UA-135459055-1

Mac

2026年1月4日

20261月4日

乙巳 二黒土星 歳
戊子 一白水星 節
戊寅 六白金星 日

六白金星の日

 新しい企画を持った人との接触あり。気が高ぶり争いが起りやすい。負けるは勝ち。怒ったら損、自己を誇るなかれ。心豊かにほのぼのと。

躍動の週 成の日

何事も期待通りの成果が得られる日

これまで積み重ねていたことが実を結び達成される日です。同時に、新しいことへの興味が芽生える日でもあるので、何かを始めるのにも良い日です。特に長期的に取り組まなければならない課題などをこの日に始めることで、成果や評価が積み重なり、良い結果を得ることができるでしょう。大きなプロジェクトのキックオフなどは是非この日を選んでください。さらに、過去に断念したり失敗したことがあれば、再チャレンジするにも適した日です。原因と対策をしっかり分析して勇気を持って臨めば、良い結果が得られます。

 

January 4, 2026

Yin Snake (Year of Earth Star Two Black)
Wu Zi (Wood Rat) (Season of Water Star One White)
Wu Yin Tiger (Day of Metal Star Six White)

Day of Metal Star Six White

You will come into contact with someone with a new project. Tempers will rise and arguments are likely. Losing is winning. Angry is losing, and do not boast. Feel a rich and harmonious heart.

Dynamic Week – Coming of Age Day

A day when you will achieve the results you expect.

This is a day when your hard work will come to fruition and you will achieve your goals. At the same time, it is a day when interest in new things will blossom, making it a good day to start something. Starting a long-term project on this day will lead to cumulative achievements and positive results. Choose this day to kick off a major project. Furthermore, if you have given up or failed in the past, this is a good day to try again. Thoroughly analyze the causes and solutions and approach it with courage, and you will achieve good results.

२०२६ जनवरी ४ तारिख

यिन सर्पः (पृथिव्याः ताराद्वयं कृष्णं वर्षम्) २.
वू ज़ी (काष्ठमूषकः) (जलस्य ऋतुः तारा एकः श्वेतः) २.
वू यिन व्याघ्रः (धातुतारकस्य षट् श्वेतस्य दिवसः) २.

धातुतारकस्य दिवसः षट् श्वेताः

भवन्तः कस्यचित् नूतनप्रकल्पेन सह सम्पर्कं करिष्यन्ति। आक्रोशः उत्पद्यते, विवादाः च सम्भाव्यन्ते। हारः विजयः एव। क्रुद्धः हानिः, मा च गर्वः। समृद्धं सामञ्जस्यपूर्णं च हृदयं अनुभवन्तु।

गतिशील सप्ताह – वयसः आगमन दिवस

एकः दिवसः यदा भवन्तः अपेक्षितं परिणामं प्राप्नुयुः।

एषः दिवसः यदा भवतः परिश्रमः फलं प्राप्स्यति, भवतः लक्ष्यं च प्राप्स्यति। तत्सह, नूतनवस्तूनाम् रुचिः प्रफुल्लिता भविष्यति, येन किमपि आरम्भस्य उत्तमः दिवसः भवति । अस्मिन् दिने दीर्घकालीनपरियोजनायाः आरम्भेण संचयी उपलब्धयः सकारात्मकाः परिणामाः च भविष्यन्ति। एकस्य प्रमुखस्य परियोजनायाः आरम्भार्थं एतत् दिवसं चिनुत। अपि च यदि भवान् पूर्वं त्यक्तवान् अथवा असफलः अभवत् तर्हि पुनः प्रयासं कर्तुं एषः उत्तमः दिवसः अस्ति । कारणानि समाधानं च सम्यक् विश्लेष्य साहसेन तस्य समीपं गच्छन्तु, ततः भवन्तः उत्तमं परिणामं प्राप्नुयुः ।

 

 

 



虚空菩薩

虚空菩薩

 

虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)(梵名アーカーシャガルバआकाशगर्भ [Ākāśagarbha])、またはガガナガンジャगगनगञ्ज、[gaganagañja]))は、仏教における信仰対象である菩薩の一尊。「明けの明星」は虚空蔵菩薩の化身・象徴とされ、明星天子大明星天王とも呼ばれる。また、知恵の菩薩として、人々に知恵を授けるともいわれている。

