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Mac

人間の脳には設計ミスがあった?

人間の脳には設計ミスがあった?

わたくしたちのこの世界は、新皮質脳がつくり出した世界である。新皮質脳こそ、旧人というより、原人に近かったネアンデルタール人を、現在のホモ・ サピエンスにまで高めた高度の知能の源泉である。

しかし、いまこの世界をみるとき、新皮質脳が大きなミスをおかしていたことは明白である。いま人類がかかえているさまざまな問題核兵器、環境破壊、人種問題、その他、いくつかあるそのどれ一つをみても、この世界が、一触即発、崩壊の危機に直面していることは疑いない。

どうして、こんなことになってしまったのか?

『ホロン革命』の著者、アーサー・ケストラーは、これを人間の脳にミスがあったためだと結論した。そして自殺した。

ケストラーこそ、新皮質脳が生み出した典型天

ヒトを改造する超技術

ケストラーこそ、新皮質脳が生み出した典型的な天才である。この天才の上に、われわれは人類の現在と未来を見ることができる。すなわち、新皮質脳が生み出した人類文明の行きつく先は、自殺である。しかも、それはすぐ目の前に見えている。そういう意味では、アーサー・ケストラーの意見は間違っていなかった。、

だが――、アーサー・ケストラーは早まったのである。人間の脳には、設計ミスなどなかったのである。ハードウエアとしての脳は、完全に設計されていたのだ。ただ、人類がソフトウェアの運用を誤っただけなのである。これが、 人類のすべての不幸の原因だったのだ。

ある。 ソフトウエアの運用を誤ったために、脳はバランスを欠き、バランスを欠いた脳は、バランスを失った不安定で異常なこの世界を生み出してしまったので

このままでは、人類に未来はない。

ヒトを改造する超技術

このとき。

ここにひとつの超技術がある。

ヒトを改造する技術である。

それは、古代において人類が失ってしまった貴重な脳のソフトウエアをとりもどす技術である。

現するだろう。 ホそ・サピエンスこの技術でヒトを訓練すれば、現代人類とはまったく異質な新しいヒトが出

ない。 この新しいヒト属は、いま人類がかかえているあらゆる問題を、一挙に解決してしまうものと思われる。そして全く新しい構造の社会を生み出すにちがい

ヒトを改造する超技術

HA

この新しいヒト属の出現によってのみ、この世界の存続は可能になる。このままでは確実に地球は壊滅する。ホモ・サピエンスには、自分たちをここまで追いつめたいくつかの問題にたいして、なに一つ解決する能力がない。見よ、 混乱の度を高めつつ、しだいに崩壊して行くこの世界の現状を。

まことにアーサー・ケストラーが言った通り驚くばかりの人類の技術的偉業。そしてそれに劣らぬ社会運営の無能ぶり」である。

いま人類がかかえている問題を見てみよう。

殺し合い、奪い合い、憎み合い、傷つけ合い――そして地球上に急速にひろがりつつある有害物質

同じ種属であるヒトどうしが、殺し合い、傷つけ合い、奪い合う。愛し合うべき家族どうしが憎み合い、背き合う。破滅の底に落ちこむと知りつつ、 麻薬に手を出し、アルコールに聡ぶし、犯罪行為に呑みこまれてゆく。 秩序は崩壊し、社会環境は見る見る悪化してとどまるところを知らない。

結局のところ、核と麻薬と環境汚染のこの三つによって地球は壊滅すること

になろう。

これらはいったいどこに原因があるのであろうか?

スウェーデンの博物学者リンネ(Carl Von Linne)は、人間を分類して 「知恵あるヒト」と学名をつけた。

ところが、生理学者のシャルル・リシェは、愚かなヒトホモ・スツルッスと名をつけた。ノーベル賞受賞者のリシェは、その著、『人間――この愚かなるもの」の序文で、人類のかずかずの愚行をつぎつぎとあげ、実にあきれかえったかな動物であるとして、超・愚人類と呼びたいところだが、まあ、最上様の形容詞はがまんして、感人類ぐらいでかんべんしておこうと書いてい

たしかに、ヒトには、この二つの面がある。賢い知恵ある面と、愚かで弱い画と、二つの面がひとつにまざり合っている矛盾した生物が、まさにヒトであるということなのだが、いま、われわれの周囲をながめてみると、ホモ・サビエシスは全く悪をひそめ、ホモ・スツルチッシムスが妖怪のごとく横行してい

殺し合い、奪い合い、憎み合い、傷つけ合い――、

それは次第にエスカレートしてゆく。科学と技術はヒトの力を無限に拡大したが、同時に、ヒトの殺戮と搾取と憎悪と闘争をも無限に増大させた。このま

までは、間もなく、ホモ・サピエンスは絶滅する。

いま、人類に最も必要なものはなにか?

それはヒトの改造である。ヒトの脳の改造だ。

この地上に展開する恐るべき大愚行は、人間の脳に欠陥があるために、知能が低劣で、バランスを欠いているところにある。

いま、人類に必要なものは、科学でもなければ技術でもない。革命でもなければイデオロギーでもない。人種闘争でもなければ階級闘争でもない。そんなものはなんの役にも立たぬ。

何十回、革命を起こしても、何百回、闘争をくりかえしても、人類が現在のような欠陥脇を持つかぎり、それはむなしい儀式のくり返しに下を改造する超技

る。

殺し合い、奪い合い、憎み合い、傷つけ合い―――、

さつりくさくそれは次第にエスカレートしてゆく。科学と技術はヒトの力を無限に拡大したが、同時に、ヒトの殺戮と搾取と憎悪と闘争をも無限に増大させた。このままでは、間もなく、ホモ・サピエンスは絶滅する。

いま、人類に最も必要なものはなにか?

それはヒトの改造である。ヒトの脳の改造だ。

この地上に展開する恐るべき大愚行は、人間の脳に欠陥があるために、知能

が低劣で、バランスを欠いているところにある。

いま、人類に必要なものは、科学でもなければ技術でもない。革命でもなければイデオロギーでもない。人種闘争でもなければ階級闘争でもない。そんなものはなんの役にも立たね。

何十回、革命を起こしても、何百回、闘争をくりかえしても、人類が現在のような欠陥品を持つかぎり、それはむなしい儀式のくり返しに過ぎ

 

ヒトを改造する超技術

若ものよ。

君たちはなぜこれに視線を向けぬのだ。

なぜ、君たちは、この、地上いまだかつて比類なき壮大にしてドラマチックな革命に情熱をたぎらせぬのだ。

未来社会があるとすれば

教育?

それは無力である。

それは知能それ自体を高めるものではなく、ただ、知識をひろげるだけのものに過ぎない。

教育は、ただ、その人の本来持っているところの知能によって知識をひろげるだけであり、知能そのものを高めはしない。知能を高める技術とは、ものを

教え、ものをおぼえさせることではなく、おぼえる能力、理解する能力そのものを高めるシステムでなければならない。知能の低い愚かな者はいくら教育したって効果はない。愚者に教育はまったく無力だ。愚者を賢人にするためには特別の技術がなければならぬ。

宗教? それは知能ひくき者たちの愚行をなんとか良心に訴えて思いとどめさせようとするブレーキに過ぎず、知能を高めるためのなんの力も技術もない。念仏をとなえ、題目を高唱し、経典、教学をそらんじ、神のみ名を呼んでも、それで、 心の安らぎ、なぐさめ、信念、というたぐいのものは得られても、知能そのものが高くなるということはない。

最高度に進化発達した知能を持つ未来社会に、宗教という特別な分野はなくなるだろう。高度の知能は高度に発達した倫理観、道徳意識をともなうから、 現在の宗教や、宗教家などが説いている教えなど、まったく低俗な、次元の低い幼稚なものとしてかえりみられず、宗教意識はごくあたりまえの常識になっ

ヒトを改造する超技術

てしまって、ことさらにカミやホトケを念ずることなどなくなるだろう。つまり――、ヒトが、カミ、ホトケとひとしくなるのである。

そういう未来社会が、すぐ足もとに来ていることに、君は気づくべきだ。

今までとは全く構造の変わった社会体系があらわれようとしていることを、

君は知らねばならぬ。

君はそれを疑うのか?

