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今日の九星盤

2026年1月9日

乙巳 二黒土星 歳
己丑 九紫火星 節
癸未 二黒土星 日

二黒土星の日

仕事の事、旅行の事、病人の事、などが出やすい日。こみいった事が多い。いそがしい割に成果は少ない。 短慮は禁物。いやな仕事も進んで引き受ける位の気持ちが大切。

破壊の週  栄の日

良くない事が栄えてしまう日。
思い通りに事が運ばなかったり、怪我や病気などの災難に遭うことが多いです。
無理して事を進めるよりも、先送りにした方がよいでしょう。
積極的に動くことは避けて、十分に注意を払った行動を心がけてください。

 

大日如来 すべての生き物の根本となる仏

大日如来(だいにちにょらい)とは?

大日如来

すべての生き物の根本となる仏

 

 

大日如来(だいにちにょらい)とは?

大日とは「大いなる日輪」という意味です。太陽を司る毘盧舎那如来がさらに進化した仏です。密教では大日如来は宇宙の真理を現し、宇宙そのものを指します。また、すべての命あるものは大日如来から生まれたとされ、釈迦如来も含めて他の仏は大日如来の化身と考えられています。

 

大日如来には悟りを得る為に必要な智慧を象徴する金剛界大日如来と、無限の慈悲の広がりを象徴する胎蔵界大日如来という2つの異なる捉え方があります。金剛とはダイヤモンドのことを指し、智慧がとても堅く絶対に傷がつくことがないことを意味しています。また、胎蔵とは母親の母胎のようにすべての森羅万象が大日如来の中に包み込まれている様を意味しています。この2つが揃って大日如来を本尊とする密教の世界観が出来上がるのです。

ご利益

現世安穏、所願成就。また、未・申年生まれ守り本尊です。

大日如来(だいにちにょらい)の像容

本来、如来は出家後の釈迦の姿をモデルとしているため装飾品は身に付けていませんが、大日如来だけは別格で豪華な装飾品や宝冠を付けています。また、螺髪(らほつ)ではなく、髪を結い上げています。

 

金剛界、胎蔵界の姿でそれぞれ印の形が違います。金剛界の大日如来は、左手の人差し指を立て、その人差し指を右手で包みこむ智拳印の印相をしています。一方、胎蔵界の大日如来は、腹の前で両手の全指を伸ばして組み合わせる定印です。

オン バサラダトバン  オン アンビラウンケン

 

 

 

チャクラ覚醒の最極秘伝

チャクラ覚醒の最極秘伝

そう。 さて、以上、ムーラーグーラ、マニブーラ、アナーハタの三つのチャクラの開発修行を解説した。これでこの三つのチャクラの開発は、完全に出来るであ

つぎの実修类儀篇で、ヴィシュッグ、アージュニャー、サハスラーラ等の、 すべての部位の覚醒法を解説する。

いっぺんに全部の実修書を出すことはできない。というのは、ヴィシュッダ・チャクラ以上の実修は、非常な危険をともなうことが多いのである。履中、 身柱から上にかかる修行過程は、非常に慎重にやらないと、脳を痛めるおそれがある。基礎訓練を十分にやって、きたえておかねばならない。

もしも奥儀篇をいっしょに出してしまったら、性急な修行者は、基礎の修行

チャクラ覚醒の最極秘伝

もそこそこに、脳の開発訓練に入ってしまうだろう。もちろん、法の成就は出来っこないが、しかし、訓練のシステムは、たとえ修行者が未熟であっても、 それなりの力を発揮するから、やりそこなって脳を痛めるおそれが多分にあるのである。

また、それだけではない。それ以上の重要な理由がある。

それは、アージュニャー・チャクラから上の開発訓練は、意念を動かす媒体と方法が、これまでとまったく違うということである。それは全然ちがう特殊な方法である。それは、本書の基礎訓練をきちんとマスターした修行者でなければ、全く、といっていいほど実践不可能であろう。したがって、とにかくまずこの基礎実修を、わき目もふらず修行してほしいのだ。わたくしは、いま、 この基礎実修をきちんと終えた修行者にのみ、奥儀篇を履けてあげることにしようかと思っているほどなのである。

奥儀篇は、おそらく、一年半か、二年くらいのちに出すことになると思われる。それは、ちょうど、あなたがこの本を読んで一心に基礎訓練にはげんだと

して、それで大体マスターし、わたくしが、これならこの先を教えてもよいだろうと思うのが、ちょうどその頃になるのである。

なかろうか? が、そういうと、好奇心のつよい熱心な修行者は、おそらくこう言うのでは

いま著者は、アージュニャー・チャクラから上の開発訓練は意念を動かす媒体と方法がまったく違う。それは全然ちがう特殊な方法だ、といったが、それはいったいどう違うのか? ほんの一部、ちょっぴりでもいいから教えてほしい。そういうかも知れない。

よろしい、それでは、その特殊な秘法を、概略、ヒントとして明かしてあげよう。いや、これはヒント以上のものである。ほんとうのことをいうと、わたくしは、ここで、そこまでこれを明かしたくはないのである。これこそ、門外不出、一子相伝の最極秘伝なのだから。