 

三昧耶形は宝剣、如意宝珠種字はタラーク (त्राः、Trāḥ)。真言は「オン バザラ アラタンノウ オンタラク ソワカ」[2](Oṃ vajraratna, Oṃ trāḥ svāhā)や、「ノウボウ アキャシャキャラバヤ オンアリキャ マリボリソワカ」[3](Namo Ākāśagarbhāya, Oṃ ali kalmali mauli svāhā) などが知られる。

「虚空蔵」はアーカーシャガルバ(「虚空の母胎」の意)の漢訳で、虚空蔵菩薩とは「広大な宇宙のような無限の智恵と慈悲を持った菩薩」という意味である。そのため智恵や知識、記憶といった面での利益をもたらす菩薩として信仰される。その修法「虚空蔵求聞持法」は、一定の作法に則って真言を百日間かけて百万回唱えるというもので、これを修した行者は、あらゆる経典を記憶し、理解して忘れる事がなくなるという。 胎蔵曼荼羅の虚空蔵院の主尊であり、密教でも重視される。

元々は地蔵菩薩の地蔵と虚空蔵は対になっていたと思われる。しかし虚空の空の要素は他の諸仏にとって変わられたようで、また地蔵菩薩の独自の信仰もあり、対で祀られる事はほぼ無い。

 

虚空蔵菩薩

無限の智慧と慈悲の心を人々に与える菩薩

虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)とは?

虚空蔵とは宇宙のような無限の智慧と慈悲の心が収まっている蔵(貯蔵庫)を意味し、人々の願えを叶えるために蔵から取り出して智慧や記憶力、知識を与えてくれるとされています。

 

真言宗の開祖・弘法大師は虚空蔵菩薩の真言を100万遍唱えるという虚空蔵求聞持法(こくうぞうぐもんじほう)を行ったそうですよ。無限の記憶力がつき、仏の智慧を体得することができるといわれています。求聞持法の本尊像のほかに、増益(ぞうやく)や除災を願って行う修法の本尊である五大虚空蔵菩薩があります。これは虚空蔵菩薩の持つ智慧を5方に配し、金剛界五仏の変化した姿としたものです。

ご利益

成績向上、記憶力増進、頭脳明晰、商売繁盛、技芸向上のご利益があります。また、丑・寅年の守り本尊です。丑・寅年に生まれた人々の開運、厄除け、祈願成就を助けるといわれています。

虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)の像容

1つの顔に2本の腕を持つ、菩薩形の像です。右手に剣、左手に如意宝珠を持っているのが一般的です。五仏宝冠を戴いた坐像として表現されます。

有名寺院と

 

 

 

 

 

子供の守り神や道祖神としても広く信仰されています。 地蔵菩薩の役割と特徴 「大地」と「胎内」: 梵語の「

菩薩(ぼさつ)**は悟りを開きながら衆生救済のために修行を続ける存在で、**地蔵菩薩(じぞうぼさつ)**は特に釈迦滅後から弥勒菩薩が現れるまでの「無仏時代」に六道(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天)を巡り、人々の苦しみを救う菩薩です。親しみを込めて「お地蔵さん」と呼ばれ、僧侶の姿(剃髪、袈裟)で右手に錫杖(しゃくじょう)、左手に宝珠(ほうじゅ)を持つのが一般的で、子供の守り神や道祖神としても広く信仰されています。

    • 「大地」と「胎内」
      梵語の「Ksitigarbha(クシティガルバ)」に由来し、「大地(Ksite)」が「胎内・子宮(garbha)」のようにすべての命を育むように、慈悲深く人々を救う存在です。

