「滅亡の論理」を創成した天才たち
は、「迷信」ともいうべきあやまったひとつの世界観のもとに、滅亡と破局にむか、 て、すさまじいエネルギーで碁進をつづけている。
まちがった世界観とはなにか。
それは「知識と技術によって世界はつねに価値ある状態に前進する」という考えかたである。 これは、現代における先進国のひとびとにとって、もはや「考え」というよりもむしろ、「信となっており、「希望」にすらなっている。
この世界観は、機械と技術が万能であるという考えが基盤となっており、それが、現代社会を構成する基本概念となっている。それがつくり出した現代人の生活をみてみよう。
遊びは電子技術によってつくられた機械――電子ゲームをいじくりまわすことであり、娯楽はテレビであり電子音楽である。仕事はモニターと微調整機械を調整することであり、さらにはロボットに代行させることが理想となりつつある。日々の活動は時計で規定され、通信手段は電話であり、家事は電子技術による調理器、洗濯機その他の操作である。勉強にしても、計算器、コンピューター、テレビの手助けを借り、ワードプロセッサーが文字を書くことを不要にしている。 旅行は自動車やジェット機がスピードを競う、というように、すべて機械にとりまかれた生活である。
その基本観念は、機械と技術が進歩すればするほど、われわれの生活が進歩し、改善され、紫栄する、というものである。そして、それは、人間の知識と技術の向上により、無限に上昇しつつ、つづくものと考えられているのである。
『エントロピーの法則』の著者J・リフキンは、この世界観をつくりあげ、決定づけたのは、三人の思想家であるとして、つぎのようにのべている。
『それぞれの世界観には、その構築者がいる。機械的世界観の礎を築いたのは三人の人間、すなわちフランシス・ベーコン、ルネ・デカルト、そしてアイザック・ニュートンである。しかも、当時から約四○○年後にいるわれわれは、今なお、彼らの考え方を基盤にして生活している』
それまでの、古代ギリシアの世界観を排斥して、機械体系のための原理をうちたてたのは、フランシス・ベーコンで、かれは、「人間の生活は、つねに新たな発見と潜在力に満ちていなくてはならない。いまや学間の真の目標はその方法の法則化以外のなにものでもない」といい、その
あたらしい方法とは「科学的方法論」であるとした。科学万能論の訳ずである。
つづいて数学者のルネ・デカルトが数学的方法論によって、ベーコンの科学万能論を延長した。ついで、アイザック・ニュートンが、数学的方法によって、物理的機械体系の世界を構築した。ここにおいて、機械と科学の万能論が完全、かつゆるぎないものとなったのである。
この機械的世界観を、社会学と経済学に移入したのが、イギリスの哲学者であり政治学者であるジョン・ロック(一六三ニー一七〇四)と、おなじくイギリスの経済学者であるアダム・スミス(一七二三―一七九〇○)であった。
った。 ジョン・ロックは、「個人が富むことはすなわち社会が富むことである」として、自己の利益を純粋に追求することが、よりよき国家を形成するための唯一無二の方法であるとした。人間は、 木米、物質欲が強いように生まれついてはいるが、社会の富を増加しさえすれば問題はないのであって、そうすれば、社会は調和され、改善されて、人間どうしで戦う必要のない社会が到来する、とかれは断言する。「なぜなら、自然は十分に恵み深く、さらに開発されるべき余力をうんと残している」からだと説く。したがって、ロックにとって、政治の目的は、あらたに発見された自然にたいする支配力(科学と技術)によって富を生産する自由を、国民にあたえることであ
ロックのこの思想は、経済学の原則の上に適用し、さらに延長したのが、アダム・スミスであ
った。一
かれは、ニュートン体系の一般概念を反映するようなかたちで、経済理論をうち立てようとした。スミスは『国富論』のなかで、自然法則にしたがって運動する天体とおなじように、経済もまた同様の行為を示すとのべ、したがって、経済組織にとって最も効率のよい方法とは、自由放任主義であり、現象をそのまま放っておき、人間の行動をなにものも阻害しないようにすることだ、とした。ロックとおなじように、スミスもまた、人間活動のすべての基盤は、物質的欲望の満足であると信じた。そして、それが自然である以上、個人の欲望を批判したり、個人の利益の追求をさまたげるような社会的障壁を設けることは、社会に害悪をもたらすものとした。
のである。 つまり、あるがままに自己を満足させようとする欲望は、結局、社会の利益をもたらすことになるのであるから、その欲望から生ずる効率的活動をさまたげるべきでなく、むしろ最良の経済原則であるとし、不足を克服するためには、個人個人が利己的に活動すべきである、と主張した
『各個人は、常に自らが支配できるいかなる資本に対しても、最大限有利な雇用を見いだすべく努力している。これは、まさしく個人の利益であって、その個人が属する社会の利益ではない。しかし、自己の利益を追い求めることは、当然のごとく、あるいはむしろ必然的に、 社会にとって最も最利な雇用をもたらすことにつながるのである』(アダム・スミス『国富論」)
