定・集中)
  4. 微細呼吸(禅定の深まり)

この四段階を修習していくことで、ただの呼吸が「観法(ヴィパッサナー)」へと昇華し、最終的には「空・無我の体得」へと導かれるのです。


ご希望に合わせて、これを もっと実践的(坐禅の仕方としての説明) にまとめますか?
それとも 経典的(阿含経・瑜伽行派の呼吸観)に即した解説 にしますか?

四種の呼吸法

四種の呼吸法

この本で教える瞑想の呼吸法は、四種の呼吸法から成り立つ。

一、長出入息呼吸法

二、出息呼吸法

はんしゃ

三、反式呼吸法

である。

四、強短息呼吸法(火の呼吸法)

簡単に説明すると、一の長出入息呼吸法は、出る息、入る息、どちらも、できるだけ細く長く深く呼吸する。一呼吸に二十秒から三十秒、一分くらい、時間をかける。

二の長出息呼吸法は、出る息のみをできるかぎり細く長く吐いて、吸う息はふつうに吸う。

三の反式呼吸法は、ふつうの呼吸とちがって、息を吸うとき、腹部をひっこ

 

にする。 そのためには、頭部、頸部の緊張を解くために、前頭部を心もち前に出し、 下顎を少し中へ引くようにして、頭部をやや下げるようにするとよい。同時に、前胸部も少しひっこめるようにし、腹部は少し前に出し、両肩は力を入れず、自然な姿勢をとる。背中は心もち前に曲げ、腹部の容積を大きくするよう

め、息を吐くとき、腹部をふくらませる。ちょうどと逆になるわけである。

四の強短息呼吸法は、「火の呼吸法」とよび、片方の鼻孔を指で押さえて閉じ、片方の鼻孔で強く短く呼吸する。

それでは、四種の呼吸法の訓練を説明しよう。

長出入息呼吸法の訓練

りき趺坐、あるいは椅子坐、いずれにしても、頭部、頸部をごく自然に、まっすぐ、きちんとした姿勢をとる。ただし、あまり緊張しすぎて力んだり、硬直したりしてはいけない。ゆったりと、リラックスすることが大切である。

 

る。 ことである。まず吐いて、つぎに吸うときから第一回の呼吸がはじまるのであ

に持っていく。 口と唇はごく自然に軽く閉じる。両眼も軽く閉じるが、かすかに外光を感じる程度にひとすじの隙間を残す。すなわち半眼にして、視線は、鼻の先、鼻頭

肛門をきゅっと締め、上へ引き上げるようにする。

まず、最初、軽く息を吸い、ついで口をすぼめ開き、力いっぱい吐き出す。

下腹部に力をこめ、上体を少し前に折りかがめるようにしながら、吐いて吐い

て吐き尽くす。このとき、前に書いたように、体中の悪気、不浄の気をことご

とく吐き出してしまう気持ちで、鳩尾が背骨にくっついてしまうくらいに、吐

くのである。吐き尽くしたら、また大きく吸い、二、三回、これをくり返す。 大事なことは、呼吸法をはじめるときには、かならず、まず最初に息を吐く

歯は軽くかみ合わせて、かみ合わせた歯の間を通して、ゆっくりと息を吐く。歯は上下が軽くふれるかふれない程度で、決して強くかみ合わせてはいけ

ない。

自然に、長出人意呼吸法に移る。

まず、軽く息を吸う。

歯の間を通してゆっくりと息を吐き終わったら、今度は唇を閉じ、歯をきちんと合わせて、鼻からゆっくりと吸うのである。

少しずつ、時間をかけて、鼻から空気を吸う。このとき、鼻から入ってくる空気の量をできるだけ少なくするために、鼻をすぼめて鼻腔をせまくする。こうずると、入ってくる空気の量が少なくなるだけではなく、せまくなった鼻腔の壁が空気でマサツされて、その刺激が脳に伝わり、脳の興奮を静める効果もあるのである。

