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『現代に現れる降三世の姿』

『現代に現れる降三世の姿』

東京、真夏の午後。
駅前の交差点は、灼けるようなアスファルトの熱気と、人々の苛立ちが渦巻いていた。

歩道に立つ青年・蓮(れん)は、眉をひそめていた。
汗が額を伝い、右手の拳には、堪えきれぬ怒りがこもっている。

会社の理不尽な上司。
満員電車でぶつかっても謝らない他人。
誰もが自分のことで精一杯で、心がすり減る日々。

(もう、限界かもしれない)

彼はふと、幼いころ祖母から聞いた話を思い出す。

「怒ってもいいのよ。大事なのは、その怒りを誰かのために使えるかどうか。それが“仏の怒り”というのよ。」

蓮は、ため息とともに目を閉じた。

その瞬間だった。

目の前の景色が歪み、あたりの喧騒が遠のく。
世界が、音を失った。

そして――空間が裂けるようにして、そこに「何か」が現れた。

炎を背負い、四つの顔で四方を睨み、八本の腕には剣、棒、輪宝、縄、さまざまな法具を携える存在。

降三世明王。

だが、それは古の仏像の姿ではなかった。

現れた者は、黒いパーカーにジーンズ、だが瞳には世界を貫く怒りと慈悲が宿っていた。
まるで「現代の戦士」のような風貌で、だがその声は、宇宙を震わせるように深かった。

「汝、怒りを抱いているな。それは正しい。だが、その刃を振り下ろす前に、己の煩悩と向き合え。」

蓮は、呆然と問い返す。

「どうすればいいんだ……どうすれば、この怒りを……」

降三世は、一本の剣を掲げた。それは炎をまとう倶利伽羅剣に似ていた。

「この剣は、己の心を断ち切るためのものだ。
欲に溺れた過去。怒りに飲まれた現在。愚痴に覆われた未来。
三つの世を越えて、真実を貫け。」

次の瞬間、蓮の胸に熱が走った。

(オン・ソンバ・ニソンバ・ウン・バザラ・ウン・パッタ)

その真言が、内側から響いてくる。

そして、世界は音を取り戻す。
交差点の喧騒、人々の足音、蝉の鳴き声――日常が戻っていた。

蓮は、肩の力を抜き、ゆっくりと歩き出す。

怒りはまだそこにある。
だがそれはもう、破壊の刃ではない。
誰かの痛みに気づくための“火”に変わっていた。

遠く、電光掲示板の反射の中に、一瞬だけ炎の背を持つ男の姿が映った。
だがすぐに、それは消えていた。

現代に現れる明王は、怒りの中にこそ棲んでいる。
煩悩に迷う者がいる限り――その姿を変えて、現れ続けるのだ。

 

第三話『言葉の刃を断つ教師』

現代の教室は、かつての戦場よりも静かで、冷たい。
その沈黙の中に、目に見えない刃が飛び交っている。

「先生って、何もわかってないよね。」

生徒のひとことが、黒板の前に立つ教師・水島紗季(みずしま・さき)の胸を斬った。

彼女はまだ若い教師で、理想と正義感を胸に教壇に立った。
だが、SNS、陰口、無関心、そして“言葉の暴力”という名の刃に日々傷つけられていた。

注意すれば反発され、寄り添えば軽く見られる。
授業が終わるたび、教室を出る生徒たちの背中が、自分の価値を否定しているように感じられる。

(何のために教師になったんだろう……)

ある日、廊下に「退職しろ」「ババア」「うざい」と書かれた紙切れが貼られていた。

誰が書いたかもわからない。問い詰める気力ももう、ない。

泣く気にもなれなかった。

その夜、帰宅した彼女は鏡の前でふと、つぶやいた。

「私も……もう、人を傷つけてるのかもしれない」

鏡の奥で、一瞬だけ“誰か”の気配を感じた。

翌朝、教室に入ると、教卓の上に黒いノートが置かれていた。

表紙には何も書かれていない。
開くと、白紙のページの中央に、炎のような文字でこう記されていた。

「オン・ソンバ・ニソンバ・ウン・バザラ・ウン・パッタ」

(なに、これ……)

