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Mac

釈尊

 

第二章でのべたように、釈尊が残した霊性完成の修行法、七科三十七道品の修行は、これを全部、修行しなければならないというものではない。三十七種の修行法の中には、おなじような修行法が、重複してかかげられているのである。

これは、おそらく、釈尊が、弟子たちそれぞれの能力や才能に応じて課されたものであろう。

たとえば、五根や五力などは、その中に、最初に「信」を置いているが、 「信」は、智慧の低い初歩の者のために、理論をもちいないで、ひたすら仏陀や指導者を信ずることによって修行に励ましめるものであるから、五根・五力は初歩の者に説かれたものであろう。また七覚支などは、その中に禅定に関する法が多くのべられているから、かなり高度の修行者に教示されたものと思われる。

ただ、阿含の根本聖典では、「四念住法」「四神足法」の修行が、いずれも「一乗道」であるとされているのは、注目すべきである。「一乗道」とは、その法の修行だけで、究極の境界、涅槃に到達し、成仏できる道のことである。 ニルヴァーナ

わたくしの体験をのべるならば、最初に四念住法で「四諦の法門」を体得

し、ついで七覚支法で最高度の禅定を体得し、最後に四神足法の習練に入って、 神通力を得た。わた

し、ついで七覚支法で最高度の禅定を体得し、最後に四神足法の習練に入って、 「神通力を得た。わたくしには師はなく、自然にそのようになった。ただただ、神

仏のご加護であると感謝している。

成仏法奥義————八科四十一道品

釈尊が教えた成仏法は、奇蹟を起こすためのものではない。

しかし、凡夫が成仏して仏陀になるということ自体、たいへんな奇蹟というべ

きではないか。それは、大神通力を持ってこそ、はじめてなし得る業である。平凡な人間が、平凡のままパッと仏陀に変身するわけではない。その修行課程において、修行者は、

通力・神通力大神通力

が身にそなわるのである。

ここで、わたくしの秘伝をのべよう。

「それは、大神通力を得て成仏するためには、アビグルマ仏教の論師たちがま

とめた「七科三十七道品」だけでは完全ではない、ということである。

もうひとつ、絶対に必要な法がある、ということである。

わたくしは、この法を加えて、成仏法を「八科四十一道品」とする。

それは、つぎのようになる。

四念住法

四正断法

あなはなんぼう

四神足法

五根法

五力法

七党支法

八正道法

である。

四安那般那念法は、つぎの四法から成る。

勝止息法 奇特止息法

上止息法 無上止息法

である。

では、その「安那般那念法」とはどういう法なのか?

この中の、「奇特止息法」という文字に目をとめていただきたい。

『佛教語大辞典」によると、こうある。

【奇特】 特に異なっていること。不思議なこと。奇蹟。

つまり奇特止息法とは、奇蹟を起こす力をあたえる特異な禅定法なのである。

この四つの法は、すべて、奇蹟 大神通力をあたえる特殊な法なのである。

では、その奇蹟とはなにか? 大神通力とはなんであろうか?

・それは「因縁解脱力」である。

因縁解脱こそ宇宙最高の奇蹟ではないのか。自分を変え、世界を変える、これ以上の奇蹟があるであろうか?

そして、この奇蹟の因縁解脱をなしとげる、因縁解脱力こそ仏法最高の大神通力なのである。したがって、この四つの法は、因縁解脱をして成仏する大神通力をあたえる法なのである。

わたくしは、この四つの法は、四神足法の中の、「観神足法」とおなじであると考えている。というよりも「観神足法」、あるいは「四神足法」そのものの具体的な説明・解説になっているのではないか、と思っているのである。そこで、アビダルマ仏教は、この四安那般那念法を、(わざわざ一科目立てることをせ

ず)七科三十七道品の中に入れなかったのではないかとも考えられるが、しか

輪転生联想法

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小説風再構成:成仏法・七科三十七道品

小説風再構成:成仏法・七科三十七道品

 ガンガーの川霧が薄くたなびく黎明、竹林精舎はまだ静かであった。
その静けさを破るように、一人の弟子が歩み寄り、合掌して釈尊に問いかけた。

「世尊よ。あなたが悟られたその法──いかにして我らは、その境地へ至るのでしょうか。
カルマを断ち、漏れなき心(漏尽)へ至る道を、どうかお示しください。」

 釈尊はゆっくりとまなざしを上げ、集まった比丘たちを一人ひとり見つめた。
冷ややかな朝気の中、その視線だけが確かな温度を帯びていた。

【釈尊の説法の始まり】

「比丘たちよ──。
われが悟りにおいて見た道は、ここにある七つの科目、三十七の実践によって成り立つ。
これは誰が作ったものでもなく、わたしが悟りの下で直接に見た“道”そのものである。」

