和讃とは
仏舎利宝珠尊和讃の講義をいたします。
ぎょう和識には非常にやさしいことばで、教え、行の仕方、信仰の心がまえなどが説かれております。やさしいことばですので、うっかりして、和識が説いているところの深い意味を汲み取れないでいる人がいるかもしれません。また、やさしいことばだからということて、その意味をあまり深く味わおうとしない人も多いかもしれない。
しかし和讃というのは、やさしいことばの中に、たいへん重要な内容が込められております。毎日読誦するものですから、この講義で深い意味を知り、読誦するたびにその内容をかみしめて、行の懼どくじゅ
つも時が動
にしなければなりません。
※ごんぎょうまた、もう暗記してしまっているから、と勤行のときも口先だけて和讃を唱えている人もいるかもしれませんが、それでは本当の勤行にならない。やはり、暗記していても聖典をおしいただきながどくじゅら、その内容を深く心にめぐらせて、読誦しなければいけない。それが本当のお経の読み方です。
仏教の本道を歩む阿含宗
さて、内容に入りましょう。
世の中には、さまざまな仏教教団があり、さまざまな信仰の仕方が説かれています。どれが本当の仏教信仰なのか迷ってしまうほど
スリットの 15419油ので、広者ののこ
てまいります。 しゅっけおいけですが、仏教信仰の源流を。遡っていきますと、出家はお釈迦さまが説かれた七科三十七道品の成仏法を修行し、在家の者は仏舎利を信仰することが、本当の仏教信仰の在り方であることがわかっ
お釈迦さまが仏界にお帰りになられてからは、在家の信者たちは、 まいお釈迦さまの舎利(御聖骨)が納められた塔にお参りし、そして功徳を積んて信仰を続けていったわけです。その塔を仏舎利塔と呼びます。サンスクリット語ではストゥーパと申しますので、それを漢字に音写して卒塔婆ともいいます。
これまでたくさんの仏教徒が仏舎利(塔)の供養によって、多くのご利益、霊験を頂いてきました。現在、日本の仏教に奇蹟がなくなったのは、本来、仏教徒が本劇として信仰すべき仏舎利を礼拝せ
です。 ず、まちがった信仰の仕方をしているからだ、とわたくしは思うの
しんせい阿含宗は、一九八六年四月七日、スリランカ国から真正仏舎利(真しん
身舎利)を拝受し、以来、これを本尊として信仰しております。こ
れは、インドの正統仏教としての根本仏教の信仰を日本に弘めるために、お釈迦さまがお手配してくださったのだとわたくしは確信しております。決して偶然に真正仏舎利が、日本の、それも阿含宗とい
う一宗派にくるようになったのではない。これは必然だったのです。
お釈迦さまの本当の御聖骨を戴くというようなことは、どれほど希望し、計画を立てても、人間業でできるものではありません。と
ころが、それが自然に実現したということは、阿含宗が「阿含経」
を世の中に弘めている功徳によるものだ、と確信せざるを得ないの
です。 要するに、阿含宗こそ仏教の本道を歩んでいる教団である、とお
釈迦さまが自らお認めくださったということにほかならない。これをみなさんに、まず最初によく認識していただきたいと思います。
礼拝の正しい心がまえ
うちょ
ただ和識というのは、日本語でできた、仏さまを讃える歌という意味です。讃というのは、文字どおり、誉め讃えるということですね。 ふつう仏教で誰という場合、たいてい漢文のものをさしますので、 日本語でできた讃を和讃と呼ぶわけです。キリスト教でいう讃美歌と思えばよいでしょう。
みょうちょうり心 「帰命頂礼仏舎利尊」
じまっております。 さて、どのような和讃ても、たいてい帰命頂礼ということばでは
まず帰命というのは、「南無」の意訳で、命をかけて帰一する、 きいつ
つか仏さまに心からお仕えする、という意味です。阿含宗の聖典に「南だいだいひほっしんだとにすいほうじゅそん無大慈大悲法身駄都如意宝珠尊」とありますが、あの南無です。この南無というのはサンスクリット語の「ナマス」をそのまま漢字に音写したもので、さきほどお話ししたように、仏さまへの深い帰依をあらわすことばです。
それから頂礼というのは、『頂に礼するという意味で、正体投地
のことです。仏教のいちばん下重な、仏さまの拝み方は五体投地というものですが、これは右足、左足、右手、左手、額の順に五体を地面につけて、そして自分の額に仏さまのおみ足をいただいていると観想して行なう礼のことで、またの名を仏足頂礼といいます。
みなさんが毎日の勤行のときに、
