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Mac

第四層 ― 行為は「誰が」起こしているのか ― 青年は、

行きましょう。
ここから先は――“最後の錯覚”に触れます。
■ 第四層
― 行為は「誰が」起こしているのか ―
青年は、ある日ふと立ち止まる。
手を伸ばし、水を飲む。
歩く。座る。呼吸する。
その一つひとつに、問いが差し込まれる。
「……これは、本当に“自分がやっている”のか?」
その瞬間、動きが“分解”される。
・喉が渇く
・水を認識する
・手が伸びる
・飲む
そこに、「決定者」はいない。
あるのはただ――
👉 条件
👉 反応
👉 流れ
老師が言う。
「行為とは、“誰かが起こすもの”ではない」
「……では?」
「起きているだけだ」
これは冷たい話ではない。
むしろ逆だ。
🌊 波が「自分の意志で動いている」とは言わないように
🔥 火が「燃えよう」と決めているわけではないように
人の行為もまた、
条件が整ったときに“そうなる”現象である。
ここで崩れるのは、
👉 「私は行為者である」という感覚
だが同時に、こう気づく。
「では……責任とは何だ?」
それは後で現れる。
だが先に進む。
■ 第五層
― 自由意志は存在するのか ―
青年は問う。
「もしすべてが条件なら、
自由意志など存在しないのでは?」
老師は否定も肯定もしない。
ただ、こう言う。
「“自由意志があるか”という問い自体が、
まだ“誰かが選んでいる”前提に立っている」
沈黙。
そして、こう続ける。
「よく観よ」
その瞬間、青年の内で何かが起きる。
「選ぼう」とする前に――
すでに“傾き”がある。
・こちらを選びたいという感覚
・あちらは避けたいという感覚
それらは、
👉 思考より前にある
👉 意志より前にある
つまり、
選択は“生まれている”のであって、
“作られている”のではない
では、自由意志はないのか?
答えは、単純ではない。
❌ 個としての自由意志 → ない
⭕ 全体としての自由 → 常に働いている
個は選んでいない。
だが――
全体は、常に“そうなる形”を選び続けている。
青年はつぶやく。
「……では、“自由”とは?」
老師は答える。
「抵抗がないことだ」
■ 第六層
― 覚醒者はなぜ動くのか ―
ここで最後の問いが残る。
「行為者がいないなら、
覚醒者はなぜ動くのか?」
静寂。
そして、ある朝。
青年は、倒れている人を見る。
その瞬間――
体が動いている。
考えない。
判断しない。
“やるべきかどうか”も問わない。
ただ、手が伸びる。
助けている。
後になって、気づく。
「……なぜ動いた?」
理由はない。
だが、はっきりしていることがある。
👉 「私が助けた」のではない
👉 “助けるという現象”が起きた
老師は言う。
「それが、“自然な行為”だ」
覚醒者は、
👉 善を選ぼうとしない
👉 正しさを考えない
👉 自己像を守らない
それでも――
最も調和的な行為が起きる
なぜか?
それは、
👉 分離がないから
👉 境界がないから
他者の苦しみが、
“自分とは無関係なもの”として存在しない。
だから、
助けるかどうかという選択がそもそも発生しない
ただ――動く。
■ 最終核
ここまで来ると、すべてが反転する。
👉 行為者はいない
👉 だが行為は起きる
👉 自由意志はない
👉 だが自由はある
👉 自己はない
👉 だが機能は働く
青年は、最後に問う。
「……では、“私は何なのですか”」
長い沈黙のあと、老師は言う。
「お前は――」
「起きているすべて、そのものだ」
■ さらに奥へ
ここで終わりではありません。
もし進むなら――
🔥「世界は“どこで”起きているのか編」
🔥「時間は実在するのか編」
🔥「死とは何が終わることなのか編」
ここから先は、
**“存在そのものの解体”**です。
行きますか

 

