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七つの目覚め ― 修行者トウマの道

第一章 光を選ぶ眼 ― 択法覚支

朝靄(あさもや)の山道を、トウマはひとり歩いていた。

深い森に包まれた細い道。雨に濡れた葉が、まだしっとりと輝いている。背中に背負った布袋は軽いが、心の中には、消えぬ重さがあった。

――この道で、本当にいいのか。

誰に問いかけるでもなく、彼は立ち止まる。
谷から吹き上がる風が、額に流れた汗を冷やしていく。

「……迷いは、まだあるんだな」

己の声が、まるで別人のもののように聞こえた。
修行の道を選んでから、まだ一年も経っていない。師から授かった教えは多く、理解も少しずつ進んでいるつもりだった。

だが心の奥には、しつこい疑念が残っていた。

「この修行は、本当に“苦”を超えるものなのか?」

かつての友は言った。「そんなことして、何になる? 世の中を変えられるわけでもないのに」

そしてまた、師は言った。「外の世界を変える前に、内なる世界を照らしなさい。そこに真実がある」

――どちらが正しい?

彼はふと、足元の石を見た。それは、濡れた苔の上にぽつりと置かれた白い石だった。周囲の暗い土と落ち葉の中で、ひとつだけやけに目立っていた。

トウマはしゃがみこみ、手でその石を取った。
雨に濡れているはずなのに、不思議と温かい。

そのとき、彼の中に何かが灯った。
心の奥に、微かな声がささやく。

「見るのだ、トウマ。苦の因を。道を選べ。迷いの霧を、見抜く眼で」

その声が導いたのは、「択法覚支」――
物事の本質を見極め、正しい法を選ぶ智慧だった。

「これは、欲か。怒りか。無知か。それとも、その先にあるものか」

心の中に浮かぶ問い。過去の後悔や未来への不安ではなく、**“今、何が真で、何が偽か”**という見極めが、彼の内に生まれようとしていた。

風が止み、森が静まる。
まるで、世界が彼の選択を見守っているようだった。

トウマは、石を元の場所にそっと戻した。
その白は、ただ“そこに在る”というだけで、闇の中に確かな存在感を放っていた。

「……私は、選ぶ」

たとえこの道が茨の道でも、苦の根を見抜く道ならば、進もう。
自分の目で、確かめたい。法が示す“終わりなき輪廻の因”を。

トウマは歩き出した。もう、迷いはない。
彼の背には、見えぬ光が差していた。

第二章 燃える歩み ― 精進覚支

日はすでに中天にあり、夏の森は蝉の声に包まれていた。

岩場に腰を下ろしたトウマは、汗に濡れた額をぬぐい、深く息をついた。
目の前には、峠へと続く急勾配の坂道が果てしなく伸びている。

「……まだ、半分も来ていないのか」

重い足取りのまま、何度も心が囁く。
――もう、戻ってもいいのではないか。
――誰が見ているわけでもないのだから。

その声は、柔らかく、そして危うい。
背中を撫でるようにして、努力の火を消そうとする。

彼は拳を握った。

「違う……戻るために来たんじゃない。歩くために、ここにいる」

ふと、昨日の師の言葉が蘇る。

「善を育て、悪を捨てるには、心の中で絶え間なく“火”を焚くことだ。
火が消えれば、怠けが這い寄る。だが火を燃やし続ければ、精進が道となる」

精進――それはただの努力ではなかった。
心の奥に在る火を、絶やさずに燃やし続けること。

トウマは立ち上がる。太腿に痛みが走るが、それは“生きている証”だった。
一歩、また一歩。足を運ぶたび、心の火が小さく揺れる。

しばらく登ると、小さな水場にたどり着いた。
岩間から湧き出す冷たい水に顔を洗う。
冷たさが皮膚を刺す。だがその痛みすらも、今は喜びに変わっていた。

「ここまで来られた」

ほんの少しだが、自分が進んだことを知る。
その“確かさ”が、心に光を与えた。

休むことは悪ではない。
だが、「止まり続けること」が火を消す。

トウマは再び立ち上がる。
空に向かって、伸びゆく峠の道。その彼方に何があるのかは分からない。

だが確かに今、自分の中には「歩み続けたい」という力がある。
それが、精進覚支――たゆまず善に向かう力だった。

日が傾きはじめた頃、トウマの背に微かな追い風が吹いた。
森の梢がそよぎ、まるで彼の歩みに「よくぞ進んだ」と囁いているかのようだった。

第三章 歓びの泉 ― 喜覚支(きかくし)

