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聖女の祈り

 

 

聖女の祈り

黄昏の聖堂。ステンドグラスを透かして落ちる光が、赤や青の影を床に散らしていた。
祭壇の前にひとりの女が跪いている。白き衣をまとい、静かに祈りを捧げるその姿は、まるで永遠の花のように揺るぎなかった。

 

「正しき人の唇は叡智を告げ、その舌は正義を語る……」
彼女は声なき声で、古より伝わる言葉を胸に繰り返した。誘惑に打ち勝つ者は幸いである、と。試練を超えた者だけが、真に人生の王たりうると。

主よ、すべての善良の源泉である方よ――。
聖らかに燃える炎よ、どうか憐れみ給え。

その祈りは、静けさの中に滲み、聖堂の奥深くにまで染み渡るようだった。

彼女は人々から「聖女」と呼ばれていた。
清らかで、静かにして淑やか。慈悲に溢れ、情に厚く、その眼差しに触れるだけで、人は救われたような安らぎを覚える。

ああ――と人々は心の内で嘆じた。
純潔なる白百合よ、と。

彼女はただ、ひとひらの花弁のように静かにそこに佇んでいた。

 

私は、その光景を遠くから見守っていた。
聖堂の奥、祭壇の前に跪く彼女の姿は、ひとつの幻のようでありながら、確かな現実の輝きを放っていた。

沈黙の中で、彼女の唇が微かに動く。
「正しき人の唇は叡智を告げ、その舌は正義を語る……」
その言葉は声にこそならなかったが、不思議と私の胸奥に届いていた。彼女の祈りが大気を震わせ、見えぬ炎のように空間を満たしてゆくのを、私は確かに感じていた。

ああ、この人は――清らかで、静かで、慈悲に満ちている。
その立ち姿を見ているだけで、心の澱が洗われてゆくようだった。

人は彼女を「聖女」と呼ぶ。だが私には、それ以上のものに見えた。
純潔なる白百合。
冬の夜を照らす灯火。
その存在そのものが、私にとっての救済であった。

私はただ、そこに立ち尽くすことしかできなかった。
彼女を崇めるためでも、言葉を交わすためでもない。
ただ見守ることが、私に許された唯一の祈りであるように思えただ。

私は、彼女の姿を見つめながら、かつての自分を思い出していた。
あの暗い牢獄の中で、絶望に沈み、己の罪を呪い続けていた日々を。
人を傷つけ、裏切り、最後にはすべてを失った。私には、生きる理由などどこにも残されてはいなかった。

そんな私の前に現れたのが、彼女だった。
鉄格子越しに差し出されたのは、非難の言葉でも、冷たい視線でもなかった。
ただひとつ、白百合のように清らかな眼差し――。

「あなたにも、まだ光はある」
その一言で、私は打ち砕かれた。
罪に覆われた心が、初めて震えた。赦されることなど決してないと思っていた。だが彼女は、赦すのではなく、ただ「信じる」という形で私を包んだのだ。

今、祭壇に跪く彼女を見ている。
静かに祈るその姿は、あの日と何も変わらない。
清らかで、静淑で、慈悲に溢れ、情に深い。

人は彼女を「聖女」と呼ぶ。
だが私にとっては、それ以上の存在だ。
もし彼女がいなければ、私はとっくに死んでいただろう。
いや、あの日すでに死んでいた心を、彼女が蘇らせてくれたのだ。

ああ、純潔なる白百合よ――。
私はただ、この命が尽きるまで、彼女を見守り続けたいと思った。
それが、罪深き私にできる唯一の贖いなのだから。

 

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