触れた瞬間、彼女の視界がぐにゃりと歪む。
教室が燃え上がったような幻が見え、黒板の前に“あの存在”が立っていた。

八本の腕、四つの顔、怒りを纏う武神。

しかし、それは古の神ではない。

教師のジャケットにジーンズ姿、目元にサングラス。
だがその背に燃える火炎と、目に宿る怒りは確かに仏のそれだった。

降三世明王。現代に現れた“言葉の刃を断つ者”。

「お前の怒り、見えぬふりをするな。
怒りを恥じるな。それは、お前の中の慈悲の叫びだ。」

「……でも、私は……生徒に嫌われるのが、怖い……」

「その恐れこそが、煩悩だ。
“言葉の刃”は、お前の心の弱さにつけ入ってくる。」

明王は、炎の剣を一振りして教室を斬った。

その瞬間、目に見えない「言葉の刃」が無数に現れた。
「無能」「バカ教師」「邪魔」「地味」「死ねばいい」
それは生徒たちがネットに投げ込んだ、匿名の声だった。

「これが、汝が見ぬふりをしていた真実だ。
だが、この刃を断つのは……お前自身の声だ。」

紗季は、剣を手に取った。

震える手で、それでも真っ直ぐ前を見て、斬った。

「私は教師だ。あなたたちに、学んでほしいと思っている。
私は、怒っている。でもそれは、あなたたちを捨てたくないからだ!」

剣が閃いた瞬間、言葉の刃が砕け、教室の幻は静かに消えていった。

その日から、水島紗季は変わった。
以前より、毅然として、そしてやさしくなった。
叱るときは叱り、黙るときは黙る。
誰よりも正直な教師になった。

誰かが悪口を書いたノートを見せびらかしていたとき、彼女はただひとことだけ言った。

「人の心を斬る言葉は、いつか自分をも斬る。
だからこそ私は、“怒り”でそれを止める。」

それは恐ろしくも美しい、炎を抱いた言葉だった。

――そして、夜の空に炎の光背を背負った男の影が一瞬だけ立つのを、誰かが見たという。

降三世明王は今も、
言葉という見えぬ刃を断つ者の中に、宿っている。

 

