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文殊菩薩

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文殊は文殊師利(もんじゅしり)の略称。また妙吉祥菩薩(みょうきっしょうぼさつ)などともいう。曼殊室利等とも音写し、妙徳菩薩(みょうとくぼさつ)、妙首菩薩などとも訳す。文菩薩とも書く。三昧耶形は青蓮華(青い熱帯睡蓮の花)、利剣、梵篋(椰子の葉に書かれた経典)など。種字はマン (मँ maṃ) 。

文殊菩薩

智慧を司る学問の神様として有名な菩薩

文殊菩薩(もんじゅぼさつ)とは?

正式名称は文殊師利菩薩(もんじゅしりぼさつ)といいます。「三人よれば文殊の知恵」という格言があるように、知恵の神様として学業向上や合格祈願に有名な菩薩です。モデルとなった人物が存在し、古代インドにあるコーサラ国の首都・舎衛国(しゃえこく)のバラモン階級の者だったといわれています。仏教の経典を書物にまとめる作業などに関わったといわれていますよ。ただし、本来は学問などの知恵を司るのは虚空蔵菩薩であり、文殊菩薩は物事のあり方を正しく見極める力・判断力を意味する「智慧」を司っています。

釈迦如来の左脇侍として普賢菩薩と共に三尊で並ぶことが多いですが、独尊で祀られることもあります。

ご利益

智慧明瞭、学業成就のご利益があるとされています。また、卯年の守り本尊です。卯年に生まれた人々の開運、厄除け、祈願成就を助けるといわれています。

文殊菩薩(もんじゅぼさつ)の像容

左手に剣と右手に経巻を持ち、獅子の上に置かれた蓮華台の上に座るのが一般的です。梵篋、金剛杵を立てた蓮台などを持つこともあります。

有名寺院と像

・奈良県:安倍文殊院

文殊菩薩(もんじゅぼさつ)の真言

オン・アラハシャ・ノウ

文殊菩薩(もんじゅぼさつ)は、

釈迦如来の脇侍を務める「智慧」を司る菩薩で、その知恵を象徴する「知剣」と経典を持つ姿で表されます。特に「三人寄れば文殊の知恵」ということわざで知られ、学業向上や合格祈願の対象としても広く信仰されています。また、獅子に乗っている姿で描かれることも多く、これは獅子が智慧を象徴するためです。 

ご利益・役割
  • 智慧の象徴: 人々を正しい方向へ導く「智慧」をつかさどっています。 
  • 学業成就・合格祈願: その智慧の働きから、学業の向上や合格祈願のご利益があるとされています。 
  • 釈迦三尊の役割: 普賢菩薩とともに釈迦如来の脇侍となり、釈迦如来の「頭脳」として仏教を活かすための智慧を司るとされます。 
特徴的な姿
  • 右手に知剣: 煩悩を断ち切る智慧の象徴として、右手に利剣(知剣)を持ちます。 
  • 左手に経典: 左手には経典を乗せた青蓮華を持つ姿が多く見られます。 
  • 獅子に乗る: 知恵を象徴する獅子の背中に乗って現れる姿が特徴的です。 
  • 五つの髻(もとどり): 時に子どもの姿で表され、五つの髻(髪をまとめたもの)を結っていることもあります。 
名称の由来
  • 文殊」は「文殊師利」の略称です。 

小説風大日如来

小説風大日如来 ――宇宙を包む仏の物語

ある旅の僧が、深い山の奥の伽藍にたどり着いた。
堂の中央には、豪奢な宝冠をいただき、光をまとった仏が静かに座していた。

「これが……大日如来か」

その姿は、ほかの如来とは異なっていた。装飾を避け、質素な姿で表されるはずの如来が、なぜか宝飾をまとい、髪を結い上げている。その理由を僧は師から聞いていた。

「大日とは、大いなる太陽の意だ。
宇宙そのものを現し、すべての命の根本に座す仏……毘盧舎那のさらに深き姿である」

大日如来には二つの相があるという。
ひとつは、金剛界大日如来。智慧を象徴し、砕けることのないダイヤモンドのように揺るぎない光を放つ仏。印相は、左の人差し指を右の掌で包み込む智拳印。
もうひとつは、胎蔵界大日如来。母胎のようにすべてを抱き込む慈悲を象徴し、両手を組み合わせて定印を結ぶ。

僧は思った。
――太陽が遠くにありながら、誰もがその温もりを身近に感じられるように、大日如来もまた遥かでありながら、すべてを包んでいるのだろう。

師の言葉が心に響く。
「大日如来は遠き存在ではない。そなたの胸の内にも仏性は息づいている。それに気づけばよい。密教の即身成仏とは、まさにそのことだ」

僧は合掌し、真言を唱えた。
「オン バサラ ダトバン……」
「オン アンビラ ウンケン……」

その瞬間、堂を満たす光は、ただ外に在るのではなく、自らの内にも広がっていることに気づいた。

太陽が命を育み、世界を温めるように、大日如来の慈悲は絶えず流れ続けている。
迷いに沈むときも、悩みで道を見失うときも、この仏は正しき方向を示してくださる。

僧は静かに目を閉じた。
宇宙の原理は変わることなく、真理は常にそこにある。
大日如来の光は、今もすべての生きとし生けるものを照らし続けていた。

山を下り、里へ戻った修行者のもとに、
ある夕暮れ、一人の母が幼子を抱いて訪れた。
子は痩せ細り、微かな呼吸を繰り返している。
母の眼は涙に濡れ、声は震えていた。

「尊き方よ……私は毎夜、仏へ祈りました。
どうかこの子の苦しみを取り去ってくださいと。
けれども願いは届かず、この子はなお病に伏しています。
仏は……仏は、私を見捨てられたのでしょうか」

堂の灯火は静かに揺れ、修行者はしばし瞑目した。
そしてやわらかに口を開く。

「母よ。
大日如来の光は、遠い空の果てにあるのではない。
あなたがその子を抱きしめる、その温もりのうちにこそ宿っているのです。
その小さな手のぬくもりも、胸の鼓動も、
仏の慈悲の顕れにほかなりません。」

母は嗚咽しながら子を見下ろした。
病の影はなお濃く、苦悶は去らぬ。
けれども、確かに小さな掌が母の衣を握り、
かすかな息が母の胸を押し上げている。

母の心に、静かな声が響いた。
――「生きている。いまここに、この命がある。」

「この子の命も……仏の光なのですね」
母は涙の中で囁いた。

修行者は頷き、両手を合わせた。
「オン・アビラ・ウンケン……」
真言の響きが堂に満ち、
母子を包む灯火は、やわらかに揺れながら光を増してゆく。

母の涙は止まらなかった。
しかしその涙は、絶望のものではなく、
慈悲の海に抱かれた安らぎの涙であった。

こうして母子は、再び歩みを始める力を得た。
そして修行者は心に刻んだ。

「大日如来は遠き彼方にあらず。
人と人とが寄り添う、その愛の中にこそ、永遠に光り続ける。」

 

 

 

額の中心あるアジャーニ、チャクラなに、
若い頃、師よりタッチを受けた。
それが、ずずつつ、分かり掛けました。