では言おう。

限界に達した。 もしも、そういう高度の知能が出現しないかぎり、この世界は間もなく終わるだろう。ホモ・サピエンスが今のような欠陥脳を持ち、現在の知能水準であるかぎり、もはや、ヒトに未来はない。ホモ・サピエンスの文明はすでに

だから、未来社会があるとすれば、どうしてもそれは、極度に高度な全く新しい社会でなければならないのだ。

その社会に、君は生き残れるか?

 

超・ヒト脳発達度係数三・九

もう間もなくやって来る未来社会で、人類は二つの種属にわかれるだろう。 それは、二つの民族でもないし、二つの階級でもない。二つの種属である。

そうして、その二つの種属は、しばらくのあいだ共存するけれども、間もな

くその一方はおとろえ、急速にこの世界からすがたを消して行くだろう。

そういうと、人類が二つの対立を示すのは、なにも未来社会にかぎったことではなく、いまだってそうではないかと、いくつかの例をあげる人がいるかもしれない。

たしかに、それは、有色人種と白色人種、自由社会と共産圏社会、富める者と貧しき者、支配する者とされる者、というように、いくつか、かぞえることができるだろう。

だが、ちがうのだ。

だが、ちがうのだ。

そういう分類とはまったく異質の区分が、ごく近い将来、われわれの世界にあらわれようとしている。そういう動きが、すでに現在起ころうとしている。

それは、二つのヒト属である。

あたらしい人類とふるい人類―――。

がふるい人類だ。 ひとつは普通の現代人、ホモ・サピエンス (Homo sapiens)である。これ

もうひとつは、特殊な能力――バランスのとれた高度の脳を持った未来人、 ホモ・エクセレンス(Homo-excellens)である。つまり、新しい人類だ。

ホモ・エクセレンスとは、ホモ・サピエンスが持たない特別な能力を身につけた「優秀なるヒト」という意味である。ある人たちは、この未来人に、ホモ・インテリゲンス(聡明なるヒト)という名をつけている。

では、この優秀なる未来人、ホモ・エクセレンスは、どういう特殊な能力を持っているのか?かれの持ついくつかの特長をあげてみよう。

「未来の機属、超・ヒトは、おそらく三・九という筋発達度係数を持つだろ

と、世界的に著名な人類学者、バリ大学のジョルジュ・オリヴィエ教授は、 その者「ヒトと進化、過去現在そして未来」の中で、こう語りはじめる。

こういうきわめてすぐれた生物の能力を、それよりはるかに劣ったわれわれ

が、あれこれいうことはできないが」とかれは断った上で、

「とにかく、この超・ヒトの知的能力は辛うじて想像することができる。

それは、たとえば、

1、第四次元の理解

2、複雑な全体をとっさに把握する能力

3、第六感の獲得

4、無限に発展した道徳意識の保有

20

などである。 5、とくにわれわれの悟性には不可解な精神的な特質

ヒトを改造する超技術:

わたしは、脳発達度係数三・九を持つ生き物のかたちや、すばらしい知能

と述べている。 や、われわれにはとうてい理解できない行動がどんなものであるかは、想像力のゆたかな人達にまかせることにする。われわれがメクラであるのに対して、われわれの後継者たちは千里眼の持ち主なのだろうから―――」

オリヴィエ教授は、出版社の紹介文によると、『パリ大学理学部人類学教授であり、人類学、解剖学のかず多い論文のほかにいくつかの著書を持ち、その中でも『人類学的解剖学』はフランス学士院賞を受けた。自己の専門分野の研究に多くの業績をあげているばかりでなく、若い研究者の育成にも心をそそぎ、 フランス人類学の名実ともにすぐれた指導者である」と記されている。

まさに、当代一流の科学者であるといわねばならない。

るのである。 その科学者が、未来人ホモ・エクセレンスの出現を、このように予告してい

著者が、なんの根拠も持たず、ただいたずらに鬼面ひとをおどろかす筆を

しているのではないのだ。それはかならずやって来る。

では、そのホモ・エクセレンスは、いったいどこから、いつ、やって来るのであろうか?

授は言う。 未来人、ホモ・エクセレンスの到来は、歴史の必然である、とオリヴィエ教

では、人類の歴史をたどってみよう。

年ちかくつづく。 まずあらわれたのは、オレオビテクス、ラマビテクスから進化してきたオーストラロピテクス(人)であった。が、しばらくして、ピテカントロプス・ エレクトス(原人)がこれにとってかわった。しかし、間もなく、ネアンデルタール人(回人)がやってきて、そのあとを継ぎ、彼らの時代はおよそ一〇万

けれども、今から四、五万年ほど前、かなり進んだ知能を持つクロマニョン人(新人)が出現すると、彼らは急速に姿を消して絶滅してしまった。しかし、 そのクロマニョン人も、今から一万年ほど前に、オーストラロイド(ジャ

モンゴロイド(中国)、ネグロイド(アフリカ)、コーカソイド(ヨーロッパ)と

いうあたらしい現世人類の種の中にあわただしく消滅してしまった。これは、 歴史のごく表面にあらわれているだけの事実で、このほかにも、いくつかの知れるヒト・属、あるいはその分枝が、無数にあらわれ、歴史をつくる間もなく消滅していったと考える学者はかず多い。

ある岩石な学者は、ひとつの種の寿命は一〇〇万年だと語り、ホモ・サピエどスは出現以来、間もなくこの年齢に達するはずだという。そうして、オリヴ 「エ枚もまた、「いま、われわれが、われわれの後継者である次の人類のことを考えるのは、まったく筋みちの立ったことである」といっているのだ。

だが――。それではいったいその新しいヒトは、いつあらわれるのか? 一

〇〇年先? 二〇〇年? それとも一〇〇〇年?

こう言うだけである。 それについて、オリヴィエ教授は、はっきりとした時期を明言しない。ただ

「未来のヒトは間もなく不意に来ることになる」

と。 また、どのようにして出現するかも明言しない。ただ進化の上に立って必

ず出現する、というのみである。

「なあんだ。どうせそんなことだと思ったよ」

とあなたは嘲笑を浮かべながら言うかも知れない。

だいたい、ホモ・サピエンスの次の人類なんて、それはちょうどあの太陽が

いつか燃えつきてしまうぞ、というのと同じことで、空想ではないにしても、 おそらくそれは天文学的数字のはるか未来の出来事に属することで、そんな心配をしているほどわれわれはヒマ人ではないよ、とあなたは言うかも知れない。

しかし、あなたはその嘲笑をひっこめなければならない。ホモ・サピエ

え? 本当? シスの次に現われるべき新しいヒト、ホモ・エクセレンスは、進化の法則の上に立って、すでに、この地上に姿を現わしていたのである。

どあなたはおどろき、今度は疑惑の表情を顔いっぱいに浮かべて、決して信

 

HA

に)を改造する超技

じようとはしないかも知れない。

だが――、それは本当なのである。

では、いつから?

いつからだとあなたは思うか?