  • 無仏時代の救済者
    お釈迦様(釈迦如来)が亡くなった後、次の仏である弥勒菩薩が現れるまでの長い間、この世に留まり人々を救うとされています。

  • 六道の巡礼者
    六道すべての世界へ赴き、それぞれの苦しみから人々を救うため、地獄の苦しみから救う「冥界の教主」としての側面も持ちます。

  • 親しみやすい姿
    剃髪した僧侶の姿は、人々のそばにいることを示し、右手に錫杖、左手に宝珠を持つ姿は、旅をしながら救済する「現世遊化」の性質を表します。

  • 身近な存在
    道端や墓地などでよく見かけられ、「お地蔵さん」として親しまれています。赤ちゃんのよだれかけ(涎掛け)は、子供の守り神としての信仰の表れです。

  • 多様なご利益
    五穀豊穣、安産、子育て、交通安全、先祖供養など、庶民の身近な願いを聞き届ける対象です。

  • 六体地蔵
    墓地などに6体の地蔵が並ぶのは、六道それぞれを担当し、転生する故人を導くという信仰に基づいています。

準胝観音――生きて

準胝観音――生きて

 

信じたんじゃない 入ってきただけ
闇の底で 名が鳴っただけ
理由はいらない オン ジュンテイ

立ち上がる前に 止まっただけ

選ばない 探さない
ただ 視界に触れた
オン オン ジュンテイ
死が 次へ行かなかった

オン ジュンテイ
意味の前で 止まる夜
オン ジュンテイ
わたしは まだ 使われる

オン
ジュンテイ
死が 踏み出さない
オン
ジュンテイ

たけは絶対に尸

の何たるかを教えてあげて、悪い因縁を切るための信仰へ道を問いてた道はこれしかないと思った。

信仰の系譜

じゅんていその当時のわたくしの信仰というと、準胝観音をご本尊とする観音信仰であった。

なぜ、この信仰をもつにいたったかといえば、仕事に大失敗した時、わたくしは、自殺

を決意したことがあった。

道楽したり、怠けたりしたわけではないのに、トラブルが重なり、大きな負債を背負ってしまった。債権者に連日責められる羽目となった。

そこで、二、三日、自分の行く末をじっくり考えてみたいと思い、父が戦争中に拵えて

いた、田圃の中の工場跡へバッグ一つ提げて出かけていった。

二、三日考えているうちに、もう生きているのが面倒になり、いっそ死んでしまえ、と

いう心境に陥ってしまった。いわば、死神がついたということであろう。

死神がつくということがどういうことなのか、この時わたくしははじめてわかったよう

こしら

・逆境に生きる

な気がした。だんだん視野が狭くなってきて、目の前が暗くなる。そのうちに、目の前十センチくらいしか見えなくなってしまって、死ぬこと以外は何も考えなくなってしまう。

どうやって問題を解決するか、などというようなことには、もう頭が回らないというか、 考える気力もなくなって、死ぬしかないという気分に陥り、あとは、どうやって死のうかと、そればかりを考えるようになる。そうなると、もう死ぬ方法も鉄道自殺など面倒になり、とにかく手近にあるもので、パッと死にたくなる。

そんな状態になっているうちに、明け方になり、いよいよ首を吊ろうという気になった。 そして、寝ころがったまま、あの梁あたりに縄をかけて、などと考えながら天井を見上げていたところ、棚が目につき、その棚から何か小さなものがちょいとはみ出しているのが見えた。ふと好奇心がわいて、「あれ、何んだろうな」と思って、ひょいと立ってみた。 これが転機となって、死神がはなれたのであろう。このことがなかったら、わたくしは確実に首を吊っていたと思う。それまでは、思考が完全に停止し、死んだ後、誰が困るかとか、そういった死ぬこと以外の、ほかのことは何んにも考えなくなっていた。

とにかく、立ち上がってそこに見たのは真新しい小さな経巻であった。幅二、三センチ、 長さ五、六センチ、厚み一センチ弱、の小さなものであった。

この工場を引き払って、もう三年にもなるのに、どうしてこの棚に経巻が置き去りになっていたのかと、いぶかしく思いながら、ふと父から以前聞いたある話を思い出した。 父の取引先に中村語郎さんという方がおられた。父は陸軍から引き取った払下げ品の一

