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仏教

えびす様と大黒天 Gods of Fortune and Prosperous Trade

 

 

えびす様と大黒天

Gods of Fortune and Prosperous Trade

― 財運と商売繁盛の神 ―

夕焼け町に 赤提灯
古い祠で 神が笑う
潮の香りと 土の息
今日も静かに 日が暮れる

Namu Ebisu Taijin
Ong Makakyalaya Sowaka

 

取ってくる福と 育てる福が
肩を並べて 見守ってる
網を投げ 田を耕し
福はいつも この手の中

Namu Ebisu Taijin
Ong Makakyalaya Sowaka

At sunset, red lanterns glow in town
In an old shrine, the gods softly smile
The scent of the sea, the breath of the earth
Another quiet day comes to rest

Namu Ebisu Taijin
Ong Makakyalaya Sowaka

The fortune that’s gathered, the fortune that’s grown
Standing together, watching us all
Casting the net, turning the soil
Blessing is always within these hands

Namu Ebisu Taijin
Ong Makakyalaya Sowaka

 

 

えびす様(恵比寿)と大黒天様

 

 

えびす様(恵比寿)と大黒天様
財運と商売繁盛の神

 

夕暮れの商店街に、赤提灯が一つ、また一つと灯りはじめる頃だった。

古い木造の店先に、小さな祠がある。
その中で並んで微笑んでいるのが、恵比寿と大黒――二柱の福の神である。

恵比寿は、片手に釣竿、もう片方に鯛を抱え、少し不器用そうな笑顔を浮かべている。
海の匂いをまとったその姿は、もともと漁師たちの祈りの中から生まれた神だった。
網を投げ、潮を読み、今日の糧を願う――その素朴な願いが、やがて市へ、町へと広がり、
いつしか「商いの神」として人々の暮らしに根を下ろしていった。

彼は、日本の土と海から生まれた、ただ一柱の国産の福神だと言われている。
異国の神々が海を越えてきた中で、恵比寿だけは最初からこの島国にいた。
失敗しても笑われ、遅れても怒られず、それでも最後に福をもたらす――
そんな“人間くささ”が、人々の心を離さなかった。

その隣で、どっしりと座るのが大黒天である。

大きな袋を背負い、打ち出の小槌を手にしたその姿は、
いかにも財福の神らしいが、彼の来歴は静かではない。

遠くインドで「マハーカーラ」と呼ばれた破壊と守護の神。
闇と時間を司り、すべてを壊し、すべてを生み出す存在。
その厳しい神格は、中国を経て、日本に渡るうち、
この国の大地神・大国主命と重なり合い、姿を変えていった。

破壊は再生となり、恐怖は恵みへと姿を変えた。
米俵の上に立つ大黒天は、五穀の実りと、働く者の努力を祝福する神となったのだ。

やがて町が生まれ、市が立ち、商いが人々の命を支えるようになると、
海の恵みをもたらす恵比寿と、土と財を司る大黒は、
自然と並んで祀られるようになった。

「取ってくる福」と「育てる福」
「流れの中の幸運」と「積み重ねの豊かさ」

二柱は、競うことなく、役割を分け合うように微笑んでいる。

祠の前を通る人々は、深くは考えない。
ただ手を合わせ、商売の無事を、家族の安寧を、明日の暮らしを願う。

その素朴な願いこそが、
恵比寿と大黒を、七福神の中心に据え続けてきた。

福とは、突然降ってくる奇跡ではない。
海に網を投げ、田を耕し、店の暖簾を毎朝かける――
その日々の営みの中に、そっと宿るものなのだ。

だから今日も、二柱は並んでいる。
変わらぬ笑顔で、人の暮らしのすぐそばに。

 

大勢至 ― 智慧の光が来るとき Mahāsthāmaprāpta —

 

 

大勢至 ― 智慧の光が来るとき

Mahāsthāmaprāpta —

 

 

夕暮れが金にほどける 堂の静寂の中
動かぬ慈悲の前で 膝を折る影ひとつ
雷ではなく 夜明け前の光
名もなく胸に差す 見えない灯

Namosattanan
sanmyaksanmodaktinan
taniyata
on shaley shurei juntei
sowaka

On Sanzanzansaku Sowaka

सन्जान्जान्साकु सोवाका पर

 

迷いを断つ剣ではなく、
迷いを照らす灯を点す音。

「宇宙の真理と一体となり、
三世・三毒を照らす大いなる智慧よ、
迷いを断ち、正しい行いを成就させよ。
その智慧が、ここに確かに現れますように。」

 

答えはいらない ただ見えるように
迷いの中で 正しさを照らせ
進むためじゃない 正しく進むため
智慧の光が いま来る

Namosattanan
sanmyaksanmodaktinan
taniyata
on shaley shurei juntei
sowaka

 

At dusk, gold dissolves into the temple’s stillness
Before unmoving mercy, one shadow kneels
Not thunder tearing the world apart
But a nameless light, before dawn, piercing the heart