 弟子たちは静かに鼻で息を吸い、身を正した。

「四念処、四正断、四神足、五根、五力、七覚支、八正道──これが成仏の道である。
争うことなく、互いに励ましあいながら、これを歩むべきである。」

【四念処──観る者が世界を変える】

「まず、四念処である。」

 釈尊は地面に指で円を描く。その円は“身・受・心・法”の象徴であった。

「身体は不浄である。感受は苦である。心は無常である。万法は無我である。
はじめは個別に観よ。
つぎに、それら四つをひとつに観よ。
そうして、身・受・心・法すべてに、
“不浄・苦・無常・無我”の相を照らすのだ。」

 弟子たちの胸に、冷たくも鋭い真理の刃が差し込んでいく。

【四正断──悪を断ち、善を育てる剣】

「つぎに四正断。」

 釈尊の声音が、ひときわ凛とした。

「断断──すでに起こった悪を断つ。
修断──まだ起こらぬ悪を、起こらせぬよう守る。
随護断──すでにある善を増やす。
律儀断──まだ生まれていない善を、努力して育てる。」

 それはまるで、心の中にひそむ暗闇を切り払う四本の剣のようであった。

【四神足──心を超え、力を得る門】

「そして、四神足(四如意足)。」

 釈尊は天を仰ぎ、静かに続けた。

「欲・精進・心・観。
これら四つの“足(よりどころ)”によって、
人は自在なる心の働きを得る。」

 そのとき、弟子のひとりが思った。
まるで、蛇が地を這う力、馬が大地を蹴る力、人が思考する力──
それら“三つの脳”が、一つに統御されるようではないか、と。

 釈尊は彼の思いを見透かしたように言う。

「心は、古きもの・獣のもの・人のもの──
三つが一つに調えられて初めて、真の静けさを得る。
四神足の修行は、その統御の門となる。」

【五根・五力──心の柱とその力】

「五根とは、信・精進・念・定・慧。
そして五力は、それが強く発揮された姿である。」

 釈尊の声は、竹林の奥から響いてくるようであった。

「五根は根本。
五力は飛躍。
ニルヴァーナへ歩む者は、この両輪によって進む。」

【七覚支──悟りの七つの翼】

 釈尊は指を一本ずつ折りながら言った。

「念、択法、精進、喜、軽安、定、捨。
これら七つが、悟りを開く“翼”となる。」

 弟子たちはその言葉の一つひとつが、胸の深くに落ちていくのを感じた。

「喜びは心を明るくする。
軽安は心を軽くする。
捨は心を自由にする。」

【八正道──完成された道】

「そして最後に八正道。」

 釈尊は立ち上がり、歩きながら語りはじめた。
その歩みこそ、正道の象徴であるように見えた。

「正見──世界を正しく観る。
正思惟──正しき方向に心を向ける。
正語──真実を語る。
正業──正しく行動する。
正命──正しい生活をする。
正精進──怠らない。
正念──気づきを保つ。
正定──心を澄ませる。」

「比丘たちよ。
正しいとは、わたしの教えに即したものをいう。」

【釈尊の“厳しい宣言”】

 しばし沈黙が流れた後、釈尊はきっぱりと言い切った。

「もし比丘が、念処・正断・神足・根・力・覚支・道を修行しないのであれば、
その者はいかなる努力をしても、決して漏尽解脱することはない。」

 弟子たちの背筋に、凍るような緊張が走った。
これが“方便”ではなく、釈尊が絶対視した“唯一の道”であることが、
言葉のすべてから伝わった。

【弟子たちの決意】

 やがて弟子たちは深く頭を垂れ、静かに誓った。

「世尊よ。
我らは互いに争わず、互いに励まし、
今ここに示された道を歩むことを誓います。」

 朝の光が竹林に差しこみ、葉の間で揺れる。
その光の中に、釈尊は静かに微笑んだ。

「よく聞いた。
では行け。
七科三十七道品──
これが、汝らが歩むべき“成仏への道”である。」

魂の灯火 ~七覚支編~ 構成コンセプト 主人公:現代を生

とてもよい流れです。
これまで書かれてきた世界観・語り口(静かな日常 × 仏法の実践)を踏まえ、小説連作として読め、かつ七覚支の修行段階が自然に体験される章立てを提示します。