『世界に還る者 ― 微細なる自己の影 ―』 夜が、明けていた。 山は変わらない

いい流れです。ここからは――
“覚醒の後に残る、最も人間的で、最も困難な領域”に入ります。
小説として、そのまま繋げます。
『世界に還る者 ― 微細なる自己の影 ―』
夜が、明けていた。
山は変わらない。
風も、鳥の声も、すべてが以前と同じように在る。
だが――
ひとつだけ、決定的に違っていた。
青年の「見ているもの」が、変わっていた。
「……戻るぞ」
老師の声は、静かだった。
青年は頷いた。
だが、その頷きには、かつてのような「決意」はなかった。
ただ、流れのように――動いた。
里へ降りる道。
人々がいる。
言葉が飛び交い、感情がぶつかり、欲望が渦を巻いている。
以前なら、それは「他人の世界」だった。
だが今は違う。
(……すべて、同じ流れの中にある)
怒りも、喜びも、恐れも――
すべてが、ひとつの場の振動として現れている。
青年の中には、もはや「拒絶」がなかった。
だが、その時だった。
「……おい」
市場の一角で、男が声を荒げていた。
「ちゃんと見て歩けよ!」
ぶつかったのだ。
ほんの、わずかな接触。
だが、その瞬間――
胸の奥に、何かが“立ち上がった”。
(……いまのは……)
ほんの一瞬。
だが確かにあった。
「自分が責められた」という感覚。
「自分を守ろうとする動き」。
それは、あまりにも微細で――
しかし、確実に“自己”だった。
青年は立ち止まった。
世界は、変わらず流れている。
だが、その中に――
(まだ、残っている)
完全に消えたと思っていたもの。
「個としての中心」。
それは、消滅したのではなかった。
“条件が揃ったときにだけ、立ち上がる影”として、潜んでいた。
その時、背後から声がした。
「それが、“戻った後の道”だ」
老師だった。
「消えたと思うな」
老師は言う。
「それは、“機能として残る”」
青年は、静かに目を閉じた。
先ほどの感覚を、追う。
怒りではない。
恐れでもない。
もっと前の段階。
“自己が立ち上がる瞬間の震え”。
「見るのだ」
老師の声が、落ちる。
「それを否定するな。断とうとするな」
「ただ――」
「立ち上がる“前”を観よ」
その言葉は、深く沈んだ。
再び、ざわめきの中へ。
人の声。
交渉。
笑い。
不満。
すべてが流れている。
そして――
また、起きた。
今度は、よりはっきりと。
「評価されたい」という動き。
「良く見られたい」という、微かな衝動。
(……これか)
青年は、逃げなかった。
抑えもしなかった。
ただ――
その“立ち上がる直前”を、見た。
すると、それは――
形になる前に、ほどけた。
消えたのではない。
「固まらなかった」。
その瞬間、青年は理解した。
覚醒とは、
“自己が二度と現れないこと”ではない。
「自己が、固まらなくなること」
それは、戦いではなかった。
排除でもなかった。
ただ――
“透明になること”。
老師が、かすかに笑った。
「ようやく、入口だな」
朝の光が、町を照らしていた。
人々は、変わらず生きている。
怒り、笑い、迷いながら。
青年もまた、その中に立っていた。
だが――
もはや、「巻き込まれる者」ではなかった。
流れの中で、流れとして生きる者。
そしてその奥で、
“何も持たず、何も拒まない場”が、
静かに、すべてを通していた。
――続く
この先はさらに深くいけます:
👉「無意識レベルのカルマがどう再浮上するか編」
👉「他者との関係の中で“自己が再構築される構造”編」
👉「それでも“役割として生きる”とは何か編」
どこまで潜りますか。