さあ、わからない。

わからないはずはないのだがね。あなたはその人たちをすでに知っているはずなのだ。

しかし、そう言われたってわからない。

よろしい。では言おう。二○○○年も以前に、その人たちはこの地上に姿をあらわしていたのだよ。ただし――、まことに残念なことなのだが、その後継者たちは間もなく絶えてしまった。そして、そのあとに、新しいヒト、ホモ・ エクセレンスをつくり出す技術のみが残されていたのである。

ホモ・エクセレンスの資格ライセンス

ここにひとつの技術がある。ホモ・エクセレンスをつくり出す超技術である。

この技術によって訓練すると、ヒトはだれでもいくつかの超人的な力を持つようになる。

その力をあげてみよう。

一、極度に発達した知能――いちど目にふれ、いちど耳にしたことは、ぜったいに忘れることのない記憶力。どのように複雑な構造でも組織でも、瞬間的に分析し、推理し、理解して、本質を把握してしまう演繹と帰納の力。 夫んえき

コトバという間接思考を経ない純粋思考から発する超飛躍的な創造力。

それは、ヒトの平均知能を一・○とするならば、おそらく、二・五から三・五に達するであろう。このグループの最高の頭脳は、やすやすと四次

ヒトを改造する超技術

元を理解する。

ら来る。 二、感覚器官の増幅かれは、不可視光線(赤外線・紫外線)を見ることが出来、超音波を聞くことが出来る。そしてその超常感覚と高度の知能の結合から来る予知力。それらは、自分の肉体を思うままに統御する能力か

三、環境の制御と創造思うままに自分を変え、他人を動かし、集団や環

境を、自分の理念の通りに創造して行く。

四、物質を超え、物質を自由に統御する力。

五、輝くばかりの霊性にあふれた特殊な個性。そこから生ずる無限に発達した道徳意識。

少し敏感な人にはすぐに感じられる霊光にふちどられた崇高な顔立ち、 かれに接しただけで、人は崇敬の念をいだく。

以上、これがヒトを改造する超技術のあたえる能力である。

これを、前の項でのべたオリヴィエ教授の未来人、ホモ・エクセレンスの持

つ能力とくらべてみたらどうであろうか?

それはおどろくほど酷似している。

しかし、また全く違うところもある。それは、五である。この、五の能力こそ、ホモ・サピエンスに欠けている最も大切な資質であったのだ。ホモ・エクセレンスは、進化の過程の或る一点で、これを失ったため、人類は破滅の道を歩むようになったのである。しかし、本来、ヒトはこれを持っていたのである。 この人間改造の技術の特徴は、この五の資質の回復であった。他の四つの能力は、この回復の訓練の間に、おのずと生ずる能力なのである。

もう一つの脳があった

人類は、これまで三つの脳を使ってきた。

古皮質、旧皮質、新皮質、である。

生理学者、ペイプス・マクリーンは、これについて、こう論じている。

「人類は苦悩している。自然は人類に三つの話を授けたが、それらは構造が

なろうか。 ひどく異なるにもかかわらず共に機能し、たがいに通じ合わなければならないという代物だ。この三つの話のうち最古のものは基本的に爬虫類の脇であり。二番目が下等乳類から受け継いだ話である。そして三番目は後期哺乳類から発達した筋で、それが、人類を異様に「人類的」にしてきたのである。 「気の話の中に三つの島が共存する状態を寓話に説くなら、つぎのように

精神が患者に診察台に横になるように命じる。じつはかれは患者にワニやクマと並んで寝ろと要求しているのだ」

アーサー・ケストラーは、『ホロン革命」でこの文章を引いて、つぎのようにオべている。

「ベイプス・マクリーンのこの論文は患者を人類全体に、精神医の診察台を歴史の舞台にそれぞれ置き換えてみれば、そこにグロテスクだが真の人類の

その通りである。ワニピクアが、ヒトの駆の中に同居して、人間をかしいので、時に、狂気としか思えないような矛盾きわま続くのは、このためにほかならない。これが、人類をして破る。たしかにその通りだ。

あではないかりちょっと考えてみよう。また、大いに考えてみる必要があ

ほんとうにそうなのだろうか?

人気とはそんな矛盾さわまる欠陥生物だったのだろうか?

もしそうならば、人類の未来には絶望あるのみではないか。カミもホトケもない、ホモ・サピエンスは、混乱とどのうちに電ぎもがきつつ消滅してゆくしかないではないか。

ほんとうにそうなのか?

早まってはいけないのである。

人類とは、決して、ただそれだけの、そんな欠陥生物ではなかったのである。

を一つしていたのだ。 これまでの大脳生理学はまちがっていたのだ。すくなくとも大きな見落とし

もう一つ、脳があったのである。

ヒトはもう一つの脳を持っていたのだ。ただ、或る時点でそれを使うことを止めてしまった。そのため、その脳は萎縮し退化してしまって、その機能を失ってしまったのである。

たのである。 その機能は、ヒトにとって非常に大切な、いや、なによりも大切なものだっ

その機能を失ったために、ヒトは欠陥生物となってしまったのだ。

この超・ヒトをつくる技術とは、その退化し、失われたものを取り返す技術である。これから人類が進化してはじめて持つものではないのである。このことはこの上なく重要なことである。この未来人、ホモ・エクセレンスは、これ

未開待期明法秘例

から先、長い時間をかけて進化の結果あらわれて来るのでもないし、突然変異体としてフランケンシュタインの怪物のごとく登場するのでもない。それはひとつの特殊な人間開発技術により、ホモ・サピエンス自身が変身するということである。だから――、それは、ほかならぬあなた自身であるかも知れないのだ。なぜならば、それは、あなた自身の中にあるものを発掘し開発するのだかミュータン