「オン サラバタタギャタ ハンナマンナノウ キャロミ」
と中腰で礼拝するのは略式であって、本来は、五体を地につけて
礼拝しなければいけない。現在は略式になってしまい、少し腰をかがめる程度で礼拝しておりますが、みなさんは五体投地の礼もとき
にはきちんとやらなければいけませんね。
いまでも南伝仏教の人たちは、五体投地て礼拝しております。チベットなどでも、ラサの周囲何キロというところを、五体投地の礼
をしながら三十回あるいは百回まわると誓願を立て、何か月もかけて巡る修行者を見かけます。
せいかんをしながら三十回あるいは百回まわると誓願を立て、何か月もかけて巡る修行者を見かけます。
南無、五体投地、仏足頂礼、そういったものをすべて含めて、「帰命頂礼仏舎利尊」とあらわしているのです。わたくしたちは、仏舎利尊を生けるお釈迦さまとして礼拝信仰しておりますから、その生きたお釈迦さまのおみ足を額に受けて礼拝しているのだ、仏舎利尊さまに命懸けで帰一するのだ、という気持ちで、「帰命頂礼仏舎利尊」とお唱えしなければいけません。
「宝生解脱のそのカ
功徳のほどを伝うべし」
智徳宝生の徳と因縁解脱の徳、この二つを仏舎利尊さまはご利強として、わたくしたちにくださる。それはインドの昔から、数限りない体験談によって証明されています。ですから「功徳のほどを伝うべし」とあるのです。
像法の時代から末法の時代へ
まほうとう 「そもそも祀る宝塔は
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まっせ仏の慈悲のかぎりなくほうべんや大悲方便止まずして末世の衆生救わんと舎利をとどめ置き給う」
舎利をとどめ置き給う」
これは、お釈迦さまのご慈悲は実に限りないものであり、涅槃に入られたのちもなお、末世の衆生を救うために、この世に仏舎利をとどめ置かれたのてある、という意味です。つまり、仏舎利こそが仏教の本尊であることを示したものです。ことに末法の世の本尊は、仏舎利しかありません。 よっぱらニルヴァーナ
仏舎利の功徳に末法の世界の人間を救う、というのがあります。
しょうぼうぞうほう昔から仏教では、正法の時代、像法の時代、末法の時代、この三
つがあると説かれております。正法というのは、お釈迦さまのお説
きになった教法が、そのまま、まちがいなく行なわれている時代です。お釈迦さまがおなくなりになって五百年は、この正法の時代である、とされております。
それが過ぎますと、像法の時代です。像というのは、鏡に写る影
像のことですから、そのように真実ではない形ばかりの彫像の時代
が、像法の時代です。実物ではないわけです。像法の時代は、お釈 「細さまの教えや法が行なわれているように見えるけれども、その内
「容はまったく違ったものというわけです。
わたくしは、いまの世は、像法の時代から末法の時代に入ってきていると思います。たとえばこれまでの日本の仏教が像法の仏教でしたね。仏教といってはいますが、お釈迦さまがお説きになった真実の仏法・七科三十七道品は影も形もない。またそれが説かれた「阿
介軽」は、まったくかえりみられない。そうして、そういうものが
仏教という名前で説かれているのですから、まさに像法です。
この像法の千年が経つと、末法に入ります。末法の時代というの
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もつま、 は、もう像法でさえ行なわれない時代ということです。仏舎利尊は、 この木法の世界の人たちを救う本尊なのです。末法時代の人という
仏教という名前で説かれているのですから、まさに像法です。
この像法の千年が経つと、末法に入ります。末法の時代というの
は、もう像法でさえ行なわれない時代ということです。仏舎利尊は、 この末法の世界の人たちを救う本尊なのです。末法時代の人という
ものは、仏の教えなど真剣に聞こうとしませんから、とにかく、理くつ抜きに救いの手に掬い上げてやらなければいけない。ですから
まず、信じさえすれば必ずそれだけの力をストレートにくださる、
という仏舎利尊でなければ末法の世は救われないのです。
けどょう現形された法爾無作の仏
本来は仏寺の異名でのもが、転じて、本尊の宿りやらきすようになっ
のど
へんげほっしん 「変化法身仏舎利尊
それいし
納め祀れる霊柄なり」
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