📜 阿含と神道の交響 ――川辺の二人
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夜明け前の川辺。
街の灯がまだ眠り、
風だけが、水面の上を渡っていた。
ひとりは山の寺から下りた修行僧、慧真(えしん)。
もうひとりは、神社に仕える若き禰宜(ねぎ)、遥人(はると)。
二人は言葉もなく、
川の流れを見つめていた。
その水は、まるで心の奥を映すように澄み、
ゆるやかに光を孕んでいた。
やがて慧真が口を開いた。
「この川のように、心もまた流れている。
だが人は、その流れの中に“我”という岩を置いてしまう。
その岩が、濁りを生むのだ。」
遥人は頷き、白い息を吐いた。
「神道では、それを“穢れ”と呼びます。
だからこそ祓うのです。
けれど……祓っても、また濁る。
それでも祓い続けることに意味があるのでしょうか?」
慧真は静かに微笑んだ。
「阿含では“断つ”という。
けれど断つとは、捨てることではなく、
執われに気づき、手を離すこと。
清めも同じだ。
濁りの尽きぬこの世で、
清らかさを思い出し続ける――
それが“道”なのだ。」
遥人は掌に水をすくい、光の粒を見つめた。
「清めるとは、思い出すこと……
清浄は外から与えられるものではなく、
もともと心の奥にある――
そういうことですね。」
慧真はうなずいた。
「仏はそれを“如来蔵”と呼び、
神は“直霊(なおひ)”と呼ぶ。
名は違えど、いのちの本は同じ光だ。」
東の空が明け、
川面が金色に揺れた。
二人は沈黙のまま、その光を見つめていた。
「断つ者と祓う者。
あなたと私は、同じ川の両岸に立っていたのですね。」
遥人の言葉に、慧真は微笑んで答えた。
「そして川はひとつ。
その流れの名は――“清浄”。」
風が止み、
水が空を映した。
二人の姿は、
一つの光に溶けていった。
――
時は流れ、
街の朝。
慧真は通勤の群れの中にいた。
だが、その歩みには静寂があった。
信号が青に変わる瞬間、
彼はそっと立ち止まり、
呼吸とともに心の波を鎮めた。
その刹那、
彼の内には川辺の光が蘇っていた。
一方、遥人は神社の境内で落ち葉を掃いていた。
高層ビルの谷間に射す光が、
箒の先にきらめく。
彼は祓詞を唱えながら、
昨日の自分を一枚の葉のように風に流した。
「今日も新しく在らせたまえ――」
その声は誰にも聞こえなかったが、
確かに空へ昇っていった。
夕暮れ、二人は偶然、
街の川沿いで再び出会う。
慧真が言った。
「街もまた、心と同じだ。
流れの速さに惑わされるが、
よく見れば底にも静けさがある。」
遥人は答えた。
「だからこそ、祓いはここにもある。
言葉を清め、態度を清め、
人を思いやる――それも“祓”です。」
二人の間を、川風が通り抜ける。
水面には、街の光がゆらめいていた。
「断つことも、祓うことも、
いのちをまっすぐに見つめる行だ。
この都会で続けることが、私たちの修行だろう。」
慧真の言葉に、遥人は微笑んでうなずいた。
「川辺はもう外にはありません。
それぞれの心の中に、いつでも流れています。」
二人は並んで歩き出した。
川の音が、
まるで遠い祈りのように静かに響いていた。
――
清浄とは、
遠い山でも、古い社でもなく、
いまを生きる心の姿勢。
人がふと立ち止まり、
息を整え、
ひととき世界の澄んだ音を聴くとき――
その胸の奥には、
見えぬ川が、今も流れている。
――終――