よくけん

復原された秘密技術

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身体・意識を変容させる段階的カリキュラム

これは単なる呼吸法ではなく、**「心・身体・意識を変容させる段階的カリキュラム」**です。
■ 全体構造(まずここを押さえる)
この教えは、大きく4段階になっています。
① 呼吸の質を見抜く
→ 風・喘・気・息
② 呼吸を調える
→ 三つの方法
③ 心を調える
→ 二つの方法+四つの乱れ
④ 実践(高度技法)
→ 長出入息 → 長出息 → 反式呼吸
■ ① 呼吸の四段階(最重要)
あなたの状態を見抜く「診断表」です。
● 風(ふう)
鼻で音がする
荒い呼吸 👉 心が散っている状態
● 喘(ぜん)
音はないが詰まる
引っかかる感じ 👉 緊張・不安・ストレス状態
● 気(き)
滑らかだが自然でない
無理に整えている 👉 努力しすぎ・疲労状態
● 息(そく)←理想
音なし・詰まりなし
細く長い
「しているか分からない」 👉 深い安定・禅定の入口
👉結論: 「息」以外は全部まだ未調整
■ ② 呼吸を調える三つの方法
これは非常に実践的です。
① 意識を下に落とす(丹田)
頭→腹へ意識を下げる 👉 思考を止める核心
② 身体をゆるめる
力みを抜く 👉 呼吸の詰まりが消える
③ 全身呼吸のイメージ
毛穴から出入りするイメージ 👉 呼吸の「局所性」が消える
👉この3つをやると 自然に「息」になる
■ ③ 心を調える(ここが本質)
呼吸だけでは不十分。
心の状態が呼吸を壊すからです。
● 二つの基本
① 呼吸に集中
→ 思考を戻す
② 心のバランス調整
→ 4つの乱れを整える
● 四つの乱れ
1. 沈(ちん)
眠い・ぼんやり 👉 対策:鼻先に集中(意識を上げる)
2. 浮(ふ)
雑念・ソワソワ 👉 対策:丹田に落とす(意識を下げる)
3. 急(きゅう)
焦り・早く成果を求める 👉 対策:一度手放す+気を下げる
4. 寛(かん)
ダラけ・集中欠如 👉 対策:姿勢を正す+気を引き締める
👉核心まとめ: 「沈でも浮でもない状態」=定
■ ④ 実践呼吸法(段階的進化)
【1】長出入息呼吸
(基本)
ポイント
吐く→吸うの順
細く長く
下腹に意識
👉目的: 呼吸の安定化
【2】長出息呼吸
(中級)
特徴
1分3〜4呼吸
吐く時間を極限まで伸ばす
👉効果:
自律神経安定
心拍低下
深い集中
【3】反式呼吸(上級)
通常と逆
吸う → 腹へこむ
吐く → 腹ふくらむ
なぜやるのか?
① 横隔膜の最大稼働
→ 内臓を強く動かす
② 酸素供給アップ
→ 代謝爆上がり
③ 自律神経調整
→ ストレス耐性強化
■ 科学的な核心
ここはかなり重要です。
● 自律神経の話
交感神経(アクセル)
副交感神経(ブレーキ)
👉現代人はアクセル過多(ストレス)
● 問題
アドレナリン過剰
血圧上昇
内臓停止
心身疲労
● この呼吸法の役割
👉腹部(太陽神経叢)を刺激
👉副交感神経を活性化
つまり:
🔥「強制的にリラックス状態へ戻す装置」
■ マントラの意味(重要)
「おーむ・しんたまに・うーむ」
これは単なる呪文ではなく:
意識の振動制御
呼吸リズム固定
無意識の安定化
👉さらに 恐怖・幻覚(魔境)防止装置
■ このカリキュラムの正体
一言で言うと:
👉 「人間のOSを書き換える訓練」
● 変化の順序
呼吸が変わる
自律神経が変わる
思考が止まる
意識が統一される
「自己感覚」が崩れる
■ 最後に(核心)
この修行のゴールは:
👉 呼吸が消えること
息があるかないか分からない
意識が一点に沈む
これは仏教でいう
👉 「定(サマーディ)」の入口

求聞持聡明法

求聞持聡明法—————変身のカリキュラム

呼吸にはおよそつぎのような四種類の相がある。

せん一に風、二に喘、三に気、四に息という。

この中の前の三種は調わない相で、後の一種、「息」だけがよく調った相である。

ところで風といわれるのは、呼吸法実習のとき、鼻のなかの息に出入の音がそれである。喘の相とは、呼吸法実習のとき、呼吸に音はしないけれども、息の出入に結滞があって、なめらかでないことを喘という。

気の相とは、呼吸法に、音もなく、また、結滞もないけれども、出入がなめらかでないのを、気という。 息の相というのは、声もなく、岩茶もなく、くもなく、出入が黒々として、

息をしているのかしていないのかわからないようになり、身をたすけて安穏に、 よい気持ちになる、これが息である。

風といわれる状態でいると、気が散る。竜といわれる状態の呼吸をつづけていると、心がむすぼれやすい。気といわれる状態の呼吸をつづけていると、やがて疲れが出る。息といわれる状態の呼吸をつづけていれば、心が落ち着いて、 やがて定まってくる。

つまり風・曜・気の三種の相があるときは、これを調わない呼吸という。それは、心が安定しないからである。

呼吸を調える三種の法

よいもしこれらを調えようとするなら、つぎのような三種の方法をこころみるが

第一には、精神をからだの下のほうに落ち着け、そこに精神を集結する。

第二には、身体を寛放してみる。(リラックスさせる)

第三には、気があまねく全身の毛孔から出入していて、それをさまたげるものがないと観想することである。

こうしてその心を静かにしていれば、呼吸が結滞せず、出入りが細く長く一定のリズムでおこなわれるようになる。そのように、息が調えば、その心も自然と安定してくる。これが呼吸法の修行にあたって、はじめに息を調える方法なのである。要点は、渋ならず、濡ならず(渋とは渋滞。滑とは行きすぎ、のこと)というのが、息の調った様子である。 じゅ

心を調える二つの方法

ある。 呼吸を調えると同時に、心を調えなければいけない。それには二つの方法が

一つには、みだれがちな心をおさえて、正しい呼吸に専念すること。二つには、心の四つの相、炊・浮・覚・態をほどよく調和させることである。

 

静座呼吸をしていて、心がうす暗く、記憶もはっきりせず、頭がどうしても低く垂れがちになることがある。これを沈という。そういうときは、精神を鼻の頭に集中し、心をつねに一つのことに集中して、分散させないようにする。 これが沈をなおす方法である。

浮というのは、静座呼吸をしていて心が自然にゆれ動き、からだもまた落ち着かないで、ついほかのことを考えたりしてしまうことである。そういうときには、心を下方に向けて落ち着け、精神をヘソに集中し、みだれがちな心を制するようにする。心が定まって落ち着けば、心は安静になる。要点をあげてこれをいえば、沈ならず浮ならず、これが心が調った様子である。

しるし心が急である相とは、静座呼吸をしていて、その呼吸の中に心のはたらきの全体を集め、それによって早くなんらかの徴候を得ようと焦せることに原因する。それゆえに、気が上方に向かいがちで、胸が急に痛むようなことがある。 そんなときには、一度その心をとき放した上に、気はみな流れ下ると想うがよい。それだけで思いは自然になおる。

じゅうかっ心が寛である相とは、心志がだらけ、からだが斜めにのめりこむような気持ちがしたり、あるいは口からヨダレが流れたり、あるときは心が暗くなったりする。そのようなときには心を奮発させ、姿勢をきちんと正して心をひきしめ、 心を一つのものごとに集中し、身体をしゃんとする。それでなおる。また、心に渋の相と滑の相があることも、これからして類推して知られよう。以上が静座呼吸に入るときの心を調える方法である。

長出入息呼吸法の訓練

趺坐、あるいは椅子坐、いずれにしても、頭部、頸部をごく自然に、まっ直ぐ、きちんとした姿勢をとる。ただし、あまり緊張し過ぎてがんだり、硬直したりしてはいけない。ゆったりと、リラックスすることが大切である。

そのためには、頭部、頸部の緊張を解くために、前額部を心もち前に出し、 下あごを少し中へ引くようにして、頭部をやや下げるようにするとよい。同時に、前胸部も少しひっこめるようにし、腹部は少し前に出し、両肩は力を入れ

 

ず、自然な姿勢をとる。背中は心もち前に曲げ、腹部の容積を大きくするようにする。

口と唇はごく自然に軽く閉じる。両眼も軽く閉じるが、かすかに外光を感じる程度にひとすじの隙間を残す。すなわち半眼にして、視線は、鼻の先、鼻頭に持ってゆく。

肛門をきゅっと締め、上へ引き上げるようにする。

まず、最初、軽く息を吸い、次いで、口をすぼめ開き、力いっぱい吐き出す。

下腹部に力をこめ、上体を少し前に折りかがめるようにしながら、吐いて吐いて吐きつくす。このとき、前に書いたように、体じゅうの悪気、不浄の気をことごとく吐き出してしまう気持ちで、みぞ落ちが背骨にひっついてしまう位に、 吐くのである。吐きつくしたら、また大きく吸い、二、三回、これをくり返す。

大事なことは、呼吸法をはじめる時には、必ず、まず最初に息を吐くことで

ある。まず吐いて、つぎに吸う時から第一回の呼吸がはじまるのである。

歯はかるく噛み合わせて、噛み合わせた歯の間を通して、ゆっくりと息を吐

開明月のカリキュラム

ぐ。は上下が軽くふれるかふふれない程度で、決してつよく噛み合わせてはいけない。

自然に、長出入呼吸法に移る。

先ず、軽く息を吸う。(長入息呼吸である)