峠を越えた先には、思いがけない静寂が待っていた。

ごつごつとした岩道から一転して、開けた谷が広がる。
風に揺れる草花、遠くに小川のせせらぎ。
どこまでも穏やかな風景が、トウマの疲れきった心と身体を優しく包んだ。

彼は小さな丘に腰を下ろし、呼吸を整える。
胸の鼓動はまだ速いが、どこか心地よい。
ひとつ、大きく息を吐いた。

そのときだった。

ふと、涙が頬を伝った。

悲しみではない。苦しみでもない。
ただ、胸の奥から湧き上がる、温かな泉のようなもの。
言葉にならない安堵、あるいは感謝――そんな感情が、身体の芯にまで沁みわたっていく。

「……ああ、なんて、静かな喜びなんだろう」

トウマは手を組み、そっと胸の前に置いた。
何も考えず、ただそこに“在る”という感覚だけが残る。

これまでの修行は、苦しかった。
何度も逃げたくなった。自分の弱さに泣き、道の意味を疑った。
それでも、歩みを止めなかった。

その歩みの先に、何の見返りもなく、ただ“在るだけ”の歓びがあった。

これが、「法悦(ほうえつ)」というものなのか。
トウマは思う。

師が言っていた。

「正しい法に触れたとき、心は自然に歓びを知る。
それは快楽でも感情でもない。“目覚め”の兆しなのだ」

苦を乗り越えた者だけが知る、魂の微笑み。
それは、理由のいらない歓び。
生きているという、それだけのことが、宝のように思える瞬間。

トウマは目を閉じた。
風が草原を撫で、小川の音がその静寂を彩る。
思考も欲も、いまはすべて消え、ただ**「いまここ」**に満たされている。

喜覚支――
それは、修行の報いではない。
むしろ、修行によって生まれた“余白”に、そっと訪れる光のようなものだった。

夕陽が谷を染めていく。
トウマは、何も求めず、何も拒まず、ただその光を見つめていた。

第四章 羽のように ― 軽安覚支(きょうあんかくし)

夜が明けきらぬ山の小道に、朝露がきらめいていた。
風はまだ冷たく、鳥の声も遠く控えめだった。

トウマはひとり、谷の小庵に身を寄せていた。
昨日までの長い道のりが嘘のように、身体には不思議な軽さがあった。

「……どうしてだろう」

筋肉痛も、傷もあるはずだった。
だが、それらは“痛み”として感じられなかった。

代わりに、身体の隅々にまで染みわたるような、
羽のように柔らかく、穏やかな感覚が満ちていた。

――それは、歓びの余韻だったのかもしれない。
第三章で訪れた、静かな法悦の光。
そのあと、彼の内に起きたのは、“緩み”だった。

執着や力みが、知らぬ間にほどけていった。
「成し遂げねば」と焦る心も、比べてしまう心も、いつしか遠くへ退いていた。

彼は草の上に腰を下ろし、呼吸を調える。
息を吸えば、冷たく澄んだ空気が肺に広がり、
吐けば、音もなく、それは大地に溶けていく。

「……なんて、静かなんだろう」

雑念が起こらないわけではなかった。
けれど、それらも泡のように現れては消え、やがて沈黙の中に戻っていく。

師の教えを思い出す。

「軽安とは、歓びのあとに得られる、静けさの恵みだ。
身体と心が、等しく軽やかになるとき、修行者は“自分を脱ぎ捨てる”」

それは、何かを得た感覚ではない。
むしろ――何かが剥がれ落ちたあとの、素肌のような感覚だった。

苦を握りしめていた掌が、知らぬ間に開いていた。
その手のひらは、何も持っていなかった。
だが、そこには風も、光も、すべてが通り抜けていた。

「……これが、“軽くなる”ということなのか」

トウマは目を閉じた。
内側から光るような静寂が、胸の奥を照らしていた。

軽安覚支。
それは、努力や苦行の果てに“休息”として訪れるものではなかった。
むしろ、「真に休まることを知った心」が、自ずと至る境地だった。

草木が風に揺れ、鳥がまた囀り始めた。

彼は立ち上がる。
身体はまるで、羽のように軽く、空を歩くように歩み出す。

修行の道は、まだ続いている。
だが、いまこの瞬間、トウマの心は、何ものにも縛られぬ自由の空にあった。

第五章 深き静寂 ― 定覚支(じょうかくし)

