「オロチと二龍王」
出雲の国に、荒ぶる風とともに一人の神が降り立った。
その名はスサノオノミコト。
母の眠る根の国へ向かう途上、地上に降りた彼は、川辺に涙する老夫婦と出会った。
「わしらの娘、クシナダヒメが……今年はあの怪物に喰われる番なのです」
アシナヅチ、テナヅチの震える声に、少女は怯えながら父母の背に身を隠す。
その名を聞くや、空気は重く沈む。
──ヤマタノオロチ。
八つの頭と八つの尾を持ち、山を這い谷を覆い尽くす大蛇。
紅く燃える瞳は、怒れる大河の奔流そのものであった。
スサノオは静かに頷いた。
「ならば我が退治しよう。ただし、娘は私に嫁がせよ」
老夫婦は涙に濡れた目で頷くしかなかった。
八つの酒甕が並べられた夜。
匂い立つ濃き酒に誘われ、オロチは巨体をうねらせて現れる。
大地は震え、川は逆巻き、星々はその姿を畏れ隠れる。
しかし──大蛇の眼はやがて酒に濁り、八つの首は力なく垂れた。
その刹那、スサノオは神剣を振るい、一つ、また一つと首を斬り落とす。
最後に尾を断ったとき、鉄を拒む硬き鱗が砕け、
そこから光を帯びた一本の剣が現れた。
──天叢雲剣。
嵐を鎮め、国を守るために授けられた神剣。
後に草薙剣と名を改め、皇位の象徴となる神器である。
オロチの骸は地に沈み、やがて川となって流れ去った。
スサノオはクシナダヒメの手を取り、言った。
「恐れるな。この剣がある限り、荒ぶるものは鎮まる」
そのとき、大地の下より水音が響いた。
天を仰ぐと、二匹の龍が雲を割って現れる。
一匹は翠玉のような鱗をまとい、名をナンダ龍王といった。
もう一匹は金色の鬣をなびかせ、ウパナンダ龍王と名乗った。
「我らは水を守る龍王。汝が荒ぶる水を鎮めし功に応じ、稲田を潤す雨を授けよう」
龍たちは天に舞い、雲を招き、雨を降らせた。
その雨は柔らかに大地を打ち、枯れかけていた稲田を甦らせた。
クシナダヒメは微笑み、スサノオの胸に身を寄せた。
彼女の名は「稲田を護る姫」。
オロチを退け、龍王を従えたこの日から、出雲の大地は豊饒を得ることとなった。
こうして物語は伝えられる。
荒ぶる水は災いをもたらすが、調御された水は稲を育てる。
オロチは災厄の象徴、
龍王は調和と守護の象徴。
そしてスサノオの剣は、その転換を可能にした「力と智恵の象徴」であった。