歯の間を通してゆっくりと息を吐き終ったら、今度は唇を閉じ、歯をきちんと合わせて、鼻からゆっくりと吸うのである。

少しずつ、時間をかけて、鼻から空気を吸う。このとき、鼻から入ってくる空気の量をできるだけ少なくするために、鼻をすぼめて鼻腔をせまくする。こうすると、入ってくる空気の量が少なくなるだけではなく、せまくなった鼻腔の壁が空気でマサツされて、その刺激が脳につたわり、脳の見奮をしずめる効果もあるのである。

また、息を吸いこむとき、舌の先を、帆船(上の歯ぐきのやや上部、つまり、 督脈ルートの父のところである)につける。なぜつけるのかというと、わたくしは、先に、任果と督新のニルートは、元米一本の線であるとのべた。しかし、

実は、口のところでとぎれているのである。これを、舌の先で接続させるのである。これによって、実際に、任脈・督脈のニルートは、一本のルートとなるのである。(ここから意念との共同訓練に入ってゆくのだ) そこで、ごく自然に息を吸いこんでゆく。

このとき、息を吸いこむ鼻の奥から、(任脈ルートの)鳩尾、中院、神闕 (へそ)を通って、男性は気海(へその下約四センチ)、女性は関元(へその下約八センチ)のところまで、一本の気管(ブラーナ管)が通じていると観想せよ。太さは細めのストロー位で、赤色である。

こんかんこの気管の根本、つまり根管部(気海、関元)に、肥富どいう三センチ四方位の特殊な細胞の場のあることを意識せよ。胞嚢という、うすいオレンジ色を帯びた透明の袋と考えてもよい。鍛練によって収縮・拡大するから、ふくろヲ考えた方が把握しやすい。

静かに深く息を吸いこんでゆく。気管を通じて息は真っすぐに胞嚢に吸いこまれてゆく。吸いこむ最初、鳩尾(気海、関元)は軽く引っこみ、このとき、

変につよく定をかけ、少し力を入れる。思が吸いこまれるに従って、思せふくらみ、取籍していた胞もふくらんでゆく。(注意。あとでのべる「反式呼秀色」のときは、この逆になる)

息を吸い終ったら、もう一度、悪く思をのみ、尾は充分に落し、肛門をぐっと閉じ、宮にウムと力を入れる。この力を入れるとき、同時に必ず鼻からちょっと息を漏らす。これが非常に大切で、これをやらないと、胸から頭部にかけて圧がかかり、体を痛める恐れが出てくる。腹式呼吸をやって、頭痛を起したり、内臓下垂で苦しんだりするのは、これを知らないからである。禅宗の原田岳老師が、歌山和尚の極端な下腹入力揮をやったところ、頭が鳴って苦しくなった。また時の位置が変則的になって難病をしたと本に書いておられる。注意が肝要である。

この肛門をしめて、胞宮にウムと力を入れる動作を、二、三回おこなう。 次に、長出息呼吸に移る。

胞宮に一段と力をこめ、下腹部を収縮させながら、どこまでも腹の力をもっ

してゆく。 て静かに息を吐き出してゆく。ふくらんでいた胞嚢がしだいにしぼられ、収縮

「おーむ」 このとき、息を吐き出しながら、それまで、上顎部につけていた舌を離し、 吐き出す息に乗せるような気持で、低い声でマントラを誦する。

マントラを誦しながら息を吐き出してゆく。静かに、ゆっくりと、できるだけ細く長く吐き出してゆく。息がすっかり出てしまうと、下腹はくぼみ、腹壁が背骨にひっつくような気持になる。つまり、そうなるような気持で吐き出してゆくのである。

吐き出し終ったら、また、静かに鼻で吸う。吸う時は、舌を上顎につけること。前と同じである。

吸いこんだら、前と同じ動作で吐き出してゆく。前とおなじように、吐き出しながら、マントラを誦する。

マントラはつづいて、

 

「しーんたまに」

「うーむ」

で、これを、それぞれ、吐くひと息ごとに、一句ずつ、となえる。

「おーむ、しんたまに、だと、うむ」

このマントラは、守護仏の真言である。深く念ずることにより、

守護仏の加護を得て、魔境に陥ることなく、無事、修行を成就するのである。

実はそれだけではなく、もっと重大な理由があるのであるが、それについては、 またあとで述べる。

この長出入息呼吸法は、一呼吸についての時間は問わない。できるだけ細く長く、長出入息させるのである。

長出息呼吸法の訓練

前の、長出入息呼吸法は、出る息、入る息、ともに出来るだけ長く細く呼吸

するものである。出来るだけ細く長く、というだけで、どれほどの時間をかけて細く長く呼吸するのか、という時間は問わない。

しかし、今度の長出息呼吸法は、時間が目ヤスになる。

大体、成人の呼吸は、健康な人の平静な状態で、ふつう一分間に一八回とされている。

一般に虚弱体質の人は、息を吸う時間が非常に短い。重病人などは、肩でせわしく浅い短い呼吸をしている。虚弱体質でなく健康な人でも、昂奮したり、 激しい怒り、恐れ、悲しみなど、心が激動すると、呼吸はずっと速くなる。激怒してことばがつまったりするのは、呼吸が速くなりすぎて、切迫するためである。

心の病気を持つ人の呼吸も速い。一分間に二十数回、あるいは三十回以上も呼吸している人は、明らかに異常で、心因性の病気を持つ人である。精神科の医師は、患者の呼吸の速さを、診断の目ヤスの一つとしているのである。

この長出息呼吸法は、一呼吸を、一分間に三回ないし四回位にまで落とす。

呼吸のしかたは、長出入息手表法とう。

呼後のしかたは、長出入息呼吸法とおなじでよい。ただし、呼吸、一分間に三回にまで返すということは、ふつうの呼吸法では不可能である。それが来るコツは、回す息をできるかぎり細く長く、飲べと吐いていって、戦うほうの息は、ふつうの呼吸に近い吸いかたで吸うのである。

この呼吸法に熟達すると、一分間に一回くらいにまでなれる。

この呼吸で、前記した長出入息呼吸法と全く同様に、気管の観想、守護仏真言の読騒をおこなう。

練習時間は三〇分ないし一時間である。

反式呼吸法の訓練

反式呼吸法というのは、ふつうの呼吸とまったく反対の呼吸をするので、こう呼ぶのである。

つまり、自然の呼吸では、息を吸いこんだとき、腹部がふくれ、息を吐いたとき、腹部がひっこむ。

の反式呼吸法は、それが全く逆になる。すなわち、息を吸いこんだとき、 腹をひっこめ、息を吐いたとき、ふくらませる。つまり、自然に反した呼吸法なのである。

なぜ、そういう反自然の呼吸法をするのか?

いくつもの利点があるからである。

その利点は、横隔膜を極限に近く使うところから生ずる。

ちょっと考えると、腹をふくらませながら、息を吐くなどという芸当は、とても出来ないと思われるかも知れない。

しかし、それが出来るのである。それは、内臓の中で胸腔と腹腔の境い目になっている横隔膜をはたらかせることによって可能となるのである。
がない。 ふだんは、意志の支配の外で、自律的に、胸や腹がポンプの役目をして空気を吸ったり吐いたりするのにまかせっきりでいるけれども、反式呼吸のように自然ではない形で呼吸をしようということになると、横隔膜を動かすしか方法

しかし、夏子呼後にすると、なんと一〇センチ以上も動くのである。

人気の後のと下のハんは、どんなに長の人でも、大学、三〇センチもあるかどうかというところである。その三〇センチの中で、複隔膜が一〇センテ以上も下に動くのである。その影響は、たいへんなものである。横隔膜が下れれば、顔の中にある内臓に来常な圧力をうけ、上にあがった場合は、 に大きなマイナスの圧力をうけることになる。

つまり。この呼吸によって、数だ内で内臓が、強い力で動かされ、刺激されるということである。

それがどんな利益をもたらすか?

