信強する法なのである。
釈尊はクンダリニー・ヨーガの達人
このことにわたくしが気がついたのは、クンダリニー・ヨーガを体得していたからであった。クンダリニー・ヨーガを修行していなかったら、わたくしはこのことに気がつかなかったであろう。
わたくしが若いときからヨーガを修行しはじめたのは、釈尊の教法にヨーガがかならず深い関係を持つと思ったからである。日本の男性で相撲を知らぬ者がい
ないように、インドでヨーガを知らぬ男性はいない。じっさいにやるやらないは別として、だれでもポーズのひとつやふたつとってみせる。それくらい普及しているのである。まして宗教者としてあらゆる修行を重ねた釈尊が、ヨーガをやら
ないはずはないし、したがって、ヨーガが釈尊の教法になんらかの影響をあたえ
ていないはずはない。むしろ、ヨーガやその他のインドでは常識的になってし
まっている修行法の上に、釈尊の教法が成り立っているのではないかと考えたの
である。 である。 のもになって、多くある釈尊の呼称のひとつに「ヨーガの達人」というのがあることを知って、わが意を得た思いをしたものであった。じっさいに、釈尊の教えの部分は別として、修行法の部分になると、ヨーガの知識なくしてはほとんど理解できないのである。その最適の例が、さきにのべた七科三十七道品の修行法
わたくしは、ハタ・ヨーガ、ラージャ・ヨーガを習得し、最後にクンダリニー・ヨーガに専念した。クンダリニー・ヨーガは、超人的能力をあたえるヨーがとされている。こういうと、すぐにイヤな顔をする学者や宗教家が一部にいるが、これはまったくおかしな話で、宗教とはすべて、超常的経験を目ざして修行するものではないか。日常的経験を乗り越えた世界にある境地を目ざして、難行
苦行するのである。仏教においても、単なる思索や思惟の積み重ねだけで、業は絶対に断てないのである。
クンダリニー・ヨーガに習熟するにつれて、わたくしの前に、
がしだいにひろがりを見せてきた。
釈尊こそ、まさにクンダリニー・ヨーガの達人であり、クンダリニー・ヨーガの修練の上に釈尊の成仏法が成り立っているのである。
わたくしにこういう経験がある。
旅立った。 一九八〇年のことである。釈尊の聖跡を巡拝すべく、信徒をつれて、インドに
仏跡巡拝最後の日に、釈尊が十八年間説法されたという祇園精舎サヘート・マ 〈ートを訪れた。そのときの記録を、拙著「一九九九年カルマと霊障からの脱出」から見てみよう。
アシュラム範園精舎の入口の前の広場に、二階建て、白塗りの寺院があった。その前に数名の人が群れ、その中心に、六十歳なかばと思われるがっしりとした体格の一人の僧が立っていた。バスからおりたリンポーチェ(私達一行の中のチベットの事前)をみとめると、満面に笑みをたたえ、大きく手をひろげ
て近づいてきた。二人は手をにぎり合って、なつかしそうに話しはじめた。
やがてひき合わされたところによると、リンポーチェの先輩すじにあたる
型師で、メチラワ・サンガラターナというかたであった。
「スリランカの出身で、非常な学僧です。去年、ここへ寺院を建てたのだそうです。わたしもここへ来るまで知りませんでした」
そう、リンポーチェがいった。
「仏陀が十八年間説法されたこの精舎のそばで、生涯を終えるのが、わたくしのかねてからの念願でした」
サンガラターナ師は、あたりに響きわたるような大きな声で語った。ややなまりのある英語であった。がっしりとした頑丈そうな体格で、声が大きいのはずぬけて健康なのだろう。八十一歳という年齢を聞いてびっくりした。 どうみても六十歳代としかみえないのである。
師が先に立って、精舎を案内してくださった。われわれが師をガイドに得たことはじつにしあわせであった。観光会社がつけてくれたガイドも、この
地のことにはあまり知識がなく、リンポーチェにしても、数年前に一度しか来たことがなかったのである。他の仏跡地のように、サヘート・マヘートには室内人がいないのである。もし、サンガラターナ師がおられなかったら、 われわれは祇園精舎をただあるきまわるだけで、ひとつひとつの遺跡について、くわしいことはなにひとつ知ることはできなかったであろう。師は、わが家の庭のごとく、愛情をこめて、あれこれを指さしながら説明して行く。
小高い丘の上に立って、わたくしは師の説明を聞いていた。
そのとき、突然、それがやってきたのだった。