このアダム・スミスに代表される世界観は、いまもなおそのままうけつがれ、現代社会を大きく動かしているのであるが、それは、二つの基盤から成り立つ、まず、
1、ジョン・ロックがいったように、「自然は十分に恵み深く、さらに開発されるべき余力をうんと残している」と考えていることである。いや、現代人は、無限に残していると信じているのではないか。そう信じているがゆえに、力学の科学的原理を応用して機械と技術を発展しさえすれば、この世界は無限に進歩改善され、繁栄してゆくと考えるわけである。そしてその動力となるものは、ロックや、スミスが説いたように、人間の物質的利己心を最大限に発展させる、という思想である。
この二つである。 2、より多くの物質的豊かさを追求し、実現することが進歩であるとし、それが人間の理想世界であると考え、科学技術はそれを完全に実現してくれる。と確信している。
ところが、この考えはまったくの「迷信」であり、「露」であったのである。
人類を進歩と繁栄の世界に到達させるはずのこの世界観は、じつは、人類を滅亡と破局に追いこむ「地獄の思想」だったのである。
それをあきらかにしたのが、「エントロピーの法則」であった。
エントロピーの法則
「エントロピーの法則」とは、「熱力学の法則」であるが、この熱力学の法則には、「第一の法則」と「第二の法則」がある。
第一の法則は「宇宙における物質とエネルギーの総和は一定で、けっして創成したり、消滅するようなことはない。また、物質が変化するのは、その形態だけで、本質が変わることはない」 という、有名な「エネルギー保存の法則」である。
そして熱力学の第二法則、というのが、つまり「エントロピーの法則」で、つぎのように表現される。
「物質とエネルギーは一つの方向のみに変化する。すなわち、使用可能なものから使用不可能なものへ、あるいは、利用可能なものから利用不可能なものへ、あるいはまた、秩序化されたものから、無秩序化されたものへと変化する」というものである。
この「エントロピーの法則」について、アルバート・アインシュタインは『エントロピーは、
すべての科学にとって第一の法則である』といっている。すべての科学法則のなかで、絶対法則としてみとめられているが、この「エントロピーの法則」なのである。
エントロピーというのは、一種の測定法であって、それによって利用可能なエネルギーが利用不可能な形態に変換してゆく度合いを測ることができるものである。そこで、エントロピーの増大とは、使えないエネルギーの増加を示すものなのである。この法則で示す二つの重大なポイントがある。一つは、一度使用されたエネルギーはもう使用できなくなる』ということと、もう一つは『地球もしくは宇宙のどこかで秩序らしきものが創成される場合、その周辺環境にはいっそう大きな無秩序が生じる」とされていることである。
このエントロピーの法則に照らし合わせてみたとき、いままでの世界観はまったくの迷信であり、誤認であったことがあきらかになったのである。
うことである。 まず第一に、この世界における自然の空薬は有限であり、いまのように科学と技術が資源を利用しつづけてゆくと、遠からずこの地球上には、利用すべき資源はなにもなくなってしまうとい
どのような科学と技術も、エネルギーを使い果たさずに何度も何度もエネルギーを使用する方法など持つことは不可能である。たとえば、石炭を燃やす。エネルギーは得られても、二酸化硫黄やその他のガスが発生して、空気中に拡散する。その過程においてエネルギーが失われること
はないものの、一度やした石をまた燃やすことはできないし、ましてや同量の仕事を得ることはできない。
このことについて、J・リフキンは、「エントロピーの法則』の中で、つぎのように説明する。
「われわれは、自分たちが使っているほとんどすべての物が、適切な技術を開発しさえすれは、まず完全に再生し、利用できるものと思いこんでいる。だが、これは間違いだ。将来、 この世界が経済的に生き残っていくには、リサイクリング(再生利用)をさらに効率的に推強していくことは不可欠であり、これは言うまでもないことだが、一〇〇パーセント再処理できる方法などないのも事実である。
たとえば、清涼飲料の空織を考えればよくわかるように、大部分の使用済み金属を見た場合、平均的な再生利用効率は、現在三〇パーセントとなっている。さらにリサイクリングのためには、使用された素材の収集・運搬・処理というように、別のエネルギーが必要となって、環境の全エントロピーが増える結果になる。したがって何かを再生利用するには、新たに使用可能なエネルギーの出費と、環境の全エントロピーの増大という犠牲が必ずつきまとうわけである』
一度使用した物質はリサイクリングすることが可能であるけれども、そのたびに変化して変えてゆくという目減り」は覚悟しなければならないし、また、そのリサイクリングするために別
なエネルギー・物質が消費されるから、結局、全体としてはなんにもならないということである。
『たとえば、地表下から金属をとり出して、それからなにか道具を作ると仮定してみよう。
この道具が存在している間、金属の分子は摩擦、成労、傷などのために、絶えず飛び去り、 また、これら遊離した金属分子は、けっして消滅することはなく、最終的には土の中に舞い戻ってしまう。