第四話『街を護る怒り――降三世、交番に立つ』

深夜一時、繁華街の片隅にある小さな交番。
ネオンの色が滲むガラス越しに、静かに座る警察官がひとりいた。

名を、芹沢 智(せりざわ・さとし)。
かつては機動隊にも在籍していた武道の達人だったが、今はこの小さな交番に配属されている。

その目は鋭く、だがどこか疲れていた。

人々の悪意、嘘、怒号。
パトロールに出れば暴力の現場、交番には理不尽なクレーム。
市民を守るための怒りが、少しずつ彼の中で腐っていくのを、芹沢自身も感じていた。

「誰のために怒ってるのか、わからなくなるな……」

その夜、交番の前で一人の少年が暴走族に絡まれていた。
警察とわかるや否や、彼らは芹沢に対して怒鳴り散らし、スマホを向け、煽り、侮辱しはじめる。

「おい! お前、殴ったら即免職だぞ? なあ! 殴ってみろよ、公務執行妨害って騒げば終わりだぞ!」

芹沢の手が震えた。

怒りが、剣のように心を割る。

そこに――突如、風が止まった。

時間が凍りつくように、暴走族の声が消え、世界が音を失う。

そして、交番の電灯の影から、現れた。

――八本の手、四つの顔、背に火焔を負った影。
制服姿に変じながらも、その眼には地獄を照らす慈悲の怒り。

「……お前、誰だ」

芹沢が問いかけたとき、その存在は剣を差し出した。

「我は降三世。汝が抱く怒り、それは正しい。
だが“正しい怒り”も、誤って使えば、ただの暴力に堕ちる。」

「……俺は、もうわからなくなった。正義のつもりで怒ってきた。でも、誰も守られていない気がする」

「ならば、護れ。この剣で。」

芹沢の手に、その炎の剣が握らされる。

「この剣は、暴力を斬る剣ではない。“無力感”と“諦め”を断ち切る剣だ。
心を鈍らせる怠惰。正義を腐らせる妥協。欲と愚痴と怒りに塗れた三世の闇を、この街から祓え。」

再び音が戻り、暴走族の少年が口を開こうとした瞬間――
芹沢は、静かに一歩、前に出た。

「名前を言え。」

「は?」

「名前だ。お前のだ。」

芹沢の声は低く、だが揺るがなかった。

「誰かに怒る前に、お前自身が誰なのかを教えろ。それが、対話の始まりだ。」

少年は戸惑い、やがて「ケンタ……」と答えた。

芹沢はうなずき、剣を構えるように、背筋を伸ばした。

「お前が自分の名前を言った。それだけで、俺はお前を敵として扱わない。」

その夜、暴走族は何も壊さず、誰も傷つけずに去っていった。

残された芹沢は、夜空を仰いだ。

交番の屋根の上に、一瞬だけ炎を背負う影が立っていた。
風がそれを消し、静寂が戻る。

だが、芹沢の胸には確かに残っていた。

怒りは、捨てるべきものではない。

怒りは、人を守るために使われるべき剣なのだと――。

 

第四話『街を護る怒り――降三世、交番に立つ』

深夜一時、繁華街の片隅にある小さな交番。
ネオンの色が滲むガラス越しに、静かに座る警察官がひとりいた。

名を、芹沢 智(せりざわ・さとし)。
かつては機動隊にも在籍していた武道の達人だったが、今はこの小さな交番に配属されている。

その目は鋭く、だがどこか疲れていた。

人々の悪意、嘘、怒号。
パトロールに出れば暴力の現場、交番には理不尽なクレーム。
市民を守るための怒りが、少しずつ彼の中で腐っていくのを、芹沢自身も感じていた。

「誰のために怒ってるのか、わからなくなるな……」

その夜、交番の前で一人の少年が暴走族に絡まれていた。
警察とわかるや否や、彼らは芹沢に対して怒鳴り散らし、スマホを向け、煽り、侮辱しはじめる。

「おい! お前、殴ったら即免職だぞ? なあ! 殴ってみろよ、公務執行妨害って騒げば終わりだぞ!」

芹沢の手が震えた。

怒りが、剣のように心を割る。

そこに――突如、風が止まった。

時間が凍りつくように、暴走族の声が消え、世界が音を失う。

そして、交番の電灯の影から、現れた。

――八本の手、四つの顔、背に火焔を負った影。
制服姿に変じながらも、その眼には地獄を照らす慈悲の怒り。

「……お前、誰だ」

芹沢が問いかけたとき、その存在は剣を差し出した。

「我は降三世。汝が抱く怒り、それは正しい。
だが“正しい怒り”も、誤って使えば、ただの暴力に堕ちる。」

「……俺は、もうわからなくなった。正義のつもりで怒ってきた。でも、誰も守られていない気がする」

「ならば、護れ。この剣で。」

芹沢の手に、その炎の剣が握らされる。

「この剣は、暴力を斬る剣ではない。“無力感”と“諦め”を断ち切る剣だ。
心を鈍らせる怠惰。正義を腐らせる妥協。欲と愚痴と怒りに塗れた三世の闇を、この街から祓え。」