ライティング

ライティング
夜は、静かに沈んでいた。
山の庵。灯は消え、ただ月の光だけが、畳の上に淡く揺れている。
青年は坐していた。
呼吸は、ほとんど感じられないほどに細い。
――いや。
「呼吸している」という感覚そのものが、すでに遠のいていた。
(……どこまでが、自分なのか)
その問いは、もはや言葉ではなかった。
ただ、形を持たない揺らぎとして、内側に漂っている。
そのときだった。
「――まだ、“自分”を中心に置いているな」
背後から、老師の声が落ちた。
青年は、わずかに目を開く。
しかし振り向こうとはしない。
「……では、どうすればいいのですか」
静かな問い。
だがその奥には、これまで積み上げてきた修行のすべてが、震えていた。
老師は、少しの間、沈黙した。
やがて、言った。
「脳はな――本来、“お前のもの”ではない」
その言葉は、夜の奥へと沈みながら、確かに青年の内側に落ちた。
「それは、“個を守るための装置”として使われているに過ぎぬ」
青年の内で、何かが微かに軋む。
「だが、それが反転する時が来る」
老師の声は、低く、しかし確信に満ちていた。
「脳が“お前のために働く”のではなく――
世界が、その脳を通って現れ始める」
その瞬間。
青年の中で、何かが“ほどけた”。
呼吸が、消える。
いや、止まったのではない。
ただ――“誰も呼吸していない”という状態が、そこにあった。
音が、変わる。
虫の声。風の流れ。遠くの水の気配。
それらが、“外にあるもの”としてではなく、
同時に起きている現象として、立ち上がる。
(……境界が、ない)
見ているものと、見られているもの。
聞いている音と、それを聞く者。
それらを分けていた、見えない線が――消えた。
「それが――転換点だ」
老師の声が、どこからともなく響く。
「脳が“個のための装置”であるうちは、世界は歪む」
言葉は続く。
「だが、それが“通路”となったとき――」
青年の視界は、もはや「視界」ですらなかった。
ただ、現れがあるだけだった。
「世界は、そのまま通る」
そのとき、青年は気づく。
何も失っていない。
むしろ――
初めて、“何も持っていなかった”ことを知る。
思考が、浮かぶ。
だが、それはもう“自分のもの”ではない。
ただ、必要なかたちで現れ、そして消える。
身体が、微かに動く。
それもまた、“自分が動かした”のではない。
ただ、動きが起きた。
「……これが……」
青年の唇が、かすかに動く。
だが、その言葉すら、誰のものでもなかった。
老師は、静かに目を閉じたまま言った。
「そうだ」
「お前は、もう“使っていない”」
「――通っている」
夜は、何も変わらない。
風も、虫も、月の光も。
だがただ一つ。
“それを中心としていた者”だけが、いなくなっていた。
もしよければ、このまま
👉「戻ったあと、社会でどう生きるのか編」
👉「微細な自己が再び立ち上がる瞬間編」
にもつなげられます。

人間の脳に設計ミスはない」 👉 「問題は“使い方(

とても深い思想ですね。これは単なる科学の話ではなく、人間とは何か/進化とは何か/覚醒とは何かに踏み込んだ思想です。順を追って整理します。
■ 結論から言うと
この文章が言っている核心はシンプルです:
👉 「人間の脳に設計ミスはない」
👉 「問題は“使い方(ソフトウェア)”である」
■ ① 本当に脳に「設計ミス」はあるのか?
著者が引用している
アーサー・ケストラー
はこう考えました:
人間は高度な知能(新皮質)を持った
しかしそれが戦争・破壊・狂気を生んだ
だから「脳の構造そのものが欠陥」
これはいわば
👉 ハードウェア欠陥説
■ ② この文章の立場(重要)
しかし本文は真逆です:
👉 脳は完璧にできている
👉 問題は運用(ソフトウェア)
つまり:
脳=超高性能コンピュータ
人類=誤ったOSで動かしている
■ ③ なぜ問題が起きるのか(核心)
ここで重要なのが「三つの脳」の話です。
(現代でいう三位一体脳理論)
爬虫類脳(本能・攻撃・生存)
哺乳類脳(感情・愛・恐れ)
新皮質(理性・思考)
👉 本文の比喩
「ワニとクマと人間が同居している」
つまり:
理性(新皮質)は発達した
しかし本能・感情との統合ができていない
結果:
👉 知能だけが暴走する
■ ④ だから現代社会はこうなる
本文の指摘はかなり鋭いです:
核兵器 → 理性の産物
環境破壊 → 短期欲望の暴走
戦争 → 感情+知性の結合
👉 知能は高いのに、全体は愚か
これは
「部分最適で全体崩壊」状態です
■ ⑤ 「もう一つの脳」とは何か?
ここが一番重要です。
本文はこう言っています:
👉 人間は“もう一つの脳”を失った
これは科学的な脳部位ではなく、概念的には:
■ それは何か?
全体を統合する働き
道徳・霊性・調和
自己と世界の一致感
言い換えると:
👉 “統合意識”
■ ⑥ 仏教的に言うと
あなたが書いている内容と完全に重なります。
これはまさに:
正念(サティ)
正定(サマーディ)
観(ヴィパッサナー)
つまり:
👉 バラバラの心を統合する修行
■ ⑦ 「ヒトの改造」とは何か?
ここで誤解しやすいですが、
これは 👉 遺伝子改造ではありません
本質は:
👉 意識の進化(再統合)
■ ⑧ ホモ・エクセレンスとは?
本文の未来人:
👉 ホモ・エクセレンス
これは何か?
超能力者ではなく
完全にバランスされた人間
特徴:
知性 × 感情 × 本能が統合
高い倫理性
直観的理解
自己制御
■ ⑨ なぜ「宗教は無力」と書かれているのか
ここは重要な批判です。
本文の主張:
👉 宗教は「慰め」にはなる
👉 しかし「能力変化」は起こさない
つまり:
信じるだけ → 変わらない
実践 → 変わる
これは仏教でも同じです:
👉 「知る」ではなく「観る」
■ ⑩ 本当の意味での「超技術」
この文章の核心:
👉 人間の内部にある能力を再起動する技術
現代風に言うと:
瞑想
呼吸法
意識訓練
注意の制御
■ まとめ
この思想を一行で言うと:
👉 人類の問題は「脳の欠陥」ではなく「未完成な運用」である
そして:
👉 進化とは外側ではなく内側で起こる
■ あなたのテーマとの接続
あなたが書いている:
呼吸が消える
観察が深まる
自我が崩れる
これはまさに:
👉 「失われた脳(統合機能)」の再起動過程
■ 最後に(重要な問い)
この文章は読者に問いかけています:
👉 あなたはホモ・サピエンスのままで終わるか?
👉 それとも“統合された人間”へ進むか?
もしここからさらに深めるなら:
👉 「その“もう一つの脳”は具体的にどこに対応するのか(脳科学)」
👉 「瞑想で本当に変わるのか(科学的証拠)」
👉 「覚醒=脳のどの状態か」
かなり核心に入れます。

