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仏教

脳の開発 ― Brain Awakening — Fire of Tathāgata —

 

脳の開発 ―
Brain Awakening —

Fire of Tathāgata —

 

雪あかり 障子を染め
息は細く 闇に溶け
声なき声 胸を撃つ
法の火が 今灯る

Namosattanan
sanmyaksanmodaktinan
taniyata
on shaley shurei juntei
sowaka

燃やせ tapas 内なる核を
打たれても 離すな剣を
王者の相承 火となれ
脳よ開け 覚醒の門

Namosattanan
sanmyaksanmodaktinan
taniyata
on shaley shurei juntei
sowaka

Snowlight stains the paper screen,
Breath grows thin, dissolves in night.
A voiceless call strikes through the chest,
The Fire of Dharma comes alive.

Namosattanan
Sanmyaksanmodaktinan
Taniyata
On shaley shurei juntei
Sowak

Burn, O tapas, ignite the core within.
Even when struck, never drop the sword.
Let the Sovereign Transmission blaze as flame.
O brain, awaken — open the Gate of Enlightenment.

Namosattanan
Sanmyaksanmodaktinan
Taniyata
On shaley shurei juntei
Sowaka

――脳の開発――  霊界の法の世界にて

 

――脳の開発――

霊界の法の世界にて
夜は深く沈み、雪あかりが障子越しに青白く揺れていた。
青年は静かに坐している。背筋はまっすぐ、呼吸は細く長い。
その内奥に、言葉なき声がひびいていた。
法の完成者――タターガタ。
すなわち 釈迦如来 と呼ばれる覚者の境地。
それは姿ではない。
音でもない。
象徴ですらない。
ただ、思念の王者の相承

法身の覚者が、媒介なく心を心へと伝える。
言葉も、形も、時間さえも越えて。
その瞬間、青年の胸奥に震えが走った。
それは思想ではない。
理解でもない。
パワーだった。
霊的バイブレーション。
間脳の奥、原初の核がかすかに震える。
――これが「王者の相承」。
直接伝達。

完成は瞬時に起こる。
だが。
青年は知っていた。
それは理想であって、容易ではないことを。
次に現れたのは象徴だった。

曼荼羅の幾何学。
マントラの振動。
色彩、音、印契。
それは持明者の相承。
象徴とは、圧縮された宇宙である。
一音に無限が畳み込まれている。
青年の新皮質が静かに目覚める。
意味を読み取ろうとする知性が働きだす。
だが、これは論理では届かぬ領域だ。
純粋な心で実相を見る者――
持明者だけが、象徴を“展開”できる。

マントラが鳴る。
音は空気を震わせ、神経を震わせ、脳を震わせる。
新皮質は光の回路となり、
象徴を展開するスクリーンとなる。

そして三番目。
耳を通した言葉。
ラマが語る。
ゆっくりと、噛みしめるように。
大脳辺縁系に、言葉は沁みていく。
感情と結びつき、体験となる。
普通の人間には、この段階が必要だ。
涙を流し、
疑い、
納得し、
少しずつ理解する。
口頭伝授。
人の相承。

だが青年は、さらに深い問いを抱いていた。
「これだけで、足りるのか?」
答えは、内奥から浮かんだ。
足りない。
欠けているものがある。

tapas(練行)。
燃やすこと。
鍛えること。
身をもって通過すること。
青年は幼少の記憶を思い出す。

木剣を握らされたあの日。
祖父の目。
鋭く、凍るような眼光。
「目ン目がこわい!」
泣いた自分。
だが、木剣だけは離さなかった。
剣は、単なる技ではなかった。
それは練行だった。
面を打たれ、
視界に閃光が走る。
目から火が出る。
本当に、火が出る。

あの瞬間。
外から打たれたのではない。
内部で何かが炸裂したのだ。
脳の奥で。
間脳か。
辺縁系か。
それとも未知の回路か。

火花は閃光となり、
一瞬、意識は空白になる。
そして戻る。
あの火。

瞑想の最中、
同じ場所に火が灯った。
外部刺激はない。
それでも。
確かに、燃えた。

青年は再び呼吸を整える。
一定のポーズ。
頭をわずかに傾け、
呼吸を深く落とす。
すると。
予兆なく。
再び火が灯る。

内側で。
静かに。
確実に。
それは、剣道の衝撃と同じ火だった。
しかし今度は、外からではない。
内側から。

tapasによって開かれた回路。
三つの相承だけでは届かなかった扉が、
練行によって叩かれる。

王者の相承を受ける器は、
燃やされ、鍛えられねばならない。
象徴を展開する知性も、
涙で濡れた辺縁系も、
すべてを通過したあとに。

間脳は、沈黙の中で震える。
霊的バイブレーション。
青年は悟る。
脳の開発とは、
単なる知能の向上ではない。

それは、
火を通すこと。
打たれ、燃え、
なお木剣を離さぬ心を育てること。
そのとき――

思念の王者の相承は、
初めて受け取られる。

雪はやみ、
夜は静まっている。
だが青年の内には、
確かな火が灯っていた。
消えぬ火が。

思念による王者の相承

 