Namosattanan
sanmyaksanmodaktinan
taniyata
on shaley shurei juntei
sowaka

On Sanzanzansaku Sowaka

सन्जान्जान्साकु सोवाका पर

 

迷いを断つ剣ではなく、
迷いを照らす灯を点す音。

「宇宙の真理と一体となり、
三世・三毒を照らす大いなる智慧よ、
迷いを断ち、正しい行いを成就させよ。
その智慧が、ここに確かに現れますように。」

No answers needed — only clearer sight
Let righteousness be lit within the doubt
Not to move forward, but to move in truth
The light of wisdom comes, here and now

Namosattanan
sanmyaksanmodaktinan
taniyata
on shaley shurei juntei
sowaka

勢至 ― 迷いを照らす灯

勢至 ― 迷いを照らす灯

堂内は、夕刻の光に満たされていた。
赤でも金でもない、名づけようのない色が、静かに壁をなぞっている。

青年は、阿弥陀三尊の前にひとり座していた。

中央に坐すのは、動かぬ慈悲――阿弥陀如来。
その右に、観音菩薩。
そして左に、合掌し、まなざしを伏せた菩薩がいた。

勢至菩薩。
正しくは、大勢至菩薩と呼ばれる。

その光は、世界を押し分ける力ではない。
剣のように迷いを斬るものでもない。
ただ、智慧の光として、すべてを照らす。

智慧とは、知識ではなかった。
まして答えでもない。
物事のあり方を、あるがままに見極める力――
勢至の光は、人の判断の奥に、そっと届く。

大勢至は、独りで祀られることは少ない。
必ず、観音とともにある。
慈悲と智慧が並び立つとき、はじめて浄土の道は開かれるからだ。

来迎の姿において、
観音は亡き者を蓮台に乗せ、
勢至は合掌し、ただ祈る。

その姿は立ち、坐し、
ときに、ひざまずく。
救うためではない。
正しく歩ませるために。

火に追われ、
血に縛られ、
刃に怯える。

火途・血途・刀途。
争いと迷いが渦巻く世界で、人は「正しさ」を失う。

勢至は、そのただ中に立つ。
水瓶を携え、智慧の水を満たしながら。
怒りを鎮め、判断を澄ませるために。

青年は、胸の奥でそっと真言を唱えた。

オン・サンザンザンサク・ソワカ。

それは願いではなかった。
力を求める声でもない。

――迷いを断つ剣ではなく、
迷いを照らす灯を点す音。

音は、外には響かなかった。
ただ、内側で静かに灯る。

宇宙の真理と一体となり、
過去・現在・未来を貫き、
貪り、怒り、愚かさを照らす智慧よ。
この身の行いを、正道へと導け。

唱え終えたとき、
青年は気づいた。

何かが解決したわけではない。
だが、次にどう振る舞うべきかが、
不思議なほど明らかだった。

午年に生まれた者を守るというのも、
勢いある者ほど、迷いに踏み込むことを、
勢至が知っているからなのだろう。

進む力は、すでに人は持っている。
必要なのは、進み方を誤らぬ智慧。

堂の静寂の中、
青年はそっと目を閉じた。

救われたという感覚ではなかった。
ただ――

「見えるようになった」

その瞬間、
大勢至菩薩の光は、すでに役目を果たしていた。

勢至菩薩 偉大な智慧の光を持つ菩薩

勢至菩薩

偉大な智慧の光を持つ菩薩

勢至菩薩(せいしぼさつ)とは?

正しくは大勢至菩薩といいます。智慧の光ですべてのものを照らし、人々を迷いや苦しみから救うとされています。大勢至菩薩と表記されることもあります。智慧とは物事のあり方を正しく見極める力・判断力を意味します。

 

阿弥陀如来の右脇侍として観音菩薩と共に三尊で表され、独尊で祀られることはほとんどありません。

 

浄土信仰の高まりとともに流行する来迎形式の阿弥陀三尊の場合、観音菩薩が死者の霊をのせる蓮台を持ち、勢至菩薩が合掌をする姿でつくられます。その姿勢は、立像・坐像のほかにひざまずいた姿の跪像もみられます。

ご利益

智慧明瞭、家内安全、除災招福のご利益があるとされています。午年の人々を守る守護本尊であり、午年に生まれた人々の開運、厄除け、祈願成就を助けるともいわれています。

勢至菩薩(せいしぼさつ)の像容

手を合わせているか水が入っている水瓶(すいびょう)を持っている姿が一般的です。

有名寺院と像

・京都府:清水寺
・奈良県:法隆寺

勢至菩薩(せいしぼさつ)の真言

オン・サンザンサク・ソワカ

勢至菩薩

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
勢至菩薩

勢至菩薩像
(ケルン市東洋美術館蔵)
勢至菩薩
梵名 マハースターマプラープタ
別名 大勢至菩薩
大精進菩薩
得大勢菩薩
経典 仏説観無量寿経
関連項目 阿弥陀如来観音菩薩
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勢至菩薩(せいしぼさつ)、梵名マハースターマプラープタ (महास्थामप्राप्त [mahāsthāmaprāpta])は、仏教における菩薩の一尊。「大勢至菩薩」、「大精進菩薩」、「得大勢菩薩」の別名がある。現在日本では年の守り本尊、十三仏一周忌本尊として知られている。三昧耶形は未敷蓮華(ハスの蕾)。種子(種子字)はサク(सः saḥ)。