人間の脳には設計ミスがあった?

人間の脳には設計ミスがあった?

わたくしたちのこの世界は、新皮質脳がつくり出した世界である。新皮質脳こそ、旧人というより、原人に近かったネアンデルタール人を、現在のホモ・ サピエンスにまで高めた高度の知能の源泉である。

しかし、いまこの世界をみるとき、新皮質脳が大きなミスをおかしていたことは明白である。いま人類がかかえているさまざまな問題核兵器、環境破壊、人種問題、その他、いくつかあるそのどれ一つをみても、この世界が、一触即発、崩壊の危機に直面していることは疑いない。

どうして、こんなことになってしまったのか?

『ホロン革命』の著者、アーサー・ケストラーは、これを人間の脳にミスがあったためだと結論した。そして自殺した。

ケストラーこそ、新皮質脳が生み出した典型天

ヒトを改造する超技術

ケストラーこそ、新皮質脳が生み出した典型的な天才である。この天才の上に、われわれは人類の現在と未来を見ることができる。すなわち、新皮質脳が生み出した人類文明の行きつく先は、自殺である。しかも、それはすぐ目の前に見えている。そういう意味では、アーサー・ケストラーの意見は間違っていなかった。、

だが――、アーサー・ケストラーは早まったのである。人間の脳には、設計ミスなどなかったのである。ハードウエアとしての脳は、完全に設計されていたのだ。ただ、人類がソフトウェアの運用を誤っただけなのである。これが、 人類のすべての不幸の原因だったのだ。

ある。 ソフトウエアの運用を誤ったために、脳はバランスを欠き、バランスを欠いた脳は、バランスを失った不安定で異常なこの世界を生み出してしまったので

このままでは、人類に未来はない。

ヒトを改造する超技術

このとき。

ここにひとつの超技術がある。

ヒトを改造する技術である。

それは、古代において人類が失ってしまった貴重な脳のソフトウエアをとりもどす技術である。

現するだろう。 ホそ・サピエンスこの技術でヒトを訓練すれば、現代人類とはまったく異質な新しいヒトが出

ない。 この新しいヒト属は、いま人類がかかえているあらゆる問題を、一挙に解決してしまうものと思われる。そして全く新しい構造の社会を生み出すにちがい

ヒトを改造する超技術

HA

この新しいヒト属の出現によってのみ、この世界の存続は可能になる。このままでは確実に地球は壊滅する。ホモ・サピエンスには、自分たちをここまで追いつめたいくつかの問題にたいして、なに一つ解決する能力がない。見よ、 混乱の度を高めつつ、しだいに崩壊して行くこの世界の現状を。

まことにアーサー・ケストラーが言った通り驚くばかりの人類の技術的偉業。そしてそれに劣らぬ社会運営の無能ぶり」である。

いま人類がかかえている問題を見てみよう。

殺し合い、奪い合い、憎み合い、傷つけ合い――そして地球上に急速にひろがりつつある有害物質

同じ種属であるヒトどうしが、殺し合い、傷つけ合い、奪い合う。愛し合うべき家族どうしが憎み合い、背き合う。破滅の底に落ちこむと知りつつ、 麻薬に手を出し、アルコールに聡ぶし、犯罪行為に呑みこまれてゆく。 秩序は崩壊し、社会環境は見る見る悪化してとどまるところを知らない。

結局のところ、核と麻薬と環境汚染のこの三つによって地球は壊滅すること

になろう。

これらはいったいどこに原因があるのであろうか?