この「思念による王者の相承」とは、この法身タターガタが、言葉や象徴と

いう楽介なしに、直接相手の心に自分の心を伝達するものである。この場合、 心、というのは単なる思念の心ではなく、パワーを主としたものと思うべきである。これによって、相手はたちどころに仏陀として完成するのである。

これは最高であり、理想的なものであること、もちろんである。「王者の」、という所以である。

二の「余数による持明者の相承」とはどういうものかというと、象徴とは、ある言葉、かたち、音、色などに複雑な思想の内容を圧縮して詰め込んだものをいい、また、持明者(rig、drin)とは、純粋な心で実相をそのまま見ることがで

HA

きる真知の世界に到達した者たちのことである。この相承(方法)では、真知の理解を持つ持明者たちは、導師から象徴を示されることで、密教の奥に到達する教法を授けられるのである。

承」である。 以上のすぐれた方法に対し、ふつうの人間は、霊感はなかなか得がたく、また象徴だけでは深い密教の教法を即座に理解することはできない。そこで、ラマが、いろいろな言葉をもちいてくわしく説き明かし、弟子に理解させていく。 いわゆる「口頭伝授」である。これが、三の「耳を通した言葉による人の相

以上の三つの方法を、わたくしは、つぎのように分類する。

一、思念による王者の相水間脳系霊的バイブレーション

二、象徴による持明者の相承 ―新皮質系=マントラ、タントラ、言葉、 音楽、象徴

三、耳を通した言葉による人の相承大脳辺縁系言葉、マントラ、音楽

これは、チベット密教だけではない。世界中のいかなる宗教でも、究極至上のものに到達するためには、この三つの方法しかないであろう。

くしかし、究極至上のものに到達するためには、この三つだけでは不十分なのである。欠けているものがある。なにが欠けているのか? さきにのべた練行 rapas である。

だが、そういうと、一は最高理想のものなのであるから、他のなにものも必腹ないのではないかといわれるかもしれない。そうではないのである。その最高理想のものを受けるために、tapasは必要なのである。

練行とはなにか

では、その練行tapasとはどんなものか?

それには、ひとつの例として、わたくしの修行体験をお話しするしかないと思われる。

それを見ていただくことにしよう。

いまから四十年以上前に刊行した「密教・超能力の秘密」からの抜席である。

求聞持聡明法の秘密

私は定に入っていた。

ひたすら、ふかい線制に入っていた。

修するは求聞持聡明法。三度目の修法であった。

最初は真言宗密教の行法に拠った。完全な失敗であった。それは集中力を高めるという効果はあったが、それ以上のものではなかった。つぶさにこの行法を検討して、私は、しょせん、真言宗密教の求聞持聡明法に、大皮質の構造を一変するごときシステムはないとの結論を得た。すくなくとも、従来のままの行法に、それだけの力はない。求聞持聡明法を成就して、悉地を得たという弘法大師空海は、あとにのこしたこの行法以外に、 必ず、なんらかの秘密技術を体得しているのに相違なかった。彼ののこし

た求聞持法の行法は、その秘密技術のヒントになるべきもののみをつらねたに過ぎず、その秘密技術は――おそらく、自分自身の訓練努力によってみずからが発見せよとつきはなしているのにちがいなかった。それを発見するだけの努力をし、発見できるだけの資質のあるもののみがそれをわがものとする資格があるのだ、と、つめたく未来を見すえている不世出の知性の目を、私は行法次第のなかに感じた。それゆえにこそ、宗教者としてゆたかな天分を持つ興教大師覚が、七たびこれを修して失敗し、八度目にしてようやく悉地成就を得たという難解の行法となっているのである。 そうでなければ、覚ほどの才能が、なんで七たびも失敗しようか。 (線)

(二度目の修法に、私は、古代ヨーガの技術をとり入れた。ひしひしと感得するものがあった。五〇日のその行で、求聞持法の成就はみられなかったが、私の考えのまちがいでなかったことがよくわかった。この方法で、求関持法はかならず成就する。つよい確信を得た。この技法を積みかさね、

