第二話 四念処の修行 ――「観る者」の眼
夜明前の山は、息をひそめていた。
霧がゆるやかに谷を包み、鐘の音がひとつ、ふたつと響く。
弟子たちは瞑想堂に集まり、師の言葉を胸に刻んで座していた。
その中に、一人の若い弟子・**真玄(しんげん)**がいた。
彼はまだ修行の浅い行者で、昨日の師の言葉――
「正しく修すれば、自然に解脱は現れる」――
が、心の奥で静かに光りつづけていた。
だが、同時に疑いもあった。
「修行しても、なぜ何も変わらないのだろう。
自分の中に、まだ煩悩が渦巻いているではないか。」
師は堂の中央に坐し、弟子たちを見渡した。
「今より、『四念処』を修す。
これは、心を観るための初めの門である。」
師の声は、深く、静かだった。
「身を観ずること――これは“身念処”である。
呼吸を観じ、姿勢を観じ、動きの一つひとつに心を置け。
自分が“動かしている”のではなく、
ただ“動きがある”ことを観よ。」
真玄は目を閉じた。
息を吸い、吐く。
胸の奥に波のような音が満ちていく。
ふと、足の痛みが心を刺した。
だが師の声が再び響いた。
「痛みを嫌うな。
それを“痛み”と名づける心を観よ。
名づける前に、そこに何があるかを感じよ。」
真玄の意識は、痛みの中に沈んでいった。
だが、ある瞬間、痛みは「痛み」ではなく、
ただ熱と波動のような感覚の集まりに変わった。
そのとき、彼の胸の奥で、何かが“ほどけた”ように思えた。
師の声が続く。
「これが“受念処”――感受を観ずることだ。
楽・苦・捨の三受をただ観よ。
それを“私”が感じていると考えるな。
感じていることが、ただ起こっているのだ。」
朝の光が、堂の戸の隙間から差し込み、
真玄の頬をやわらかく照らした。
次に師は言った。
「“心念処”――心そのものを観ずる。
怒りがあれば怒りを、喜びがあれば喜びを、
そのままに映せ。
心を裁かず、整えず、ただ観よ。」
真玄の胸に、昨日の不安がよみがえった。
「自分はまだ悟れない」という焦り。
だが、その思いを押しのけずにただ観た。
焦りは風のように流れ、次の瞬間には跡形もなく消えていた。
師は最後に言った。
「“法念処”――あらゆる現象を法として観る。
生滅は絶え間なく、
現れるものはすべて条件によって起こる。
それを観じたとき、汝は“無常”の門に立つ。」
そのとき、真玄の心に一羽の雲雀(ひばり)の声が届いた。
彼は思った。
――雲雀も、私の呼吸も、この一瞬にだけ生きている。
その気づきの中で、すべてがひとつの光に溶けていった。
師は静かに言葉を結んだ。
「これが四念処である。
“観る者”が己を離れたとき、
真の眼が開かれる。」
堂の外では、朝陽が山々の霧を貫き、
黄金の光がすべてを包んでいた。
真玄はその光の中で、
初めて“見る”ということの意味を知った。