スウェーデンの博物学者リンネ(Carl Von Linne)は、人間を分類して 「知恵あるヒト」と学名をつけた。

ところが、生理学者のシャルル・リシェは、愚かなヒトホモ・スツルッスと名をつけた。ノーベル賞受賞者のリシェは、その著、『人間――この愚かなるもの」の序文で、人類のかずかずの愚行をつぎつぎとあげ、実にあきれかえったかな動物であるとして、超・愚人類と呼びたいところだが、まあ、最上様の形容詞はがまんして、感人類ぐらいでかんべんしておこうと書いてい

たしかに、ヒトには、この二つの面がある。賢い知恵ある面と、愚かで弱い画と、二つの面がひとつにまざり合っている矛盾した生物が、まさにヒトであるということなのだが、いま、われわれの周囲をながめてみると、ホモ・サビエシスは全く悪をひそめ、ホモ・スツルチッシムスが妖怪のごとく横行してい

殺し合い、奪い合い、憎み合い、傷つけ合い――、

それは次第にエスカレートしてゆく。科学と技術はヒトの力を無限に拡大したが、同時に、ヒトの殺戮と搾取と憎悪と闘争をも無限に増大させた。このま

までは、間もなく、ホモ・サピエンスは絶滅する。

いま、人類に最も必要なものはなにか?

それはヒトの改造である。ヒトの脳の改造だ。

この地上に展開する恐るべき大愚行は、人間の脳に欠陥があるために、知能が低劣で、バランスを欠いているところにある。

いま、人類に必要なものは、科学でもなければ技術でもない。革命でもなければイデオロギーでもない。人種闘争でもなければ階級闘争でもない。そんなものはなんの役にも立たぬ。

何十回、革命を起こしても、何百回、闘争をくりかえしても、人類が現在のような欠陥脇を持つかぎり、それはむなしい儀式のくり返しに下を改造する超技

る。

殺し合い、奪い合い、憎み合い、傷つけ合い―――、

さつりくさくそれは次第にエスカレートしてゆく。科学と技術はヒトの力を無限に拡大したが、同時に、ヒトの殺戮と搾取と憎悪と闘争をも無限に増大させた。このままでは、間もなく、ホモ・サピエンスは絶滅する。

いま、人類に最も必要なものはなにか?

それはヒトの改造である。ヒトの脳の改造だ。

この地上に展開する恐るべき大愚行は、人間の脳に欠陥があるために、知能

が低劣で、バランスを欠いているところにある。

いま、人類に必要なものは、科学でもなければ技術でもない。革命でもなければイデオロギーでもない。人種闘争でもなければ階級闘争でもない。そんなものはなんの役にも立たね。

何十回、革命を起こしても、何百回、闘争をくりかえしても、人類が現在のような欠陥品を持つかぎり、それはむなしい儀式のくり返しに過ぎ

 

ヒトを改造する超技術

若ものよ。

君たちはなぜこれに視線を向けぬのだ。

なぜ、君たちは、この、地上いまだかつて比類なき壮大にしてドラマチックな革命に情熱をたぎらせぬのだ。

未来社会があるとすれば

教育?

それは無力である。

それは知能それ自体を高めるものではなく、ただ、知識をひろげるだけのものに過ぎない。

教育は、ただ、その人の本来持っているところの知能によって知識をひろげるだけであり、知能そのものを高めはしない。知能を高める技術とは、ものを

教え、ものをおぼえさせることではなく、おぼえる能力、理解する能力そのものを高めるシステムでなければならない。知能の低い愚かな者はいくら教育したって効果はない。愚者に教育はまったく無力だ。愚者を賢人にするためには特別の技術がなければならぬ。

宗教? それは知能ひくき者たちの愚行をなんとか良心に訴えて思いとどめさせようとするブレーキに過ぎず、知能を高めるためのなんの力も技術もない。念仏をとなえ、題目を高唱し、経典、教学をそらんじ、神のみ名を呼んでも、それで、 心の安らぎ、なぐさめ、信念、というたぐいのものは得られても、知能そのものが高くなるということはない。

最高度に進化発達した知能を持つ未来社会に、宗教という特別な分野はなくなるだろう。高度の知能は高度に発達した倫理観、道徳意識をともなうから、 現在の宗教や、宗教家などが説いている教えなど、まったく低俗な、次元の低い幼稚なものとしてかえりみられず、宗教意識はごくあたりまえの常識になっ

ヒトを改造する超技術

てしまって、ことさらにカミやホトケを念ずることなどなくなるだろう。つまり――、ヒトが、カミ、ホトケとひとしくなるのである。

そういう未来社会が、すぐ足もとに来ていることに、君は気づくべきだ。

今までとは全く構造の変わった社会体系があらわれようとしていることを、

君は知らねばならぬ。

君はそれを疑うのか?