概要

阿弥陀三尊の右脇侍。 『観無量寿経』の中には「知恵を持って遍く一切を照らし、三途を離れしめて、無上の力を得せしむ故、大勢至と名づく」とあり、火途・血途・刀途の三途、迷いと戦いの世界の苦しみから知恵を持って救い、その亡者を仏道に引き入れ、正しい行いをさせる菩薩とされる[1]

薬師如来本願功徳経では、八大菩薩[2]の一尊である。

四国八十八箇所霊場十三仏では第53番札所の須賀山圓明寺朱印がもらえる。京都十三仏霊場では第9番札所の大内山仁和寺

像容

日本では、勢至菩薩が単独で信仰の対象となることはきわめてまれで、多くは阿弥陀三尊の脇侍として造像された。観音菩薩が宝冠の前面に化仏を表すのと対照的に、勢至菩薩の場合は水瓶を付けることが多い。来迎形式の阿弥陀三尊では、観音菩薩が蓮台を捧げ持つのに対して、勢至菩薩は合掌する姿で表される。

中世では、長野善光寺如来(善光寺式阿弥陀三尊)の摸刻像が盛んに造られるようになるが、この時は、観音と勢至の二菩薩は、胸前で両手を合せる姿で造形される。

 

勢至菩薩は、智慧の光で人々を苦しみや迷いから救い、学業成就、厄除け、開運、決断力向上などのご利益があるとされる菩薩様で、特に**阿弥陀三尊の脇侍として観音菩薩と共に信仰され、「サク」**の梵字で表され、午年の守り本尊です。その強力な智慧の力は、煩悩を克服し、仏道修行を助ける力としてスピリチュアルな意味合いを持ちます 
勢至菩薩のスピリチュアルな特徴
  • 智慧の光: 智慧の光で一切の闇を照らし、迷いを断ち切る力。
  • 力強い守護: 足を踏み下ろすと大魔王の宮殿が揺れるほどの力(大勢至)を持ち、悪を退け善を護る。
  • 意志の力: 観音菩薩の慈悲に対し、勢至菩薩は意志(力)の象徴。
  • 念仏行者の守護: 阿弥陀如来の教えを実践する念仏行者を守る。 
主なご利益と関連分野
  • 学業・仕事: 学業成就、頭脳明晰、決断力向上。
  • 開運・厄除け: 除災招福、厄除け、心願成就。
  • 精神面: 精神統一、煩悩克服、心の平穏。 
信仰のポイント
  • 阿弥陀三尊

 

 

 

**勢至菩薩(せいしぼさつ)**は、阿弥陀如来の右脇侍(わきじ)として観音菩薩と共に登場する仏で、「智慧の光」で衆生の迷いや苦しみを救い、正しい見極めと判断力を与える菩薩です。名前は「偉大な力を持つ者」を意味し、大地を踏みしめると揺れるほどの力を持つともされ、午年生まれの人の守り本尊(守護本尊)としても知られ、知恵授与や開運・厄除けのご利益があるとされます。 
特徴と役割
  • 阿弥陀三尊の一尊: 阿弥陀如来(中央)、観音菩薩(左脇侍)、勢至菩薩(右脇侍)で一組となることが多いです。
  • 「智慧」の象徴: 観音菩薩が「慈悲」を司るのに対し、勢至菩薩は「智慧」を司り、その智慧の光で一切を照らします。
  • 姿: 宝冠(ほうかん)に水瓶(みずがめ)を乗せているのが特徴で、水瓶には智慧の水が入っているとされます。合掌している姿や蓮華(れんげ)を持つ姿もあります。
  • ご利益: 智慧の光で迷いを払い、悟りへ導く力を持つため、学業成就、家内安全、除災招福、厄除け、開運などにご利益があります。 
名前の由来
  • 「智慧の光が遍く(あまねく)一切を照らし、三途(さんず:地獄・餓鬼・畜生)の苦しみから離れさせる無上の力を得た」ことから「大勢至(だいせいし)」とも呼ばれます。 
信仰
  • 午年の守り本尊: 午年(うまどし)に生まれた人の守り神であり、その年の運気上昇や厄除けの対象です。
  • 法然上人との関係: 浄土宗では、法然上人が勢至菩薩の化身であるとされ、幼名を「勢至丸」と名乗っていたことからもその信仰が深いです。