再び音が戻り、暴走族の少年が口を開こうとした瞬間――
芹沢は、静かに一歩、前に出た。

「名前を言え。」

「は?」

「名前だ。お前のだ。」

芹沢の声は低く、だが揺るがなかった。

「誰かに怒る前に、お前自身が誰なのかを教えろ。それが、対話の始まりだ。」

少年は戸惑い、やがて「ケンタ……」と答えた。

芹沢はうなずき、剣を構えるように、背筋を伸ばした。

「お前が自分の名前を言った。それだけで、俺はお前を敵として扱わない。」

その夜、暴走族は何も壊さず、誰も傷つけずに去っていった。

残された芹沢は、夜空を仰いだ。

交番の屋根の上に、一瞬だけ炎を背負う影が立っていた。
風がそれを消し、静寂が戻る。

だが、芹沢の胸には確かに残っていた。

怒りは、捨てるべきものではない。

怒りは、人を守るために使われるべき剣なのだと――。

第五話『過去を斬るバイク便ライダー』

東京の夜を縫うように走る一台のバイク。
背中に古びたリュック、無言で信号をすり抜けるその男の名は、斎藤 陸(さいとう・りく)。

30代後半。
過去に仲間を巻き込んだ“ある事故”で夢を失い、家族も去った。
以来、昼夜問わずバイクで走り続けている。

「走っていれば、過去に追いつかれずに済むと思ってた――」
第四話『街を護る怒り――降三世、交番に立つ』

深夜一時、繁華街の片隅にある小さな交番。
ネオンの色が滲むガラス越しに、静かに座る警察官がひとりいた。

名を、芹沢 智(せりざわ・さとし)。
かつては機動隊にも在籍していた武道の達人だったが、今はこの小さな交番に配属されている。

その目は鋭く、だがどこか疲れていた。

人々の悪意、嘘、怒号。
パトロールに出れば暴力の現場、交番には理不尽なクレーム。
市民を守るための怒りが、少しずつ彼の中で腐っていくのを、芹沢自身も感じていた。

「誰のために怒ってるのか、わからなくなるな……」

その夜、交番の前で一人の少年が暴走族に絡まれていた。
警察とわかるや否や、彼らは芹沢に対して怒鳴り散らし、スマホを向け、煽り、侮辱しはじめる。

「おい! お前、殴ったら即免職だぞ? なあ! 殴ってみろよ、公務執行妨害って騒げば終わりだぞ!」

芹沢の手が震えた。

怒りが、剣のように心を割る。

そこに――突如、風が止まった。

時間が凍りつくように、暴走族の声が消え、世界が音を失う。

そして、交番の電灯の影から、現れた。

――八本の手、四つの顔、背に火焔を負った影。
制服姿に変じながらも、その眼には地獄を照らす慈悲の怒り。

「……お前、誰だ」

芹沢が問いかけたとき、その存在は剣を差し出した。

「我は降三世。汝が抱く怒り、それは正しい。
だが“正しい怒り”も、誤って使えば、ただの暴力に堕ちる。」

「……俺は、もうわからなくなった。正義のつもりで怒ってきた。でも、誰も守られていない気がする」

「ならば、護れ。この剣で。」

芹沢の手に、その炎の剣が握らされる。

「この剣は、暴力を斬る剣ではない。“無力感”と“諦め”を断ち切る剣だ。
心を鈍らせる怠惰。正義を腐らせる妥協。欲と愚痴と怒りに塗れた三世の闇を、この街から祓え。」

再び音が戻り、暴走族の少年が口を開こうとした瞬間――
芹沢は、静かに一歩、前に出た。

「名前を言え。」

「は?」

「名前だ。お前のだ。」

芹沢の声は低く、だが揺るがなかった。

「誰かに怒る前に、お前自身が誰なのかを教えろ。それが、対話の始まりだ。」

少年は戸惑い、やがて「ケンタ……」と答えた。

芹沢はうなずき、剣を構えるように、背筋を伸ばした。

「お前が自分の名前を言った。それだけで、俺はお前を敵として扱わない。」

その夜、暴走族は何も壊さず、誰も傷つけずに去っていった。

残された芹沢は、夜空を仰いだ。

交番の屋根の上に、一瞬だけ炎を背負う影が立っていた。
風がそれを消し、静寂が戻る。

だが、芹沢の胸には確かに残っていた。

怒りは、捨てるべきものではない。

怒りは、人を守るために使われるべき剣なのだと――。

だが、ある晩。
配達先のビルに到着した瞬間、インカムに奇妙な音が混じった。

──ザザッ……オン・ソンバ・ニソンバ……ウン・バザラ・ウン・パッタ……ザッ。

(今の……真言?)

