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『四念住の森』

『四念住の森』

夜明け前、森はまだ闇の静けさに包まれていた。空気は凛と張り詰め、露を含んだ土の匂いが漂っている。修行僧・サーリプッタは、一本の古木の根元に坐し、衣をたたみ、両の手を膝に置いた。焚火の残り香が風に運ばれ、彼の肩にそっと触れる。彼は目を閉じ、静かに息を吐いた。

——今朝は、師が授けてくれた「四念住法」を、心の奥底にまで染み込ませてゆこう。

「この身は、不浄なり」

まず、彼は自らの身体に意識を向けた。筋肉、骨、血液、そして皮膚の下に広がる複雑な器官。そのすべては、生まれたときから老いと病と死へと向かう旅路のなかにある。いかに清浄に保とうとも、身体はやがて朽ちる運命から逃れられない。

かつて彼は、この肉体を自分自身と信じていた。だが今は、それをただの構成要素の集まりと見つめる。「不浄」とは蔑視ではない。ありのままを見る誠実な眼差しなのだ。そう見えたとき、身体への執着が、音もなく崩れていく。

「受は、苦なり」

坐禅を続けるうちに、足に痺れが現れ、背中に痛みが走る。その一方で、ときおり訪れる微細な快感。だが彼は、それらに取り合わなかった。快も不快も、過ぎ去るものに過ぎない。どんな感受も、一瞬の波のように現れては消え、心をかき乱す。

そうした受け取りすべてが、結局は「苦」に通じていることを、彼は見抜いていた。

「心は、無常なり」

次に、彼は自らの心の動きを見つめた。浮かぶ記憶、突然の怒り、過去の後悔、未来への期待。それらは留まることなく、まるで川面に映る雲のように流れ、消えていく。

「これは自分の心だ」と思ったその瞬間には、すでにそれは過去のものとなっている。彼は知った——心とは、刻々と変化する流れにすぎない。定まることなきそれを、自分自身だと捉えるのは錯覚であった。

「法は、無我なり」

最後に、彼はすべての「法」——すべての現象を見つめた。風に揺れる草木、鳥の声、頬をかすめる冷気、己の呼吸。そのどれもが、「私」という中心を持たず、因縁によって生じ、因縁によって滅する。ただそれだけの存在であった。

世界には、「我」と呼べる確かな核など存在しない。すべてはつながり、条件と縁によって一瞬一瞬を現している。

サーリプッタは、四つの観を一つに束ねた。

「この身も、受も、心も、法も——不浄であり、苦であり、無常であり、無我である」

そのとき、彼の内にあった分離の境界が消えた。自己と世界、主体と客体、瞑想と現実。そのすべてが、「法」として一つに融け合った。

夜が明けはじめた。東の空が淡い紅に染まり、森に命のざわめきが戻ってゆく。サーリプッタは、静かに目を開いた。そのまなざしには、微かな微笑があった。

——それは、悟りの門の前に立つ者の顔であった。

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