また、息を吸い込むとき、舌の先を、上顎部(上の正面の歯ぐきのやや上能、つまり、ルートの父のところである)につける。なぜつけるのかというと、わたくしは、さきに、任脈と督脈のニルートは、元来一本の線であるとのべた。

しかし、じつは、口のところでとぎれているのである。これを、舌の先で接続

 

させるのである。これによって、じっさいに、任脈・督脈のニルートにのルートとなるのである。(ここから意念との共同訓練に入っていくのだ) そこで、ごく自然に息を吸い込んでいく。

かんげんきゅうびちゅうかんしんけつこのとき、息を吸い込む鼻の奥から、(任脈ルートの)鳩尾、中院、神闕(勝) を通って、男性は気海(勝の下約四センチ)、女性は関元(臍の下約八センチ)のところまで、一本の気管(プラーナ管)が通じていると観想せよ。太さは細めのストローくらいで、赤色である。

こんかんほうのうほうきゆうこの気管の根本、つまり根管部(気海、関元)に、胞宮という三センチ四方くらいの特殊な細胞の場のあることを意識せよ。胞嚢という、うすいオレンジ色を帯びた透明の袋と考えてもよい。鍛錬によって収縮・拡大するから、糞と考えたほうが把握しやすい。 ふくろ

みぞおち静かに深く息を吸い込んでいく。気管を通じて息はまっすぐに胞嚢に吸い込まれていく。吸い込む最初、鳩尾は軽くひっこみ、このとき、胞宮に強く意識をかけ、少し力を入れる。息が吸い込まれるにしたがって、爛尾はふくらみ、

収縮していた胞嚢もふくらんでいく。(注意。あとでのべる「反式呼吸法」のときは、この逆になる)

みぞおちず鼻からちょっと息を漏らす。これが非常に大切で、これをやらないと、胸から頭部にかけて圧がかかり、体を痛めるおそれが出てくる。腹式呼吸をやって、頭痛を起こしたり、内臓下垂で苦しんだりするのは、これを知らないからである。禅宗の原田祖岳老師が、原坦山和尚の極端な下腹入力禅をやったところ、頭が鳴って苦しくなった。また腸の位置が変則的になって難病をしたと本に書いておられる。注意が必要である。 はらたんざん

息を吸い終わったら、もう一度、軽く息をのみ、鳩尾は十分に落とし、肛門をぐっと閉じ、胞宮にウムと力を入れる。この力を入れるとき、同時にかなら

この肛門を締めて、胞宮にウムと力を入れる動作を、二、三回おこなう。

つぎに、長出息呼吸に移る。

胞宮に一段と力をこめ、下腹部を収縮させながら、どこまでも腹の力をもって静かに息を吐き出していく。ふくらんでいた胞嚢がしだいにしぼられ、収縮

していく。

「オン」

マントラ真言はつづいて、

このとき、息を吐き出しながら、それまで、上顎部につけていた舌を離し、 吐き出す息に乗せるような気持ちで、低い声で真言を語する。

真言を話しながら息を吐き出していく。静かに、ゆっくりと、できるだけ細く長く吐き出していく。息がすっかり出てしまうと、下腹はくぼみ、腹壁が背骨にくっつくような気持ちになる。つまり、そうなるような気持ちで吐き出していくのである。

吐き出し終わったら、また、静かに鼻で吸う。吸うときは、舌を上顎につけること。前とおなじである。

吸い込んだら、前と同じ動作で吐き出していく。前とおなじように、吐き出しながら、真言を誦する。 マントク

「シンタマニ」

 

「ダト」

「ウン」

で、これを、それぞれ、吐くひと息ごとに、一句ずつ、唱える。

「オン、シンタマニ、ダト、ウン」

この真言は、守護仏、仏舎利尊(輪廻転生瞑想法の本尊、準胝尊の本体)の真言である。深く念ずることにより、守護仏の加護を得て、魔境に陥ることなく、 無事、修行を成就するのである。

