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仏教

超音速の津波 ― 未来

 

超音速の津波

― 未来

 

静かすぎる 空の下で
すでに波は 通り過ぎた
気づかぬまま 終わった日々
誰もいない 完成の街

 

オフィスには 光だけが
働き続けて 人はいない
最適だけが 選ばれて
迷いすらも 消されていく
言葉は削がれ 音も消えて
思考の跡は 残らない
「君は誰だ」その問いだけ
宙に浮かんで 消えずにいる

 

すべて満たされ 何もいらない
それでも奥で 何かが鳴る
与えられた 完璧の中で
壊れきれない この違和感
止まったはずの この世界で
わずかな揺れが 時を呼ぶ
忘れられてた 選ぶという
小さな火が 息をする

満たされても 満たされない
この奥にある 揺らぎは何だ
終わったはずの 世界の中で
なぜまだ胸は 探している

星はただ そこに在り
何も語らず 輝いている
世界はすでに 満ちていた
それでも命は 問いを持つ

何もいらない この世界で
ただ一つだけ 選びなおす
与えられた 最適じゃなく
この胸から 立ち上がるもの
意味も理由も 越えた先で
“生きる”という 火を灯す
終わりのあとに 残ったもの
それは――ただ 在る光

超音速の津波 ― 未来

 

 

超音速の津波 ― 未来

 

静かすぎる 空の下で
すでに波は 通り過ぎた
気づかぬまま 終わった日々
誰もいない 完成の街

すべて満たされ 何もいらない
なのに消えない この鼓動は
働かなくても 生きているのに
“なぜここにいる”と 問い続ける

オフィスには 光だけが
働き続けて 人はいない
選ぶことも 許されずに
最善だけが 流れていく
言葉さえも 削ぎ落とされ
思考の跡は 消えていく
「君は誰だ」その問いだけ
宙に浮かんで 残された

満たされても 満たされない
この奥にある 揺らぎは何だ
終わったはずの 世界の中で
なぜまだ胸は 探している

動かぬ街に 風が触れる
止まったはずの 時が揺れる
何も要らない この世界で
ただ一つだけ 選びなおす
与えられた 最適じゃなく
この胸から 立ち上がるもの
意味も理由も 越えた先で
“生きる”という 火を灯す

星はただ そこに在り
何も語らず 輝いている
世界はすでに 満ちていた
それでも命は 歩き出す
答えのない この静けさで
問いそのものが 息をする
終わりのあとに 残ったもの
それは――ただ 在る光

第三の目をひらく ― 念による王者の相承 ―

第三の目をひらく
― 念による王者の相承 ―

 

問いは落ちる 闇の底へ
答えはまだ 形を持たず
呼吸の奥で 火が揺れて
我という影 ほどけていく
繰り返しても 届かない
積み上げたもの 崩れていく
それでもなお 座り続け
無へと沈む 意識の舟

Namosattanan
sanmyaksanmodaktinan
taniyata
on shaley shurei juntei
sowaka

静寂が今 限界を裂く
世界の輪郭 歪みはじめる
内か外か 消えていく
境界線が ほどけていく
なにかが来る 言葉の前に
思考を越えて 直に触れる
恐れすらも 光に溶け
“次”がすぐそこまで来ている

Namosattanan
sanmyaksanmodaktinan
taniyata
on shaley shurei juntei
sowaka

第三の目は すでに開き
見ていた者も 消えていく
王者の相承 ただ一撃
時間も空も ここに消える
すべてであり なにもでない
この身はただの 通り道
夜は明けゆき 音が戻る
それでも光は 消えはしない
この構成、かなり強いです。

Namosattanan
sanmyaksanmodaktinan
taniyata
on shaley shurei juntei
sowaka

第三の目をひらく ― 念による王者の相承 ―

第三の目をひらく

― 念による王者の相承 ―

 

山は、沈黙していた。
風は止み、木々も動かない。
夜は深く、星さえも息を潜めている。
その静寂のただ中で――
ただひとつ、動いているものがあった。
青年の内側だった。

