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成仏法が説かれた二つのお経

成仏法が説かれた二つのお経

阿含宗信徒が読誦する「仏舎利宝珠尊解脱宝生行聖典』(以下、『聖典」)には二つの「阿含経」 が載っています。一つは「瀬」(以下「応説経」。上巻・六三一八四頁)で、もう一つは今回講義する「雑一阿含経・三供養品』(以下「三供養品」)です。

でしょうか? わたくしはなぜ、数ある「阿含経」の中から、この二つのお経を選び出し、唱えさせているの

この二つのお経には成仏法、つまり成仏の方法が説かれているからです。

二千数百年前、お釈迦さまは弟子たちに、成仏する方法をお教えになられました。その成仏の方法には大きく分けて二種類あります。

しりかさんじゅうしんどうげん

ません。 まず第一の成仏法は応説経に説かれる高度(上根・上品)の成仏法で、七科三十七道品を修行して成仏する方法です。わたくしはこれを成仏のための七つのシステム、三十七種類のカリキュラムと呼んでおります。『応説経』についてはすでに講義をしましたので、ここでは繰り返し

第二の成仏法は、現在は徳薄く福少ない者であっても、これを修行することによって必ず大きな福徳を身につけ、成仏に向かうことができるという下概(下部)の成仏法、三割板です(この三善根を阿含宗では三福道と呼んでおりますが、その理由については後で詳しく説明いたします)。これは『三供養品』に説かれています。

お釈迦さまが説かれている成仏法は、この二つのお経に集約されます。すべての「阿含経」は、

お釈迦さまが説かれている成仏法は、この二つのお経に集約されます。すべての「阿含経」は、

どくじゅ最終的にはこの二つにまとめられるのです。お釈迦さまはこの二つの成仏法を時と場合、相手の能力に応じて、あらゆる角度からお説きになりました。したがって、このお経を読誦する功徳は、 計りしれないものがあります。ですから、わたくしは阿含宗信徒に読誦させているのです。

運と成功

さて、わたくしが他の宗派に攻撃されながらも阿含宗を立宗し、本山を開いて総本殿の建立計画を着々と進めている時、懇意にしてくださっているある宗派の高僧から、

「桐山先生は運の強い方ですね。人も財物も、どんどん先生のところに集まってきますね。本当

に運がお強い!」

といわれました。

「いやあ、悪運が強いんでしょうな」

ありません。 わたくしは笑ってそのようにお答えしましたが、実際問題として、宗教教団でも、個人でも、 運が強くなければどうしようもないと思います。特に一般の企業人ならばなおさらでしょう。企楽でも、個人でも、あるいは宗教団体でも、運が弱くて、さらに運が悪かったら、どうしようも

〇八四

わたくしはその高僧から、運が強い、といわれたわけですが、最初から運が強かったわけではありません。いや、たしかに運が強いと思う部分もありました。しかし、その強運を無に帰してしまうほどに、運が悪かったのです。

運の分類には強い・弱いのほかに、よい・悪いがあります。いちばんよいのは運がよくて、さらに強い人です。反対に最悪なのが、運が弱くて、運が悪い人です。その中間に、運は弱いけれども運のよい人と、運は強いけれども運の悪い人がいます。

わたくしは運が強くても、運が悪い人間でした。ですから若い時は、ずいぶんと苦労をしたわけです。運が強いものですから、他人がとれないような大きな仕事をとってきます。ところが運が悪いために、最後は必ず失敗してしまいました。最初はうまくいっても、運が悪く失敗してしまう。この繰り返しでした。

ところが正しい仏教を信仰しはじめてからは、失敗することがなくなってきたのです。運が強いだけではなくて、運がよくなってきました。わたくしは運命学によると大晩年運といって、晩年になればなるほど運が強大になるタイプですから、たしかにそのおかげもあったでしょう。しかし仏教の修行・信仰をしなかったならば、悪い因縁のために強い運を活かせず、不運な一生を送っていただろうと思います。

わたくしは因縁解説の修行によって悪い運がなくなり、よい運が身についたのです。その上、 運がさらに強くなってきました。あなた方も信仰し、修行するのならば、運の強い人を師匠にしなければいけません。運の強い宗教教団に入って修行しなければ意味がありません。