では言おう。

限界に達した。 もしも、そういう高度の知能が出現しないかぎり、この世界は間もなく終わるだろう。ホモ・サピエンスが今のような欠陥脳を持ち、現在の知能水準であるかぎり、もはや、ヒトに未来はない。ホモ・サピエンスの文明はすでに

だから、未来社会があるとすれば、どうしてもそれは、極度に高度な全く新しい社会でなければならないのだ。

その社会に、君は生き残れるか?

 

超・ヒト脳発達度係数三・九

もう間もなくやって来る未来社会で、人類は二つの種属にわかれるだろう。 それは、二つの民族でもないし、二つの階級でもない。二つの種属である。

そうして、その二つの種属は、しばらくのあいだ共存するけれども、間もな

くその一方はおとろえ、急速にこの世界からすがたを消して行くだろう。

そういうと、人類が二つの対立を示すのは、なにも未来社会にかぎったことではなく、いまだってそうではないかと、いくつかの例をあげる人がいるかもしれない。

たしかに、それは、有色人種と白色人種、自由社会と共産圏社会、富める者と貧しき者、支配する者とされる者、というように、いくつか、かぞえることができるだろう。

だが、ちがうのだ。

だが、ちがうのだ。

そういう分類とはまったく異質の区分が、ごく近い将来、われわれの世界にあらわれようとしている。そういう動きが、すでに現在起ころうとしている。

それは、二つのヒト属である。

あたらしい人類とふるい人類―――。

がふるい人類だ。 ひとつは普通の現代人、ホモ・サピエンス (Homo sapiens)である。これ

もうひとつは、特殊な能力――バランスのとれた高度の脳を持った未来人、 ホモ・エクセレンス(Homo-excellens)である。つまり、新しい人類だ。

ホモ・エクセレンスとは、ホモ・サピエンスが持たない特別な能力を身につけた「優秀なるヒト」という意味である。ある人たちは、この未来人に、ホモ・インテリゲンス(聡明なるヒト)という名をつけている。

では、この優秀なる未来人、ホモ・エクセレンスは、どういう特殊な能力を持っているのか?かれの持ついくつかの特長をあげてみよう。

「未来の機属、超・ヒトは、おそらく三・九という筋発達度係数を持つだろ

と、世界的に著名な人類学者、バリ大学のジョルジュ・オリヴィエ教授は、 その者「ヒトと進化、過去現在そして未来」の中で、こう語りはじめる。

こういうきわめてすぐれた生物の能力を、それよりはるかに劣ったわれわれ

が、あれこれいうことはできないが」とかれは断った上で、

「とにかく、この超・ヒトの知的能力は辛うじて想像することができる。

それは、たとえば、

1、第四次元の理解

2、複雑な全体をとっさに把握する能力

3、第六感の獲得

4、無限に発展した道徳意識の保有

20

などである。 5、とくにわれわれの悟性には不可解な精神的な特質

ヒトを改造する超技術:

わたしは、脳発達度係数三・九を持つ生き物のかたちや、すばらしい知能

と述べている。 や、われわれにはとうてい理解できない行動がどんなものであるかは、想像力のゆたかな人達にまかせることにする。われわれがメクラであるのに対して、われわれの後継者たちは千里眼の持ち主なのだろうから―――」

オリヴィエ教授は、出版社の紹介文によると、『パリ大学理学部人類学教授であり、人類学、解剖学のかず多い論文のほかにいくつかの著書を持ち、その中でも『人類学的解剖学』はフランス学士院賞を受けた。自己の専門分野の研究に多くの業績をあげているばかりでなく、若い研究者の育成にも心をそそぎ、 フランス人類学の名実ともにすぐれた指導者である」と記されている。

まさに、当代一流の科学者であるといわねばならない。

るのである。 その科学者が、未来人ホモ・エクセレンスの出現を、このように予告してい

著者が、なんの根拠も持たず、ただいたずらに鬼面ひとをおどろかす筆を

しているのではないのだ。それはかならずやって来る。

では、そのホモ・エクセレンスは、いったいどこから、いつ、やって来るのであろうか?

