霊鷲山の裾野に広がる無量寺では、新月の夜毎に供養の儀が執り行われた。若き修行僧・玄明は香炉を清める手を止め、本堂の縁側に積まれた米俵に目を留めた。灯明の揺らめきが朱塗りの柱に蠢く影を落とす中、老師の声が暗闇を切り裂いた。
「供養の種を蒔かずに米の種を蒔くとは、己が身を田畑に投げ出すがごとし」
玄明の指先が麻袋の縫い目をなぞった。中で乾いた音を立てるのは、明日の播種式に使う赤米の種籾。檀家から託された一升枡が懐で重く、修行服の襟元に冷たい汗が滲る。この貧しい村で五升もの種籾を確保するため、彼は三日三晩山を駆け巡ったのだ。
「老師様、もしもこの一升で芽吹かぬなら」喉の奥で言葉が澱のように詰まった。漆黒の闇に浮かぶ老師の白眉が微かに震える。
「米粒ほどの疑念が収穫を台無しにする。見よ」
突然老師の掌が開かれ、古びた蓮華紋の香合から灰が舞い降りた。本堂の畳に散った灰は、月光を受けて銀色の稲穂の如く輝いた。玄明が息を飲むと、老師の声が再び響いた。
「功徳の種は風に乗り、雨に濡れ、目に見えぬ地中で時を孕む。だがな」
枯れた指先が玄明の胸元を突いた。「この中に蒔かぬ限り、幾千の米俵も無縁仏の供物に等しい」
翌暁、鋤の柄に血痕を滲ませながら玄明は畑を往復していた。夜明けの露が麻衣に染み込み、掌の豆は次々に破れた。地平線が茜色に染まる頃、最後の一粒を土に委ねた瞬間、彼は膝を折った。震える指先で胸の内を探れば、老師から授かった功徳の種子──己の悔恨と誓いが熱い塊となって脈打っていた。
七日後の未明、異変は起きた。まだ稲穂の出ぬはずの畑に、無数の灯明がゆらめいている。駆け寄った玄明の足元で、月光を浴びた早苗が銀色に輝き、まるで無数の線香が立っているかのようだった。彼の頬を伝うものが、今度は冷たい露ではなく熱いものであることに、ようやく気が付いた。




