釈尊はクンダリニー・ヨーガの達人
若き日の私は、ある疑問に囚われていた。
――なぜ、釈尊はあれほど深く「心の覚醒」を説くのか。
その教えの根には、何が流れているのか。
大学の講義では誰も語らなかった。経典を読んでも、言葉の背後にある「熱」が見えなかった。
そのとき私は、ふと気づいたのだ。
釈尊は、ヨーガの国の人だった。
インドの男でヨーガを知らぬ者はいない。
まるで日本の男が相撲を知らぬはずがないように。
それは宗教でも運動でもなく、生きることと一体となった呼吸の文化だった。
「では、釈尊もまたヨーガの行者ではなかったか――?」
そう思い至った私は、ハタ・ヨーガを学び、次いでラージャ・ヨーガへと進んだ。
だが、どこか足りなかった。
思索ではなく、火が欲しかった。
心と肉体を貫く、生命の炎。
そして、クンダリニー・ヨーガに出会った。
はじめはただの伝説だと思っていた。
だが修行を重ねるうち、脊椎の奥を昇る熱流が確かに存在することを、私は身体で知った。
それは気ではなく、意志そのものだった。
やがて、ある夜――
私は座の中で、背骨の根もとから金色の風が立ちのぼるのを感じた。
それは蛇のように螺旋を描き、頭頂を貫いて天に昇る。
世界は光となり、内なる音が鳴り響いた。
そのとき、私は見たのだ。
釈尊が、その光の流れの中に坐しているのを。
まるで、私の中のクンダリニーが釈尊の姿を映し出したかのように。
その瞬間、すべてが繋がった。
釈尊の修行――七科三十七道品の実践は、まさにこの覚醒の流れを段階的に導く地図ではないか。
呼吸、集中、正念、智慧――それらは一つの生命の流れの異なる相だった。
「釈尊こそ、クンダリニー・ヨーガの達人であったのだ。」
思えば、宗教とはすべて超常を志す行だ。
日常の眠りを破り、意識の門を超えるために。
釈尊もまた、その火を昇らせ、涅槃という“頂”へ至ったのだろう。
その理解に至ったとき、私は静かに合掌した。
修行とは知識ではない。
それは、自らの中に潜む宇宙の力――クンダリニーを、
慈悲と智慧の光へと転じるための道だったのだ。
夜明け前の空は群青に沈み、風は冷たかった。
だが、私の中には炎が燃えていた。
釈尊が歩んだ“成仏法”の道は、いま、私の呼吸の中に生きている。
第一段階 根の火 ――肉体の覚醒
尾骶骨の奥が脈打つ。
鈍い鼓動のような震えが、やがて炎となって燃えあがった。
足の裏、脚の筋、腰骨――すべてがひとつの熱流に貫かれていく。
それは性の衝動に似ていたが、決して汚れではなかった。
この世に生を受けた意味そのものが、そこに燃えていた。
「ここに生命の根がある」
私はそう直観した。
この炎を恐れず、正見をもって見つめるとき、欲は智慧へと変わるのだ。
第二段階 水の流れ ――心の浄化
火はやがて水を求めた。
臍の奥に、ひんやりとした清流が流れはじめる。
怒りも悲しみも、その水に溶けてゆく。
過去の記憶が、泡のように浮かび、消えた。
私は、心の底で誰かの声を聞いた。
「これが慈悲のはじまりだ」
情動の嵐が静まり、代わりに、すべてを赦すやさしい透明が広がっていった。
第三段階 風の門 ――呼吸の覚醒
胸に風が通う。
吸う息は天をめぐり、吐く息は地を撫でる。
呼吸がひとつの宇宙の運動となり、私は中心に坐す。
「息こそ、生命そのもの」
この理解が訪れた瞬間、私は釈尊が説いた“安那般那念”の意味を悟った。
息を観ずることは、世界の生成を観ずること。
生滅の律動を、己の体内で見ること。
第四段階 火の昇華 ――智慧の光明
眉間の中心で、白い光が点じられた。
それはやがて、金剛のような輝きに変わった。
あらゆる形が溶け、存在の境が消える。
「照見五蘊皆空」
声なき声が響く。
空は冷たくも温かく、光は静かに全身を包んだ。
この光こそ、釈尊が菩提樹の下で見た「真理の黎明」であったのだろう。
第五段階 空の音 ――無我の透徹
音が消えたとき、音が聴こえた。
それは外ではなく、内の虚空に響いていた。
私が聴いているのではなく、宇宙が私を通して鳴っている。
「無我とは、聴くものが消えることだ」
すべての行為が、自我を離れて行われる。
坐ることも、呼吸することも、私がしているのではない。
ただ“法”が流れている。
第六段階 光の身 ――法身の開顕
肉体は限りある殻であるはずなのに、
その内に、無限の光があることを知った。
皮膚は境ではなく、宇宙との膜だった。
内と外が融け合い、私はどこにでも在る存在となった。
この身は、もはや私ではない。
「如来の身」とは、この光そのものを言うのだ。
第七段階 大空の静寂 ――涅槃の成就
最後の夜、炎も光も消えた。
静寂だけが残った。
だが、それは死ではなかった。
そこに、永遠の生があった。
そこに、歓びも悲しみもない、純粋な“在る”があった。
私は涙を流した。
「釈尊よ、あなたはこの静寂に至ったのだな」
すべてのヨーガ、すべての宗教は、この一点へ帰る。
火は光となり、光は空となり、空は法となる。
そして法は、慈悲としてこの世界に再び降りてくる。
私は朝日を迎え、深く礼拝した。
――覚醒は終わりではない。
それは、すべての生命を照らすために始まるのだ。