以前、某大企業が入社の際、合否を試験の成績だけで判断するのではなく、運のよい人間を入

社させようということで、口頭試問の時に、

「君はこれまでの人生を振り返って、運がよかったと思いますか? 悪かったと思いますか?」

と聞いたそうです。そこでうっかり、

「私ほど運の悪い者はいないと思います」

と答えた人は、どれほど優秀な成績の者でも不採用にしたそうです。反対に、

「私は運がよいと思います」

「どうしてそう思いますか?」

「この会社を受験できるということだけでも、私は運がよいと思います。それに、おそらく私は

入社できるでしょう。今まで私は幸運続きですから」

というようなことをいうと、一発で、

「君、入りたまえ」

となったようです。

わたくしは『人間改造の原理と方法』(平河出版社)で、日露戦争時の連合艦隊司令長官・東郷平八郎のことを書いております(同書二〇―二二頁)。

明治三十六年、当時の日本は、強国帝政ロシアと戦端をひらく寸前で、全国民をあげて緊張していた。ロシアは当時世界最大の陸軍国であったが、結局、勝敗の帰慮を決するものは制海権であろうと見られていた。要するに海軍のたたかいである。その海軍の全艦隊をひきいてたたかう連合艦隊司令長官にはいったいだれがなるのか? 軍関係者ばかりでなく、

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全国民最大の関心のまとであった。朝野をあげて息をひそめて見まもるなかで、時の海軍大臣山本権兵衛は、舞鶴鎮守府司令長官東郷平八郎を任命した。異常ともいうべき捉構であった。当然任命されてしかるべき有能な先輩たちがなんにんかいた。日高壮之丞、柴山矢八などという立派な海将たちがおり、ことに佐世保の鎮守府司令長官である柴山は、十人が十人、 おそらくこのひとが連合艦隊の指揮をとることになろうと見られていた。東郷もすぐれた海将ではあったが、序列を越えて抜擢されるほど、このひとたちを凌駕するずばぬけた能力を持つとは思われていなかった。山本のエコヒイキであるとのつよい批難の声が一部であがった。しかし山本はいっさい意にかいさなかった。あるとき、知名のジャーナリストが、山本

に質問した。

「あなたが東郷を抜擢したのは、かれのどういうところを買ったのですか?」

「なあに」

と山本はかるく答えた。

「あいつは若いときから運のいい男でな」

「運がいいのですか?」

「うん、あいつほど運のいいやつはめずらしい」

ふうむ、と質問したジャーナリストは絶句してしばらく権兵衛の顔をみつめた。

要するに――、能力にそれほどひらきがなく、おなじようなものだったら、結局、「運」 のいい人間をとるべきじゃないかというわけである。戦争なんて、バクチ以外のなにもので

もないのじゃないかと、この豪傑とよばれた海軍大臣は腹の中で考えていたのかも知れない。

結局、歴史はこの山本権兵衛の選択が当を得ていたことを示している。帝政ロシアが誇るバルチック艦隊は、ウラジオストックへ向けて出港以来、不運の連続であったと海戦史はつたえる。もちろん、三十八隻という大艦隊が、一五〇○○○○カイリの長距離を乗りきって、半年ちかくの航海をつづけて攻撃をかけてくるのだから、さまざまな困難や障害が生ずるのは当然であるが、とにかく、ささいなことにまで思いがけぬトラブルの連続であったという。

これにたいし、東郷は、好運の連続であったといっていい。

実際に山本権兵衛のいうとおりではありませんか。やはり大将は運がよくなければいけません。

不運の大将のもとで闘う部下は、悲惨の一語につきます。

作家の司馬遼太郎(一九二三―一九九六)が、『新史太閤記』(新潮社)で、同じようなことを書

いておられます。これも『人間改造の原理と方法」に引用しております(同書一八―二〇頁)。

うか? なにをするにしても、人間、運が悪くてはどうにもならない。人生、運が第一ではなかろ

司馬遼太郎氏の『新史太閤記」に適切な表現がある。中国攻めの陣で、羽柴秀吉は、備中。

高松城を水攻めにすることにした。黒田官兵衛孝高がこれを宰領した。高さ二〇メートル、

幅二〇メートルの堤防を、戦々四キロにわたって築き、平地にある高松城をかこんでしまおうというのである。この堤防が満々と水をたたえたとき、高松城は湖の中心となって完全に水没するだろう。しかし、その水をどうするか? 城の近くに二つの川が流れている。この

