序章 光を求める者
夜の終わりが近づく頃、真輝はまだデスクに向かっていた。
モニターの光が、壁を淡く照らしている。
流れるコード。止まらぬ思考。
だが、心の奥では何かが空洞のように冷えていた。
「こんなに考えても、何も変わらないな……」
呟いた声が、静かな部屋に滲んだ。
努力も、理性も、成果もある。
それでもどこかで、何かが欠けていた。
――まるで、見えない“根”が枯れているようだった。
外には霧が立ちこめていた。
都市の灯りがぼやけ、遠くのビルが水の底に沈むように揺らめく。
真輝はスマートフォンを手に取り、無意識にSNSを開く。
言葉の奔流。評価の数字。
どれも心の乾きを潤すことはなかった。
そのとき、ふと目に留まったのは、一つの古い文だった。
「賢人とは、智慧を積み重ねてゆく者である。
智慧は、清めの道の果てに咲く。」
――『阿含経』
胸の奥が、微かに震えた。
“賢くなる”という言葉が、いつの間にか競争や地位の意味に変わっていた。
けれど、この言葉は違う。
それは、心を清めてゆく内なる旅を指しているように思えた。
――その夜、夢の中で、真輝は一つの光を見た。
暗闇の大地の下、赤く輝く一点の光。
それは根の奥から湧き上がるように燃えていた。
地を支え、生命を支える基盤の炎。
声なき声が告げる。
「ムーラダーラ――根を定めよ。
大地に立つ者のみが、天を見上げる。」
次に、波のような光が下腹から広がった。
橙の流れは、柔らかく、温かく、創造の息づかいを帯びていた。
「スヴァディシュターナ――感情を恐れるな。
水のように流れ、抱きしめよ。」
やがて、光は腹の中心へと昇り、黄金の炎となった。
意志、力、そして自己の目覚め。
「マニプーラ――己を信じ、火を絶やすな。」
胸に緑の光が広がる。
怒りも悲しみも包み込むように。
「アナーハタ――愛は傷の中心から芽吹く。」
喉に青い環が浮かぶ。
沈黙が、言葉を超える真実を教えていた。
「ヴィシュッダ――語ることは、清めること。」
額には藍の輝き。
すべての思考が溶け、ただ“観る”という一点が残る。
「アージュニャー――見よ、幻を越えて。」
そして、最後に頭頂に白い光が咲いた。
それは七つの光を束ね、夜空へと溶けていく。
「サハスラーラ――一なるものを知れ。
その時、汝は宇宙と一つとなる。」
真輝は目を開けた。
夜明けの光がカーテンの隙間から差し込んでいた。
胸の奥に、まだあの光の余韻が残っていた。
――七つの光。
それは、外の世界ではなく、自分の内にあった階梯。
「智慧を積む」という言葉が、初めて“道”の形を持って感じられた。
理性ではなく、心を通して歩む道。
ブッダが残した“成仏の法”とは、きっとこの旅の果てにあるのだろう。
真輝は静かに立ち上がった。
新しい朝の光の中で、彼は初めて、自分の歩むべき“光の道”を感じていた。