この長出入息呼吸法は、一呼吸についての時間は問わない。できるだけ細く長く、長出入息させるのである。

長出息呼吸法の訓練

前の、長出入息呼吸法は、出る息、入る息、ともにできるだけ長く細く呼吸するものである。できるだけ細く長く、というだけで、どれほどの時間をかけて細く長く呼吸するのか、という時間は問わない。

す。 この長出息呼吸法は、一呼吸を、一分間に三回ないし四回くらいにまで落と

しかし、長出息呼吸法は、時間が目安になる。

だいたい、成人の呼吸は、健康な人の平静な状態で、ふつう一分間に十八回とされている。

一般に虚弱体質の人は、息を吸う時間が非常に短い。重病人などは、肩でせわしく浅い短い呼吸をしている。虚弱体質でなく健康な人でも、興奮したり、 激しい怒り、おそれ、悲しみなど、心が激動すると、呼吸はずっと速くなる。 激怒して言葉が詰まったりするのは、呼吸が速くなりすぎて、切迫するためである。

心の病気を持つ人の呼吸も速い。一分間に二十数回、あるいは三十回以上も呼吸している人は、明らかに異常で、心因性の病気を持つ人である。精神科の医師は、患者の呼吸の速さを、診断の目安のひとつとしているのである。

呼吸のしかたは、長出入息呼吸法とおなじでよい。ただし、呼吸を、一分間

に三回にまで落とすということは、ふつうの呼吸法では不可能である。それができるコツは、出す息をできるかぎり細く長く、織々と吐いていって、吸うほ

うの息は、ふつうの呼吸に近い吸い方で吸うのである。

この呼吸法に熟達すると、一分間に一回くらいにまでなれる。

この呼吸で、前記した長出入息呼吸法とまったく同様に、気管の観想、守護仏真言の読論をおこなう。

練習時間は三十分ないし一時間である。

反式呼吸法の訓練

反式呼吸法というのは、ふつうの呼吸とまったく反対の呼吸をするので、こうよぶのである。

つまり、自然の呼吸では、息を吸い込んだとき、腹部がふくれ、息を吐いたとき、腹部がひっこむ。

この反式呼吸法は、それがまったく逆になる。すなわち、息を吸い込んだと

き、腹をこ

吸法なのである。

なぜ、そういう反自然の呼吸法をするのか?

いくつもの利点があるからである。

その利点は、横隔膜を極限に近く使うことから生ずる。

ちょっと考えると、腹をふくらませながら、息を吐くなどという芸当は、とてもできないと思われるかもしれない。

しかし、それができるのである。それは、内臓の中で胸腔と腹腔の境目になっている横隔膜をはたらかせることによって可能となるのである。 さかいめ

ふだんは、意思の支配の外で、自律的に、胸や腹がポンプの役目をして空気を吸ったり吐いたりするのにまかせっきりでいるけれども、反式呼吸のように自然ではないかたちで呼吸をしようということになると、横隔膜を動かすしか方法がない。

ふつうの呼吸の場合、横隔膜が上下に動く幅は、せいぜい四~六センチくら

 

いである。

しかし、反式呼吸にすると、なんと十センチ以上も動くのである。

人間の腹腔の上下の幅は、どんなに胴長の人でも、だいたい三十センチもあるかどうかというところである。その三十センチの中で、横隔膜が十センチ以上も上下に動くのである。その影響は、たいへんなものである。横隔膜が下に下がれば、腹の中にある内臓は非常な圧力を受け、上に上がった場合は、逆に大きなマイナスの圧力を受けることになる。

つまり、この呼吸法によって、腹腔内で内臓が、強い力で動かされ、刺激されるということである。

それがどんな利益をもたらすか?