ところが、土の中に舞い戻るといっても、今度は土壌中に散在してしまうわけで、元の金属鉱石の塊りのように、もはや有益な仕事を行なえるようなかたちにはなりえない。また、 これら土壌中にばらばらに散った全属分子を、すべてリサイクリングする方法が、将来発見されるかもしれないが、それには、やはりこの全過程において、他のエネルギーの使用とい
う別の次元でのエントロピーの増大を必ず伴う』
ところが、現代社会は、科学と技術がいくらでも、自分たちの便利と繁栄のための道具を無際限につくり出してくれるものと盲信しているのである。
行きつくところは死の惑星
今日の新聞・・・朝日)は、ソ連の農業が、四年連続の不作であると報じ、その主な軍因の一つとして、「地力の低下」をあげている。ほかにもいくつかの原因をあげているが、これが最大の原因であることは、疑う余地がない。要するに「農業」による地力低下である。土地から取写するばかりの農業がまねく必然の結果である。いつかは破産する。
食になら、だれでも知っていることだが、いくら再生利用に努め、つねに日照が不足しないようにしたとしても、同一の場所で毎年毎年おなじ収穫を得ることは不可能である。エントロピーの法則では、今日一葉の草がぜえたということは、将来おなじ場所で生える草の葉が一枚減るということを意味するのであり、これは、ニコラス・レーゲンの理論で、かれは『閉ざされた系において、物質的エントロピーは、究極的に必ず最大に向かう』と表現している。
四年連続して不作となっているソ連の農業が、そのままいまのわれわれの世界のすがたであろう。人類は、その起源からいまに至るまで、ずうっと、地球上においてストックされていたエネルギーを収容し、食いつぶしつづけているのである。
人類が誕生して以来、いままでに、なに一つとして、地球上にストックされた資源を使わずにあらたな物質を創造したということはない。すべて、ストックされたものの利用である。つまり、 食いつぶしだ。それは、要するに、成るエネルギーを使用可能な状態から使用不可能な状態にと変換してきただけである。そして、人類が進化し進歩するにつれて、エネルギー利用の能力が高
られてきた、いうことは、使用不可能な状態のエネルギーを増加させる力が高められてき
かならないのである。 たということにほかならない。これを「エントロピーの法用」によってみれば、地球上の生命にとって、とは、使用可他在王小をすべて食いつぶし、消費してしまうということには
「主として、石油と石に存している。ところが、われわれは、いま、現実に、この石油、石をはじめとする再生不可能在千年ルギーのストックを、ほとんど使い果たしているのである。これをいったいどう考えるか。
コロンビア大学の経済学者エミール・ブノワは『原子力科学者会報』の中で、石油の世界消費が現在のペースで増えつづければ、今後二五年以内に石油は枯渇してしまう、とのべている。かあに、現在の石油蔵量の四倍に匹敵する新たな石油層が発見されたとしても多くの専門家は
物語としているが)それでも枯渇までの期間が、せいぜい二五年延びるにすぎないのである。
また、一五回にわたる産業界、政府の要人、それに学界の専門家を加え、マサチューセッツ工科大学の後後で実返された最近の調査では、世界の石油供給は、西暦二○○○年以前に、増加する需要を向たしきれなくなるであろう、と結論している。また、一九八五年から一九九五年にかけで、エネルギー価格が現在より五〇%上昇するようなことがあると、世界は大規観な石油危授に見まわれることがあるかも知れない、とものべている。
日米欧委員会(日本、アメリカ、西欧の政治・経済のリーダーが参加している国際的な組織) がおこなった調査をみても、同様な予測がなされており、一九九○年代の中頃までには、世界の石油需要は、その供給を完全に上回るだろうとされている。
これにたいし、新たなエネルギー生産の技術研究がすすめられている。
まず、石炭液化であるが、これは、わずか三―四バーレル(一バーレルは四ニガロン)の液化油を得るのに、一トン以上の石炭を採掘し、それを高温に熱し、さらに高圧処理しなければならない。それに要するエネルギーの量は、まさに気も遠くなるばかりの数字である。
だれでもわかるように、エネルギーを変換するためには、べつのエネルギーが必要である。だから、正味のエネルギーとは、新たにエネルギーをつくり出すために要したエネルギーを差引いた残りの総計である。その点からいうと、シェール・オイル(頁岩油)は論外である。たった一パーレルのシェール・オイルを生産するのに一トン半ものオイル・シュール(油ぜ電器)が必要けつがんゆで、それと同時に、製造過程において水をニバーレル必要とする。しかも、シェール・オイルは毒性のガスを発生するので、その処理がたいへんである。タール・サンド(粘性の高い炭化水素を含む砂または砂岩)はどうかといえば、わずか一バーレルの石油を得るのに、約二トンのタール・サンドを採掘して加熱しなければならない。いずれも、へたをすると、一〇のエネルギーを
得るために、二〇、三〇のエネルギーを消費しなければならないおそれがあるわけである。とて
も実用できるものではないのだ。