川を合流させ、流れを変えて堤防の中にそそぎこもうというのである。

この大工事を、人を動かすこと天下無類の大名人である秀吉は、わずか十二日で完成させた。水は徐々に人造湖に流れこんでゆく。が、堤防に立って様子をながめていた官兵衛は、 これはいかんと思った。これはむりだと思ったのである。出来たての湖は、流れこむ水の相当量を大地に滲みこませてしまって、水をためるというところまではいかないのである。この分では、いつになったら城が水没するほどの水量になるのかおぼつかない。水没するところまでいかなければ、域かたは降参するはずがないのである。そのうち、広島の本城から、 毛利の援軍がかけつけるであろう。

(これはむりだ)

と官兵衛はひそかに思った。

『が、官兵衛の心憂は、杞憂におわった。

築堤竣工して七日後、それまで空梅雨かとおもわれた天が、にわかに変ったのである。豪雨が降った。豪雨が、三日も降りつづいた。陰曆五月は梅雨の季節である。いかにその季節とはいえ、まるで天をくつがえしたようなこれほどの雨がふるというのはまれであろう。

河上も湖水も増水した。みるみるうちに人造湖のだ嵩があがり、二日目に城の丘が水没し、 三日目には城楼の一階はことごとく水面下になり、樹々も樽が水面上に顔を出しているというだけの光景になった。城兵たちは二階にのぼり、梢の上に板を渡し、簀をかけてそこに

起居した。かれらにとって敵よりも水とのたたかいであった。官兵衛は舌を捲いた。

水にではない。

羽柴筑前守という、自分が見込んだあの男の運のよさに対してであった。官兵衛はこの点で戦国人であった。才容力量があっても運のわるい男を数かぎりとなく官兵衛はみてきた。 力量門地がそろっていても天運の援助のない男を、官兵衛は巨漢とは思わない。小事をなすのは力量である。大事をなすのは天運である。と官兵衛はおもっていた。

(あの男には、大運がついていそうだ)

そう思ったが、しかし大運といってもこの時期、ほんの来月にやってくる本能寺ノ変という巨大な事態のころがりこみまでを、官兵衛は予想したわけではなかった。しかしながら、 (筑前はいい)

と、自分の見込みがはずれなかったことをひそかによろこんだ。もはやためらう必要はなかった。あの男を轄け、命を賭けてあの男のためにはたらき、あの男を押し立てることによってわが身の運をひらくべきであろう。」(司馬遼太郎「新史太閤記』後篇 新潮社刊) まさに運と力量(能力)について表現しあますところがない。

ただし、司馬氏は、秀吉の運のよさを買った官兵衛を、この点で戦国人であった」といっている。しかし、わたくしは、むしろ、官兵衛のこの着眼を、近代人的であったと表現したい。すくなくとも、官兵衛孝高のこの発想は(もちろんこれはどこまでも司馬官兵衛孝高のわけだが)戦国時代も現代も一貫して不変の人間学といわれるべきものではなかろうか。

運が悪かったらどうしようもないというのは、戦国時代にかぎりません。現代も同じです。むしろ今は、戦国時代以上の苛烈な時代だと思います。どれほど才能にあふれていようとも、どれ

くらいの能力があろうとも、運が悪かったら絶対にだめなのです。

また、人間というものは、だれもが社長になり、だれもが大将になれるわけではありません。

したがって黒田官兵衛のように、運のよい大将を選んで、あるいは現代ならば運のよい社長を選び、そこに身を寄せて、自分の能力・才能・運をできるだけ伸ばすようにすべきだ、とわたくしは思うのです。もちろん、ただ運が強いだけではしかたがありません。強い運を基礎にして、必 「死の努力を重ねていく。そうすると、必ず大きな成果を得られるわけです。

けれども運が悪かったのでは、死にものぐるいの努力をしても、努力が実ることは少ないわけです。むしろ努力すればするほど裏目に出て、逆に窮地に立たされることもままあります。企業でも、また宗教団体であっても、人は運の強いところに身を寄せて、自分の能力・才能・運を大いに伸ばす努力をすべきである、とわたくしはかねてからそのように思っています。

でしょうか? しかし、さきにお話ししたとおり、わたくしは最初から運がよかったのではありません。若いころのわたくしは非常に不運でした。それが今のように運がよくなったのは、いったいどうして

みましょう。 その秘密が『三供養品』に説かれています。仏教の原点ともいえるこのお経をさっそく読んで

いくことが必要なのです。

顧志とは、因果の法則・縁起の法が分からないところから生じる眺りです。単なる怒りではありません。縁起の法を無視した騙りです。人間は一方的に腹を立てる性質を持っています。たとえば、こういう人がいます。

