如意輪観音
人々を苦悩から救い、あらゆる願いを叶える観音菩薩
薄紫の空に、かすかな光が満ちていた。
雲は静かにたなびき、天と地の境は溶け合うように曖昧であった。
その中央、蓮華の台座に坐す一人の菩薩がいた。
如意輪観音――人々の願いを聞き届け、迷いの輪を断ち切る存在。
六本の腕は、ただ多いだけではない。
それぞれが、六道に沈む衆生へと差し伸べられた救いの道標であった。
右の第一の手は、頬にそっと添えられ、深く思惟する姿を示している。
その眼差しは、すでに答えを知っている者の静けさと、今まさに苦を抱える者の痛みを同時に映していた。
右の第二の手には、如意宝珠。
あらゆる願いを叶えるという宝の珠は、欲望を煽るものではなく、
「本当に必要なものは何か」を照らし出す智慧の光として、静かに輝いていた。
右の第三の手には、数珠。
それは祈りの数ではなく、迷いの連鎖を一つひとつほどいていく時間そのものだった。
左の第一の手は、大地へと向けられている。
光明山を按ずるその姿は、苦悩に沈む世界を支え、揺るがぬ基盤を与える誓いのしるしであった。
左の第二の手には、まだ開かぬ蓮華のつぼみ。
それは、今は見えずとも、誰の心にも悟りの芽が宿っていることを告げていた。
左の第三の手には、法輪。
かつては武器であった円輪は、今や煩悩を打ち砕く智慧の象徴となり、
怒りも、執着も、恐れも、すべてを断ち切る静かな力を放っていた。
この菩薩は、天上界に迷う者を導く六観音の一尊である。
だが、その慈悲は天界にとどまらず、地獄、餓鬼、畜生、人間、修羅――
六道すべてに、等しく降り注いでいた。
「如意」とは、意のままに――
だがそれは、欲望を叶えることではなく、
迷いを超え、本来の道へと戻ることを意味していた。
「輪」とは、煩悩を打ち砕く法の回転。
止まることなく巡りながら、衆生の心を浄めていく智慧の運動であった。
ある夜、一人の人間が、深い絶望の中でこの名を唱えた。
オン・ハンドマ・シンダマニ・ジンバラ・ウン。
声は震えていたが、その一音一音は、確かに虚空へと届いていた。
すると、胸の奥で固く閉ざされていた扉が、音もなく開いた。
願いは叶えられたのではない。
だが、願いに縛られていた心が、ほどけたのだ。
如意輪観音は、静かに微笑んでいた。
すべての願いは、外にあるのではなく、
煩悩を超えたその先に、本来すでに満ちている――
そのことを、ただ思惟の姿で、黙して語りながら。