授は言う。 未来人、ホモ・エクセレンスの到来は、歴史の必然である、とオリヴィエ教

では、人類の歴史をたどってみよう。

年ちかくつづく。 まずあらわれたのは、オレオビテクス、ラマビテクスから進化してきたオーストラロピテクス(人)であった。が、しばらくして、ピテカントロプス・ エレクトス(原人)がこれにとってかわった。しかし、間もなく、ネアンデルタール人(回人)がやってきて、そのあとを継ぎ、彼らの時代はおよそ一〇万

けれども、今から四、五万年ほど前、かなり進んだ知能を持つクロマニョン人(新人)が出現すると、彼らは急速に姿を消して絶滅してしまった。しかし、 そのクロマニョン人も、今から一万年ほど前に、オーストラロイド(ジャ

モンゴロイド(中国)、ネグロイド(アフリカ)、コーカソイド(ヨーロッパ)と

いうあたらしい現世人類の種の中にあわただしく消滅してしまった。これは、 歴史のごく表面にあらわれているだけの事実で、このほかにも、いくつかの知れるヒト・属、あるいはその分枝が、無数にあらわれ、歴史をつくる間もなく消滅していったと考える学者はかず多い。

ある岩石な学者は、ひとつの種の寿命は一〇〇万年だと語り、ホモ・サピエどスは出現以来、間もなくこの年齢に達するはずだという。そうして、オリヴ 「エ枚もまた、「いま、われわれが、われわれの後継者である次の人類のことを考えるのは、まったく筋みちの立ったことである」といっているのだ。

だが――。それではいったいその新しいヒトは、いつあらわれるのか? 一

〇〇年先? 二〇〇年? それとも一〇〇〇年?

こう言うだけである。 それについて、オリヴィエ教授は、はっきりとした時期を明言しない。ただ

「未来のヒトは間もなく不意に来ることになる」

と。 また、どのようにして出現するかも明言しない。ただ進化の上に立って必

ず出現する、というのみである。

「なあんだ。どうせそんなことだと思ったよ」

とあなたは嘲笑を浮かべながら言うかも知れない。

だいたい、ホモ・サピエンスの次の人類なんて、それはちょうどあの太陽が

いつか燃えつきてしまうぞ、というのと同じことで、空想ではないにしても、 おそらくそれは天文学的数字のはるか未来の出来事に属することで、そんな心配をしているほどわれわれはヒマ人ではないよ、とあなたは言うかも知れない。

しかし、あなたはその嘲笑をひっこめなければならない。ホモ・サピエ

え? 本当? シスの次に現われるべき新しいヒト、ホモ・エクセレンスは、進化の法則の上に立って、すでに、この地上に姿を現わしていたのである。

どあなたはおどろき、今度は疑惑の表情を顔いっぱいに浮かべて、決して信

 

HA

に)を改造する超技

じようとはしないかも知れない。

だが――、それは本当なのである。

では、いつから?

いつからだとあなたは思うか?

さあ、わからない。

わからないはずはないのだがね。あなたはその人たちをすでに知っているはずなのだ。

しかし、そう言われたってわからない。

よろしい。では言おう。二○○○年も以前に、その人たちはこの地上に姿をあらわしていたのだよ。ただし――、まことに残念なことなのだが、その後継者たちは間もなく絶えてしまった。そして、そのあとに、新しいヒト、ホモ・ エクセレンスをつくり出す技術のみが残されていたのである。

ホモ・エクセレンスの資格ライセンス

ここにひとつの技術がある。ホモ・エクセレンスをつくり出す超技術である。

この技術によって訓練すると、ヒトはだれでもいくつかの超人的な力を持つようになる。

その力をあげてみよう。

一、極度に発達した知能――いちど目にふれ、いちど耳にしたことは、ぜったいに忘れることのない記憶力。どのように複雑な構造でも組織でも、瞬間的に分析し、推理し、理解して、本質を把握してしまう演繹と帰納の力。 夫んえき

コトバという間接思考を経ない純粋思考から発する超飛躍的な創造力。

それは、ヒトの平均知能を一・○とするならば、おそらく、二・五から三・五に達するであろう。このグループの最高の頭脳は、やすやすと四次

ヒトを改造する超技術

元を理解する。

ら来る。 二、感覚器官の増幅かれは、不可視光線(赤外線・紫外線)を見ることが出来、超音波を聞くことが出来る。そしてその超常感覚と高度の知能の結合から来る予知力。それらは、自分の肉体を思うままに統御する能力か