反式呼吸法の四つの利点

1、体の新陳代謝を盛んにする。

肺の機能が高まり、これまでの何倍も大量の酸素を血液の中に吹き込

 

み、体中に送り込む。

2、筋肉の発達をうながす。

新陳代謝が盛んになれば、体中の組織が強化されるのは当然であり、筋

肉が発達する。ことに、内臓の筋肉が強化される。

3、神経のはたらきが安定する。

それは、自律神経を安定させるからである。

4、血液の循環を盛んにする。

最後に大切なのが、血液の循環を活発にするということである。

これにより、体中に大量の酸素を運んで新陳代謝を盛んにし、筋肉や骨が強化されるのである。

自律神経安定のメカニズム

自律神経(植物性神経)とは、すべての内臓、腺、血管等、人間の意志と無関係に反応する器管を支配する不随意神経で、これらの器官のいろいろな機能を自動的に調節している。それで、自律神経とよばれるのである。

自律神経は二つの特徴を持っている、それは、

この二つである。

一、意思をともなわず、自動的にはたらくこと。

二、この神経は、かならず交感神経と副交感神経の二つからできていて、その支配を受けること。

ひとつの内臓器官の自律神経は、いつもこの二つの神経交感神経と副交感神経がはたらいて調節しているのである。そのはたらきはまことに微妙なもので、おたがいに反対のはたらきをする。交感神経は神経を興奮させ、血管を収縮させるのに対し、副交感神経は心臓を抑制し、血管を拡張させる。つま

り、交感神経は人体におけるアクセルであり、副交感神経はブレーキだと思たぼよい。交感神経が緊張すれば人間の体は興奮状態となり、副交感神経が緊張すれば、その腕が抑えられるようになる。どちらかにかたよっても、体は納的な状態になるわけで、このあい反した二つのはたらきがバランスをたもつことにより、心は順調に動き、血管は適当な大きさを保持するわけである。

こういうはたらきは、すべて、意思をともなわず、まったく無意識のうちにおこなわれているが、その調和が破れると、当然、さまざまな病気が生ずる。

その調和を破るものは、病気とか、内臓器官そのものの故障によるものは別として、ほとんど精神的なものからくることが多い。

のうかすいたいふくじん強い煙問、悩み、悲しみ、おそれ、怒り等、心と体の動揺をきたす精神的刺激が起きると、内分泌器官の中枢である脳下垂体を経て、副腎の自律神経の交感神経に伝わり、副腎の皮の髄質や、神経の末端から、 の髄質や、神経の末端から、アドレナリンおよびノルアドレナリン(副腎髄質ホルモン)や、シンパシン(交感神経の末端から遊離する物質)などの、強い興奮剤が分泌される。

 

これは、その強い煙閣やおそれなどに対応するための、体の自衛作用なので

あるが、その精神的刺激がつづくと、アドレナリン系の過剰分泌をきたすことになる。アドレナリン系の過剰分泌は、胃腸の運動を止め、血管を収縮させ、 血圧を高める。さらに、肝臓や筋肉内の大切なエネルギーのもととなるグリコーゲンを、いたずらにブドウ糖に分解し、そのため血液内の血糖量がふえて

酸過多症を起こし、身心の過労状態をもたらすのである。

これが、いわゆる「ストレス」であり、ストレスは「心因性の病気」を引き起こす。

ストレス説で有名なハンス・セリエ博士などは、分裂性の疾患もふくめた事実上のあらゆる疾患が、心因性によるものだと断言しているくらいである。

これに対し、反式呼吸法は、自律神経の安定をもたらすのである。

というのは、この呼吸法は、自律神経の中枢である腹部(胃のうしろのあたりにある)の太陽神経叢Solar Plexusにいつも圧力をかけて、刺激をあたえているのである。つまり、うさきにのべたように、内臓が強い力で動かされ、モミクチャ

