そして心の中では次のように観念します。
一九二
ちる。 「大宇宙に重視する犬生命の力が今、私の上に降り注ぎ、私の五体は今この大生命の力に満ち満
この大生命の力により、変身成就して私の形姿は一切の卑醜を除き、金剛薩垣の厳身を現し、 定、身成就して心一切散乱せず、想身成就して思想の愚かでむなしきものなることを悟り、すべての執着を去り、解脱身成就して一切の悩み災いから解説し、知見身成就してあらゆる束縛から離れ、一切の法において大自在を得る」
「戒・定・慧」についてはすでに述べましたが、では「解説・解脱知見」とはなんでしょうか? 仏教辞典などによれば、「解説」とは、熱によって惑(煩悩)を断じ、恋の緊縛を解いた境地であるニルヴァーナです。また「解脱知見」とは、自分が解脱したことを認める智慧であるとされています。また「五分法身」とは、「戒・定・慧・解説・解脫知見」の五種の法をもって仏の身体とするので、五分法身というとあります。
あらゆる存在の相(すがた)から解放される
悟りを完成し、仏陀になられたお釈迦さまの体験があります。これは、『マッジマ・ニカーヤ (中部経典)」(『中、同含」に相応)において、お釈迦さまご自身によって語られたものです。
「高信頼があります。これは、『マッジマ・ニカーヤ
(中部経典)』(「中阿含経』に相応)において、お釈迦さまご自身によって語られたものです。
となった。 「わたし(釈尊)は、つねに努力精進し、その想いは確立してすこしもみだれず、体は安楽で動揺せず、心は禅定に入って静かである。そのわたしがあるとき、瞑想に入ってしだいに禅定が深まってきた。第一禅定から第二、第三、第四禅定まで深まるにつれて、心に思い浮かぶなにものもなくなり、喜びや楽しみだけとなり、そして遂にはそれもなくなって、ただ清浄な想いだけ
そのとき、わたしの心は、一点のけがれもなく、清く明るく、絶対不動であった。そしてわたしの心の眼はおのずから前世の光景に向けられていった。それは一生だけではなく、二生、三生、 十生、二十生、そして無限の生涯の、生きかわり死にかわりした光景が展開してきた。これが第一の智慧である。
しゅじようそれからわたしの心は、あらゆる衆生のすがたに向けられてきた。わたしは超人的な眼力でそのすがたを見た。そこには、貰いもの、聴しいもの、美しいもの、酔いもの、幸福なもの、不幸なもの、それぞれの宿業が渦巻いていた。これが第二の智慧である。
それからわたしは、苦集滅道の四部(四つの真理)をありのままに知り、わたしの心は、あらゆる存在の相がら、全く解放され、ふたたびそれに執着することはなくなった。これが第三の智想である」(王城康四郎訳による)
この、じつに鮮やかに語られたお釈迦さまの体験は、次の五つの段階に分けられます。
第一の段階
わたしは、
1.常に一つの目的に向かって精進を続けることができ、
2.想念が確立して乱れず、
3.身体は安楽で動揺しない。
4.心はいつも定に入って静かである。
第二の段階
第一禅定から第二、第三、第四禅定までしだいに深まっていって、
1.心に思い浮かぶなにものもなくなり、
2.喜びや楽しみだけとなり、
3.ついには、ただ清浄な思いだけに満たされ、
4.一点の汚れもなく、清く明るく、絶対不動となった。
第三の段階
続いて心の眼が開かれ、
1、自分の前世における光景が展開し始める。
2.それは一生だけでなく、二生、三生、十生、二十生、と限りなくさかのぼり、無限の生
涯の、生き変わり死に変わりした光景が展開する。
それは生命の根源への遡及であり、第一の智慧(宿命智)の獲得であった。
第四の段階
心の眼はさらに広く深く広がり、人の持つ能力の限界を越えて、過去、現在、そして未来へと流れてゆく、あらゆる人々の姿が透視される。
それは、存在を規制する宿業の実体の把握であった。
第五の段階
これが第二の智慧(天眼智)の獲得である。
続いてわたしは、
1.宿業から解脱する四つの真理を如実に知り、
2、あらゆる存在からの解脱と超越を完成した。
それは第三の智慧(福尽智)の獲得であった。
このように無色食を断ち切り、苦行(戒)の段階を越えて修行を続けられたお釈迦さまは、定に熟達され、その定の極みにおいてカルマの実体を把握する智慧を獲得し、その智慧によって真理を知り、解脱を完成して仏陀になられました。つまり煩悩の滅尽(漏尽)に到達されたのです。
法鏡とは不壊信を獲得すること
本講義で紹介した経文は「遊行経」のごく一部であり、大変短いものですが、このようにじつに深い内容を含んでいます。わたくしたちも、因縁解説をしたい、成仏したいと願うのであれば、 まず、お釈迦さまがこのお経でお説きくださった、法鏡の教えに従わなくてはなりません。 お釈迦さまは、仏と法と僧伽
を信じ、戒を信じて実践するという四不壊信(四不壊浄)を獲得することによって、聖者の最初の段階である須陀祖に到達し、再び悪趣(地獄界・餓鬼界・畜生




