UA-135459055-1

光明の旋律 ―五智の使徒―

 

 

 

光明の旋律 ―五智の使徒―

その夜、天を覆う雲の奥に、いまだ誰も知らぬ光の扉が開いた。大地に降り立ったのは、一人の旅僧。名を真海という。齢は定かでなく、ただその瞳には、幾千の星辰を映したかのような静けさがあった。

彼は静かに座を組み、手印を結ぶと、胸奥から深く息を吸い込んだ。やがてその唇が動き、古の言葉が紡がれた。

「オン アボキャ ベイロシャノウ……」

第一の響きが空に震えた瞬間、虚空がわずかに裂け、金剛界の門が開かれた。声は続く。

「マカボダラ マニ ハンドマ ジンバラ……」

虚空に五つの光が旋回する。青き閃光は東方より、阿閦如来の智慧の印を持ちて現れた。黄色の光は南方から、宝生如来の慈しみを帯びて舞い降りる。西よりは紅の光が、阿弥陀如来の蓮華を携えて訪れ、北からは緑の火焔が、不空成就如来の意志と共に閃いた。

そして中央には、白金の光を放つ胎蔵界の毘盧遮那仏が、すべての光を統べるように現れた。

真海の声は祈りとなり、光明となって天に昇る。

「ハラバリタヤ ウン。」

最後の一音が発されたとき、世界は一瞬、時を止めたかのようだった。彼の周囲に広がる闇は後退し、代わりに五色の螺旋が空を舞い、地に満ちた。

それはまるで、五智如来の意志が、ひとつの真言の中に転変し、螺旋となって放たれたかのようだった。

「すべての存在が、この光明の中にある。迷妄なる者も、苦しみに沈む者も、必ずこの光によりて覚醒する日が来る――」

そう言い残し、真海はまたひとつ、東の山を目指して歩みを進めた。

彼の背を、光の糸が静かに導いていた。

第二章 光明真言を授かる者

それは、誰にも知られぬ山間の村――。夜ごと霧が降り、朝日が届くのにひとときを要する場所。
その村のはずれに、灯火のように心を燃やし続ける少女がいた。名は水音(みお)。十四の歳。幼くして両親を失い、村の薬師のもとで草木の精霊に学び、静かに生きていた。

その夜も、水音は裏山の薬草園にひとり立っていた。ふと、風の中に聞こえたのだ。

「オン アボキャ ベイロシャノウ……」

それは遠くから聞こえるはずの声ではなかった。風の音でも、記憶でもない。
それは、彼女の胸の内側から鳴り始めた声だった。

「……この声……誰の……?」

声が続くたびに、水音の両目には光が宿ってゆく。星でも、火でもない。
それは、まるで五色の糸が瞳の奥を編んでいくような、霊妙な光だった。

「マカボダラ マニ ハンドマ ジンバラ ハラバリタヤ ウン」

声がすべて言い終わると同時に、地の底から何かが響いた。地脈が震え、古の扉が開かれたかのように。
水音の身体の周囲に、五色の光輪が現れる。青、黄、赤、緑、白――それぞれが彼女の内なる器に注がれていった。

その瞬間、彼女の胸元に浮かび上がった印(シンボル)があった。
それは蓮台の上に宝珠が宿る、まさに「マニ・ハンドマ」の象徴。

その夜、村人たちは見た。裏山のほとりに立つ少女が、光に包まれ、静かに合掌している姿を。
そして彼女が囁くように唱えた声が、確かに天に届いたと。

「大日如来よ、どうかこの光を、闇の中にある者に分け与えんことを――」

水音は選ばれたのだった。
真海が放った光明真言が、時空を超えて宿るべき魂に届き、新たな「光明の継承者」がこの世に現れたのだ。

そして、彼女の出現を、静かに見守る者があった。
深い森の奥、朽ちた祠の影に、影法師のように佇む男。
その瞳には赤黒い闇が宿り、胸元には「逆五智印」が刻まれていた。

「……また、光が生まれたか。ならば、今度こそ闇も完全に目覚めるだろう。」

第三章 闇の意志と特異点の覚醒

古き森の奥、誰も足を踏み入れぬ廃寺の地。
苔むした石畳と崩れた仏塔が月明かりに照らされ、ただ静かに、時の流れだけがそこに在った。
だが、その夜――すべてが動き始めた。

 

五智如来の導きを受けて、水音は次第に他の「選ばれし者たち」と出会っていく。
そして、封印されていた「曼荼羅の記憶」が蘇る。
それは、かつて大日如来が示した真なる叡智のマップ。
水音は、その中心に座すべき存在となるのか――それとも、闇に呑まれていくのか。

続き、ご希望であればお書きします。どうなさいますか?