ビルのロビーに入ると、誰もいないはずの空間が、真紅に染まった。

現れたのは、黒いヘルメットをかぶった自分自身。
「事故の夜」のままの姿で、こちらを睨んでいる。

「お前は逃げた。罪を斬らずに、走り去った。」

震える足。崩れそうな心。
斎藤は、自分の過去の幻影に囚われた。

そのとき、エレベーターの鏡面が揺れ、そこから現れたのは――

八本の手に剣を持ち、バイクスーツ姿の降三世明王。

だがその顔の一つは、確かに“自分”に似ていた。

「斎藤陸。お前の怒りは、他者ではなく、自分に向いている。
それは逃げではなく、“罪を背負いたい”という慈悲の形だ。」

「……だったら、俺はどうすれば?」

「走れ。そして、斬れ。過去ではなく、“今の怯え”を。」

明王が差し出した剣は、ミラーシールドのように過去を映し出し、
斎藤の手で振るわれたとき――

鏡の中の“罪の自分”が崩れ落ちた。

それから彼は、夜のバイク便を辞めた。

かわりに始めたのは、夜の救急パトロールのボランティア。
傷ついた若者を運び、孤独な人に声をかける。
かつての自分のような者たちに、寄り添う日々。

ある夜、信号待ちの後ろでバイクのライトが点滅した。
振り返ると、誰もいない。

だが、道路の片隅に燃え上がるような“赤い火”の残像だけが、確かにあった。

降三世は走っている。
罪に囚われた心を、斬るために。

第六話『スクリーンの裏の明王 ― ネットに潜む闇を斬れ』

中学生の少女、**葉山 結子(はやま・ゆいこ)**は、スマートフォンの画面に世界を見ていた。

学校ではほとんど喋らず、家でも部屋にこもり、
彼女の“本当の居場所”は匿名のSNSとチャットアプリの中にあった。

そこでは、誰もが「本音」で話し合い、悪意をむき出しにする。
炎上、晒し、晒され、攻撃、罵倒、自己演出──
それらが彼女にとっての、正直な世界だった。

「リアルが嘘だらけだから、ネットだけが本物なんだよ」

そう呟く結子の指先は、ある日、
ふとした違和感を覚える。

匿名チャットに「不気味なID」が入り込んでいた。
名前は【GZ-Myo-03】。
“降三明王・第3変化”と名乗るその存在は、こう言った。

「そなたは、刃を投げ続けている。
だが、その刃はいつか、自らの魂を裂く」

結子は笑った。

「なにそれ? 私が誰かを傷つけたって言いたいの?」

だがその瞬間、スマホ画面が真っ赤に染まり、
アカウントのログが暴走し始めた。

自分が送った過去の悪意の言葉――
「ブス」「消えろ」「○ね」「キモい」
それらが無数に拡大され、画面を埋め尽くしていく。

やがて、画面の奥から“赤い手”が伸び、彼女の首を掴んだ。

気がつくと、彼女は巨大なディスプレイの中にいた。
そこは無数の言葉が飛び交い、叫び、怒り、悲鳴がこだまする“デジタルの地獄”。

その中心に、降三世明王が現れた。

だが今回は、異形の電子体。
サイバーアーマーに包まれ、光と火焔をまとったデジタルの戦神だった。

「結子。汝は心を鎧で隠し、他者の弱さを斬った。
だがその刃の元は、汝自身の“孤独”だ」

「……私は、誰にも見られたくなかっただけ。
弱い自分を見せるくらいなら、誰かを叩いていた方が……マシだった」

「ならば、見せよ」

明王が差し出したのは、一枚の“鏡のようなタブレット”。
そこには、小さな結子が泣きながら「もう学校行きたくない」とつぶやいていた過去の映像。