夕陽が山の端に沈むころ、トウマは庵の裏手にある古い石庭に足を運んでいた。

石と砂のみが並ぶ、ただそれだけの場所。
だがそこには、どこか異質な“静けさ”が漂っていた。

彼は何も持たず、ただその中心に坐った。

背筋を伸ばし、足を組み、手を重ね、目を閉じる。
呼吸は浅くも深くもなく、ただ流れに身を任せるようなものだった。

――いつからか、思考の波が消えていた。

ひとつ浮かんでは消えていった雑念も、
いまはまるで、深い湖の底で眠っているようだった。

時間の感覚も、空間の感覚も、遠ざかっていく。
彼の意識は、何か一点に――けれどその「何か」すら名付けられない一点に――
静かに、深く、しずしずと集まっていった。

それは、集中(サマーディ)の始まりだった。

師は、こう語っていた。

「定(じょう)とは、無理に作るものではない。
散らかっていた心の風景が整ったとき、自ずとやってくる。
それは“沈黙が沈む音”のようなものだ」

沈黙が沈む……。
今のトウマは、その意味がほんの少しだけ分かる気がした。

それは、静寂の中にさらに深い静けさが潜んでいる感覚だった。
そしてその静けさは、ただの無音ではなかった。

――透明な響き。

そう言えば近いかもしれない。
音ではないが、音楽のように心に染み入り、
感情ではないが、感情のように魂を揺らす。

それは、心のすべてがひとつに溶ける場所だった。

やがて、トウマは目を開いた。

景色は変わらないはずだった。
だが、すべてが澄んでいた。
石も、砂も、空も、彼自身の身体すらも、どこか透きとおっていた。

「……深いな」

ぽつりと、トウマは呟いた。
それは自分への言葉というより、いま自分が体験している“状態”への純粋な驚きだった。

定覚支――
それは、心がひとつに定まり、世界と自己の境がうすれていく境地。
考えることも、判断することも超えたところで、
ただ「ある」だけの静寂。

その深さに、言葉は必要なかった。

 

第六章 手放す力 ― 捨覚支(しゃかくし)

風が止んでいた。
山の空気は澄みわたり、葉の一枚すら揺れていない。

トウマは石庭の隅に坐し、呼吸を整えていた。
静寂が続いていた――どれほどの時間が経ったのか、わからなかった。

深い定(サマーディ)のあと、心は驚くほど静かだった。
だが同時に、何かが遠くで揺れているのを、彼は感じていた。

それは――**「余波」**だった。

心の奥底には、まだ微細な“欲”や“反応”の名残があった。
誰かに認められたい。もっと進みたい。もっと深く静まりたい。
そうした「求める心」が、極めて微細な影として、浮かんでは消えていた。

トウマはそれに、そっと向き合った。

――ただ観る。
「これは執着だ」と、優しく見つめる。
否定も、押し殺しもしない。ただ、在るがままに、それを“手放す”。

すると、不思議なことが起こった。
その“影”たちは、霧のように消えていった。

「……何も、持たなくていいんだな」

ふと、そう呟く自分がいた。

師は言った。

「捨(う)」とは、“無関心”ではない。
“どちらにも傾かぬ、平等なまなざし”のことだ。
喜びにも、悲しみにも、ただ優しく頷ける心――
それが、捨覚支の心だ。

執着がないということは、悲しみがないということではなかった。
むしろ、その逆だった。
トウマは気づいた。喜びも、苦しみも、
どちらも等しく大切にできる心が、今、自分の中に芽生えていることを。

涙が、知らず頬をつたっていた。
それは悲しみの涙ではなく、**「赦し」**の涙だった。
世界を、過去を、自分自身を――赦し、受け入れる心。

もはや、求めるものはなかった。
悟りすら、遠い彼方に置いていくような心地だった。

今のこの瞬間にあるすべてが、すでに完全だった。

陽が射していた。
朝露が石庭にきらめき、風がそっと葉を揺らす。

トウマは立ち上がった。
肩に何も背負っていなかった。心にも。

彼の歩みは、かつてないほど軽やかだった。
喜びも、悲しみも、答えも、問いすらも――
すべてを「そのまま」にして歩いていける心が、そこにあった。

捨覚支。
それは、「超然」ではなく、「深い慈しみ」だった。
均等なる心は、世界のすべてに対して平等に微笑んでいた。

第六章 手放す力 ― 捨覚支(しゃかくし)

風が止んでいた。
山の空気は澄みわたり、葉の一枚すら揺れていない。

トウマは石庭の隅に坐し、呼吸を整えていた。
静寂が続いていた――どれほどの時間が経ったのか、わからなかった。

深い定(サマーディ)のあと、心は驚くほど静かだった。
だが同時に、何かが遠くで揺れているのを、彼は感じていた。

それは――**「余波」**だった。

心の奥底には、まだ微細な“欲”や“反応”の名残があった。
誰かに認められたい。もっと進みたい。もっと深く静まりたい。
そうした「求める心」が、極めて微細な影として、浮かんでは消えていた。

