エピローグ ― 光の曼荼羅
千年の昔、唐の地にひとりの僧がひざまずいた。
曼荼羅の宇宙は、遠き理想ではなく、
いまここを照らす真実の道となった。
その炎は、国を越え、時を越え、
無数の命を結びながら脈々と受け継がれてゆく。
現代。
遼の胸にも、曼荼羅の光が宿る。
友と交わり、家族を見つめ、世界へまなざしを広げるとき、
彼は知らず知らず、空海が見た宇宙と同じ響きを歩んでいた。
――空海の声が、風のように耳元で響く。
「オン アムビラウンケン オン モシュッタ マニ ジュンテイ アバラ ジタ タニ テイ ソワカ」
光は広がる、黄金の光が天を満たし、
青い智の光が周囲を照らす。
赤い慈悲の炎が心を暖め、
白い清浄の光がすべてを包む。
孤独も、悲しみも、歓びも、
すべては光の網の目の中でひとつに結ばれる。
観音の眼がすべてを見守り、
文殊の智慧が響き渡る。
不動の剣の炎が迷いを断ち切り、
大日如来の光が中心で静かに揺れる。
光は広がる、光は満ちる、光は結ばれる。
過去も、未来も、いまも、
すべての響きが曼荼羅に溶け合う。
光は広がる、光は満ちる、光は結ばれる。
空海の祈りと遼のまなざしは、
ひとつの中心で重なり合う。
光は広がる、光は満ちる、光は結ばれる。
始まりも、終わりもなく、
ただ永遠に、曼荼羅の宇宙がある。
舎利(しゃり)は仏教の開祖、釈迦(しゃか)(ゴータマ・シッダルタ)の遺骨のことで、舎利は釈迦をしのぶよすがとして篤く信仰されました。舎利を美しく飾った容器に納入することは既に古代インドでおこなわれていましたが、その伝統は、中国、韓国・日本に受け継がれ、数多くの優れた作品が生み出されました。本展は、舎利荘厳美術の至宝を一堂に集め、華麗に展開した舎利信仰の様々な姿をご覧頂くものです。釈迦への想いが結晶した美の世界をご鑑賞ください。
釈迦は、インドのクシナガラで80年におよぶ偉大な生涯を閉じました。弟子たちは亡きがらを荼毘(だび)にふし、舎利(遺骨)を釈迦をしのぶよすがとして礼拝しました。舎利は美しく飾られた容器に納められ、ストゥーパ(塔)に埋納されました。舎利への信仰は仏教のさまざまな信仰のなかでも、もっとも古いもののひとつです。
仏教の伝播にともない、舎利信仰は中国、韓国、日本へと伝わりました。インドの伝統にのっとり、日本でも古代寺院では塔に舎利が安置されましたが、平安時代のはじめに密教が伝えられ、舎利信仰に大きな転機が訪れました。修法(加持祈祷の法)の本尊に舎利をむかえ、国家安泰(こっかあんたい)、玉体安穏(ぎょくたいあんのん)、五穀豊穣(ごこくほうじょう)などが祈願されました。舎利は人々に現世利益をもたらす霊験の強い存在と認識されるようになったのです。
やがて、舎利はあらゆる願いをかなえる不思議な玉、如意宝珠(にょいほうじゅ)(摩尼宝珠(まにほうじゅ)、宝珠ともいう)と見なされるようになりました。舎利の霊験の強さが如意宝珠と同体であるという発想を生んだのでしょう。宝珠は如意輪観音が手に持っていたり、愛染明王像の宝瓶座(ほうびょうざ)の中につまっているなど、様々なホトケと密接な関連を有しています。宝珠との結びつきにより、舎利はこのようなホトケたちとも関連を深め、日本の舎利信仰は独自の展開を見せるようになりました。複雑な信仰を反映して、日本の舎利容器は宝塔形、五輪塔形、宝珠形などいくつもの形式が現れました
平安の世、人々の願いは尽きることがなかった。疫病を退けたい、豊かな収穫を得たい、子の成長を願いたい──その祈りはすべて、舎利を仰ぐ信仰のなかに込められていった。
ある晩、比叡の山中。修法を終えた老僧が、弟子に語りかけた。
「見よ、この舎利を。もはやただの師の遺骨ではない。人々はこれを、すべての願いをかなえる宝珠と見なすようになったのだ」
弟子は容器の中に納められた舎利を覗き込み、その小さな輝きに息をのんだ。
「まるで光を宿す玉のようです……」
老僧は頷き、続ける。
「そうだ。仏典に説かれる如意宝珠──摩尼宝珠と同体とみなされるのも必然であろう。観音はその手に宝珠を持ち、愛染明王は宝瓶の中にこれを満たす。舎利は諸尊と結びつき、さらに深い力を顕すのだ」
堂内の灯火がふと揺れ、舎利容器の表面に紅蓮の光がきらめいた。弟子はその様子に目を奪われ、思わず声を上げた。
「師よ……まるで舎利そのものが、宝珠に変じたかのようです!」
夜のカフェ。窓の外には都会のネオンがにじんでいた。
四人の若者がテーブルを囲んでいた。
「日本の仏教ってさ、形式ばかりで、生きた言葉を失ってる気がするんだ」
カズキがカップを指で回しながら言った。彼は寺の家に育ったが、どこか距離を置いていた。
「でも仏教には“慈悲”があるでしょ?」とミホが反論する。彼女は教会に通い、聖書をよく読む。
「慈悲って、愛と同じじゃないの?」
すると、留学生のサラが首を横に振った。
「私の国でも“慈悲”という言葉はあるけど、ここで話している“愛”とはちょっと違うと思う。ほんとうの愛には犠牲が伴う。犠牲なしの愛は、ただの好意にすぎないのでは?」
言葉が一瞬止まった。
ユウタが小さく息を吐く。
「犠牲って……つまり自分を削るってこと? でも現代はみんな、まず自分を大事にしようって言うじゃないか。自己犠牲なんて、時代遅れだって。」
サラは静かに答える。
「いいえ。犠牲を恐れてばかりでは、誰も深い愛を知ることはできないと思う。たとえば家族のために、友人のために、自分の時間や安らぎを差し出す。そこに成長がある。犠牲は苦しみじゃなくて、むしろ魂を大きくする道なの。」
ミホが頷いた。
「それは聖書でも同じね。ほんとうの愛は、命さえも差し出すことにまで至るって。」
カズキが少し身を乗り出した。
「じゃあ仏教はどうだろう。“自分も相手も救う”っていう智慧がある。愛と智慧がひとつになったとき、新しい宗教のかたちが見えるんじゃないか。」
ユウタは黙って聞いていたが、ふと窓の外を見てつぶやいた。
「もし、それぞれの宗教や文化が曼荼羅みたいに繋がっているなら……その中心にあるのは、“犠牲をともなう愛”なのかもしれないな。」
四人はしばらく沈黙した。
ただ夜の灯りが、曼荼羅のように街を彩っていた。
――静けさの中で、四人の心に同じ響きが生まれた。
それは言葉にならない言葉、ただ祈りのように流れ出す。
「すべてのいのちが、愛によって結ばれますように。」
「すべての心が、智慧によって照らされますように。」
「愛と智慧とが、一つの曼荼羅として、この世界を包みますように。」
その響きは、誰のものでもなく、すでにすべての魂の奥にあった。




