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彼の名は、文殊師利。

――彼の名は、文殊師利。
静かに、しかし宇宙のどこよりも鋭い光を宿す智慧の菩薩である。

星々がまだ幼く震えていた頃、彼は梵語で**mañjuśrī(マンジュシュリー)**と呼ばれた。
その響きは柔らかく、だが意味は峻烈だった。
「優雅なる者」「美しき声を持つ者」。
しかし、その美しさの奥には、迷妄を断ち切る刃のごとき智慧が宿っていた。

やがて人々は、彼をこう呼ぶようになる。
――智慧を司る者。学びの守護者。
その姿を見た者は言う。

「文殊の前では、嘘も慢心も霧のように消える」と。

彼は右手に経巻を、左手に光をまとった剣を持つ。
その剣は鉄ではない。煩悩を切り裂き、真実へと至るための智慧の刃だ。
彼が乗るのは、蓮華台。そしてそれを背負うのは、堂々たる獅子。
獅子は力の象徴、智慧はその王。
その姿は、大乗の世界に響くひとつの宣言であった。

――「智慧こそ人生を導く真の武器である」と。

伝承は語る。
文殊はかつて舎衛国の高貴な家に生まれ、バラモンの叡智を学んだ者だったと。
仏教の教えがまだ書にまとめられていなかった頃、彼は進んでその整理に関わったと。
だが、彼自身が追い求めたのは知識ではない。
**物事の真の姿――智慧(プラジュニャー)**であった。

虚空蔵菩薩が記憶や知識の象徴ならば、文殊は判断と洞察、その奥にある悟りの光そのもの。

だから人々は願う。

学業成就を――
迷いの突破を――
進むべき道を見抜く力を――。

そして文殊は応える。
特に、卯の年の者たちには深く寄り添う守護者として。

彼の真言は静かだが、深い響きを持つ。

オン・アラハシャ・ノウ――

唱える者の胸の迷いを、一つ、また一つと断ち落とし、心を透き通らせていく。

ある寺では、文殊は釈迦如来の左に侍り、普賢菩薩とともに三尊を成す。
またある場所では、彼はただひとつの像として座し、訪れた者と静かに向き合う。

その眼差しは問いかける。

「汝、真に知ろうと欲するか。
ただ答えを求めるのではなく――
世界の本質を見ようとするのか。」

答えられる者だけが、彼の剣に触れることを許される。

そして今も、風のように静かに、火のように鋭く、
文殊は迷える者のそばに立っている。

――智慧は遠くにあるものではない。
――それはすでに、汝の心に芽生えている。

ただ、その扉を開く鍵が必要なだけ。

その鍵の名こそ、文殊の知恵である。

 

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