教育は、ただ、その人の本来持っているところの知識をひろげるだけで、知能そのものを高めはしない。
知能を高める技術とは、ものを教え、ものをおぼえさせることではなく、おぼえる能力そのものを高めるシステムでなければならない。馬鹿はいくら教育したつて馬鹿である。馬鹿に教育はまったく無力だ。馬豊を利口にするためには特別の技術がなければならぬ。
宗教?
それは、知能ひくきものたちの愚行をなんとか良心にうったえて思いとどめさせようとするブレーキに過ぎず、知能を高めるためのなんの力も技術もない。 念仏をとなえ、題目を高唱し、経典教学をそらんじ、 神のみ名を呼んでも、心の安らぎ、なぐさめ、信念というたぐいのものは得られても、知能そのものが高くなるということはない。
最高度に進化発達した知能を持つ未来社会に、 宗教という特別な分野はなくなるだろう。高度の知能は高度に発達した倫理観、道徳意識をともなうから、現在の宗教や、宗教家あたりが説いている「教え」など、まったく低俗な、次元の低い幼稚なものとしてかえりみられず、宗教意識はごくあたりまえの常識になってしまって、ことさらにカミやホトケを念ず
「密教・超能力の秘序」よい
ることなどなくなるだろう。ヒトが、カミ、ホトケにひとしくなるのである。
そういう未来社会が、すぐ足もとに来ていることに君は気づくべきだ。
今までとはまったく構造の変わった社会体系があらわれようとしていることを、君は知らねばならぬ。
君はそれを疑うのか?
ではいおう。
もしも。
そういう高度の知能が出現しないかぎり、世界は間もなく終わるだろう。ホモ・サピエンスが今の知能水準であるかぎり、もはや、ヒトに未来はない。ホモ・サピエンスの文明はすでに限界に達した。
だから
未来社会があるとすれば、どうしてもそれは、高度なまったく新しい社会でなければならぬのだ。
もう間もなくやってくる未来社会で、人類は二つの種属にわかれるだろう。
それは、二つの民族でもないし、二つの階級でもない。二つの種属である。
そうして、その二つの種属は、しばらくのあいだ共存するけれども、間もなくその一方はおとろえ、急速にこの世界からすがたを消してゆくだろう。
第52回 阿含の星まつり 神仏両界大柴燈護摩供
そういうと、人類が二つの対立を示すのは、なにも未来社会にかぎったことではなく、いまだってそうではないかと、いくつかの例をあげる人がいるかも知れない。
たしかに、それは、有色人種と白色人種、自由社会と共産圏社会、富める者と貧しき者、支配する者とされる者、と、いくつか、かぞえることができるだろう。
だが、ちがうのだ。
くぶんそういう分類とはまったく異質の区分が、ごく近い将来、われわれの世界にあらわれようとしている。そういう動きが、すでに現在おこりつつある。
それは、二つのヒト属である。
あたらしい人類とふるい人類。
ひとつは普通の現代人、ホモサピエンスである。これがふるい人類だ。
もうひとつは、特殊な能力を身につけた未来人。
ホモ・エクセレンスである。つまりあたらしい人類




