業火の国
かつて、豊かさと秩序に包まれていたこの国・日本。しかし、いつしか空は曇り、人の心から笑顔が消え始めた。病、事故、争い、そして突然の死。誰もが「なぜ、これほどに世界は荒れてしまったのか」と、心の奥で問い続けていた。
「……それは、“カルマ”が断ち切られていないからです」
重々しい声で語ったのは、白衣の僧・真覚(しんかく)であった。彼は遥かなる覚者の教え、「成仏法」の継承者であり、人々の苦悩の根源を見抜く智慧を持っていた。
「成仏法なき仏教は、光のない灯火。先祖は未だ浮かばれず、不成仏霊となってこの世をさまよい、人々の背後に重くのしかかっている」
彼の言葉に、静かにうなずく老女、うつむく若者、目を潤ませる母親たち。
「横変死の因縁……いま、急増している。かつては百人に二、三人だった。だが今では、五十人に一人、いや、それ以上……。このままでは、この国は“死者の国”となるでしょう」
一瞬、室内の空気が凍りついた。誰かがつぶやく。
「……戦争が起こるのか? それとも、大災害……?」
真覚は頷いた。そして、祭壇の奥から一冊の古文書を取り出した。それは、お釈迦さまが遺された、七科三十七道品の教え。そこには、カルマを断ち、魂を成仏へと導く「真の修行法」が刻まれていた。
「これこそが、世界を救う唯一の法――“成仏法”なのです」
彼は続けた。
「お釈迦さまも、一人から始められた。五人の比丘に真理を伝え、そこから法の輪が広がっていった。我らもまた、たとえ少数であっても、この成仏法の火を灯し続けなければならない」
その言葉に導かれるように、一人、また一人と人々が立ち上がった。
「私の家には、戦争で亡くなった祖父の霊が……」 「兄が事故で……。私にも“因縁”があるのかもしれない」
彼らの中に、ゆっくりと火がともっていく。真覚は静かに微笑んだ。
「親鶏が卵を温めるように、正しく修行する者は、やがて自然と解脱の心を得るでしょう。成仏を願っていなくても、この法を修めれば、殻は破れ、魂は外へと出ていくのです」
――その夜、彼らの心には、小さな光が宿った。
それは、滅びゆくこの国に希望の炎を灯す、最初の灯火となった。