原子力発電は危険きわまりなく、いま最も注目されている太陽エネルギーの利用は、どのように高度の技術を結集したとしても、現在の産業構造を支えるエネルギー源にはなり得ないのである。
太陽エネルギーの持つ流れの性質、および現在の技術からみて、太陽エネルギーが最適なのは、 小規模のシステム、たとえば各家庭に熱と湯を供給するといった装置にたいしてである。多くの
きるかぎり考慮しても、いまの個人住宅を太陽エネルギー用に改造した場合、住宅のエネルギー需要の六〇%をまかなうにすぎないだろうという。また、もし、将来、太陽エネルギー利用のす
太陽エネルギーの推進者らの間で一致している意見は、現在の技術水準や、将来の技術水準をでものであるから、あらたな資源を使って、まったく新しい構造をつくり出さなければならない。
ばらしい新技術が開発されたとしても、それは、現在のエネルギー利用構造とまったく異なった
そのエネルギー消費は考えられないほどの数字になることは必然である。それに現在の、あるいは将来の地球資源は耐えられるかどうかである。
J・リフキンは、結局、
『このまま進むと、われわれがこの地球を去るときは、自分たちのためだけに、将来人類が必要とするすべての資源を使いはたし、次の世代の人間は、何一つ使用できるエネルギーを持たない惑星に取り残されてしまうことになる。なんというエゴ、なんという視野狭窄症
軽減できるし、水も車に進過できることを指摘し、オゾン層の破壊についても、「二十メガトン級枝頭五千発が大気圏内で爆発しても、オゾン層は北半球で五〇%減るだけで、一年後には八○%回復する。やけどをこうむり、皮膚癌が急増しても人類の存続は確実だ」と遠べたことは、一部の新聞で報道されたから知っている人も多いだろう』
とのべているのは、無茶というよりいいようがない。二十メガトン級核弾頭が一発、どこかの都市にうちこまれただけでも、エントロピーの増大は、地球上に回復しがたい痛手をあたえるのではないか。それでも、人類は全滅しないかも知れない。しかし、それはただたんに原始人のように(ただし原始人のように健康ではなく半病人の状態で)生きながらえるだけであろう。
『エントロピーの法則』の訳者である竹内均氏(東大名誉教授・地球物理学の権威)は、その 「まえがき」で、
『アルビン・トフラー、ダニエル・ベル、ハーマン・カーンなど、現代文明を論じ、それに
警鐘を鳴らし、未来を切り開くための新たな提言をする学者は多い。そしてこれらは、それぞれ独自の観点に立ち、そのかぎりにおいて、なかなかの説得力を持つ。しかし、物理学者の私には、共通した弱点が目につくのも事実である。というのも、どなたもご存じのとおり、 現代世界が解決を迫られている最大の難問の一つにエネルギー問題があるが、これに対する深い考察を欠くものばかりだからである』
といっているのは、まさに御を射たものといわねばならない。 エントロピーの法則によれば、閉鎖された弟である地球のエネルギーは、確実に、ヒート・デ
ス《エネルギーが使用不可能になった状態)に向かいつつあり、補充されることはぜったいにない。われわれは限られた地上のストックを食いつぶしつつあるのであり、その育板はすでに底をみせつつあるのである。十年、二十年前にストックは十分あったのだから、十年後、二十年後もおなじように十分あると考えていいという論理は成り立たない。いま、こうしているあいだにも、われわれは、その様をおそろしい勢いで食いつぶしつつあるのだから――。
その行きつく果ては、このぜんたいのヒート・デスである。そこには荒廃した死の惑星がなに浮かんでいるだけだ。しかし、そうなるまで、この要望にみちた分が、平静なままでするか、おそらくそのはるかに、この恋は人間たちの手で壊滅することになるだろう。 いままでの世界であるかぎり、かならず。そうなる。
『エンドタビーの出」の次の新たなる世界の確立」で。手・リフキンが。
たを少なくすることの旨を認識していた。散想は、まさしくスキルギーの無髪な参らしようというものにかならない。一人ひとりの人間とろろギーの
おさえ、的をしていって初めて、「エルヴァーア」(かすなか
仏教のとする、すべてのを滅した意あるいは「道」という真理に到達するかるかというものである。
といっているのは、私を自作しているこの国のひとたちすべてが、まただして聞くべき言葉ではないか。
われわれが、物欲望の充足を目標としているかぎり、物質を支配する法則、「エントロピこの法則」から脱出することはできない。
シャカは「霊性の獲得」という方法により、物質世界の法則からの脱出を説き、その方法をわれわれに示した。それにより、人間は、物質世界の法則から超越し、霊的世界という高次元の世界に生き、高次元の世界を創造することができることを教えられたのである。それが、シャカの 「成仏法」である。
このシャかの「成仏法」は、いろいろな事情から、千数百年の間、日本の仏教界において抹殺されつづけ、ついに今日にいたるまで陽の目をみることがなかった。
のである。 いま、このシャカの成仏法が、世に出でんとしているのは、この世界を救おうとするみ仏の意ぶと、無意識のうちにこの聖なる教法を求めている人類の願いが、まさにいま合致したのであると思われてならない。その使命をはたすことのできるよろこびに、わたくしはうちふるえている