しかし、ここで少しでも明かしておいてあげることにより、真剣な修行者の励みになるかも知れない。そう考えて、あえて公開することにする。

チャクク覚醒の最極秘伝

そこで、思いきって、チャクラの覚醒法の概要をのべよう。

さきにわたくしは、チャクラ・エネルギーのルートづくりが、チャクラ覚醒

の一助になるものであるとのべた。それはじっさいにその通りで、それなくてはチャクラの覚醒は不可能に近いといってよいであろう。殊に、アージュニャ

ー・チャクラへのルートづくりは、非常に重要な役わりをはたす。

ある。 しかし、それだけでは、チャクラの覚醒は成就しない。まったく別な方法で

その課程は大略、つぎのようなものである。

秘密マントラの特殊詠唱法

1、まず修行者は、自分のチャクラの正確な場所を把握する。

(チャクラの場所は個人差があるので、導師が、正確な場所を教示する)

ず、 2、このチャクラの場所に、或る特殊な振動を叩きつける。そのために、ま

3、この特殊な振動を伝える振動ルートをつくり出す。これまでにつくったチャクラ・エネルギーのルートと重複するルートも一部あるが、大部分は新しくつくり出す。それは直接チャクラにつながるルートである。このルートづくりに「××」を使う。(特に秘す。但し、本書をよく読めば、ヒ

ントを得られるはずである)

4、その特殊振動を発生させる。

5、その振動をルートに伝え、チャクラに叩きつける。

以上のようなものである。

のだ。 この振動が、チャクラを覚醒させる特殊秘法であり、わたくしの最極秘伝な

すのである。 この特殊振動というのは、横隔膜、胸腔、腹腔を使って、特殊な振動を起こ

 

チャクラ覚醒の極秘伝

この振動は、最初、声帯を使う。発声して振動を起こす。(特殊な秘密マントラを使う。秘伝である)

正しい振動を起こせるようになったら、発声しないで、おなじ振動を起こす訓練に入る。そこで、無音になるのであるが、振動は起こしているのである。 というのは、声帯を、体の内部に向けて発声しているのである。体の内部に向けて振動を送っているのである。(じっさいは、ここまでくると、声帯だけで

はないのだが、ここでは声帯としておく)

発声しているときは声帯を使って外部に向って振動を起こしている。このときその発声を導師が聞いて、正しいかどうか調べているわけで、正しい発声法 (つまり振動法)がなされていたら、これを指導して、内部に向ってその振動を送りこむようにさせる。(その方法を指導する)

送りこまれた振動を、胸腔の筋肉で共鳴させ、増幅させる。

さらにこれを、横隔膜を使って腹腔の中で増幅させる。(この場合、胞嚢が重大な役目を果たすことを付記しておく)

さいごに、これまでにつくっておいた振動のルートを使って、目的のチャクうに送りこむ、というよりも、叩きつけるのである。

以上はアナーハタ・チャクラまでの、チャクラ覚醒法である。

アージュニャー・チャクラ、そして究極のチャクラであるサハスラーラ・チ

ャクラになると、少し違ってくる。しかし、アナーハタ・チャクラまで覚醒し

ておれば、あとはそうむずかしいことはない。

以上、このへんで筆をおくことにする。諸君の研鑽を祈る。

古代インドの賢人伝説

古代インドに伝説がある。伝説というより、予言といったほうがよいだろう。

現在のこの地球が、一大危機に見舞われて、まさに壊滅に瀕するとき、千人

の賢人があらわれてこれを救う。というのである。

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文殊菩薩

文殊菩薩――

 

その名は、まだ言葉になる前の「判断」の奥で、静かに響いている。
人が迷いの中で立ち止まるとき、
答えはすでに在るのに、それが見えなくなる瞬間がある。
文殊が司るのは、知識の量ではない。
物事の“ありよう”を、そのまま見抜く刃のような智慧だ。
古い経に語られるところによれば、
彼には人としての影があったという。
古代インド、コーサラ国の首都・舎衛城。
バラモン階級に生まれ、釈迦の言葉を聞き、
やがてそれを文字としてこの世に留める役目を担った者。
火のような信仰でも、水のような慈悲でもなく、
ただ、曇りなき「見極め」をもって。
釈迦如来の左脇に立つその姿は、
普賢の実践と並び、三尊として世界を支える。
だが時に、文殊は独りで現れる。
誰にも相談できぬ夜の只中に、
答えを求める者の前に。
獅子に乗るのは、力を誇るためではない。
恐れを越えて進む智慧が、最も静かで、最も強いからだ。
右手の剣は、怒りではなく、執着を断つために振るわれる。
左手の蓮華に載る経巻は、
言葉を超えた教えが、なお言葉として示されることの象徴。
密教において、文殊は童子の姿をとる。
五つの髻を結び、清らかなまま、鋭く在る。
それは未熟ではなく、
どこにも染まらぬ智慧のかたち。
人はよく言う。
「三人よれば文殊の知恵」と。
だが本当は、三人が集まったときに生まれるのは、
正しさではなく、問いだ。
文殊は答えを与えない。
問いを、正しい形に研ぎ澄ます。
オン・アラハシャ・ノウ。
その真言は、五大――空・風・火・水・地――を貫き、
思考が世界とずれる瞬間を、静かに正す。
学業成就、智慧明瞭。
そうした言葉で語られるご利益の奥に、
文殊はただ一つのことを示している。
――見るべきものを、見る力を持て。
迷いの闇を切り裂くのは、
光ではない。
曇りなき理解、その一瞬なのだ。