る。
しゃばこの三界のうち、欲界というのは、「欲望によって成り立つ世界、あるいは、食欲・婬欲・睡眠欲のある世界」で、わたくしたちの住むこの娑婆世界である。
三界のうちではいちばん下位の世界である。五下分結とは、このいちばん下位の世界に結びつける五つの煩悩、ということで、この五つの煩悩があるかぎり、 わたくしたちは死後、何度でもこの世界に生まれてこなければならないわけであ
ごげんけつあなごん 「五下分結を断じ阿那含を成ずるを得て復た還りて此に生ぜず」
と釈尊が婆蹉におっしゃったのは、成仏法によって、この五下分結を断ち切ると、「阿那含」という境界になる。
ぱんそして「復た還りて此に生ぜず」で、もうこの欲界、娑婆世界には還ってこ 「ない。もう再生しないのである。だから、阿那含のことを「不還」」という。還という字は、かえる、ということで、不還であるから、もう還らない。還らないでどこへ行ったのかというと、最上階の霊界へ行ってしまう。
そういう在家の修行者が、三人や五人ではない。五百人以上の多数もおる
を、と尊はお答えになったわけである。
そこで、夢は、また、「それでは優客のほうは置いて、優婆夷、女性のを
「家の修行者のほうはいかがですか」とおたずねする。
るもの有りや不や」 「愛し一優秀にして此の法律に於て発行を修持し此の法律に於て狐疑をす
この質問に対し、釈尊は、優婆塞とおなじように、五百人以上、あまたの優要真が五下分結を断じて阿那含を感じ、もうこの世に再生しない不選の境界に達している、とお答えになる。そこで、また、要はおたずねする。
「比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷の梵行を修する者を置き、顔し優婆塞にして飲を受く、誰も此の法律に於て狐疑を度せるもの有りや不や」
じつに、おもしろい。比丘、比丘尼と、それから在家の男女の修行者で出家者の梵行と在家者の梵行と両方をあわせ修めつつ成仏法を修している者のことはわかりました。それはそちらに置いておいて、それでは、
「優婆塞にして五欲を受く、雨も此の法律に於て」
たわけである。
というのは、今度は、優婆塞で出家者の梵行はせずに在家者の梵行を修めながら、「死の法律」つまり成仏法を修行している者はどうですか、とおたずねし
すなわち・耳・鼻・舌・身の歌である。この五官の歌を受けて、というの
というのは、「彼を受く」といっている。五欲というのは、前にのべた五官は、在家者としてふつうの生活をしながら、という意味である。肉食妻帯、ということであろう。これは、出家者のほうの梵行はしていないということである、出家者の発行は、男女の歌を断つ、肉食と非時の食を断つ、というもので 「五欲を断っているわけである。「五欲を受く」、つまりふつうの在家者の生活をしながら、在家の梵行と成仏法とを修行しているものは、いかがですか、と質問したわけである。
すると、釈尊は、こうお答えになった。
「一三至五百のみならず。乃ち衆多の優婆塞有りて居家には妻子香華もてしをし、此の法律に於て三間を断じくして、新
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