第三話 四正勤の修行 ――煩悩を断つ火
夜。山の風は冷たく、堂の灯明が小さく揺れていた。
真玄は独り、炉の前に坐していた。
灰の中に残る火はわずかで、赤い芯がかすかに光を放つ。
その光を見つめながら、彼は自らの心に潜む“煩悩の炎”を思っていた。
――四念処の修行を重ね、心を観じることを覚えた。
だが、まだ闇は尽きない。
怒り、貪り、惰性。
気づけば、その焔が自分の胸を焼いている。
そのとき、背後から師の声がした。
「真玄。
今宵は、火の修行を学ぶがよい。」
真玄は振り返り、深く合掌した。
師は静かに言葉を紡ぐ。
「四正勤とは、四つの努力――
一つ、悪を起こさぬ努力。
二つ、すでに起こった悪を断つ努力。
三つ、善を生じさせる努力。
四つ、生じた善を育て、保つ努力。
これらを“煩悩を断つ火”と呼ぶ。」
師は炉に薪をくべた。
パチパチと音が弾け、火が再び息を吹き返す。
「見よ、この火を。
放っておけば、灰に埋もれて消える。
しかし、正しく薪を与え、風を送れば、再び燃え上がる。
修行も同じだ。怠れば善は尽き、煩悩の冷えが忍び寄る。」
真玄は火を見つめながら問うた。
「師よ。煩悩は燃やし尽くせるのでしょうか?」
師は首を振った。
「燃やそうと思う心が、すでに煩悩を育てる。
火は“戦って”燃えるのではない。
ただ、燃えるべきものに触れたとき、自然に燃えるのだ。」
師は小枝を一本、火の中に落とした。
瞬く間に、青い焔が立ちのぼる。
「悪を起こさぬ努力――それは火を護ること。
欲望という冷風に吹かせぬよう、心を覆え。
すでに起こった悪を断つ努力――それは灰を払い、新たな空気を入れること。
善を生じさせる努力――それは新しい薪をくべること。
善を保つ努力――それは火を絶やさぬよう、静かに見守ること。」
真玄は深く頷いた。
心の中に、ひとつの灯が灯るように感じた。
やがて、師は火の前に坐り、目を閉じた。
真玄も同じように座を正した。
炎のゆらめきが、二人の顔を照らす。
師は言った。
「真玄。火を見よ。
炎は常に変化している。
それでも、燃えている限り“火”と呼ばれる。
人の心もまたそうだ。
変わりゆきながら、善を保ち続けるとき、そこに修行がある。」
真玄の胸の奥に、言葉が静かに沁みていく。
怒りも、恐れも、すべては燃えるために現れたもの。
それを恐れず、正しく扱うことこそ、火の道である。
炉の火が一段と明るくなった。
その光の中で、真玄の顔は穏やかだった。
彼はつぶやく。
「煩悩を断つとは、戦うことではなく、燃やし尽くすこと……。
その火は、慈悲の灯なのですね。」
師は微笑み、うなずいた。
「そうだ。
真の火とは、怒りをも包む慈悲の光。
燃やすのではなく、照らすのだ。
そのとき、四正勤は“光の行”となる。」
夜が深まり、堂の外には無数の星が瞬いていた。
山の静寂の中、火はゆらめき、
真玄の心にもまた、消えることのない炎が灯っていた。
この「第三話」は、火を中心とした象徴的修行譚として、
四正勤の実践(悪を防ぎ、悪を断ち、善を生じ、善を保つ)を情景と心理で表現しました。