師の大きな声が突然すうっと遠のいたかと思うと、右ななめ前方から、 がぁんと、頭から郷にかけてなぐりつけられたような衝撃を感じたのだ。
目の中を白い閃光が飛んだ。剣道で力いっぱい面を打たれたとき、目の中を走るあの閃光に似ていた。わたくしは思わずくらくらとして、額に手をあてた。一種のバイブレーションであることはわかった。わたくしも密教の修行者として各地の霊場をあるき、何度か霊的なバイブレーションを受けてい
る。しかし、こんなすさまじい叩きつけるようなバイブレーションははじめてであった。しかもまったく無防禦だったので、完全に不意をつかれたという感じだった。どこでも霊場へ入るときには、それなりの心がまえをして入る。だからつよいバイブレーションをうけてもうけとめられるのだが、ここではまったく無防禦だったので、その衝撃はことにつよかったのだ。数秒つづいたように感じたが、それはほんの一瞬のようであった。師の大きな声が
ふたたび耳によみがえってきた。
「待ってください」
わたくしは手をあげて師を制した。
「ちょっと待って。わたくしはいま、ものすごいバイブレーションを感じたのです。それはものすごいバイブレーションで、そう、あの方向からきました。あれはなんですか? あの凹地は――」
わたくしは、その衝撃がきたと思われる方向をゆびさした。五十メートルほど前方に、雑草の生いしばった凹地があった。そこから、それがきたと思
われた。
「ああ、あれですか」
と師はうなずいた。
「あれは、ミラクルの池です」
「ミラクルの池?」
ミラクル 「そう、ミラクルの池。仏陀が奇蹟をおあらわしになった。そこであそこ
を、ミラクルの池とよぶのです」
「そのミラクルとは、どんなミラクルなのですか?」
「それは、仏陀が空中を浮揚してこの池の上に立ち、上半身を火に、下半身
を水に変えたのです」
「ほう、それはどういうことですか?」
それはですね、と師の説明によると、こうであった。
シュラーバスティーの大長者スダッタ(須達多)が、仏陀のために大金を投じてここに土地を求め、大精舎を建立した。仏陀の名声は四方に
り、教えを請うもの躍を接した。
この附近には、ジャイナ教その他の外道の寺院がたくさんあった。それらの寺院の指導者たちは、仏陀の名声をねたみ、いろいろ、仏陀を中傷、非難した。中でもとくに、仏陀を口のうまい山師にすぎないといいふらした。口さきで理論を説くだけで、なに一つ神通力を持っていない、要するに口舌の徒であるという非難であった。当時のインドの宗教界では、指導者となるためには、なんらかの神通力を持つことが、必須の条件とされていた。ところが、仏陀は、無用に神通力をあらわすことをきらって、この地にきてから一度もその力を示すことがなかったのである。 こうぜつ
他の教団の指導者たちは、これを、仏陀にその力がないからだと考え、これを攻撃したわけである。仏陀が大神通力の持ちぬしであることを知っている高弟たちは、一度、ぜひその力を示されるようおねがいしたが、仏陀は承知されなかった。いよいよ神通力などないと思いあがった他教団の指導者たちは、自分たちのパトロンである他の長者や勢力者たちを通じて、スダ
しょうょうに、仏陀と神通力の試合を申し入れた。負けたほうがこの地を去るという条件である。スグッタもついにことわりきれず、仏陀に試合を慫恿した。あるいは、スダックも仏陀の神通力を見たかったのかも知れない。仏陀もスダッ夕の立場を考慮され、ついにこれを承諾された。
その日、他の教団の指導者たちが、これみよがしにさまざまな神通力を競い合ったさいごに、仏陀がすがたをあらわされた。
バルコニひぞうきかたず仏陀は三層の高楼の露台にそのおすがたをあらわされたのである。いかなる神通力をあらわされるのかと群衆が固唾をのんで見守るなか、なんと仏陀は露台の手すりを無造作に乗り越えられ、空中に足を踏み出されたのである。一瞬、手をはなされる。仏陀墜落! とみるまに、仏陀はそのままゆっくりと空中を浮揚して、庭園にむらがる大衆の頭上を越え、きよらかな清水をたたえた庭園の池の上に立たれたのである。微風に小波をたてる清涼池の さざなみ水の上に、仏陀がしずかに立っておられるのである。群衆が思わずわが目をせいりょうち
うたがったつぎの瞬間、仏陀の上半身は火炎となって燃え上がり、下半身は
玉のような水と化したのである。