誰にも見せなかった、ただの一度だけの弱音。

「自分自身を否定することからは、何も生まれぬ。
他者を傷つける言葉は、自分への呪いにすぎぬ。
今こそ、その呪いを、怒りの剣で断ち切れ」

結子は、震える手でその“剣”を掴んだ。

言葉で、涙で、恐れで。

斬ったのは――“自分自身にかけた呪い”だった。

目が覚めると、スマホは正常に戻っていた。
だが彼女の中に、確かな変化があった。

その日から結子は、SNSから離れ、日記を書くようになった。
たとえ誰にも見せなくても、“本音”はそこに綴られた。

そしてたまに、こう呟くようになった。

「本当に怒るってことは、誰かを守るってことなんだね……」

夜。スマホの待ち受けに、誰かが入れていないはずの壁紙が一瞬だけ表示される。

赤い火焔に包まれた“四面の仏の顔”。

降三世明王は、ネットの闇の奥で今も――
心を救う怒りの剣を研ぎ澄ましている。

第七話『千手千眼に宿る明王 ― 介護士と孤独の老い』

──その日、彼はまた“ありがとう”をもらえなかった。

介護士・三枝 慎太郎(さいぐさ・しんたろう)、27歳。
特別養護老人ホーム「光の杜」で働いて3年。

風呂介助、排泄ケア、認知症の徘徊対応──
身体は常に悲鳴を上げ、言葉は罵倒され、
それでも慎太郎は、誰よりも丁寧に、黙々とケアを続けていた。

「“優しくされること”すら忘れた人たちを、どうやって救えって言うんだよ……」

ある夜、彼の担当だった利用者・長谷川信子(85)が、
「もう、誰にも触らないで」と叫んだ。

そのとき慎太郎は、自分の“手”が、
ただの作業の道具に感じられた。

数日後。

夜勤中の休憩室。
疲れきった彼がソファに沈むと、不意に窓の外に“無数の手”が現れた。

──それは、風のように動き、火のように揺れ、
──やがて、一つの姿を結ぶ。

八面怒号の顔。千本の手、すべての掌に「眼」。

「誰……?」

「我は千手千眼観音より顕れし、明王のひとつ。
人の“見えない苦しみ”を視て、“届かぬ心”に触れる者」

「俺はもう、心なんか届かないって……」

「否。お前の手は、まだ“怒っていない”。
悲しみに、怒れ。
忘れられる痛みに、怒れ。
触れるたびに壊れそうな命を、それでも支える“怒り”を知れ。」

その晩、施設で認知症の女性が転倒し、介助者に噛みつく騒動が起きた。
他のスタッフが恐れて引く中、慎太郎は迷わず飛び込んだ。

流血しながらも、彼はその手を、
まるで“神仏の手”のように包み込んだ。

「やめて……あなたを痛めたいんじゃないんだ、って知ってるから」

女性の目に、ひとすじの涙が浮かんだ。

それからというもの──
慎太郎の“手”には、変化が生まれた。

触れた相手の「かすかな記憶」「消えかけた感情」が、
ほんの一瞬、彼の中に流れ込んでくるようになった。

言葉を失った老人の手から、
「ありがとう」という感情だけが、確かに伝わってきた。

それは、怒りにも似た慈悲の感触だった。

「優しさは、時に怒りに似ている。
“何も伝わらない”という絶望に、拳を握りたくなる夜。
それでも手を差し出す、その痛みこそが──
人を救う“明王の手”だ」

慎太郎の夢の中、今も千の手をもつ明王は静かに立っている。

 

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