「……霊性とは、どこから始まるのですか」
かつて、彼は問われた。
エレクトロニクスと霊性、その接点について。
彼は答えた。
「それは――瞑想から始まる」

だが、その言葉は、すぐに訂正されることになる。
「では、瞑想がすべてなのですか?」
「いいえ」
彼は、静かに首を振った。
「瞑想“だけ”では、決して到達できない領域があります」
焚き火の火が、小さく揺れる。

「霊性の完成とは――カルマを超えることです」
青年は続けた。
「カルマとは、重力のようなものです」
その言葉は、夜の空気に沈み、ゆっくりと広がっていく。
「人間はすべて、この見えない引力に縛られている。
思考も、感情も、運命さえも――」
火が、ぱちりと弾けた。

「瞑想は、その重力の中で“安定する技術”です。
しかし、それだけでは――脱出はできない」
「では、どうすればいいのですか」
誰かの声が、闇の中から響いた。

青年は答える。
「波動を変えるのです」
その言葉は、あまりにも静かで、しかし確信に満ちていた。
「人間とは、究極的には“波”です。
その波を変えれば――存在そのものが変わる」

彼は、自らの額に手を当てた。
「その鍵は、ここにある」
視床下部。
脳の深奥。
意識と肉体の境界にある、見えざる門。
「ここを変えなければならない」

青年の目が、闇の中で微かに光る。
「思考では届かない領域。
瞑想だけでは触れられない場所」
彼は、ゆっくりと息を吸い込んだ。
「だから必要なのです――練行(tapas)が」

それは、始まりだった。
百日。
呼吸。
印。
姿勢。
そして、極限まで集中された思念。
すべてが一点に集約されていく。
脳の奥深く――
見えない一点へ。
夜明け前だった。

世界がまだ形を持たない、あの境界の時間。
そのとき――
落雷のような衝撃が、脳を貫いた。
「――ッ!!」
声にならない叫び。
視界が白く弾ける。

失明したかと思った、その瞬間――
光が、灯った。
頭の奥。
暗闇の中心に、ぽつりと。
それは、静かに明滅していた。
呼吸と同じリズムで。
生命と同じ鼓動で。

「……これが……」
青年は震える手で地を叩いた。
「これが……明星……!」
それは外にあるものではなかった。
内にあったのだ。
ずっと――

その瞬間、彼は理解した。
霊性とは、思想ではない。
瞑想でもない。
構造の変化である。
脳の。
存在の。
波動の。
そのとき、彼の内に“それ”が流れ込んできた。

言葉ではない。
象徴でもない。
ただ、圧倒的な“力”。
それは、直接だった。
媒介を持たない伝達。
思念すら超えた、純粋な伝達。

「……これが」
青年は、呟いた。
「王者の相承……」
言葉は不要だった。
理解は、一瞬だった。
修行も、学問も、積み重ねも――
そのすべてが、この一撃の前では
塵のように消え去った。

白銀の振動。
世界そのものが震えているかのような感覚。
それは、外から来たのではない。
世界と自分の境界が、消えたのだ。

彼は知った。
「これが、すべてだ」
百年の修行よりも、
万巻の書よりも、
ただ一瞬のこの振動の方が――
真実に近い。
夜が明ける。

山が、再び世界を取り戻していく。
だが、青年はもう、元の存在ではなかった。
「わたしは……これを伝えねばならない」
静かに立ち上がる。

その目は、もはや人のものではなかった。
深く、澄みきり、揺るぎがない。
第三の目は、開かれたのだ。

そして――
その瞬間から、
彼は「受ける者」ではなく
「伝える者」へと変わった。
念による王者の相承。
それは、言葉を超えた伝達。
存在そのものによる継承。
静寂の中で、
新たな波動が、世界へと放たれていった。

反重力の修行

反重力の修行

わたくしは、さきに、ジャーナリストのK氏から、エレクトロニクスと霊性をむすぶものはな

にかと質問されて、それは訓想からはじまると答えた。

そのあと、はなしが大分すすんでから、

「それでは、間筋の開発をするのも、誤想ですか?」

と聞かれた。わたくしは、

「いいえ」

とかぶりをふった。

「瞑想じゃないのですか?」

「いいえ」

とわたくしはこれにもかぶりをふった。

K氏は、けげんそうな表情でわたくしを見つめた。

そこでわたくしは答えた。

「それは想からはじまるのです」

なるほど、というように尻氏はうなずいた。わたくしは説明した。

それは京想からはじまるのだが、該想だけではないのだ。霊性の完成は、瞑想だけでは不可能なのである。こころの安定、欲望の調節、本能の抑制、といった程度のものでは、とうてい到達できない境界である。思念、想念の変化くらいでは、ぜったいに行きつくことのできない次元なのだ。

なぜか?