現代社会は、「迷信」ともいうべきあやまったひとつの世界観のもとに、滅亡と破局にむか、 て、すさまじいエネルギーで碁進をつづけている。
まちがった世界観とはなにか。
それは「知識と技術によって世界はつねに価値ある状態に前進する」という考えかたである。 これは、現代における先進国のひとびとにとって、もはや「考え」というよりもむしろ、「信となっており、「希望」にすらなっている。
この世界観は、機械と技術が万能であるという考えが基盤となっており、それが、現代社会を構成する基本概念となっている。それがつくり出した現代人の生活をみてみよう。
遊びは電子技術によってつくられた機械――電子ゲームをいじくりまわすことであり、娯楽はテレビであり電子音楽である。仕事はモニターと微調整機械を調整することであり、さらにはロボットに代行させることが理想となりつつある。日々の活動は時計で規定され、通信手段は電話であり、家事は電子技術による調理器、洗濯機その他の操作である。勉強にしても、計算器、コンピューター、テレビの手助けを借り、ワードプロセッサーが文字を書くことを不要にしている。 旅行は自動車やジェット機がスピードを競う、というように、すべて機械にとりまかれた生活である。
その基本観念は、機械と技術が進歩すればするほど、われわれの生活が進歩し、改善され、紫栄する、というものである。そして、それは、人間の知識と技術の向上により、無限に上昇しつつ、つづくものと考えられているのである。
『エントロピーの法則』の著者J・リフキンは、この世界観をつくりあげ、決定づけたのは、三人の思想家であるとして、つぎのようにのべている。
『それぞれの世界観には、その構築者がいる。機械的世界観の礎を築いたのは三人の人間、すなわちフランシス・ベーコン、ルネ・デカルト、そしてアイザック・ニュートンである。しかも、当時から約四○○年後にいるわれわれは、今なお、彼らの考え方を基盤にして生活している』
それまでの、古代ギリシアの世界観を排斥して、機械体系のための原理をうちたてたのは、フランシス・ベーコンで、かれは、「人間の生活は、つねに新たな発見と潜在力に満ちていなくてはならない。いまや学間の真の目標はその方法の法則化以外のなにものでもない」といい、その
あたらしい方法とは「科学的方法論」であるとした。科学万能論の訳ずである。
つづいて数学者のルネ・デカルトが数学的方法論によって、ベーコンの科学万能論を延長した。ついで、アイザック・ニュートンが、数学的方法によって、物理的機械体系の世界を構築した。ここにおいて、機械と科学の万能論が完全、かつゆるぎないものとなったのである。
この機械的世界観を、社会学と経済学に移入したのが、イギリスの哲学者であり政治学者であるジョン・ロック(一六三ニー一七〇四)と、おなじくイギリスの経済学者であるアダム・スミス(一七二三―一七九〇○)であった。
った。 ジョン・ロックは、「個人が富むことはすなわち社会が富むことである」として、自己の利益を純粋に追求することが、よりよき国家を形成するための唯一無二の方法であるとした。人間は、 木米、物質欲が強いように生まれついてはいるが、社会の富を増加しさえすれば問題はないのであって、そうすれば、社会は調和され、改善されて、人間どうしで戦う必要のない社会が到来する、とかれは断言する。「なぜなら、自然は十分に恵み深く、さらに開発されるべき余力をうんと残している」からだと説く。したがって、ロックにとって、政治の目的は、あらたに発見された自然にたいする支配力(科学と技術)によって富を生産する自由を、国民にあたえることであ
ロックのこの思想は、経済学の原則の上に適用し、さらに延長したのが、アダム・スミスであ
った。一
かれは、ニュートン体系の一般概念を反映するようなかたちで、経済理論をうち立てようとした。スミスは『国富論』のなかで、自然法則にしたがって運動する天体とおなじように、経済もまた同様の行為を示すとのべ、したがって、経済組織にとって最も効率のよい方法とは、自由放任主義であり、現象をそのまま放っておき、人間の行動をなにものも阻害しないようにすることだ、とした。ロックとおなじように、スミスもまた、人間活動のすべての基盤は、物質的欲望の満足であると信じた。そして、それが自然である以上、個人の欲望を批判したり、個人の利益の追求をさまたげるような社会的障壁を設けることは、社会に害悪をもたらすものとした。
のである。 つまり、あるがままに自己を満足させようとする欲望は、結局、社会の利益をもたらすことになるのであるから、その欲望から生ずる効率的活動をさまたげるべきでなく、むしろ最良の経済原則であるとし、不足を克服するためには、個人個人が利己的に活動すべきである、と主張した
『各個人は、常に自らが支配できるいかなる資本に対しても、最大限有利な雇用を見いだすべく努力している。これは、まさしく個人の利益であって、その個人が属する社会の利益ではない。しかし、自己の利益を追い求めることは、当然のごとく、あるいはむしろ必然的に、 社会にとって最も最利な雇用をもたらすことにつながるのである』(アダム・スミス『国富論」)