目のあたりに見る大神通力に、なみいる他教団の指導者や、土地の勢力者をはじめ、すべてのひとびとはその場にひれ伏して、頭をあげ得なかった
た。 わたくしは、額に手をあてて師の説明を聞いていた。途中からふいに、やわらかなバイブレーションとともに、ひとつの概念思考の流れがしずかにわたくしの脳髄ふかく流れこんでくるのを感じたのである。わたくしは、 自分の思念をまったくとめて、それをすなおにうけいれていた。突如、さいごに、すさまじい戦慄が走った。全身の血がいっぺんにひいてゆくような、 名状しがたい恐怖感の衝撃だった。それがおわったとき、師の説明もおわ
「先生、その、上半身が火となって、下半身が水となる、というのは、どういうことでしょうか?」
とだれかがわたくしに質問し
「ああ、それはね、全身のチャクラが、すさまじいパワーで、エネルギーを放射したのでしょう。空中浮揚するために、仏陀は全身のチャクラにすさまじいエネルギーを集中した。池の上に降り立って、そのエネルギーを放射したのでしょう。そのエネルギーの放射が、炎のように見えたのだね。チャクラがエネルギーを放射すると、全身が炎につつまれたようになって見えます。これは、ヨーガ・スートラなどにも書いてある。そういうとき、しばしば、からだが透明状になることがある。下半身が水になったというのは、仏陀のおすがたがそのとき、透明になったので、池の水を反映して、水のように見えたのでしょう。このミラクルは、クンダリニー・ヨーガの最高の技術をみせられたものと、わたくしは考えます。そういえば、わたくしは、以
前、仏陀は、クンダリニー・ヨーガの熟達者だった、と本に書いたことがあ
ります」
とわたくしは答えた。
(「一九九九年カルマと霊障からの脱出」平河
釈尊のこの奇跡は、もとより単なるヨーガの技術をはるかに超越した高度の霊的能力を示すものであるが、そういった超常的能力も、クンダリニー・ヨーガをベースにした修行から得たものと考えられる。彼の十数年にわたる難行苦行は、 瞑想という単なる思索にとどまるものではなかったのである。阿含経につぎのような記述がある。ミラクルの池の伝説は、単なる伝説ではなく、経典に裏づけさ
れた釈尊の超常的能力なのである。
きょうかい是の如く我れ聞きぬ。一時、仏、迦閣尸利沙支援に住まりたまえり。千の比丘と俱なりき。皆是れ旧縈髪婆羅門なり。爾の時、世尊、千の比丘の為にげんきょうげいかん三種の示現教化を作したまえり。云何が三と為す。神 じんそくへんげ神足変化示現、他心示現、教誠示現なり。神足示現とは、世尊其の応ずる所に随て示現し、縦。定に入り正受し陵虚東方に至り、 、四威儀の行住坐臥を作し火三昧に入りて種種の火光の青黃赤白紅頗梨色を出し水火倶に現じ、或は身の下より火を出いぎょうじゆうざたしん
とんべんし、身の上より水を出し、身の上より火を出し、身の下より水を出す。周円の四方も亦復た是の如し。爾の時、世尊、種種の神変を作し已巳りて衆中に於
で坐したもう。是れを神足示現と名づく。他心示現とは、彼れの心の如く、
彼れの意の如く、彼れの識の如く、彼れ是の如き念を作すべし、是の如き念
を作すべからず、彼れ是の如き捨を作すべく、彼れ是の如き身証住を作すべ
しと。是を他心示現と名づく。教誠示現とは、世尊の説きたもうが如し。諸
しょうねんいわがんの比丘、一切は焼然す。云何が一切は焼然するや。謂ゆる眼焼然す。若しは
見しょう色・眼識・眼触、眼触因縁生の受なる、若しは苦、若しは楽・不苦不楽、彼
れも亦た焼然す。是の如く耳・駅・舌・射・意焼然す。若しは法・意識・意
触、意触因縁生の受なる、若しは苦、若しは楽・不苦不楽、彼も亦た焼然
す。何を以て焼然するや。食の火もて焼然し、悪の火もて焼然し、髪の火も
て焼然し街・老・病・死・憂悲・悩苦の火もて焼然すと。爾の時、千の比
丘、仏の説かせたもう所を聞きて諸漏を起さず、心解脱を得たり。仏、此の経を説きじりたまいしに諸の比丘、仏の説かせたもう所を聞きて歓喜し奉行
しき。
(雜阿含経「示現経」)
このように、釈尊が祇園精舎の「ミラクルの池」で示現した神通力は、クンダリニー・ヨーガの達人であったからこそ可能であったのだ。
る。 釈尊の成仏法は、クンダリニー・ヨーガの修練の上に成り立っているのであ
では、このクンダリニー・ヨーガについてのべよう。
輪転生联想法




