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空を悟る四念処法

空を悟る四念処法(念林工)

さて、それでは念根・定根・慧根とはどのような修行法でしょうか?

経文の続きを読みましょう。

何等為念根。若比丘。内身身観住。

慇懃方便。正念正智。調伏世間食憂。

外身内外身受心法法観念住。亦如是說。是名念根。何等為定根。若比丘。 離欲惡不善法。有党有観。離生喜楽。 乃至第四禅具足住。是名定根。何等

為慧根。若比丘。苦聖諦如実知。苦

集聖諦。苦滅聖諦。苦滅道跡聖諦。

如実知。是名慧根。仏説此経已。諸

比丘聞仏所説。歓喜奉行

しんかん 「何等をか念根と為す。若し比丘よ、内身の身観に住し、 感態に方便し正、念正、智もて世間の食憂を調伏し、が射・だが射の念・心・法の法観念に住するも亦是の如く説く。是れを念根と名づく。何等をか定根と為す。若ししょうたいじっめつどうしやくしようたい比丘よ、欲惑不善法を離れ、有覚有観、離に暮・楽を生じ、乃至第四禅具足して住する。是れを定根と名づく。 何等をか慧根と為す。若し比丘よ、苦聖諦に実の如く聖諦に実の知り、苦集聖諦・苦聖諦・苦滅道跡如く知らば、是れを慧根と名づく」と。仏此の経を説き己りたまいしに、諸の比丘、仏の説かせたまう所を聞きて、歓喜し奉行しき

 

現代語訳

「念根とはなんでしょうか?

比丘たちよ、内身・外身・内外身の身観に住し、法にかなった正しい方法による正念と正智によって世間の貪りと憂いを調伏し、受観と心観、また法観においても同様に観ずるのが念根です。 定根とはなんでしょうか?

定根です。 比丘たちよ、煩悩や不徳から離れて初禅に入り、覚・観および喜・楽などの定を修めて第二弾・第三弾と進み、欲から完全に離脱して、最終的に第四禅に到達し、その境地に住するのが、

意根とはなんでしょうか?

比丘たちよ、苦しみと、苦しみの生起の原因と、苦しみ(とその原因)を滅ぼすことと、苦しみ(とその原因)を滅ぼす方法に関する、聖なる悟りを如実に体得することが慧根なのです」 というように、比丘たちはこの仏さまの説法を拝聴して大いに喜び、修行に精進しました。

解説

三、念根

念根では、四念処法(四念観・『然街)を行います。四念処法は空を悟るための四つの深い眠想法から成り立っています。その四つの瞑想法とは、身観・気・・法観です。瞑想の具体

的な方法は、実地で指導しなければいけませんが、とりあえず簡単に説明いたします。

(1)身観(身念処・身念住)

じようかん身観とは不浄観です。「身体は不浄なり」と見るわけです。「我が身は不浄なり」という観想からスタートして、深く瞑想していきます。

(2)受観(受念処・受念住)

受観とは苦観です。受とは感受作用ですが、この感受作用が苦であることを観想し、瞑想していきます。「受は苦である」という瞑想、これが受観です。

(3)心観(心念処・心念住)

心観とは無常観です。「心は無常なり」と瞑想していきます。

(4)法観(法念処・法念住)

「法の法観念」とは法観です。法観とは、「法は無我(非我)なり」と観じる瞑想です。この場合の法とは、この世の中のすべての存在のことです。この世の中のすべての存在、森羅万象すべてのものをサンスクリット語でダルマ(パーリ語はダムマ)=法といいます。すべての存在は一つの法則に則って現れてきますから、これを法と呼ぶわけです。それらに対していろいろと深い瞑想をして、その実相を探っていくのが「法の法観念」、法観です。

わたくしはこの四念処法が得意ですが、学者が書いた文献によると、四念処法は非我観だと解説されております。しかし、わたくしはこれを空観というべきだと思います。非我観では分かりにくいですね。四念処法によって、人は空に到達するのです。

四念処法の四つの瞑想法は、一つ一つが独立しているのではありません。まず身体を不浄と見て、そこから進んで受観に移る。ここで感受作用(受)は苦である、と見るわけです。それから、 心観に進む。心観は無常観ですから、これによって、心は常に変化してとりとめがないことを悟ります。心は常住のものではないことを体得するわけです。そしてさらに法観という「無我(非我)の観」に入り、あらゆるものは空である、という境地に到達するわけです。その観想を内身・外身・内外身のそれぞれにおいて、深く観じていきます。内身・外身・内外身については、 実際に指導をする際に教えます。このように、四念処法の瞑想は一つ一つが独立しながらも、関連しあって空を体得するシステムになっています。

ないのです。 お釈迦さまは、簡単に説明されているだけですが、これは言葉では表現しきれないからでしょう。人知を超えるための瞑想の仕方など、とても筆舌にはつくせません。実習の際に教えるしか