このアダム・スミスに代表される世界観は、いまもなおそのままうけつがれ、現代社会を大きく動かしているのであるが、それは、二つの基盤から成り立つ、まず、
1、ジョン・ロックがいったように、「自然は十分に恵み深く、さらに開発されるべき余力をうんと残している」と考えていることである。いや、現代人は、無限に残していると信じているのではないか。そう信じているがゆえに、力学の科学的原理を応用して機械と技術を発展しさえすれば、この世界は無限に進歩改善され、繁栄してゆくと考えるわけである。そしてその動力となるものは、ロックや、スミスが説いたように、人間の物質的利己心を最大限に発展させる、という思想である。
この二つである。 2、より多くの物質的豊かさを追求し、実現することが進歩であるとし、それが人間の理想世界であると考え、科学技術はそれを完全に実現してくれる。と確信している。
ところが、この考えはまったくの「迷信」であり、「露」であったのである。
人類を進歩と繁栄の世界に到達させるはずのこの世界観は、じつは、人類を滅亡と破局に追いこむ「地獄の思想」だったのである。
それをあきらかにしたのが、「エントロピーの法則」であった。
エントロピーの法則
「エントロピーの法則」とは、「熱力学の法則」であるが、この熱力学の法則には、「第一の法則」と「第二の法則」がある。
第一の法則は「宇宙における物質とエネルギーの総和は一定で、けっして創成したり、消滅するようなことはない。また、物質が変化するのは、その形態だけで、本質が変わることはない」 という、有名な「エネルギー保存の法則」である。
そして熱力学の第二法則、というのが、つまり「エントロピーの法則」で、つぎのように表現される。
「物質とエネルギーは一つの方向のみに変化する。すなわち、使用可能なものから使用不可能なものへ、あるいは、利用可能なものから利用不可能なものへ、あるいはまた、秩序化されたものから、無秩序化されたものへと変化する」というものである。
この「エントロピーの法則」について、アルバート・アインシュタインは『エントロピーは、
すべての科学にとって第一の法則である』といっている。すべての科学法則のなかで、絶対法則としてみとめられているが、この「エントロピーの法則」なのである。
エントロピーというのは、一種の測定法であって、それによって利用可能なエネルギーが利用不可能な形態に変換してゆく度合いを測ることができるものである。そこで、エントロピーの増大とは、使えないエネルギーの増加を示すものなのである。この法則で示す二つの重大なポイントがある。一つは、一度使用されたエネルギーはもう使用できなくなる』ということと、もう一つは『地球もしくは宇宙のどこかで秩序らしきものが創成される場合、その周辺環境にはいっそう大きな無秩序が生じる」とされていることである。
このエントロピーの法則に照らし合わせてみたとき、いままでの世界観はまったくの迷信であり、誤認であったことがあきらかになったのである。
うことである。 まず第一に、この世界における自然の空薬は有限であり、いまのように科学と技術が資源を利用しつづけてゆくと、遠からずこの地球上には、利用すべき資源はなにもなくなってしまうとい
どのような科学と技術も、エネルギーを使い果たさずに何度も何度もエネルギーを使用する方法など持つことは不可能である。たとえば、石炭を燃やす。エネルギーは得られても、二酸化硫黄やその他のガスが発生して、空気中に拡散する。その過程においてエネルギーが失われること
はないものの、一度やした石をまた燃やすことはできないし、ましてや同量の仕事を得ることはできない。
このことについて、J・リフキンは、「エントロピーの法則』の中で、つぎのように説明する。
「われわれは、自分たちが使っているほとんどすべての物が、適切な技術を開発しさえすれは、まず完全に再生し、利用できるものと思いこんでいる。だが、これは間違いだ。将来、 この世界が経済的に生き残っていくには、リサイクリング(再生利用)をさらに効率的に推強していくことは不可欠であり、これは言うまでもないことだが、一〇〇パーセント再処理できる方法などないのも事実である。
たとえば、清涼飲料の空織を考えればよくわかるように、大部分の使用済み金属を見た場合、平均的な再生利用効率は、現在三〇パーセントとなっている。さらにリサイクリングのためには、使用された素材の収集・運搬・処理というように、別のエネルギーが必要となって、環境の全エントロピーが増える結果になる。したがって何かを再生利用するには、新たに使用可能なエネルギーの出費と、環境の全エントロピーの増大という犠牲が必ずつきまとうわけである』
一度使用した物質はリサイクリングすることが可能であるけれども、そのたびに変化して変えてゆくという目減り」は覚悟しなければならないし、また、そのリサイクリングするために別
なエネルギー・物質が消費されるから、結局、全体としてはなんにもならないということである。
『たとえば、地表下から金属をとり出して、それからなにか道具を作ると仮定してみよう。
この道具が存在している間、金属の分子は摩擦、成労、傷などのために、絶えず飛び去り、 また、これら遊離した金属分子は、けっして消滅することはなく、最終的には土の中に舞い戻ってしまう。