地の底より、響きではなく「叫び」が上がる。

「オン……? フフ……光明真言など、我らの眠りを妨げるだけだ……」

その声は形を持たぬ。
しかし闇の意思として、あらゆる陰の中に潜み、人々の煩悩の奥底に息づいていた存在――「黒智」。
かつて五智如来が光を放ったとき、逃れるように世界の底に沈められた「反光明」の意志。

黒智は、五色の光が再びこの世界に編まれたことで、封印を破りつつあった。
そしてその目は、特異点――光明真言を授かった少女、水音に向けられていた。

一方、水音は変化を感じていた。
それは身体の変調ではない。むしろ、魂の深部が誰かに開かれていくような感覚だった。

夢の中で、水音は何度も同じ風景を見る。
それは空に五つの光が回転し、やがて一本の糸となって、自らの胸に結ばれてゆく幻影。
そしてその先に、何か巨大な影のような存在が立ち塞がる。

「あなたは……誰?」

その問いに、影はただひとことだけ、返した。

「おまえの裏にいる、もう一人の“おまえ”だ。」

目が覚めると、汗ばんだ手が合掌を組んでいた。
不思議なことに、夢で唱えた真言の一節が、現実に響いた。

「オン アボキャ ベイロシャノウ……」

その瞬間、家の中の灯火がすべて揺れ、窓の外に白い狐のような影が走った。
水音の胸元に、再び蓮と宝珠の印が浮かび上がる。だが今回は、それに加えて黒い縁取りの模様がうっすらと現れていた。

光明と闇が、同時に宿った印――それが「特異点の証」であった。

その晩、村の空は異常なまでの風に見舞われた。
天に巻き上がるような黒雲、地を這うような光の帯。
村の長老は呟いた。

「……この風は、“仏と魔”がぶつかり始めた証じゃ……」

そして水音は悟る。
この身に宿った光は、ただの加護ではない。
それは闇と対峙し、己の内にある二つの声と向き合わねばならぬ、覚醒の旅の始まりなのだと。

第四章 叡智の曼荼羅を開く者たち

風が止んだ朝、村の空気には何か決定的な変化があった。
静けさが、ただの無音ではなく――「予兆」として世界を包んでいた。

水音は感じていた。自分の中で、何かが開きかけている。
それは目に見えぬ扉。記憶なのか、それとも魂の奥に刻まれた宇宙の残響なのか。

そんなある日、一人の少年が村に現れた。
その目は澄んでいて、どこか水音と似ていた。名は蒼真(そうま)。
彼は、「夢に光の獣に導かれた」と言う。夢の中で唱えた真言は、水音が覚醒したあの夜のものと一字一句同じだった。