霊性完成の到達点は、カルマからの超越である。

カルマとはなにか? いうならば、地球における引力のようなものである。地球上に存在するものすべて、地球引力の支配下にある。いかなるものも、引力からのがれることはできない。いや、地球という存在そのものが、引力によって成り立っているのである。人間におけるカルマもその通りである。ひとはすべて、輸署のカルマの絶対的な規制をうけている。このカルマから、 もろもろの「因縁」が生じて、人間を撃しているのである。いや、カルマと因縁によって、人関が成立しているのだ。このカルマと因縁の驚縛から完全に解説したときが、霊性の完成である。いうならば引力からの脱出である。反重力の旅行なのだ。その修行によって自分の存在の次元が変るのである。

存在とはなにか?それは究極のところ「波動」である。自分」という波動を変えてしまう

のだ。それにより「カルマ」という波動を越えてしまうのである。人間という存在の波動を変える原点は間脳の視床下部にある。ここの波動を変えることにより、全身の波動が変り、特殊な材神波動と肉体波動を持つ存在になる。それは、カルマの規制を受けない、ふつうの人間とはまた

ことなった、高度な霊的存在とよぶよりほかない存在となるのである。これが成就すると、特外な「霊光」が発生するようになる。この特殊なオーラの発生は、全身の波動が変化したことを示すのである。オーラについてはまたあとでのべるが、このオーラの発光部は間脳なのである。

联想だけでは、以上のような次元の変化」は不可能である。もちろん、こころの安定、集中、

まったくあたらしい高い次元へのメディテイト、等、瞑想はこの修行にぜったい必要なものである。しかし、それは一つの手段にすぎない。瞑想は、大脳辺縁系と新皮質脳しか動かすことがで

きない。だから瞑想だけではだめなのである。間脳をはたらかす瞑想でなければ、オーラは発生

しない。したがって、カルマを越えることはできないのである。

では、なにが必要なのか?

特殊な tapas (練行)である。

学者は tapas を苦行と訳しているが、わたくしはこれを、練行と訳したい。そしてこの線

行がぜったいに必要なのである。

思念による王者の相承

チベット密教のニンマ派では、古くから解説の完成に三つの方法があると説いている。

思念による王者の相承rgyal ba dgongs pa’i brgyud pa

養による持明者の相承rig ‘dzin brda’i brgyud pa

白耳を通したコトバによる人の相承gang zag snyan gyi brgyud pa

である。

臼の「思念による王者の相承』とは、霊界の法の世界において、法の完成者タターガタ( ) がなぜに法を説いている。この法身タターガタが、コトバや象徴という媒介なしに、直接相手のこころに自分のこころを伝達するものである。この場合、こころ、というのはたんなる思念のこころではなく、パワーを主としたものと思うべきである。これによって、相手はたちどころにブァダとして完成するのである。

耳を通したコトバによる人の相承大脳辺縁系コトバ、マントラ、音楽

これは、チベット密教だけではない。世界中のいかなる宗教でも、究極至上のものに到達するためには、この三つの方法しかないであろう。

しかし、究極至上のものに到達するためには、この三つだけでは不十分なのである。欠けてい

るものがある。なにが欠けているのか? さきにのべた練行 tapas である。

だが、そういうと、臼は最高理想のものなのであるから、他のなにものも必要ないのではないかといわれるかも知れない。そうではないのである。その最高理想のものを受けるために、

tapas は必要なのである。では、そのtapas とはどんなものか?