延長してゆけばよい。これしかない。ぜったいの自信を得た。

この、私の技法によれば、従来のごとく、山にこもって五〇日ないし

一〇〇日、明星を拝しつづける必要がなかった。常住坐臥、閑寂の部屋な

らば、時、ところをえらばなくてもよいのであった。ただ、最初の三日な

のうりいし七日間、山居して明星とあい対し、これをふかく脳裡にとどめておけ

こうぼうばよかった。あとは、三〇日、五〇日、一〇〇日、よしんば一〇〇〇日か

かろうとも、日常の生活の行忙のうちにトレーニングを積みかさねてゆけ

ばよいのであった。この発見はすばらしいものであった。これでなくて

は、法はついに民衆と無縁のものになってしまう。五〇日、一〇〇日、特

定の山にこもらねば成就しないというのでは、ごくかぎられた人たちのみ

しか参加することはできない。民衆と無縁になってどこに法の存在価値が

あろう。私は、このシステムによって、この法を完成せねばならぬ。法の

ために、民衆のために、どうしても――。

そして、三度目の必死の修法に私は入っていた。

それは、ほぼ一〇〇日目、私の法のシステムでいって百度目のトレーニ ・ングのときであった。真言宗に伝わる求聞持法の九種の印明、それに、古

代ヨーガに伝わる特殊な呼吸法、古代ヨーガの秘法から私が創案した特殊な手印とポーズ、この三つによるトレーニングで、私のからだと大脳皮質と脳髄は、微妙な変化をおこしつつあることが感じられていた。チャクラの開発も順調にすすんでいた。機が熟しつつあることを、私の六感は感じていた。

夜明け、

その刹那、 まどろんだような感じであった。しかし、ねむりではなかった。しびれの感覚であった。かるい失心、めまいに似ていた。忘我の一瞬であった。

「ああッ!」

と私は苦痛の叫びをあげていた。脳髄の一角に電流がながれた感覚が走った。落雷があったと感じた。目の前を紫電が走った、つぎの瞬間、眠

前でフラッシュをたかれたように、私の視野は真っ暗になった。失明!

敵でフラッシュをたかれたように、私の視野は真っ暗になった。失明!

ないおうという考えが、チラリと脳裡をよこぎった。と、そのときであった。頭の内奥、深部に、ポッカリとあかりがともったのだ。そして、それは、私の脈博とおなじリズムで、しずかに、しずかにまたたきはじめた。ちょうど、 この修法をはじめる数十日まえ、山にこもって見つめたあのときの暁けの明星のように――それはつめたく、黄ばんだ白さでまたたいた。 「そうか!」

私は力いっぱい膝をたたいた。

「そうか! これが明星だったのか!」

私は目をみはって叫んだ。私はついに明星の秘密を発見した!

第三の発見視床下部の秘密

私は幼少のときから剣道をしこまれた。藩の剣術師範の家柄に生まれ、 若年の折、江戸お玉ヶ池の千葉門で北辰一刀流を学んだという祖父に、は

じめて木剣を持たされたのは三歳ごろであったろうか? そのとき私は、 祖父の顔をゆびさして「目ン目がこわい!」といって泣いたそうである。

ころころやそのころ八〇歳を過ぎていた祖父は、ほんとうの好々爺になりきっており、私はふだん、父よりも母よりもなついていたが、そのときばかりは、 木剣のむこうに光った剣士鳥羽源三郎 源 靖之 (祖父の名)の目に、ひとた

まりもなくちちみあがってしまったものらしい。めったに泣いたことのない私が一時間ちかくも泣いていたという。『それでもあんたは木剣だけははなさなかったよ」と、いまでも老母がほこらしげに語ってくれるのだが

―――、私は、のち、三段にまで昇り、健康を害してやめたが、剣の天分があるといわれ、少年時代、そのころ盛んであった各地の剣道大会に出場してかぞえきれぬほどの優勝をしたのは、この祖父の血を受けたものであろう。私は剣道が好きであった。防具のはずれの肘を打たれて腕がなえ、思

わず竹刀をとり落としたりするときはつらいとは思ったが、苦にはならな

かった。配金を越えて深くあざやかに面をとられたときは、目からパッと

火が出て、プーンときなくさいにおいを嗅いだ。ほんとうに目から火が出るのである。けっして形容詞ではないのだ。これは剣道修行の体験者ならばみなご存知のはずである。

その火なのだ。そのときの私の視野をかすめた閃光は――。 せんこう

しばらくしてわれにかえった私はそれに気がついたのだった。そうだ。

あの火はあのときの火とおなじだ。そして目から火が出ると同時に面金のなかでかいだあのなつかしいキナくさいにおいもいっしょにかいだような気がしたのだが、しかし、目から火が出るほどのこの衝撃は、いったいどうしたということであろうか? 外部から私の頭部を打ったものはなにひとつない。すると、私の頭の内部でなにごとがおこったというのであろうか。それともあれはなにかの錯覚であったのか? めんがね