を製紙原料として、この中村さんの会社に

そ引先に中村臨郎さんという方がおられた。父は陸軍から引き取った払下げ品の一

部を製紙原料として、この中村さんの会社に納めていた。

中村さんは製紙原料問題としては当時日本一といわれた人であったが、遺棄もだいぶしたらしく、若い頃から苦労がたえず、一時は「おけらの語郎」とさえいわれた人であった。 そのどん底の時に、前途に希望を失った中村さんは「いっそ死んでしまおう」と、冬の木枯しが吹き荒ぶ時季に、洗い晒しの浴衣一枚を着て、近くの川へ出かけた。橋の上から身投げしようとしたところ、いまや飛び込もうとした寸前に、通りかかった人に、「お待ち

なさい」と呼びとめられ、

「あなたは死ぬつもりでしょう」

といわれた。

「いや、死ぬつもりじゃない」

「クソをいいなさい」

「いやあ、実はお察しの通りです。しかし、お情けだから黙ってこのまま死なせて下さい」

といった押し問答の末、

「とにかく、わたくしのところへまずいらっしゃい。それから死んでも遅くないでしょう」

と、その場はひとまずその人の勧めにしたがい、立派な家に連れてゆかれた。ご飯を食

べさせてもらいながら、事情を話したところ、その人は、

「実は、わたくしもその昔、自殺しようと思ったことがあった。その時、やはりある人に 「呼び止められて、『あなたは神仏に対する正しい理解がないから、そういうことになるの

・逆境に生きる

です』と諭され、少しのお金とともにお経をくれた。それで自分も死ぬのを止め、信仰をもって一生懸命に働いた結果、こうしていっぱしの商売人になった」 と、自分の過去を、中村さんに話して聞かせた。

それ以来、その人は、自分を救ってくれた人への恩返しのつもりで、その時手渡されたものと同じ経巻をたくさんつくって、多くの人に布施しているということであった。

この話を聞かされた中村さんは、大いに勇気づけられ、その経巻と、とりあえず飢えをしのげる程度のお金をいただいて、その人の家を去った。その後、一生懸命に働いて、ついには、日本一といわれる製紙原料問屋を築いたというのである。

そして、その中村さんもまた、助けてくれた人と同じ道を歩みたいと、一生に何十万卷かの観音経を布施することを念願された。

ある時、中村さんは父に向かって、

「あなたは何百人もの人を使って陸軍の大きな機械相手の仕事をされているが、非常に危険な仕事でしょうから、一つこれをお守り代わりにみなさんに差し上げてください」

いたのである。 ということで、この観音経を父に一千巻布施してくださったとのことである。先に述べた通り、父は、自分の入れた臨時人夫を指揮して二十四時間作業の機械相手の仕事をして

父は特に信仰というものはなかったが、尊敬している人格者の中村さんのお話であったから、素直にありがたくいただき、全員に配った。それが少し余っていたと思われる。不

素直にありがたくいただき、全員に配った。それが少し余っていたと思われる。不

なことに、その一巻が偶然棚にころがっていたわけである。どう考えてもそんなとこあるわけはないのだが、事実あったのである。いまでも不思議に思っている。

このお経には考えてみると、一つの系譜というものがある。この経巻の布施によって、 「村さん、中村さんを助けた人、そしてまたその人を救った人等々、みな自殺を思いとどしらせている。いままた、自殺寸前のわたくしがこれを手にした。これは本当にただ事で 「はない。これは自分を救おうという何か大きな目に見えない意志が働いているのではないか、この意志に従うべきではないか、その時そう思った。

その利馬、パーッと考えが変わった。ちょうど太陽が昇る瞬間に、間に光が射すかのように、あるいは夜が朝に変わるかのように、心が生き生きと晴れやかになっていった。 「死ぬのをやめよう」「生きよう」と、わたくしは自分自身に誓った。そして、この観音経によって、わたくしが本当に救われたならば、中村語郎さんと同様に、わたくしもこのお緑を布施しようと決心した。

ちょうどその時、山の向こうに朝日が昇ろうとしていた。わたくしは、その太陽に向かって合掌した。そして、声を出して誓ったのである。「どうか私に再起の力をあたえて下さい。もしも、このお経の中に書いてある通り、私が救われたならば、私は生涯にこのお経を百万布施いたします」と。