三、環境の制御と創造思うままに自分を変え、他人を動かし、集団や環

境を、自分の理念の通りに創造して行く。

四、物質を超え、物質を自由に統御する力。

五、輝くばかりの霊性にあふれた特殊な個性。そこから生ずる無限に発達した道徳意識。

少し敏感な人にはすぐに感じられる霊光にふちどられた崇高な顔立ち、 かれに接しただけで、人は崇敬の念をいだく。

以上、これがヒトを改造する超技術のあたえる能力である。

これを、前の項でのべたオリヴィエ教授の未来人、ホモ・エクセレンスの持

つ能力とくらべてみたらどうであろうか?

それはおどろくほど酷似している。

しかし、また全く違うところもある。それは、五である。この、五の能力こそ、ホモ・サピエンスに欠けている最も大切な資質であったのだ。ホモ・エクセレンスは、進化の過程の或る一点で、これを失ったため、人類は破滅の道を歩むようになったのである。しかし、本来、ヒトはこれを持っていたのである。 この人間改造の技術の特徴は、この五の資質の回復であった。他の四つの能力は、この回復の訓練の間に、おのずと生ずる能力なのである。

もう一つの脳があった

人類は、これまで三つの脳を使ってきた。

古皮質、旧皮質、新皮質、である。

生理学者、ペイプス・マクリーンは、これについて、こう論じている。

「人類は苦悩している。自然は人類に三つの話を授けたが、それらは構造が

なろうか。 ひどく異なるにもかかわらず共に機能し、たがいに通じ合わなければならないという代物だ。この三つの話のうち最古のものは基本的に爬虫類の脇であり。二番目が下等乳類から受け継いだ話である。そして三番目は後期哺乳類から発達した筋で、それが、人類を異様に「人類的」にしてきたのである。 「気の話の中に三つの島が共存する状態を寓話に説くなら、つぎのように

精神が患者に診察台に横になるように命じる。じつはかれは患者にワニやクマと並んで寝ろと要求しているのだ」

アーサー・ケストラーは、『ホロン革命」でこの文章を引いて、つぎのようにオべている。

「ベイプス・マクリーンのこの論文は患者を人類全体に、精神医の診察台を歴史の舞台にそれぞれ置き換えてみれば、そこにグロテスクだが真の人類の

その通りである。ワニピクアが、ヒトの駆の中に同居して、人間をかしいので、時に、狂気としか思えないような矛盾きわま続くのは、このためにほかならない。これが、人類をして破る。たしかにその通りだ。

あではないかりちょっと考えてみよう。また、大いに考えてみる必要があ

ほんとうにそうなのだろうか?

人気とはそんな矛盾さわまる欠陥生物だったのだろうか?

もしそうならば、人類の未来には絶望あるのみではないか。カミもホトケもない、ホモ・サピエンスは、混乱とどのうちに電ぎもがきつつ消滅してゆくしかないではないか。

ほんとうにそうなのか?

早まってはいけないのである。

人類とは、決して、ただそれだけの、そんな欠陥生物ではなかったのである。

を一つしていたのだ。 これまでの大脳生理学はまちがっていたのだ。すくなくとも大きな見落とし

もう一つ、脳があったのである。

ヒトはもう一つの脳を持っていたのだ。ただ、或る時点でそれを使うことを止めてしまった。そのため、その脳は萎縮し退化してしまって、その機能を失ってしまったのである。

たのである。 その機能は、ヒトにとって非常に大切な、いや、なによりも大切なものだっ

その機能を失ったために、ヒトは欠陥生物となってしまったのだ。

この超・ヒトをつくる技術とは、その退化し、失われたものを取り返す技術である。これから人類が進化してはじめて持つものではないのである。このことはこの上なく重要なことである。この未来人、ホモ・エクセレンスは、これ

未開待期明法秘例

から先、長い時間をかけて進化の結果あらわれて来るのでもないし、突然変異体としてフランケンシュタインの怪物のごとく登場するのでもない。それはひとつの特殊な人間開発技術により、ホモ・サピエンス自身が変身するということである。だから――、それは、ほかならぬあなた自身であるかも知れないのだ。なぜならば、それは、あなた自身の中にあるものを発掘し開発するのだかミュータン

よくけん

復原された秘密技術

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