私は、ふたたび一定のポーズをとり、頭をある角度からある角度にしずかに移しつつ特殊な呼吸法をおこなって、定にはいっていった。と、なんの予言も感覚もなしに、さっきとおなじ場所に火を感ずるのである。

 

龍神を呼ぶ — 二大龍王の守護 — Call the Dragon — Guardians of the Two Great Dragon Kings

 

龍神を呼ぶ — 二大龍王の守護 —

Call the Dragon —

Guardians of the Two Great Dragon Kings

夜は深く 雪あかり揺れて
香の煙 天へと昇る
合掌の音 胸にひびき
静寂の奥で 龍を呼ぶ

Namosattanan
sanmyaksanmodaktinan
taniyata
on shaley shurei juntei
sowaka

法を生きよ いまこの瞬間
内なる光を 解き放て
呼ばずとも 龍はここに
奇蹟はすでに 始まっている

Namosattanan
sanmyaksanmodaktinan
taniyata
on shaley shurei juntei
sowaka

Night grows deep, snowlight sways,
Incense smoke ascends in haze.
Palms together, heartbeat strong,
In silent depths, I call the Dragon.

Namosattanan
Sanmyaksanmodaktinan
Taniyata
On shaley shurei juntei
Sowaka

Live the Dharma — here and now,
Unleash the light your soul allows.
Uncalled, the Dragon’s by your side,
The miracle has just begun to rise.

Namosattanan
Sanmyaksanmodaktinan
Taniyata
On shaley shurei juntei
Sowaka

龍神を呼ぶ — 二大龍王の守護

 

龍神を呼ぶ — 二大龍王の守護 —

夜は深く、雪あかりが窓辺を淡く照らしていた。
青年は静かに座し、香を焚いた。
その正面には、ひときわ優美な尊像――
准胝観音。
八臂の御手は虚空に広がり、あらゆる願いを受けとめる慈悲のかたちを示している。

青年は、ゆっくりと合掌した。
「今こそ、龍神を呼ぶのだ。」
声は小さかった。だが、その響きは胸の奥で震え、静寂を超えてどこか遠くへと届いていく。
――龍神は、あなたの呼びかけにすぐ応える。
そう教えられてきた。
だが、開祖はこうも説いていた。
ご本尊が生きていなければ、ただの木像、画像にすぎない。
問題は、「法」が生きているかどうかである。
青年はその言葉を思い出す。

龍神を呼ぶとは、声を張り上げることではない。
奇跡を願うことでもない。
「法」を生きること。
その一点において、はじめて龍は動く。

やがて、部屋の空気が変わった。
香の煙が、まるで見えぬ風に巻き上げられるように、ゆらりと揺れる。
仏像の左右に、淡い影が立ち現れた。
一体は右。
一体は左。
それは二大龍王――
難陀龍王と
跋難陀龍王。

その姿は明確ではない。
しかし、確かに「支えている」。
準胝観音の座を、左右から大いなる力で支え、守り、揺るがぬものとしている。
青年の胸が熱くなる。

だがその瞬間、内なる声が問いかける。
――おまえの中に、「法」は生きているか。
青年は目を閉じた。
欲望。
恐れ。
名誉への執着。
他者を裁く心。
それらが胸の奥に渦巻いているのを、彼は正直に見つめた。

「龍神よ、守護を。」
そう願う前に、彼は静かに誓った。
「私は、法を生きる。」
そのときだった。

像が光ったのではない。
空が裂けたのでもない。
ただ、心の奥で、何かが「定まった」。
揺れていた中心が、ぴたりと止まった。

すると、二体の龍王の気配が、すっと背後に立った。
守る、というよりも、
共にある、という感覚。
奇跡とは、外から降る光ではない。
内なる法が動き出すとき、
それに呼応して、世界が応えること。
開祖の言葉が、今、理解できた。

本尊とその法とは、表裏一体である。
ご本尊が生きるとは、
法が躍動すること。
法が躍動するとは、
己がそれを生きること。
青年は再び合掌した。
もはや龍神を「呼ぶ」必要はなかった。
すでに、そこにいる。

雪は静かに降り続いている。
だがその夜、見えぬ空に、
確かに龍は舞っていた。
そして青年は知る。
守護とは――
奇跡とは――
いま、この瞬間、
法を生きる決意から始まるのだ。 🐉