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『白象のほほえみ ― 普賢の道へ』
夕刻、駅前の人混みの中で、青年・**航平(こうへい)**は立ち尽くしていた。

システム会社で働いて三年目。プロジェクトは炎上、上司は冷たい。
帰り道の途中、どこかに置き忘れてきたような心を探していた。

ふと視線の先に、白杖を持つ中年の女性が見えた。信号が青に変わっていることに気づかず、交差点の手前で立ち止まっている。人波は無関心にすり抜けていく。

――自分も、そうしてきた。
見て見ぬふりをして、急ぎ足で通り過ぎる側だった。

でも、今日は何かが違った。
頭のどこかで、真言のような言葉が響く。

「行じなさい。慈悲は、足を運ぶことで生きるのです」

気づけば、航平は女性に近づいていた。
「信号、青ですよ。よかったら、一緒に渡りましょうか」

驚いたような顔が、微笑みに変わる。

渡り終えたその瞬間、夕陽がビルの隙間から差し込んだ。
あのとき峠道で見た、白象の光景がふと脳裏をよぎる。

翌日。
いつもの満員電車の中でも、席を譲る。
コンビニの店員に、はっきりと「ありがとう」と言う。
会社の新人の悩みに、時間を取って耳を傾ける。

些細なことかもしれない。
でもそれが「行」だと、航平は感じていた。

慈悲とは、心の中だけで願うことではない。
誰かの明日のために、自分の今日を使うこと。

それが普賢菩薩の教えなら、自分もこの都市の片隅で、白象に乗った祈りになれるのかもしれない。

ある日、職場の同僚に言われた。

「最近、なんか変わったよな。前より…なんていうか、誰かの味方って感じがする」

航平は笑った。
自分でも理由はうまく言えない。
ただ、あの時、霧の中から現れた白い象が、自分の生き方を少し変えた気がしたのだ。

祈りは行動へ ― 普賢の道を、今を生きる私たちへ

現代に生きる私たちが普賢の教えを実践するとは、
・見過ごされる声に耳を傾けること
・沈黙している誰かの痛みに寄り添うこと
・「気づいていながら行動しない自分」を、そっと超えていくこと

その積み重ねこそが、日々の“白象”に乗ることなのかもしれません。

 

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