「あいつのおかげでおれはえらく損をした。あんな悪いヤツはいない。おれはだまされた」

と激しく怒っているので事情を聞いてみると、あるセールスマンに、

「百万円を預けていただければ、一ヵ月後には一割の十万円を配当金としてお戻しします。もしも一千万円お預けいただければ、配当金は一カ月で百万円になりますよ」

といわれて口車に乗り、最初に百万円を預けたところ、翌月には相手がきちんと十万円を持ってきたものだから、これは本当だと考えて、ほうぼうから借金をして一千万円を預けたわけです。 ところが一千万円を預けた翌日には、相手はお金を持ち逃げしたあとで、事務所はもうすでにも

ぬけの殻だったといいます。それで、

「本当にあんな悪いヤツはいません」

といって賦りを発しているのです。

しかし、この世の中に、そんなぼろい儲け話などあるはずがないのです。月に一割の配当などできるわけがありません。どれほどの優良企業でも、月に一割の配当などとうてい考えられません。普通のまともな商売をしていたならば、それほどの金利が払えるわけがないのです。そのよ

のです。

う高いでは、商売になりません。一カ月に三分の金利でもかなり厳しいでしょう。三、四日だけのつなならば、なんとかなるかもしれませんが、ずっと続けるのは無理です。それ

月に一期の配当だというのですから、常識はずれも甚だしいでしょう。 もののけに乗っておいて、相手だけを非難するのはおかしい、とわたくしは思います。 常識で考えれば、すぐに鳴だと分かるような、怪しい話に乗ってしまった自分の愚かさも深く反

有するべきです。自分のことを棚に上げて相手のことばかり非難する、それがまさに職志の心な

それから、よく、自分の奥さんの悪口ばかりをいうご主人や、その反対に、ご主人の悪口ばか

りというさんがおります。

「うらの女房は、てんで役に立ちません」

という男性で、

「本当にうもの主人は、行は打つし、大酒呑みだし、女にはだらしがないし、どうしようもな

いんや子」

という女保もいます。

だが、あまりよくないの人が、自分の奥さんであり、主人であるということは、本人の因悪いわけです、とは公平なものですから、鍋に、金の茶釜には金の蓋がつきまず、自分なのをよそに、だけを責めるのはおかしな話です。悔しかったならば自分になればよいのです。そうすれば金の置が乗るようになります。これが因縁の道理で

そういうと、

が金の茶釜になればよいのです。そうすれば金の蓋が乗るようになります。これが因縁の道理で

わが身の因縁を深く反省するところに、人間の向上があるわけです。自分のことはさて置いて、 相手のことばかり悪くいっていたならば、自分は沈んでいくばかりです。他人のことよりも、まず自分自身の因縁を見つめなおして、その悪因縁をなくすように努力する、それで自分が向上していくのです。

「自分のことばかり悪く考えていたならば、暗くなってどうしようもない」

と反論する人がいるかもしれませんが、これは暗くなるとか、明るくなるという問題ではありません。自分自身を向上させていくには、やはり自分自身の悪いところを懺悔、反省しなければならないのです。

三結を断じて、欲食、職志の二結を減じると斯陀含になります。同じ聖者でも、須陀洹よりもずっと上の境界の聖者です。斯陀含は別名を「来といいます。斯陀含も須陀祖と同様、人間としての寿命が尽きると天上界に行きますが、そこでの寿命も尽きると、一度だけ人間界に戻ってくるのでこの名があります。一度だけ人間界に戻り、真に価値のあるすばらしい生涯を送ったあとは、完全に仏界に入ってしまうのです。

一四八

欲食と職志は心の深層にある煩悩

「三を切るとになり、欲育と志がらぐと期陀含になる」

といったなろ。

「本的な望である歌や、因果の道理が分からないための取りである職志がまだ残っているのに、どうして陀祖は聖者なのですか? 育や表が残っている人が聖者であるとは、とても思えません」

という質問を受けました。これはじつによい質問でした。わたくしは内心、いつこの質問が出るかと待っていたのです。

なぜ、放が残っていながら、聖者といえるのでしょうか?

