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第三章 チャクラ開発の原理

釈尊の説いたクンダリニー瞑想

では、どのようにしてチャクラを動かすのであろうか?

それは、

と、

こころ意念

呼吸

と、

筋肉

の相乗作用である。

しかし、呼吸も筋肉も意念(潜在意識もふくめて)の支配下にあるのであるか

ら、究極的には、「意念」だということになる。

そんなことはわかりきったことで、それを承知の上でなぜ、意念・呼吸・筋肉とならべたのか?

それは、意念を使う上で、どうしても、呼吸の力を借りなければならぬからである。

それはどうしてか?

意念を「行らす」ためである。

意念は行らさなければならぬのである。

行息息を行らすならば、行道行らす道がなければならぬのである。 これが非常に重大なのである。

呼吸は、意念をめぐらすために、重大なはたらきをする。いや、それこそが最も重大な、というべきであろう。

さきほど、わたくしは「安那般那念経」を、古来いわれているように、「数息

観」のような呼吸法を説いたものではない、といったのは、ここのところである。

この経典の題名をよく見るとよい。「安那般那経」ではない。「安那般那念経」 なのである。「念」は「意念」をいっているのである。

古人は、このことに気がつかなかったのであろう。安那般那より、むしろ、念

のほうに重点があるのである。そして、またそれは同時に、(念を行らせるための)「道」のあることを暗示している。行息があれば行道のあることはあたりまえだ。

ところで、意念を行道させるためには、ひとつの物理的な「力」が必要であることも明白である。

意念はかたちなきものであり、物理的な力は、ないことはないけれども、非常に微弱なものである。強化する必要がある。それも、ただ単に行らすだけではなく、最終的には、チャクラを「動かす」「刺激する」ところまで強力なものにしなければならぬのである。

つまり、心理作用を、物理作用にまで高めるための、一種の変換作業がなされなければならない。

変換といってオーバーだというのならば、強化といってもよい。ここに、「行息」の秘密があるのである。

意念と呼吸によって生じた力を、

どこで、どのようにかぐらい、どのようにとどめるか

これが、釈尊のクンダリニー・ヨーガの極意である。

それは行道づくりからはじまる

まず、チャクラエネルギーのルートを示そう。

ただし、ルートのすべてではない。その基本となるものである。この、基本ルートをマスターしてから、さらにその奥に進んでいくのである。

そう。 この基本ルートは、中国医学の「経絡」のルートを使う。つぎに、その図を示

督脈ルート(背面のルート)

督脈ルートは図(図3.4)に示すとおり、長強という脊髄の端(つまり肛門の上、尾関骨)の端からはじまる。

105 チャアク

 

 

 

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