ところが、土の中に舞い戻るといっても、今度は土壌中に散在してしまうわけで、元の金属鉱石の塊りのように、もはや有益な仕事を行なえるようなかたちにはなりえない。また、 これら土壌中にばらばらに散った全属分子を、すべてリサイクリングする方法が、将来発見されるかもしれないが、それには、やはりこの全過程において、他のエネルギーの使用とい
う別の次元でのエントロピーの増大を必ず伴う』
ところが、現代社会は、科学と技術がいくらでも、自分たちの便利と繁栄のための道具を無際限につくり出してくれるものと盲信しているのである。
行きつくところは死の惑星
今日の新聞・・・朝日)は、ソ連の農業が、四年連続の不作であると報じ、その主な軍因の一つとして、「地力の低下」をあげている。ほかにもいくつかの原因をあげているが、これが最大の原因であることは、疑う余地がない。要するに「農業」による地力低下である。土地から取写するばかりの農業がまねく必然の結果である。いつかは破産する。
食になら、だれでも知っていることだが、いくら再生利用に努め、つねに日照が不足しないようにしたとしても、同一の場所で毎年毎年おなじ収穫を得ることは不可能である。エントロピーの法則では、今日一葉の草がぜえたということは、将来おなじ場所で生える草の葉が一枚減るということを意味するのであり、これは、ニコラス・レーゲンの理論で、かれは『閉ざされた系において、物質的エントロピーは、究極的に必ず最大に向かう』と表現している。
四年連続して不作となっているソ連の農業が、そのままいまのわれわれの世界のすがたであろう。人類は、その起源からいまに至るまで、ずうっと、地球上においてストックされていたエネルギーを収容し、食いつぶしつづけているのである。
人類が誕生して以来、いままでに、なに一つとして、地球上にストックされた資源を使わずにあらたな物質を創造したということはない。すべて、ストックされたものの利用である。つまり、 食いつぶしだ。それは、要するに、成るエネルギーを使用可能な状態から使用不可能な状態にと変換してきただけである。そして、人類が進化し進歩するにつれて、エネルギー利用の能力が高
られてきた、いうことは、使用不可能な状態のエネルギーを増加させる力が高められてき
かならないのである。 たということにほかならない。これを「エントロピーの法用」によってみれば、地球上の生命にとって、とは、使用可他在王小をすべて食いつぶし、消費してしまうということには
「主として、石油と石に存している。ところが、われわれは、いま、現実に、この石油、石をはじめとする再生不可能在千年ルギーのストックを、ほとんど使い果たしているのである。これをいったいどう考えるか。
コロンビア大学の経済学者エミール・ブノワは『原子力科学者会報』の中で、石油の世界消費が現在のペースで増えつづければ、今後二五年以内に石油は枯渇してしまう、とのべている。かあに、現在の石油蔵量の四倍に匹敵する新たな石油層が発見されたとしても多くの専門家は
物語としているが)それでも枯渇までの期間が、せいぜい二五年延びるにすぎないのである。
また、一五回にわたる産業界、政府の要人、それに学界の専門家を加え、マサチューセッツ工科大学の後後で実返された最近の調査では、世界の石油供給は、西暦二○○○年以前に、増加する需要を向たしきれなくなるであろう、と結論している。また、一九八五年から一九九五年にかけで、エネルギー価格が現在より五〇%上昇するようなことがあると、世界は大規観な石油危授に見まわれることがあるかも知れない、とものべている。
日米欧委員会(日本、アメリカ、西欧の政治・経済のリーダーが参加している国際的な組織) がおこなった調査をみても、同様な予測がなされており、一九九○年代の中頃までには、世界の石油需要は、その供給を完全に上回るだろうとされている。
これにたいし、新たなエネルギー生産の技術研究がすすめられている。
まず、石炭液化であるが、これは、わずか三―四バーレル(一バーレルは四ニガロン)の液化油を得るのに、一トン以上の石炭を採掘し、それを高温に熱し、さらに高圧処理しなければならない。それに要するエネルギーの量は、まさに気も遠くなるばかりの数字である。
だれでもわかるように、エネルギーを変換するためには、べつのエネルギーが必要である。だから、正味のエネルギーとは、新たにエネルギーをつくり出すために要したエネルギーを差引いた残りの総計である。その点からいうと、シェール・オイル(頁岩油)は論外である。たった一パーレルのシェール・オイルを生産するのに一トン半ものオイル・シュール(油ぜ電器)が必要けつがんゆで、それと同時に、製造過程において水をニバーレル必要とする。しかも、シェール・オイルは毒性のガスを発生するので、その処理がたいへんである。タール・サンド(粘性の高い炭化水素を含む砂または砂岩)はどうかといえば、わずか一バーレルの石油を得るのに、約二トンのタール・サンドを採掘して加熱しなければならない。いずれも、へたをすると、一〇のエネルギーを
得るために、二〇、三〇のエネルギーを消費しなければならないおそれがあるわけである。とて
も実用できるものではないのだ。
