仏陀の気道 ―― その真の形
老人は海風に揺れる炎を見つめながら、
まるで古の記憶を呼び出すように目を閉じた。
「……仏陀の気道とはな、決して一本の管ではない。
脊髄の内部をただ登るだけの炎でもない。
そして、腹で丹を練り、天へ昇らせる道家の流れとも違う。」
青年は思わず前のめりになった。
老人の語りは、まるで自身の身体に刻まれた“道”をたどるように、ひとつひとつ、確信に満ちていた。
■ 1 仏陀の気道は「三重の流れ」であった
「釈尊の気道は、三つの川で構成されている。」
老人は胸の中央から指を上に滑らせ、さらに左右へと広げた。
「第一の流れは、われらが良く知る中央の道──
スシュムナーに似ているが、それよりも“透明”で“細い”。
光の線のような道だ。」
青年はその線を目で追う。
「第二の流れは、左右を巡る“陰陽の風”に似たものだ。
クンダリニーでいうイダ・ピンガラのようだが、もっと深く、
脳幹から心臓の奥へと、螺旋を描きながら注がれる。」
老人は胸に手を当てる。
「そして第三の流れこそ、仏陀の気道にしか存在しない。
それは──心の底に潜む、無意識の風と呼ぶべきものだ。」
青年の背筋に、得体の知れぬ感覚が走った。
「第三の流れは、腹でも背でもなく、
心と身体をつなぎ、
“存在そのもの”を貫いている。
これはヨーガにも道教にも記されていない。
釈尊自身が開いた“空の風”だ。」
老人の語りは、どこか神秘の底から響くようだった。
■ 2 気道は「三つが一つ」に束ねられる
「三つの川は、ある瞬間、ひとつに束ねられる。」
老人は指を組み合わせ、中央に収束させた。
「胸の奥にある“光の室(ブラフマ室)”で、
三つの風が完全に調和した時──
それは一本の光柱となり、頭頂へ駆け上がる。」
青年は息を飲む。
「その上昇は、クンダリニーの炎とは違う。
炎ではなく──“透明な雷”だ。」
「……雷?」
「そうだ。
燃えさかるのではなく、
ただ“光る”。
音もなく、
ただひたすらに上へ上へと伸びる。」
老人は拳をゆっくりと天へ向ける。
「それが、**仏陀の上昇流(ウッディヤーナ)**だ。
炎ではなく、風とも違い、
“智慧の電”とも呼ぶべきものだ。」
■ 3 仏陀の眉間で起こる「裂け目」
老人は眉間に指を置いた。
「この上昇流が頭頂に至ると──眉間に裂け目が生じる。」
青年の目は大きく見開かれた。
「第三の眼、か……?」
「似ているが、違う。」
老人は首を振った。
「それは眼ではない。
“境い目”だ。
内と外、自己と世界、有限と無限──
その境界が一瞬、破れる。」
青年の呼吸が止まった。
「眉間が光るのではない。
世界そのものが光を流し込んでくるのだ。
これが釈尊が体験した“初めの裂開”であり、
ここから四神足の境地へと入る。」
老人の声は震えもせず、まるで当たり前の事実を述べるようだった。
■ 4 仏陀の気道は「世界とつながる」
「裂け目が開かれた者は──
もはや気を“自分のもの”として扱わない。」
老人は海へ向けて手を広げた。
「風が吹けば風の力が入り、
波が寄せれば波の力が入り、
太陽が昇れば光が胸に満ちる。」
青年の背に寒気が走った。
「そのとき修行者は、
自分の生命ではなく、
世界の呼吸をそのまま通す“管”になる。」
「世界の……呼吸……」
「そうだ。
この境地こそ、釈尊が語った“道数”、
ニルヴァーナの“数”の意味だ。
──すべての呼吸が一つに収束する“中心の道”。
それが仏陀の気道の本質なのだ。」
■ 5 老人の告白
老人はふいに、かすかに笑った。
「わたしは、この道を求め続けた。
長い修行の末、ようやくその“裂け目”の端に触れたとき、
胸の奥に忘れようもない感覚が残った。」
彼は胸に手を置く。
「世界は、確かに──ひとつだった。」
青年はその言葉の重さに、しばらく声を失った。
「これが仏陀の気道。
その原型は阿含に散らばる断片から、
クンダリニーと道教の気道行を照らし合わせ、
幾度も体験を重ね、ようやく姿を現した。」
老人は海へ視線を投げた。
「釈尊は炎の行者ではなく、風の行者でもなく、
光の行者でもない。
──“世界の川”とともに歩いた行者だったのだ。」