「オン アボキャ ベイロシャノウ……
マカボダラ マニ ハンドマ ジンバラ ハラバリタヤ ウン」

彼の掌には、青く輝く「雷の印」が浮かんでいた。
それは阿閦如来の象徴、「大印(マハームドラー)」を意味するものだった。

彼だけではなかった。
その後も、水音の前には次々と導かれる者たちが現れた。

南方より来た少女・日華(にちか)――黄色の衣をまとい、手には「宝珠(マニ)」を携える。宝生如来の使徒。

西より現れた盲目の僧・蓮慶(れんけい)――口ずさむ念仏の中に、阿弥陀如来の蓮華(ハンドマ)の輝き。

北方の氷原から来た戦士・翠嵐(すいらん)――緑の焔を背にまとう者。不空成就如来の光の守り手。

そして、五人が集まったとき。
水音の胸に宿る「白い光」が、一際強く脈打った。
まるで曼荼羅が“輪”として回転し始めたかのように。

その夜、五人は山の聖域へと導かれた。
古の祠の奥、岩盤の奥深くに埋められていた「智慧の盤」――
それが、五色の光に照らされて静かに浮かび上がった。

曼荼羅の記憶が、彼らの目の前に開かれる。

それは平面ではなかった。
曼荼羅は、光の立体構造として現れ、回転し、呼吸していた。
宇宙のあらゆる生命と智慧が、数千の点と線で繋がれ、中心には確かに――

「水音の魂の核」が座していた。

驚く水音に、盤は囁いた。

「中心に立つ者よ。そなたは“観者”ではない。“変容者”である。曼荼羅を読み、回し、そして再構成する力を持つ者――」

「だが、それは光のみを扱う者にはできぬ。闇をも内包し、超える者だけが、曼荼羅の扉を開くのだ。」

水音の胸元が熱を帯びる。再び、あの夢の声が蘇った。

「おまえの裏にいる、もう一人の“おまえ”――」

曼荼羅がひときわ強く輝いた瞬間、周囲の地面に黒い文様が走った。
それはまるで曼荼羅を逆転させるように、中心に闇の渦を描く。

「来る……黒智が……!」

蒼真が叫ぶと同時に、大地が震えた。
黒智――封じられていた闇の意志が、曼荼羅の覚醒を「招かれた好機」と捉え、ついに本格的な侵入を開始したのだった。

 

第五章 闇曼荼羅と反転する五智

曼荼羅が輝きを放った夜。
天空には、かつて誰も見たことのない黒い虹がかかっていた。
それは、五色の光を裏返すように歪み、星の軌道すらねじ曲げていく。

聖域の石盤に現れたのは、曼荼羅の裏面構造――
光を写し、模倣し、歪ませる「闇曼荼羅」であった。

その中心には、不定形の黒い結晶が浮かび上がっていた。
それは「黒智核(こくちかく)」――闇そのものの意志の結晶。
水音が曼荼羅の中心者として覚醒した瞬間、同時にこの世界に目を開けた、反転する智慧の核。

「光が回転すれば、闇もまた回転する。
五智が揃えば、五煩悩もまた姿を現す……」

不意に響いた声は、水音たちの胸の奥、直接“心相”に訴えかけてきた。
それは五智如来に対応する、五煩悩の化身――闇の五魔仏の声だった。

一、反転する者たち

それは突然だった。
選ばれし者の一人、日華が苦悶の声を上げた。

「わたしの中に……もう一人の“わたし”が……叫んでる……!」

その身体に、黒い蓮が浮かび上がる。
彼女の魂に潜んでいた「慢(まん)」――自らを過信し他を見下す心――が煽られたのだ。
宝生如来の智慧が「闇の宝珠(嫉妬と執着)」に変じようとしていた。

他の者たちも同様だった。

蒼真は「怒」に侵され、雷の如き憤怒の幻を撒き散らし始めた。

蓮慶は「愚」に囚われ、何もかもが意味を失い、瞑想の沈黙に堕ちていった。

翠嵐は「貪」に飲み込まれ、力と快楽への渇望に自らを委ねそうになった。

光の曼荼羅を開いた者たちこそ、闇曼荼羅の種子を深く宿していた。
そしてその中心にいる水音には、ある恐るべき“選択”が迫られていた。

中心者としての覚悟

「曼荼羅の中心者とは、光と闇を分ける者ではない。
統(す)べる者であり、超える者である――」

再び、光の彼方から声が響いた。
それは水音の内に座す、大日如来の意識。

闇曼荼羅を否定すれば、五智の均衡が崩れる。
だが、受け入れすぎれば、自我が「黒智核」に呑まれてしまう。

水音は苦悩の末、ある決断をする。

「私は……彼らを拒まない。
影も、怒りも、慢心も、全て――私たちの一部。
でも、それに名前を与え、意味を変えることはできるはず。」

水音は胸元に手を当て、再び真言を唱える。

「オン アボキャ ベイロシャノウ……
マカボダラ マニ ハンドマ ジンバラ ハラバリタヤ ウン」

その響きに呼応し、五色の光が彼女の周囲に編み上がる。
それはまるで、煩悩を包み込むように優しく、曼荼羅の核に慈悲の印を刻んでいく。

するとどうだろう――日華の黒蓮が、金の蓮華へと姿を変える。
蒼真の怒りが、護るべき者を救う雷となって轟く。
一人ひとりが、自らの闇を“智慧へと転換”してゆく。

曼荼羅は再び回転し始めた。
だが今回は、光と闇の両軸を持つ「双極曼荼羅」として。

水音の額には、仏の五智を融合した六番目の印(中道智)が刻まれた。

 

夜明けが来た。
闇曼荼羅は退いたわけではない。
むしろ、この世界とともに「共に歩む存在」となったのだ。

「これから私たちは、ただ闇を打ち払うのではない。
闇と語り、識り、そして超えてゆく。
その道を、“覚者の道”と呼ぶのだろう――」

水音は、そう静かに呟いた。

 

 

 

 

 

 

SNSでもご購読できます。

コメントを残す

*