1、体の新代謝を盛んにする。

あの機能が高まり、これまでの何倍も大量の酸素を血液の中に吹きこみ、

求間持用注秘伝

体じゅうに送りこむ。

2、筋肉の発達をうながす。

新陳代謝が盛んになれば、体じゅうの組織が強化されるのは当然であり、

筋肉が発達する。ことに、内臓の筋肉が強化される。

3、神経のはたらきが安定する。

それは、自律神経を安定させるからである。

自律神経(植物性神経)とは、すべての内臓、腺、血管等、人間の意志

と無関係に反応する器官を支配する不随意神経で、これらの器官のいろいろな機能を自動的に調節している。それで、自律神経とよばれるのである。

自律神経は二つの特徴を持っている。それは、

意志をともなわず、自動的にはたらくこと。

二、この神経は、かならず交感神経と副交感神経の二つからできていて、 その支配をうけること。

この二つである。

一つの内器官の自律神経は、いつもこの二つの神経 交感神経と副交感神経がはたらいて調節しているのである。そのはたらきはまことに微妙なもので、おたがいに反対のはたらきをする。交感神経は神経を見奮させ、血管を収縮させるのにたいし、副交感神経は心臓を抑制し、血管を拡張させる。つまり、交感神経は人体におけるアクセルであり、副交感神経はブレーキだと思えばよい。交感神経が緊張すれば人間の体は興奮状態となり、副交感神経が緊張すれば、その興奮が抑えられるようになる。どちらかにかたよっても、体は病的な状態になるわけで、このあい反した二つのはたらきがバランスをたもつことにより、心臓は順調に動き、血管は適当な大きさを保持するわけである。

こういうはたらきは、すべて、意志をともなわず、まったく無意識のうちにおこなわれているが、その調和が破れると、当然、さまざまな病気が生ずる。

その調和を破るものは、病気とか、内臓器官そのものの故障によるもの

はべつとして、ほとんど精神的なものからくることが多い。

強い燃際、悩み、悲しみ、恐れ、怒り等、心とからだの動揺をきたす精神的刺激が起きると、内分泌器官の中枢である脳下垂体をへて、副腎の自律神経の交感神経につたわり、副腎の皮の髓質や、神経の末端から、アドレナリンおよびノルアドレナリン (副腎髄質ホルモン)や、シンパシン(ダ感神経の末端から遊離する物質)などの、強い昂奮剤が分泌される。

これは、その強い煩悶や恐れなどに対応するための、からだの自衛作用なのであるが、その精神的刺激がつづくと、アドレナリン系の過剰分泌をきたすことになる。アドレナリン系の過剰分泌は、胃腸の運動をとめ、血管を収縮させ、血圧を高める。さらに、肝臓や筋肉内の大切なエネルギーのもととなるグリコーゲンを、いたずらにブドー糖に分解し、そのため血液内の血糖量がふえて酸過多症をおこし、身心の過労状態をもたらすので

ある。

これが、いわゆる「ストレス」であり、ストレスは「心因性の病気」を
ひき起こす。

ストレス説で有名なハンス・セリエ博士などは、分裂性の疾患もふくめた事実上のあらゆる疾患が、心因性によるものだと断言している位である。 これに対し、この呼吸法は、自律神経の安定をもたらすのである。

というのは、この呼吸法は、自律神経の中枢である腹部(胃のうしろのあたりにある)の太陽神経叢 Solar Plexus にいつも圧力をかけて、刺激をあたえているのである。つまり、さきにのべたように、内臓が強い力で動かされ、モミクチャにされている。これは太陽神経叢という自律神経の中枢神経の刺を、マッサージしていることになるのである。

このため、自律神経のはたらきが活発になり、安定するのである。というのは、ふつう精神的なショックをうけたとき、交感神経のはたらきで、 アドレナリンなどの強い昂奮剤が過剰分泌される。これにたいし、この呼吸法をおこなっている修行者は、平素からのコントロールの力により、自動的にその緊張・昂奮を緩和するよう、副交感神経がはたらいて、神経の

 

 

 

 

 

 

 

求聞持聡明法

求聞持聡明法—————変身のカリキュラム

手の組み方

図に示すように、両膝の上に、アーカーシャ・ムドラーを結んで置く。

呼吸の調えかた

呼吸の四つの相すがた

つぎに、呼吸を調える方法について述べよう。

呼吸にはおよそつぎのような四種類の相がある。

せん一に風、二に喘、三に気、四に息という。

この中の前の三種は調わない相で、後の一種、「息」だけがよく調った相である。

ところで風といわれるのは、呼吸法実習のとき、鼻のなかの息に出入の音がそれである。喘の相とは、呼吸法実習のとき、呼吸に音はしないけれども、息の出入に結滞があって、なめらかでないことを喘という。

気の相とは、呼吸法に、音もなく、また、結滞もないけれども、出入がなめらかでないのを、気という。 息の相というのは、声もなく、岩茶もなく、くもなく、出入が黒々として、

息をしているのかしていないのかわからないようになり、身をたすけて安穏に、 よい気持ちになる、これが息である。

風といわれる状態でいると、気が散る。竜といわれる状態の呼吸をつづけていると、心がむすぼれやすい。気といわれる状態の呼吸をつづけていると、やがて疲れが出る。息といわれる状態の呼吸をつづけていれば、心が落ち着いて、 やがて定まってくる。

つまり風・曜・気の三種の相があるときは、これを調わない呼吸という。それは、心が安定しないからである。

呼吸を調える三種の法

よいもしこれらを調えようとするなら、つぎのような三種の方法をこころみるが

求聞持戰明法—————変身のカリキュラム

第一には、精神をからだの下のほうに落ち着け、そこに精神を集結する。

第二には、身体を寛放してみる。(リラックスさせる)

第三には、気があまねく全身の毛孔から出入していて、それをさまたげるものがないと観想することである。

こうしてその心を静かにしていれば、呼吸が結滞せず、出入りが細く長く一定のリズムでおこなわれるようになる。そのように、息が調えば、その心も自然と安定してくる。これが呼吸法の修行にあたって、はじめに息を調える方法なのである。要点は、渋ならず、濡ならず(渋とは渋滞。滑とは行きすぎ、のこと)というのが、息の調った様子である。 じゅ

心を調える二つの方法

ある。 呼吸を調えると同時に、心を調えなければいけない。それには二つの方法が

一つには、みだれがちな心をおさえて、正しい呼吸に専念すること。二つには、心の四つの相、炊・浮・覚・態をほどよく調和させることである。

求聞持取明法秘伝

静座呼吸をしていて、心がうす暗く、記憶もはっきりせず、頭がどうしても低く垂れがちになることがある。これを沈という。そういうときは、精神を鼻の頭に集中し、心をつねに一つのことに集中して、分散させないようにする。 これが沈をなおす方法である。

浮というのは、静座呼吸をしていて心が自然にゆれ動き、からだもまた落ち着かないで、ついほかのことを考えたりしてしまうことである。そういうときには、心を下方に向けて落ち着け、精神をヘソに集中し、みだれがちな心を制するようにする。心が定まって落ち着けば、心は安静になる。要点をあげてこれをいえば、沈ならず浮ならず、これが心が調った様子である。