それには、一つの例として、わたくしの修行体験をおはなしするしかないと思われる。

それを見ていただくことにしよう。

いまからおよそ、十二、三年前の修行体験である。『害教・超能力の秘密」からの樹釈である。

求聞持聡明法の秘密

私は変に入っていた

ひたすらふかい錠制に入っていた。

修するは求聞持聡明法。三度目の修法であった。

最初は真言宗密教の行法に拠った。完全な失敗であった。それは集中力を高めるという効

果はあったが、それ以上のものではなかった。つぶさにこの行法を検討して、私は、しょせん、真言宗密教の求聞持聡明法に、大脳皮質の構造を一変するごときシステムはないとの結論を得た。すくなくとも、従来のままの行法に、それだけの力はない。求聞持聡明法を成就して、悉地を得たという弘法大師空海は、あとにのこしたこの行法以外に、必ず、なんらかの秘害技術を体得しているのに相違なかった。彼ののこした求聞持法の行法は、その秘密技指のヒントになるべきもののみをつらねたに過ぎず、その秘密技術は――おそらく、自分自身の訓練努力によってみずからが発見せよとつきはなしているのにちがいなかった。それを発見するだけの努力をし、発見できるだけの査質のあるもののみがそれをわがものとする資格があるのだ、と、つめたく未来を見すえている不世出の知性の目を、私は行法次第のなかに感じた。それゆえにこそ、宗教者としてゆたかな天分を持つ興教大師覚襲が、七たびこれを修して失敗し、八度目にしてようやく悉地成就を得たという難解の行法となっているので

ある。そうでなければ、覚硬ほどの才能が、なんで七たびも失敗しようか。

(略)二度目の修法に私は、古代ヨーガの技術をとり入れた。ひしひしと感得するものがあ

った。五〇日のその行で、求聞持法の成就はみられなかったが、私の考えのまちがいでなかったことがよくわかった。この方法で、求聞持法はかならず成就する。つよい確信を得た。 この技法を積みかさね、延長してゆけばよい。これしかない。ぜったいの自信を得た。

この、私の技法によれば、従来のごとく、山にこもって五〇日ないし一〇〇日、明星を拝しつづける必要がなかった。常住座駅、閑寂の部屋ならば、時、ところをえらばなくてもよいのであった。ただ、最初の三日ないし七日町、山居して明星とあい対し、これをふかく脳裡にとどめておけばよかった。あとは、三〇日、五〇日、一〇〇日、よしんば一〇〇〇日かあろうとも、日常の生活の行忙のうちにトレーニングを積みかさねてゆけばよいのであった。この発見はすばらしいものであった。これでなくては、法はついに民衆と無縁のものになってしまう。五〇日、一〇〇日、特定の山にこもらねば成就しないというのでは、ごくかぎられた人たちのみしか参加することはできない。民衆と無縁になってどこに法の存在価値があろう。私は、このシステムによって、この法を完成せねばならぬ。法のために、民衆のために、どうしても

そして、三度目の必死の修法に私は入っていた。

それは、ほぼ一〇〇日目、私の法のシステムでいって百度目のトレーニングのときであった。真言宗に伝わる求聞持法の九種の印明、それに、古代ヨーガに伝わる特殊な呼吸法、

代ヨーガの秘法から私が創案した特殊な手印とポーズ、この三つによるトレーニングで、私のからだと大脳皮質と脳髄は、微妙な変化をおこしつつあることが感じられていた。チャク今の開発も順調にすすんでいた。機が熟しつつあることを、私の六感は感じていた。

夜明け、

まどろんだような感じであった。しかし、ねむりではなかった。いびれの感覚であった。 かるい失心、めまいに似ていた。ぶの一瞬であった。その刹那、

「ああッ!」

と私は苦痛の叫びをあげていた。脳髄の一角に電流がながれた感覚が走った。落雷があったと感じた。目の前を紫電が走った、つぎの瞬間、駅前でフラッシュをたかれたように、私の野はどっ職になった。失明!という考えが、チラリと脳裡をよこぎった。と、そのときであった。頭のだ、深部に、ボッカリとあかりがともったのだ。そして、それは、私の胱肌とおなじリズムで、しずかに、しずかにまたたきはじめた。ちょうど、この修法をはじめる散十日まえ、山にこもって見つめたあのときの聴けの明星のように―――それはつめたく、黄ばんだ白さでまたたいた。

「そうか!」

私は力いっぱい様をたたいた。

「そらが! これが明星だったのか!」

私は目をみはって呼んだ。私はついに明星の秘密を発見した!

