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最上深秘の呼吸法

じんび

最上深秘の呼吸法

である。

つぎに、釈尊は、四つの最上深秘の呼吸法を説いている。

勝止息

奇特止息

上止息

無上止息

釈尊は、経典で「この四つの呼吸法は、すべての呼吸法において、これ以上のものはない最上の呼吸法である」とのべている。(雑阿含経・止息法)

この呼吸法が、なぜ最上深秘のものであるのかというと、この呼吸法はもっぱら、脳を対象としたものであるからだ。脳のチャクラを動かし、脳の神経経路を改造し、ことに、脳に特殊な能力を持たせる呼吸法であるからである。

呼吸法、といっているけれども、単なる呼吸作用のコントロール法ではなく、

めぐナデイ行らす、というからには、行らす“道”がなければならない。その道が “気道”である。

このあとで説く「チャクラ」「プラーナ」「クンダリニー・エネルギー」「気道」

「ムドラー」「瞑想」「マントラ詠唱」など、すべての技法を総合しておこなわれ

るもので、釈尊の成仏法の最終段階のものである。この四つの呼吸法(くり返し

ていうが、単なる呼吸法ではない)で、釈尊の成仏法は完成されるのである。

この呼吸法については、またあとで説く。

ナデイ仏陀の気道の法

前の節を読まれたら、だいたいおわかりであろう。

ナディ釈尊も、四神足法において、やはり、気道をもちいていたのである。

めぐ行息 気息を行らす

ただし、釈尊の気道は、クンダリニー・ヨーガの気道とはかなりちがうもので

ナデイ

ある。それは、クンダリニー・ヨーガの気道の欠陥、欠陥というより不十分な部分、を補足したものといってよいだろう。

なぜ、そういうことがいえるのか?

わたくしは、仏陀の行息法がのちに中国に渡って、道教の仙道になっていったものと考えるのである。すなわち、道教の修行の原点は、釈尊の成仏法にあるの

である。 ないきぎようか

道教の基本的修行に、「内気の法」というのがある。また、「行気の法」がある。これらは、阿含経に説かれている仏陀の「行息の法」にほかならない。

あかし道教が、釈尊の成仏法を受けついでいると断定するひとつの証として、つぎのようなことがあげられる。

にいわんいまいった道教の内気の法の気道に、泥丸という部位がある。頭頂にあってクンダリニー・ヨーガでは、サハスラーラ・チャクラにあたる部位で、道教でも最

高の悟りの部位になっている。

この泥丸という名称はどこから来たのか?

 

ろう。 釈尊の成仏法の修行法を、いま、如実に知ることは至難の業である。それはごく、わずかに、阿含経の中に散在するにすぎず、不可能に近いといっていいであ

たものである。 これは、釈尊が説く「涅製」すなわちニルヴァーナを音写したものなのである。この部位を目ざめさせると、涅槃に到達するというところから、名づけられ

釈尊の修行法と、クンダリニー・ヨーガ、そして道教、との関連を語るものにほかならず、たいへん興味深いものといえよう。このほかにも、いくつか、これに類した例をあげることができる。

もちろん、道教の気道の法が、すべて仏陀の気道の法そのままだというのではない。仏陀の気道の法を受けついで、さらに道教独特のものに発展させていったということである。原型が釈尊にあり、釈尊にさかのぼることができるというのである。そしてそれはまた、同時に、クンダリニー・ヨーガにもかかわってくるということになる。

 

アーガマしかし、クンダリニー・ヨーガと道教の修行法を、阿含経の中にある釈尊の修行法と対照しつつ実践を重ねていくと、おのずから髣髴と浮かんでくるものがあれんまほうふつるのである。そしてさらに体験を重ね、錬磨し、修行を積んでいくと、突然、 めきとともにかたちをあらわしてくるものがある。 06 閃

わたくしは、三十にして仏道に志し、以来、ひとすじに釈尊の成仏法を求めつづけ、ようやくこれをほぼ復元し、体得したと確信するに至った。

 

 

 

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