しるし心が急である相とは、静座呼吸をしていて、その呼吸の中に心のはたらきの全体を集め、それによって早くなんらかの徴候を得ようと焦せることに原因する。それゆえに、気が上方に向かいがちで、胸が急に痛むようなことがある。 そんなときには、一度その心をとき放した上に、気はみな流れ下ると想うがよい。それだけで思いは自然になおる。

求聞持聡明法

変身のカリキュラム

じゅうかっ心が寛である相とは、心志がだらけ、からだが斜めにのめりこむような気持ちがしたり、あるいは口からヨダレが流れたり、あるときは心が暗くなったりする。そのようなときには心を奮発させ、姿勢をきちんと正して心をひきしめ、 心を一つのものごとに集中し、身体をしゃんとする。それでなおる。また、心に渋の相と滑の相があることも、これからして類推して知られよう。以上が静座呼吸に入るときの心を調える方法である。

長出入息呼吸法の訓練

趺坐、あるいは椅子坐、いずれにしても、頭部、頸部をごく自然に、まっ直ぐ、きちんとした姿勢をとる。ただし、あまり緊張し過ぎてがんだり、硬直したりしてはいけない。ゆったりと、リラックスすることが大切である。

そのためには、頭部、頸部の緊張を解くために、前額部を心もち前に出し、 下あごを少し中へ引くようにして、頭部をやや下げるようにするとよい。同時に、前胸部も少しひっこめるようにし、腹部は少し前に出し、両肩は力を入れ

求聞持明法秘伝

ず、自然な姿勢をとる。背中は心もち前に曲げ、腹部の容積を大きくするようにする。

口と唇はごく自然に軽く閉じる。両眼も軽く閉じるが、かすかに外光を感じる程度にひとすじの隙間を残す。すなわち半眼にして、視線は、鼻の先、鼻頭に持ってゆく。

肛門をきゅっと締め、上へ引き上げるようにする。

まず、最初、軽く息を吸い、次いで、口をすぼめ開き、力いっぱい吐き出す。

下腹部に力をこめ、上体を少し前に折りかがめるようにしながら、吐いて吐いて吐きつくす。このとき、前に書いたように、体じゅうの悪気、不浄の気をことごとく吐き出してしまう気持ちで、みぞ落ちが背骨にひっついてしまう位に、 吐くのである。吐きつくしたら、また大きく吸い、二、三回、これをくり返す。

大事なことは、呼吸法をはじめる時には、必ず、まず最初に息を吐くことで

ある。まず吐いて、つぎに吸う時から第一回の呼吸がはじまるのである。

歯はかるく噛み合わせて、噛み合わせた歯の間を通して、ゆっくりと息を吐

開明月のカリキュラム

ぐ。は上下が軽くふれるかふふれない程度で、決してつよく噛み合わせてはいけない。

自然に、長出入呼吸法に移る。

先ず、軽く息を吸う。(長入息呼吸である)

歯の間を通してゆっくりと息を吐き終ったら、今度は唇を閉じ、歯をきちんと合わせて、鼻からゆっくりと吸うのである。

少しずつ、時間をかけて、鼻から空気を吸う。このとき、鼻から入ってくる空気の量をできるだけ少なくするために、鼻をすぼめて鼻腔をせまくする。こうすると、入ってくる空気の量が少なくなるだけではなく、せまくなった鼻腔の壁が空気でマサツされて、その刺激が脳につたわり、脳の見奮をしずめる効果もあるのである。

また、息を吸いこむとき、舌の先を、帆船(上の歯ぐきのやや上部、つまり、 督脈ルートの父のところである)につける。なぜつけるのかというと、わたくしは、先に、任果と督新のニルートは、元米一本の線であるとのべた。しかし、

求聞持聪明法秘伝

実は、口のところでとぎれているのである。これを、舌の先で接続させるのである。これによって、実際に、任脈・督脈のニルートは、一本のルートとなるのである。(ここから意念との共同訓練に入ってゆくのだ) そこで、ごく自然に息を吸いこんでゆく。

このとき、息を吸いこむ鼻の奥から、(任脈ルートの)鳩尾、中院、神闕 (へそ)を通って、男性は気海(へその下約四センチ)、女性は関元(へその下約八センチ)のところまで、一本の気管(ブラーナ管)が通じていると観想せよ。太さは細めのストロー位で、赤色である。

こんかんこの気管の根本、つまり根管部(気海、関元)に、肥富どいう三センチ四方位の特殊な細胞の場のあることを意識せよ。胞嚢という、うすいオレンジ色を帯びた透明の袋と考えてもよい。鍛練によって収縮・拡大するから、糞ど考えた方が把握しやすい。 ふくろ

静かに深く息を吸いこんでゆく。気管を通じて息は真っすぐに胞嚢に吸いこまれてゆく。吸いこむ最初、鳩尾(気海、関元)は軽く引っこみ、このとき、

変につよく定をかけ、少し力を入れる。思が吸いこまれるに従って、思せふくらみ、取籍していた胞もふくらんでゆく。(注意。あとでのべる「反式呼秀色」のときは、この逆になる)

息を吸い終ったら、もう一度、悪く思をのみ、尾は充分に落し、肛門をぐっと閉じ、宮にウムと力を入れる。この力を入れるとき、同時に必ず鼻からちょっと息を漏らす。これが非常に大切で、これをやらないと、胸から頭部にかけて圧がかかり、体を痛める恐れが出てくる。腹式呼吸をやって、頭痛を起したり、内臓下垂で苦しんだりするのは、これを知らないからである。禅宗の原田岳老師が、歌山和尚の極端な下腹入力揮をやったところ、頭が鳴って苦しくなった。また時の位置が変則的になって難病をしたと本に書いておられる。注意が肝要である。

この肛門をしめて、胞宮にウムと力を入れる動作を、二、三回おこなう。 次に、長出息呼吸に移る。

胞宮に一段と力をこめ、下腹部を収縮させながら、どこまでも腹の力をもっ

求聞持聰明法秘伝

してゆく。 て静かに息を吐き出してゆく。ふくらんでいた胞嚢がしだいにしぼられ、収縮

「おーむ」 このとき、息を吐き出しながら、それまで、上顎部につけていた舌を離し、 吐き出す息に乗せるような気持で、低い声でマントラを誦する。

マントラを誦しながら息を吐き出してゆく。静かに、ゆっくりと、できるだけ細く長く吐き出してゆく。息がすっかり出てしまうと、下腹はくぼみ、腹壁が背骨にひっつくような気持になる。つまり、そうなるような気持で吐き出してゆくのである。

吐き出し終ったら、また、静かに鼻で吸う。吸う時は、舌を上顎につけること。前と同じである。

吸いこんだら、前と同じ動作で吐き出してゆく。前とおなじように、吐き出しながら、マントラを誦する。

マントラはつづいて、

間持明法——変身のカリキュラム

「しーんたまに」

「うーむ」

で、これを、それぞれ、吐くひと息ごとに、一句ずつ、となえる。

「おーむ、しんたまに、だと、うむ」

このマントラは、守護仏、村駅の真言である。深く念ずることにより、

守護仏の加護を得て、魔境に陥ることなく、無事、修行を成就するのである。

実はそれだけではなく、もっと重大な理由があるのであるが、それについては、 またあとで述べる。

この長出入息呼吸法は、一呼吸についての時間は問わない。できるだけ細く長く、長出入息させるのである。

長出息呼吸法の訓練

前の、長出入息呼吸法は、出る息、入る息、ともに出来るだけ長く細く呼吸

するものである。出来るだけ細く長く、というだけで、どれほどの時間をかけて細く長く呼吸するのか、という時間は問わない。

しかし、今度の長出息呼吸法は、時間が目ヤスになる。

大体、成人の呼吸は、健康な人の平静な状態で、ふつう一分間に一八回とされている。

一般に虚弱体質の人は、息を吸う時間が非常に短い。重病人などは、肩でせわしく浅い短い呼吸をしている。虚弱体質でなく健康な人でも、昂奮したり、 激しい怒り、恐れ、悲しみなど、心が激動すると、呼吸はずっと速くなる。激怒してことばがつまったりするのは、呼吸が速くなりすぎて、切迫するためである。