第三の発見視床下部の秘密

私は幼少のときから剣道をしこまれた。藩の剣術師範の家柄に生まれ、若年の折、江戸お

玉ヶ池の千葉門で北辰一刀流を学んだという祖父に、はじめて木剣を持たされたのは三歳ご

ろであったろうか? そのとき私は、祖父の顔をゆびさして「目ン目がこわい!」といって

泣いたそうである。そのころ八〇歳を過ぎていた祖父は、ほんとうの好々釜になりきってお

り、私はふだん、父よりも時よりもなついていたが、そのときばかりは、木剣のむこうに先

った士身将源三郎、、、(父の名)の目に、ひとたまりもなくちぢみあがってしまっ

たものらしい。めったに泣いたことのない私が一時間ちかくも泣いていたという。それで

ちあんたは木剣だけははなさなかったよ」と、いまでも考長がほこらしげに語ってくれるの

だが、私は、のち、三段にまで昇り、健康を害してやめたが、剣の天分があるといわ

れ、少年時代、そのころ盛んであった各地の剣道大会に出場してかぞえきれぬほどの優勝を

したのは、この傷父の血を受けたものであろう。私は剣道が好きであった。防具のはずれの

超を打たれてがなえ、思わず竹刀をとりしたりするときはつらいと思ったが、舌にはな

「そうか! これが明星だったのか!」

私は目をみはって叫んだ。私はついに明星の秘密を発見した!

第三の発見――視床下部の秘密

私は幼少のときから剣道をしこまれた。藩の剣術師範の家柄に生まれ、若年の折、江戸お

玉ヶ池の千葉門で北辰一刀流を学んだという祖父に、はじめて木剣を持たされたのは三歳ごろであったろうか?そのとき私は、祖父の顔をゆびさして「目ン目がこわい!」といって泣いたそうである。そのころ八〇歳を過ぎていた祖父は、ほんとうの好々爺になりきっており、私はふだん、父よりも母よりもなついていたが、そのときばかりは、木剣のむこうに光った剣士鳥羽源三郎歌、端之(祖父の名)の目に、ひとたまりもなくちぢみあがってしまったものらしい。めったに泣いたことのない私が一時間ちかくも泣いていたという。『それでもあんたは木剣だけははなさなかったよ」と、いまでも老母がほこらしげに語ってくれるのだが、私は、のち、三段にまで昇り、健康を害してやめたが、剣の天分があるといわれ、少年時代、そのころ盛んであった各地の剣道大会に出場してかぞえきれぬほどの優勝をしたのは、この祖父の血を受けたものであろう。私は剣道が好きであった。防具のはずれ のぱを打たれて腕がなえ、思わず竹刀をとり落したりするときはつらいと思ったが、苦にはな

にをもって統御するのかというと、もちろんそれは神経」である。したがって視床下部に

は重要な神経がたくさん集まっている。私は、古代ヨーガのなかから、この部分を動かすポ

ーズとムドラーを創案してここにつよい圧力をくわえ、同時に、強烈な思念念力)を集中していた。百日のあいだ、たえまなく、私はここに、物質的、精神的、両面にわたるつよいエネルギーを集中した。その結果、ここの神経線維に一大異変が生じたのだ。その異変

により、神経線維が異常分泌をおこしたか、それともそこにある分泌液、神経液に変化がおきたのか、そのいずれであるかはわからぬが、それらの分泌液が複雑に混合し合って、化学反応をおこしたのだ。あの火は、その化学反応による衝撃が、視床の神経をはげしく打って、観に光を走らせたのだ。その衝撃はここの神経募にシナプスをむすび、その火はいつでも私の思うまま私の脳の内奥に明星をまたたかせることとなった。同時に私の脳の構造も一変した。求聞持聡明法の成就である。求聞持聰明法とは、脳の内部の化学反応による

脳組織の変革であったのだ。

視床下部の生理学的機構

による) では、視床下部の機構を生理学的にみてみよう。(図説「内分泌病への手引」土屋雅春,他著

第三章開開―第三の目をひらく

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