83

宗教への立ち

のである。 その後、三年間、わたくしは死にもの狂いで働き、当時の借金は全部返済してしまった

・逆境に生きる

そこで、このお経の功徳が大変なものであることがわかったので、どのようにして、それを多くの人びとに布施するかということを考えた。要するに、この時考えたことは、うんと儲けてお寺に寄付するとか、この観音経をもとにして何かのグループを結成し、自分がスポンサーになって、有能な有徳の士に中心になってもらい、その功徳を広めようとい

は夢にも思っていなかった。

うことであった。 観音経に感謝し、誓願も立てていたが、まさか自分自身が宗教家になろうとは、その頃

いま、阿含宗の信徒に授けている勤行式は、その経巻をそのまま拠したものである。

観音慈恵会の設立

そうした諸々の経緯を経て、生麦に出てきたわけであるが、その前後から、完全に治っていたと思っていた身体がまた悪くなり、要注意の状態になったが、行で死ぬなら本望だという気持もあって、どんどん荒行を実行した。

一方、運命学のほうは、アマチュアではあったが、相当勉強もし、多くの人たちの運命を実際に見るという経験も積んだ。したがってすごく当たると、一部ではかなり評判になっていたので、ちょっと宣伝でもすれば、昔の友人や仕事の関係者などいくらでも集まっしきたと思う。しかし、そういう生き方、やり方では、過去の因縁を切ることにはならな

一歩であると思った。過去の引っかかりで収入を得たり、飯を食っていたのでは過去の業は消えぬと思ったのだ。

このような次第で、わたくしは、生まれ変わったつもりで、自分自身が救われた観音経にもとづき、準胝観世音菩薩をご本尊として、観音慈恵会をはじめた次第である。

それまでにわたくしは、仏教の本格的な勉強をしたことがない。だから、自分自身でも坊主になったつもりもなければ、宗教家になったつもりもなく、一介の求道者として歩みはじめたのである。この求道生活によって、一人でも多くの人が救われることが、わたくし自身の罪障消滅になり、因縁解脱につながるのだ、という固い信念があった。

わたくしは、自分の力で、人を救うなどという大それた気持をもったことは一度もない。 自分が救われ、中村語郎さんが救われ、そのまた前の人が救われたという、この救われる一つの系譜というか、その救いの流れの中に、人を入れてあげることによって、人を救うことができるのではないか、あるいはその救いの流れに入るきっかけをつくってあげるだけでも、わたくしの役割を果たすことができるのではないか、それで、人が救われるとしたら、その功徳がわたくしにきて、因縁が一つ一つ切れていくであろう。そう思って、昭和二十九年の秋口に観音慈恵会をはじめたわけである。

・宗教への旅立ち

きっかけが、観音の慈しみと恵みであったから、会の名称を観音慈恵会とし、至極簡単に名前をつけたわけである。それまで使っていた名刺をひっくり返して、その裏にペンで、

・逆境に生きる

「観音慈恵会」と書いて、表札がわりに入口に貼っておいた。

こうして、桐山靖雄という一求道者が、どれだけのことができるか、やれるところまでやってみよう、ということで観音慈恵会が船出していったわけである。

その当時は、二、三年もしたら罪障が消滅し、因縁も切れるであろうから、そうしたら、 自分は念願のもの書きの道に進もうと、多少安直に考えていたところもあったが、悪い因縁を切るということはそんな安易なものではなかった。そういうわけで、懸命な求道生活をつづけているうちに、いつのまにか今日まで来てしまったということである。

法名桐山靖雄の由来

桐山靖雄という法名を名乗りはじめたのもこの時であった。桐山というのは、わたくしの母の実家の性である。

そもそも、桐山という家系は、横変死の因縁があった。

わたくしの叔父、つまり母の弟で、母方の嗣子である長男が、トラックの下敷になって死んだ。この叔父は、一時、真言宗をかじったこともあり、ある程度の信仰をもち、一旦は坊主になることすら考えた人ではあったが、結局、因縁のなせるわざか、坊主になるどころか、交通事故に遭って、あえなく亡くなってしまった。

それから、母のいちばん下の末、