こういうことです。表面意識のすべて、および潜在意識の一部における貪りとりは、千格の単品である身見の中に含まれているのです。身見を断つことによって、表面意識上の貪りと取り、 そして潜在意識の一部の食りと取りは、すでに消滅しているわけです。五下分結の四番目と五番目に位置する京育と頭走は、潜在意識の深層意識における真りと取りなのです。須陀祖は面識上のりや取りを断ち切っているのですから、間違いなく聖者の流れに入っています。 やして、意識のや意識に残っている欲食と志をさらに続することによって、須陀組合へと進むことができるわけです。

五下分を全部断ち切ってしまうと、阿那含という聖者になります。阿那含はもう二度と人間の世界には戻ってきません。天上界での寿命が尽きたのちは、完全解脱して仏界に入ってしまいます。ですから阿那含のことを、「還らず」と書いて不意というわけです。

ただし、阿那含は成仏の仕方によって、中、理、生般涅槃、有行、般涅槃、解行、般涅槃、 上、般涅槃の五種類に分類されますが、これを五種不還といいます。このことは『増一阿含緑・善品」の講義でお話ししておりますので、ここでは詳しい説明は割愛します(上巻・三二四一三二六育参照)。

とです。 阿那含になると、もう立派な大聖者です。仏陀・阿羅漢の一歩手前ですからね。中でも中般涅槃の阿那含などは、この世での寿命が尽き、天上界に生じる途中の、中、有の位で成仏してしまうわけですから、阿羅漢に準ずる大聖者です。したがって、阿那含になるということは大変なこ

ます。 五下分結の上に五上分結があります。これは凡夫の持っている煩悩ではなく、聖者の持つ煩傷ですから、凡人には分からないところがありますが、ざっと簡単に説明すると次のようになり

清らかな物質世界(界)に対する欲望

無色賣精神世界(無色界)に対する欲望

涅槃の一歩手前のところまできているものの、まだ涅槃を得ていない人が、もうす

でに自分は完全に解説しているのではないか、と錯覚する状態

神傷自分の得ている境界に喜びを感じたり、涅槃にまだ手が届かない自分を省みて自信

を失う状態

無明智慧の明かりがない状態であるが、言葉での説明は不可能

五下分結だけでなく五上分結もすべて断じた方、つまり十結全部を断たれた方が阿羅漢であり、

如来なのです。 それなのに大乗仏教の人たちは、自分たちが勝手につくり出したお経を正当化するために、

「阿羅漢とは小来の悟りを得た聖者で、菩薩の下なのだ」

としてしまったのですが、これはまったくの間違いです。その証拠に、お釈迦さまご自身が

「增一阿含経・高輪品」で、

「我阿羅漢を成じ、世間の最にして比いなし」

と説かれております。そのように、はっきりとおっしゃっているのです。

ところが大乗仏教の人たちは、お釈迦さまの教法が伝えられている唯一の経典「阿含経」を小

乗経典とけなし、お釈迦さまご自身が、

「われは阿羅漢である。世界で最も尊い存在であり、比べられる者はない」

と宣言されているにもかかわらず、阿羅漢とは小乗の悟りを得た者で、菩薩の下だとしてしまっています。とんでもない魂を教えているわけです。いまだにそのようにいっております。学問的にも、歴史的にも、それは間違いだったと分かっているにもかかわらず、いまだに在家の人たちには、あいもかわらず、

「阿羅演は小乗の覚者で、「阿含経」は小乗の経典だ」

と説いているのですから、まったく救いようがありません。阿含宗は、それを正すために、正

ただし広めているわけです。

三善根は七科三十七道品の礎

さて、話をもとに戻しましょう。

三(三)を一生懸命に修行するならば、須陀祖から阿那含にまで到達して、五下分結を断ずることができるわけですが、これは大変なことです。

三善根(三福道)の実践とは、「如来の所に於て、正法に於て、聖衆に於て」功徳を種える修行です。これが三福道の実践です。これを阿含宗の修行でいえば、仏舎利宝発尊御宝塔を敷いて、 仏舎利尊解宝生行(以下、解宝行)を行うということです。

これによって、須陀祖から阿那含にまで到達することができるのです。ただ、ここで忘れてはいけないのは、解説求生行は聖典動行と梵行によって成り立っている、ということです。この二つを実することが解説宝生行なのであって、単に聖典動行を行うだけでは、解脱宝生行の実践にはなりません。毎日の聖典動行と梵行によって、須陀退から阿那含にまでなることができるのです。梵行とは、運命転換をするための被強行です。いろいろな悪因縁を持って苦しむ凡夫のまま一生を過ごす、という運命を転換してしまうための積徳行です。