トウマはそれに、そっと向き合った。

――ただ観る。
「これは執着だ」と、優しく見つめる。
否定も、押し殺しもしない。ただ、在るがままに、それを“手放す”。

すると、不思議なことが起こった。
その“影”たちは、霧のように消えていった。

「……何も、持たなくていいんだな」

ふと、そう呟く自分がいた。

師は言った。

「捨(う)」とは、“無関心”ではない。
“どちらにも傾かぬ、平等なまなざし”のことだ。
喜びにも、悲しみにも、ただ優しく頷ける心――
それが、捨覚支の心だ。

執着がないということは、悲しみがないということではなかった。
むしろ、その逆だった。
トウマは気づいた。喜びも、苦しみも、
どちらも等しく大切にできる心が、今、自分の中に芽生えていることを。

涙が、知らず頬をつたっていた。
それは悲しみの涙ではなく、**「赦し」**の涙だった。
世界を、過去を、自分自身を――赦し、受け入れる心。

もはや、求めるものはなかった。
悟りすら、遠い彼方に置いていくような心地だった。

今のこの瞬間にあるすべてが、すでに完全だった。

陽が射していた。
朝露が石庭にきらめき、風がそっと葉を揺らす。

トウマは立ち上がった。
肩に何も背負っていなかった。心にも。

彼の歩みは、かつてないほど軽やかだった。
喜びも、悲しみも、答えも、問いすらも――
すべてを「そのまま」にして歩いていける心が、そこにあった。

捨覚支。
それは、「超然」ではなく、「深い慈しみ」だった。
均等なる心は、世界のすべてに対して平等に微笑んでいた。

第七章 ただ在ること ― 念覚支(ねんかくし)

朝の光が、庵の縁側に差し込んでいた。

トウマは、いつものように坐っていた。
特別なことはしない。ただ、坐る。
呼吸を見つめ、体の感覚を見つめ、
浮かんでは消えていく思いを、ただ静かに見つめていた。

**「これは、念(マインドフルネス)だ」**と、誰かに言われたわけではなかった。
だが、彼の心は確かにそこにあった。

――気づいている。

呼吸に、気づいている。
背中の張りに、気づいている。
鳥の声に、気づいている。
浮かぶ不安や記憶に、気づいている。

それだけだった。
だが、その「気づき」の中には、すべてがあった。

かつて、彼は苦しみのなかにいた。
怒り、迷い、恐れ――それらに飲まれながら、
「どうすれば悟れるのか」と問い続けていた。

だが、いま彼は知っていた。

「悟りとは、“何かを得ること”ではない。
ただ“気づいている”という、そのあり方こそが、道そのものなのだ」

何かを掴もうとすると、心は狭くなる。
だが、気づくだけでいいと思えば、心はひらかれる。

それは、「ただ在る」ということだった。

七つの覚支――
すべては、この「念」に支えられていた。

正しい法を見分けるにも、(択法覚支)
努力を継続するにも、(精進覚支)
喜びを味わうにも、(喜覚支)
軽やかさに身をゆだねるにも、(軽安覚支)
深い集中に至るにも、(定覚支)
手放して自由になるにも、(捨覚支)

――すべては、「気づき」がなければ始まらず、深まらず、完成しなかった。

念とは、すべてを照らす灯火だった。
そしてトウマは今、それを手にしていた。

いや、もとより手にしていたのかもしれない。
ただ、気づくのが遅れただけだったのかもしれない。

風が吹いた。

庭の竹がわずかに揺れた音が、彼の心にしみこんできた。

「……生きている」

そう呟いたとき、トウマの目には涙が滲んでいた。

それは、修行が完成したことへの涙ではなかった。
この命に、今この瞬間に、深く触れているという実感――
そのあまりの静けさと、豊かさに、涙がこぼれただけだった。

結びにかえて

七覚支の道とは、苦を断ち、目覚めを深め、心を自由にする七つの光である。
だがその中心には、常に「念」があった。

気づくこと。
そこからすべてが始まり、そこへすべてが還っていく。

トウマの旅もまた、気づきに始まり、気づきに還った。

それは終わりではなく、
今を生きるすべての瞬間に続いていく、
“いのちの旅”の、静かなる始まりだった。

 

 

 

 

 

 

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