原子力発電は危険きわまりなく、いま最も注目されている太陽エネルギーの利用は、どのように高度の技術を結集したとしても、現在の産業構造を支えるエネルギー源にはなり得ないのである。
太陽エネルギーの持つ流れの性質、および現在の技術からみて、太陽エネルギーが最適なのは、 小規模のシステム、たとえば各家庭に熱と湯を供給するといった装置にたいしてである。多くの
きるかぎり考慮しても、いまの個人住宅を太陽エネルギー用に改造した場合、住宅のエネルギー需要の六〇%をまかなうにすぎないだろうという。また、もし、将来、太陽エネルギー利用のす
太陽エネルギーの推進者らの間で一致している意見は、現在の技術水準や、将来の技術水準をでものであるから、あらたな資源を使って、まったく新しい構造をつくり出さなければならない。
ばらしい新技術が開発されたとしても、それは、現在のエネルギー利用構造とまったく異なった
そのエネルギー消費は考えられないほどの数字になることは必然である。それに現在の、あるいは将来の地球資源は耐えられるかどうかである。
J・リフキンは、結局、
『このまま進むと、われわれがこの地球を去るときは、自分たちのためだけに、将来人類が必要とするすべての資源を使いはたし、次の世代の人間は、何一つ使用できるエネルギーを持たない惑星に取り残されてしまうことになる。なんというエゴ、なんという視野狭窄症
軽減できるし、水も車に進過できることを指摘し、オゾン層の破壊についても、「二十メガトン級枝頭五千発が大気圏内で爆発しても、オゾン層は北半球で五〇%減るだけで、一年後には八○%回復する。やけどをこうむり、皮膚癌が急増しても人類の存続は確実だ」と遠べたことは、一部の新聞で報道されたから知っている人も多いだろう』
とのべているのは、無茶というよりいいようがない。二十メガトン級核弾頭が一発、どこかの都市にうちこまれただけでも、エントロピーの増大は、地球上に回復しがたい痛手をあたえるのではないか。それでも、人類は全滅しないかも知れない。しかし、それはただたんに原始人のように(ただし原始人のように健康ではなく半病人の状態で)生きながらえるだけであろう。
『エントロピーの法則』の訳者である竹内均氏(東大名誉教授・地球物理学の権威)は、その 「まえがき」で、
『アルビン・トフラー、ダニエル・ベル、ハーマン・カーンなど、現代文明を論じ、それに
警鐘を鳴らし、未来を切り開くための新たな提言をする学者は多い。そしてこれらは、それぞれ独自の観点に立ち、そのかぎりにおいて、なかなかの説得力を持つ。しかし、物理学者の私には、共通した弱点が目につくのも事実である。というのも、どなたもご存じのとおり、 現代世界が解決を迫られている最大の難問の一つにエネルギー問題があるが、これに対する深い考察を欠くものばかりだからである』
といっているのは、まさに御を射たものといわねばならない。 エントロピーの法則によれば、閉鎖された弟である地球のエネルギーは、確実に、ヒート・デ
ス《エネルギーが使用不可能になった状態)に向かいつつあり、補充されることはぜったいにない。われわれは限られた地上のストックを食いつぶしつつあるのであり、その育板はすでに底をみせつつあるのである。十年、二十年前にストックは十分あったのだから、十年後、二十年後もおなじように十分あると考えていいという論理は成り立たない。いま、こうしているあいだにも、われわれは、その様をおそろしい勢いで食いつぶしつつあるのだから――。
その行きつく果ては、このぜんたいのヒート・デスである。そこには荒廃した死の惑星がなに浮かんでいるだけだ。しかし、そうなるまで、この要望にみちた分が、平静なままでするか、おそらくそのはるかに、この恋は人間たちの手で壊滅することになるだろう。 いままでの世界であるかぎり、かならず。そうなる。
『エンドタビーの出」の次の新たなる世界の確立」で。手・リフキンが。
たを少なくすることの旨を認識していた。散想は、まさしくスキルギーの無髪な参らしようというものにかならない。一人ひとりの人間とろろギーの
おさえ、的をしていって初めて、「エルヴァーア」(かすなか
仏教のとする、すべてのを滅した意あるいは「道」という真理に到達するかるかというものである。
といっているのは、私を自作しているこの国のひとたちすべてが、まただして聞くべき言葉ではないか。
われわれが、物欲望の充足を目標としているかぎり、物質を支配する法則、「エントロピこの法則」から脱出することはできない。
シャカは「霊性の獲得」という方法により、物質世界の法則からの脱出を説き、その方法をわれわれに示した。それにより、人間は、物質世界の法則から超越し、霊的世界という高次元の世界に生き、高次元の世界を創造することができることを教えられたのである。それが、シャカの 「成仏法」である。
このシャかの「成仏法」は、いろいろな事情から、千数百年の間、日本の仏教界において抹殺されつづけ、ついに今日にいたるまで陽の目をみることがなかった。
のである。 いま、このシャカの成仏法が、世に出でんとしているのは、この世界を救おうとするみ仏の意ぶと、無意識のうちにこの聖なる教法を求めている人類の願いが、まさにいま合致したのであると思われてならない。その使命をはたすことのできるよろこびに、わたくしはうちふるえている