 

 

体力と精神力の強化法(念根Ⅱ)

それから、わたくしは自分の修行経験からいって、念根には強い念力を持つという修行が含まれていると思います。たとえばクンダリニー・ヨーガなどによって、非常に強い精神力を身につける修行です。タフで図太い神経を持たなければ、とても修行を成就することなどできません。 念根はくだらないことにくよくよせず、小さなことにとらわれないような、強靭な精神作用を持つ修行でもあるのです。

四念処法と念根がまったく同一であるならば、四念処法を五根法とは別に立てる必要などないでしょう。四念処法として独立させずに念根だけでよいわけです。それなのに四念処法とは別に五根法の中に念根が立てられているのは、念根が四念処法以外の要素を持つからだ、とわたくしは思います。その要素が念力を強くすることなのです。

念力を強くするには、精神力を非常に強くしなければいけません。しかし強い精神力を持つには、強靭な体力が必要です。それなくしては精神力は強くなりません。これは諸君も日常的に体験するはずです。どれほど精神力に秀でた人でも、たとえば歯が一本痛ければ精神を集中するどころではありません。わたくしも若いころに荒行をしたおかげで、誰にも負けないほどの集中力を持っていますが、やはり歯が痛かったり、おなかが痛かったり、あるいは風邪をひいて熱がある時などは、集中力が著しく低下します。その中でもいちばんイヤなのは、歯痛ですね。歯の痛みというのは、とにかくつらいものです。痛くて痛くて集中するどころではありません。

 

「月二集中するどころではありません。

早い話がトゲが一本刺さっても、集中なのです。ですから内が

欠陥があると、どれほど精神力を奮い立たせようとしても、強い念力は生じません。受所は初な体力を身につける修行でもあるのです。強靭な体力を持ち、その体力によって強靱な精神を持つ。図太いくらいの精神力や神経を持たなければ、とても修行などは続きません。か細い神軽で成仏などできるわけがないのです。年中くよくよ考えている、ノイローゼの仏さまなんていないのですから。ノイローゼを治す仏さまはいても、ノイローゼになってくよくよしている仏さまなどいないでしょう?

わたくしたちは因縁解説・即身成仏を目指しているわけですから、図太いくらいの神経が必要です。そうでなければ修行などとてもできません。図太いというと語弊がありますが、要するに、 くよくよ悩んだり苦しんだりしてもしようがないことは、苦しんだり悩んだりしない人間になるということです。

けれども無神経とは違いますよ。悩まなければならないことは、悩んでもよい。しかし悩んだってしかたがない時には悩まないのです。どうしょうもないことは悩まないで、ぱっと忘れてしまうわけです。ほかしてしまうのです。放ったり捨てておくことを、関西では「ほかす」といいますね。漢字では「放下す」と書きます。禅宗では同じ字を書いて、「放下(ほうげ)する」と読みます。バァーッと放ってしまう、ほかしてしまう、捨ててしまうのです。なにを捨ててしまうのでしょうか?

心の中のこだわりを、バッとほかしてしまうのです。心配したってしかたがないことは、どれほど心配なことであってもほかしてしまうのです。心配して効果があるのならば、いくらでも心

配するけれども、心配したってしかたがない時には心配しないのです。

なにごとにも動じない精神力を持つには、前述のように、やはり強靱な体力が必要です。体が弱かったり、病的なところがありますと、どうしても修行が正しく進んでいきません。そこで頓押します。少し入り組んだ瞑想を始めると頭やおなかが痛くなります。女性ではヒステリー症状を起こす人もいます。ですからクンダリニー・ヨーガなどによって、チャクラやクンダリニーを覚醒させる訓練を行い、強靭な体力・知力・精神力を養うのです。その強靭な念で、四念処法の深い瞑想に入り、空を体得する。これが念根です。

また、身体の不調・精神の不安定の根本には悪因縁がありますから、クンダリニー・ヨーガなどの訓練と同時に、解脱宝生行で悪因縁を切っていくことが大切です。悪い因縁をそのままにして深い眠想などはできないのです。因縁解脱の修行をして、体の因縁、心の因縁をはじめとしたすべての因縁を切りながら、念根の修行を進めていかなければならないのです。

ムダがありません。 因線を切るには徳を積む必要がありますから、前述の精進根によって過去の不徳を消すための梵行をすることが肝要です。お釈迦さまの成仏法はじつにすばらしいシステムです。まったくの

わたくしは四念処法が得意ですが、それだけをわたくしから教わろうというのは無理な相談です。テクニックだけ教えても、徳のない人は法をつかむことができません。なにがなんだか分からなくなって、まいってしまうのがオチです。したがって、信根と精進根を修行しながら、念根の修行を進めていくわけです。

 

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