心の病気を持つ人の呼吸も速い。一分間に二十数回、あるいは三十回以上も呼吸している人は、明らかに異常で、心因性の病気を持つ人である。精神科の医師は、患者の呼吸の速さを、診断の目ヤスの一つとしているのである。

この長出息呼吸法は、一呼吸を、一分間に三回ないし四回位にまで落とす。

呼吸のしかたは、長出入息手表法とう。

求聞持明法———————変身のカリキュラム

呼後のしかたは、長出入息呼吸法とおなじでよい。ただし、呼吸、一分間に三回にまで返すということは、ふつうの呼吸法では不可能である。それが来るコツは、回す息をできるかぎり細く長く、飲べと吐いていって、戦うほうの息は、ふつうの呼吸に近い吸いかたで吸うのである。

この呼吸法に熟達すると、一分間に一回くらいにまでなれる。

この呼吸で、前記した長出入息呼吸法と全く同様に、気管の観想、守護仏真言の読騒をおこなう。

練習時間は三〇分ないし一時間である。

反式呼吸法の訓練

反式呼吸法というのは、ふつうの呼吸とまったく反対の呼吸をするので、こう呼ぶのである。

つまり、自然の呼吸では、息を吸いこんだとき、腹部がふくれ、息を吐いたとき、腹部がひっこむ。

 

求聞持期明法秘伝

この反式呼吸法は、それが全く逆になる。すなわち、息を吸いこんだとき、 腹をひっこめ、息を吐いたとき、ふくらませる。つまり、自然に反した呼吸法なのである。

なぜ、そういう反自然の呼吸法をするのか?

いくつもの利点があるからである。

その利点は、横隔膜を極限に近く使うところから生ずる。

ちょっと考えると、腹をふくらませながら、息を吐くなどという芸当は、とても出来ないと思われるかも知れない。

しかし、それが出来るのである。それは、内臓の中で胸腔と腹腔の境い目になっている横隔膜をはたらかせることによって可能となるのである。

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がない。 ふだんは、意志の支配の外で、自律的に、胸や腹がポンプの役目をして空気を吸ったり吐いたりするのにまかせっきりでいるけれども、反式呼吸のように自然ではない形で呼吸をしようということになると、横隔膜を動かすしか方法

しかし、夏子呼後にすると、なんと一〇センチ以上も動くのである。

人気の後のと下のハんは、どんなに長の人でも、大学、三〇センチもあるかどうかというところである。その三〇センチの中で、複隔膜が一〇センテ以上も下に動くのである。その影響は、たいへんなものである。横隔膜が下れれば、顔の中にある内臓に来常な圧力をうけ、上にあがった場合は、 に大きなマイナスの圧力をうけることになる。

つまり。この呼吸によって、数だ内で内臓が、強い力で動かされ、刺激されるということである。

それがどんな利益をもたらすか?

1、体の新代謝を盛んにする。

あの機能が高まり、これまでの何倍も大量の酸素を血液の中に吹きこみ、

求間持用注秘伝

体じゅうに送りこむ。

2、筋肉の発達をうながす。

新陳代謝が盛んになれば、体じゅうの組織が強化されるのは当然であり、

筋肉が発達する。ことに、内臓の筋肉が強化される。

3、神経のはたらきが安定する。

それは、自律神経を安定させるからである。

自律神経(植物性神経)とは、すべての内臓、腺、血管等、人間の意志

と無関係に反応する器官を支配する不随意神経で、これらの器官のいろいろな機能を自動的に調節している。それで、自律神経とよばれるのである。

自律神経は二つの特徴を持っている。それは、

意志をともなわず、自動的にはたらくこと。

二、この神経は、かならず交感神経と副交感神経の二つからできていて、 その支配をうけること。

この二つである。

求聞持明法——変身のカリキュラム

一つの内器官の自律神経は、いつもこの二つの神経 交感神経と副交感神経がはたらいて調節しているのである。そのはたらきはまことに微妙なもので、おたがいに反対のはたらきをする。交感神経は神経を見奮させ、血管を収縮させるのにたいし、副交感神経は心臓を抑制し、血管を拡張させる。つまり、交感神経は人体におけるアクセルであり、副交感神経はブレーキだと思えばよい。交感神経が緊張すれば人間の体は興奮状態となり、副交感神経が緊張すれば、その興奮が抑えられるようになる。どちらかにかたよっても、体は病的な状態になるわけで、このあい反した二つのはたらきがバランスをたもつことにより、心臓は順調に動き、血管は適当な大きさを保持するわけである。

こういうはたらきは、すべて、意志をともなわず、まったく無意識のうちにおこなわれているが、その調和が破れると、当然、さまざまな病気が生ずる。

その調和を破るものは、病気とか、内臓器官そのものの故障によるもの

求聞持聰明法秘伝

はべつとして、ほとんど精神的なものからくることが多い。

強い燃際、悩み、悲しみ、恐れ、怒り等、心とからだの動揺をきたす精神的刺激が起きると、内分泌器官の中枢である脳下垂体をへて、副腎の自律神経の交感神経につたわり、副腎の皮の髓質や、神経の末端から、アドレナリンおよびノルアドレナリン (副腎髄質ホルモン)や、シンパシン(ダ感神経の末端から遊離する物質)などの、強い昂奮剤が分泌される。

これは、その強い煩悶や恐れなどに対応するための、からだの自衛作用なのであるが、その精神的刺激がつづくと、アドレナリン系の過剰分泌をきたすことになる。アドレナリン系の過剰分泌は、胃腸の運動をとめ、血管を収縮させ、血圧を高める。さらに、肝臓や筋肉内の大切なエネルギーのもととなるグリコーゲンを、いたずらにブドー糖に分解し、そのため血液内の血糖量がふえて酸過多症をおこし、身心の過労状態をもたらすので

ある。

これが、いわゆる「ストレス」であり、ストレスは「心因性の病気」を

求聞持明法―変身のカリキュラム

ひき起こす。

ストレス説で有名なハンス・セリエ博士などは、分裂性の疾患もふくめた事実上のあらゆる疾患が、心因性によるものだと断言している位である。 これに対し、この呼吸法は、自律神経の安定をもたらすのである。

というのは、この呼吸法は、自律神経の中枢である腹部(胃のうしろのあたりにある)の太陽神経叢 Solar Plexus にいつも圧力をかけて、刺激をあたえているのである。つまり、さきにのべたように、内臓が強い力で動かされ、モミクチャにされている。これは太陽神経叢という自律神経の中枢神経の刺を、マッサージしていることになるのである。

このため、自律神経のはたらきが活発になり、安定するのである。というのは、ふつう精神的なショックをうけたとき、交感神経のはたらきで、 アドレナリンなどの強い昂奮剤が過剰分泌される。これにたいし、この呼吸法をおこなっている修行者は、平素からのコントロールの力により、自動的にその緊張・昂奮を緩和するよう、副交感神経がはたらいて、神経の