ある。 このため、自律神経のはたらきが活発になり、安定するのである。というのは、ふつう精神的なショックを受けたとき、交感神経のはたらきで、アドレナリンなどの強い興奮剤が過剰分泌される。これに対し、この呼吸法をおこなっている修行者は、平素からのコントロールの力により、自動的にその緊張・興奮を緩和するよう、副交感神経がはたらいて、神経の末端から興奮抑制剤であるアセチルコリンの過剰分泌が起こされる。この作用によって、血管は拡張し、血圧も下がり、心身の興奮はおさまって心身安定し、リラックスするので

第二の心臓

にされている。これは太陽神経叢という自律神経の中枢神経の刺を、マッサージしていることになるのである。

さらに、反式呼吸法は血液循環を盛んにする。

人間の体には、例外なく心臓がひとつと、人によって多少の差はあるが、ほ

中上限をめぐらしている。

以上のことはいまさらいうまでもなくだれでも知っていることだが、ど 、というのが、この作業に対して、不十分のようなのひとつだけでは足りないようなのだ。

あいうのは、和田リットルの血液が、全部、体中をめぐって、きちんと役目を果たしているかというと、そうではなく、人によっては、全体の三分の二に近い量が、腹腔内にたまって古い車(画)となり、病気の原因となっているのである。

思うに、人間は四足動物から進化したものである。何百万年か前、それまで樹上生活をして、木から木へ、キャッキャッと叫びながら飛びまわっていたのが、突然、アフリカのサバンナ (草原)に降り立った。長い草の生えている草原では、四つ足では先が見えず、自衛上、あと足で立つようになった。そのために下顎骨が張り、眼が遠方を見るようになって、脳が発達した。それはけっこ

うなことであるが、内臓のほうは、そう簡単に変化できず、辛うじて戦帯でよ右下っているだけなので、弱い人は、内臓下垂を起こすことになる。心臓も、 四つ足時代以来の一個だけなので、ポンプとして、直立した全身に血液をめぐらせるのに、過重なのである。

心臓から血液を送り出す血管、つまり、動脈は、その名称のとおり自分で脈打って動き、血液を進めるはたらきをするが、静脈のほうにはそれがない。静

かな脈、というとおりである。動脈というのは、いまいったように、自分で動いて心臓から血液を送り出す。その反対に、血液を心臓に送り返す血管が静脈だが、しかし、その静脈は静止している血管で、心臓というポンプによってその中の血液を流してもらうしかないのである。その静脈の中の血液は、(体循環たいじゅんかん

で)炭酸ガスその他の老廃物をふくんだ暗赤色の汚い血である。(肺循環の静脈では、動脈血となって酸素を多くふくみ、鮮紅色を呈したきれいな血液が通っている)

要するに、心臓ひとつでは、動脈、静脈、両方の血管を動かして全部の血液を全身にまわし、完全に循環させる仕事は、荷が重すぎるということなのだ。

そこで、腹腔の中や、その他の内臓に、老廃物をいっぱいため込んだ汚い血がたまることになる。

貧血症というのがあるが、放射能障害など特殊な場合を除いて、全身にある血液が少ないというのは稀だということで、ほとんどの場合、流れている血が少ないというにすぎないと、生理学者はいっている。

反式呼吸法は、こうしてたまっている汚い血液を、ほとんどすべて、心臓や肺に戻してやるはたらきをする。

この呼吸法は、腹筋を、ぎゅうっとしぼっておこなう。また、胸を動かさず、腹筋のはたらきで横隔膜を上下させて、肺をひろげたり、縮めたりする。 肺自体にはそういうことができないから、呼吸筋を使うだけでなく、このようにして肺を助け、腹筋をしぼって、そこにたまった血液を心臓に送り返し、また、横隔膜をぐっと下げることにより、腹の中に強い圧力をかけ、内臓にたまっている血液を心臓に送り返す。つまり、心臓の役目を果たすわけである。

そこで、ソ連の著名な生理学者ザルマノフは、この横隔膜を強力なポンプに