要するに、聖典動行と梵行がそろって三福道の実践になり、また優要塞の八法・十六法の実践

になるのです(上巻・「一の本格」三八一四九頁参照)。この修行で、阿那含にまでなることが可能

です。少なくとも須陀祖にはなれます。

阿那含のもう一段上が阿羅漢・仏陀ですが、すでに解説したように三福道の実践だけでは、とてもそこまでは到達できません。

「なんだ、阿那含までか・・・・・・」

そうお手軽にいわれては困ります。まだ須陀祖にもなれない人が、そのようなことをいっては

いけません。 阿那含になるのは、じつに大変なことです。日本の各宗派のお祖師さまといえども、阿那含になった人はいないわけですから。

阿羅漢になるには七科三十七道品が必要ですが、しかし、三善根(三福道)によって徳を積み、 聖者の流れに入った人は、この難しい上根の成仏法もできるようになります。

また阿含宗には都如意求聞持明法という能力開発の秘法があり、この法によって頭脳・才

能を飛躍させた上で、七科三十七道品の修行を行うという方式を採っております(これについては『火聞持明法秘伝」平河出版社をお読みいただきたい)。これによって、高度で難しい七科三十七道品の修行が実践しやすくなるのです。

しかし、駄都如意求聞持聡明法自体も高度の修行ですから、不徳の身では成就はおろか、修行を続けることもできません。ですから、やはり三善根(三福道)の実践で、徳を身につけることが必要不可欠なのです。

人間はなにをするにしても徳が必要です。徳がなければ、どれほど一生懸命にやっても、物事

人間になにを作るにしても徳が必要です。徳がなければ、どれほど一生懸命にやっても、物事

にもなりません。 は成就しません。十分な能力があったとしても、徳がなかったならば、病気をしたり、なにかじ 『まが入ったりして、絶対に目的を達成することができません。能力が少々欠けていても徳が十分にある人は、徳の助けでどうにか目的を達成できるのです。人間は徳がなかったならば、どう

「三善根(三福道)」とは、福徳を身につける道です。徳が身につけば自ずから運命は転換できます。因縁解脱とまでいかなくても、運命が転換されるようになります。運命を転換し、さらに徳を積みながら、駄都如意求聞持聡明法という才能飛躍の法にとりかかるわけです。徳が十分備わっていれば、これができます。徳のない人は、どれほど苦心しても成就しません。真言密教の求開持倉明法をやって、精神病になってしまう若いお坊さんが、大正から昭和にかけてずいぶんいたと聞いております。これは真言密教の求聞持聡明法のシステムが完璧でないためと、徳がない

のに無理をして才能を開発しようとしたことによる、一種のひずみだとわたくしは思います。

都意求聞持明法を成就するには、クンダリニー・ヨーガによるチャクラ開発が絶対に必

要です。人体には基本的なチャクラが七つありますが、わたくしはさらにそれらを大きく三つに分けております。第一は腹部に集まっている「内臓のチャクラ」です。第二はアージュニャー・ チャクラ、サハスラーラ・チャクラなどの「頭のチャクラ」で、第三がすさまじい力を生み出す 「生命力のチャクラ」です。チャクラはこの三つのグループに分けられます。この三つのグループのチャクラを特殊な修行法で開発していきます。最上部のアージュニャー・チャクラとサハス

ラーラ・チャクラが駄都如意開特挖明法と密接に関連しております。この二つのチャクラを開

発したならば、本当に天才になるでしょう。知的な仕事ならば、どのようなことでもできます。

一五四

どのような難しいことでも理解できるわけです。

そのように駄都如意求聞持聡明法によって、すばらしい力が得られるのです。しかしそれだけでは成仏できません。脳を天才的にすることはできても、成仏するには他の技法が必要になります。その技法こそが七科三十七道品の成仏法なのです。天才的になった頭脳で、七科三十七道品というお釈迦さまの成仏法を修行する、それによって成仏が得られます。頭脳を飛躍させないかぎり、お釈迦さまの成仏法の真髄は理解できません。わたくしは駄都如意求聞持聡明法をやっていたおかげで、七科三十七道品を体得できました。

しかし、繰り返しになりますが、それらの尊い法が成就できたのも、正法を広めるという大梵行、つまりは三善根(三福道)の実践のおかげです。これによってわたくしの運命は転換しました。冒頭に述べたように、若いころのわたくしは不運続きでした。けれども、人々に正法を広めることによって運がよくなり、成仏法体得という最高の福を獲得したのです。

あなた方も自分の運をよくしたい、運命を転換したいと望むならば、この三善根(三福道)を実践して出世間福を身につけなさい。これによって悪因縁は切れ、幸運な人生を拓くことができるのですから。

これで『三供養品』の講義を終了します。

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