魂の灯火 ~七覚支編~

構成コンセプト

  • 主人公:現代を生きる一人の修行者(介護職/都市生活者)
  • 舞台:職場・通勤路・夜の部屋・自然(公園・川・山)
  • 主題:苦を消そうとするのではなく、「気づきが次の気づきを呼ぶ」過程
  • 特徴
    • 各章は独立した短編として読める
    • 読み進めるほど主人公の心が静まり、世界の見え方が変化
    • 教義は説明せず、体験として描写

第一章 念 ― 消えない足音

対応覚支:念覚支

主題:気づくことをやめない

夜勤明けの通勤路。
主人公は、疲労と苛立ちの中で、無意識に歩いている自分に気づく。

靴底の感触、呼吸の重さ、信号待ちの沈黙。
「今、ここ」に戻るたび、心が逃げようとする。

失敗への恐れ、過去の後悔。
それらを追い払わず、ただ気づき続ける

――気づきが、最初の灯火となる。


第二章 択 ― 揺れる言葉の重さ

対応覚支:択法覚支

主題:見極める智慧

同僚の一言に心が乱れる。
正しいのは誰か、間違っているのは誰か。

だが主人公は、
「これは怒りか、悲しみか、それとも恐れか」
と心の動きを見つめる。

反応する前に、選ぶ。
何を信じ、何を手放すか。

――法を択ぶとは、世界ではなく自分の心を選び直すことだった。


第三章 精進 ― 逃げない一歩

対応覚支:精進覚支

主題:やめない力

修行は地味で、成果は見えない。
忙しさに流され、今日はもういいかと思う夜。

それでも主人公は、
ほんの一呼吸だけ、立ち止まる。

完璧ではなく、続けること
それが精進であると知る。

――努力ではなく、誠実さが道をつなぐ。


第四章 喜 ― 静かな微笑

対応覚支:喜覚支

主題:自然に湧くよろこび

ある日、利用者の何気ない笑顔。
ありがとう、という短い言葉。

胸の奥に、理由のない温かさが広がる。
それは興奮ではなく、静かな喜び。

修行が報われたのではない。
執着が少し抜けた空間に、喜びが入り込んだだけだった。


第五章 軽安 ― 風が通る身体

対応覚支:軽安覚支

主題:緩むことの許し

夜、布団に横たわる。
肩の力が抜け、呼吸が深くなる。

心と身体が、同じ速度で静まっていく。
「何かをしなければ」という衝動が消えていく。

――安らぎは、得るものではなく、邪魔をやめたときに現れる


第六章 定 ― 一点の灯

対応覚支:定覚支

主題:揺れない中心

雨音を聞きながら座る主人公。
音はあるが、心は動かない。

考えは浮かぶが、掴まない。
感情は来るが、引きずられない。

――心が一点に定まるとは、
世界が止まることではなく、振り回されなくなることだった。


第七章 捨 ― 手放した先の光

対応覚支:捨覚支

主題:等しく見る心

誰かを嫌う心も、
自分を誇る心も、
同じように現れては消える。

良い・悪い、成功・失敗。
それらに重みを与えない眼差し。

主人公は気づく。
苦を断とうとしていた自分が、
いつの間にか苦に巻き込まれなくなっていたことに。

――灯火は、強くなったのではない。
風に揺れなくなっただけだった。


終章(短) 魂の灯火

七つの覚支は、特別な力ではない。
日常の中で、静かに連なっていく灯である。

誰も気づかなくてもいい。
世界が変わらなくてもいい。

ただ一人、
確かに目覚めつつある魂が、ここにある。


次の展開として自然につながります:

  • 🔥 「七覚支 → 涅槃界への移行編」
  • 🔥 『四神足』『五力』との統合編
  • 🔥 主人公とは別の人物が別の覚支を体験する群像編

どの方向へ進めましょうか。

七覚支 ― 林中の対話

了解しました。
原文の経典調の骨格を保ちつつ、情景・対話・内面描写を加えた小説風に再構成します。


七覚支 ― 林中の対話

このように、私は聞いた。

ある日のこと、含衛国の祇樹給孤独園は、朝露に濡れた静かな光に包まれていた。
風は葉を揺らし、比丘たちの歩みも、鳥の羽音さえも、どこか慎ましく感じられる時刻であった。

そのとき、一人の異教徒の出家が、園の奥からゆっくりと歩み寄ってきた。
彼の衣は使い込まれ、眼差しには長い遍歴の疲れと、なお消えぬ問いの炎が宿っていた。

彼は仏さまの前に至ると、静かにひざまずき、額を地に伏せておみ足をいただいた。
礼拝を終え、慎重に一歩退いて座に着くと、胸に秘めてきた疑問を、ようやく言葉にした。

「世尊よ。
世尊が説かれるという、覚分――七覚支とは、いかなるものなのでしょうか。
何をもって“覚りに至る因”とされるのか、どうかお教えください。」

仏さまは、しばしその出家を見つめられた。
責めることも、試すこともなく、ただ澄んだまなざしで。

そして、静かに語り始められた。

「よく聞きなさい。
覚分とは、修行の道を支える七つの要であり、七三十七道品の一つである。
それは、同時に現れるものではない。
順に生じ、順に育まれ、順に完成されていく道なのだ。」

異教徒の出家は、思わず身を乗り出した。

「世尊よ。
では、その覚分は、どのようにして生じ、どのように修められていくのでしょうか。」

仏さまは頷かれた。

「もし比丘が、身体の内側を観察するならば――
彼は、ただ観ることに没頭し、心を散らさず、念をつなぎ続けねばならない。」

比丘たちの背筋が、わずかに正される。

「そのとき生じるのが、念覚支である。
今ここに気づき続ける力だ。
この念が十分に育まれ、揺らがなくなったとき、念覚支は完成したと言える。」

仏さまは、言葉を区切りながら続けられた。

「念が確かになると、次に、法を選び、分別し、深く観ずる力が起こる。
これが択法覚支である。
何が真実に導き、何が迷いを深めるか――
それを見極める智慧だ。」

異教徒の出家は、静かに息を呑んだ。
彼の心に、これまで断片だった修行の経験が、一本の線として結ばれ始めていた。

「さらに、
その理解を支える精進覚支が起こり、
修行の中に自然な喜びである喜覚支が満ち、
心身が静まる軽安覚支が訪れる。」

仏さまの声は、森の静けさと溶け合う。

「軽安の中で、心は一点に定まり、定覚支が成熟する。
そして最後に――
執着も嫌悪も手放した、澄み切った平等の心、捨覚支が完成するのだ。」

仏さまは、少し間を置かれた。

「これらは、四念処の観察と離れては生じない。
身体は不浄であると観じ、
受は苦であると知り、
心は無常であると見極め、
法は我にあらずと洞察する。」

「内を観じ、外を観じ、内外をともに観じながら、
念を断ち切らず、心を今に結び続けるのだ。」

異教徒の出家の目に、静かな光が宿った。
それは、新しい教えに驚いた光ではない。
長く探し続けてきた道が、ようやく一つにつながった者の光であった。

仏さまは、最後にこう結ばれた。

「このようにして、七覚支は次第に生じ、
生じたものは、次第に完成していく。
急ぐ必要はない。
ただ、途切れぬ正念と、正しい修行があればよい。」

仏さまが語り終えられると、
そこに集っていた比丘たちは、深い喜びとともにその教えを受け取り、
それぞれの歩みにおいて、静かに実践していったという。

――覚りとは、遠き雷鳴ではない。
一つの気づきが、次の気づきを生み、
やがて世界の見え方そのものが変わっていく、
その静かな連なりなのである。


もしよろしければ、

  • 現代の修行者(介護職・都市生活者)視点で七覚支を描く短編
  • 『魂の灯火 ~七覚支編~』として章立て構成
  • 一つの覚支を一章ずつ掘り下げる連作形式

などにも展開できます。