た!さいわい、ホテルのメモ用紙が数枚あった。ボールペンもある。む
しゃぶりつくようにペンをにぎると、それは勢いよくメモの上を走った。
最初、それは、脈絡のない単語や名詞の羅列であった。しかし、それは、ミラクルの池のあの思念の流れと一致していた。わたくしは、食事もとらず、出発までの時間を挙げてこれに傾注した。整理して、さいごに書きあげたのがつきの文章であった。
それは突然ななめ前方からやってきた。
一瞬、目がくらむほどの衝撃だった。
そんなことなどぜんぜん予期しておらずまったく無防備だった自分は、
あっというまにその衝撃に叩きのめされてしまったのだ。
修行、学問、そんなものはなんの役にも立たぬものであることを思い知
らされた。
こころひそかに誇っていたこれまでの自分の修行も教学も、あっという
まに消しとんでしまった。叩きのめされてしまった。
これなんだ、これでなくてはならないのだ。これしかないのだ。目もく
らむようなあの白銀の輝きにみちたバイブレーション!
一〇〇年の修行も万巻の教学も、ただ一瞬のこの霊的バイブレーションに如かぬことを思い知らされた。
これがそれだったのだ。これが究極のそれだったのだ。このためにこそ
わたくしはここにやってきたのだ。
おお、サヘト・マヘト、聖なる地、 あなたはここに待っていてくださった。
わたくしがいまあなたから受けたものを、これからわたくしはひとびとにあたえねばならぬ。
すべてのひとびとがこの聖なるバイブレーションを受けることのできる敷地を、わたくしはひがしの国につくらねばならぬ。この輝きにみちたすベト・マハトの地を、そのまま、日本の国にうつさねばならぬ。それがわたくしの使命だったんですね。それをかならずはたすことをわたくしはあなたに質います。
そうですか。
もう一度、わたくしはこの地に来なければならないのですね。だが、そのときなにが起きるのでしょうか? そのとき起きる成ることを、わたくしは非常なおそれの感情とともに予感します。
ああ、あの一瞬の霊的バイブレーションー
一〇〇年の苦行も万巻の書物も、このバイブレーションなくしては、路傍の石ころにも劣るのだった。このバイブレーションをあたえることので
きる聖者こそ、真の導師だったのだ。理解できました。
聖師よ、ありがとう!
昭和五十五年十一月八日
ラクノウのホテルにて
急拠しるす。
書き終えて、わたくしは虚脱状態になった。
(『一九九九年カルマと霊障からの脱出」)
――このサヘート・マヘートにおける状況は、奇しくも、阿含宗の記録映画
「おお、サヘト・マヘト、聖なる地」に収録されているので、読者はぜひ、機会をつくってごらんいただきたい。
ところで、以上の文章をお読みになって、「求聞持法」(としておく) 成就のときのわたくしの状態と、サヘート・マヘートにおいて霊的バイブレーションを
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第二章 関脳の開発法




