目連と舎利弗
マガダ国の首都、王舎城の近くにある小さな村で、目連は生を受けた。彼の父親は王家に仕える大富豪のバラモンで、家は裕福であった。母親は目犍連といい、目連の本名は倶律陀だったが、一人っ子である彼はいつも母の名前から「目犍連子」、あるいは「目犍連」と呼ばれていた。
幼い頃から目連は、親分肌で面倒見の良い性格であった。彼はまた勉学を好み、どんな本もすぐに理解してしまうほどの聡明さを持っていた。成長すると、彼は凛々しく男らしい青年へと成長していった。
隣村には、彼と同年代の舎利弗という青年がいた。舎利弗はとても頭が良く、二人は共に学び、遊びながら親友となった。
ある日、目連と舎利弗は「たまには息抜きをしよう」と一年に一度の大きな祭りに出かけた。祭りは人々で賑わい、誰もが楽しそうに騒いでいた。初めはその賑わいに心が弾んだが、祭りの喧騒の中にいると、自分たちの人生もあのように欲望に振り回され、儚く終わってしまうのではないかという不安が胸に押し寄せてきた。
「これでは何のために生きているのかわからない」
目連と舎利弗は、そう言葉を交わしながら、林の静寂へと歩みを進めた。そして語り合ううちに、彼らは出家することを決意する。二人は、ただ静かに林の中で語り合い、その果てに得た結論を両親に告げるため、家へと帰った。
目連の両親は驚き、反対した。しかし、目連は幼い頃から賢明で、立派な行いをしていたため、両親は彼の意思を尊重し、涙をこらえながら見送ったのだった。
舎利弗も同様に出家の意志を両親に告げた。彼は北インドのナーラカ村でバラモンの家に生まれ、幼名をウパティッサといった。バラモン教の跡継ぎとして期待されていたが、次第にその教義に疑問を抱くようになっていた。
彼らは自由な思考を巡らせ、真実を求める修行者、すなわち沙門としての道を歩み始めた。初めは王舎城で名を馳せていた自由思想家のサンジャヤに師事したが、釈迦の弟子であるアッサジと出会い、その教えを聞いて預流果に達した舎利弗は、目連と共に釈迦教団へと足を向けた。
釈迦のもとで舎利弗と目連は共に修行し、すぐに最高の悟りを得る。舎利弗は釈迦からの信任も厚く、時には釈迦に代わって説法を委ねられることもあった。彼は羅睺羅の師僧を務め、また教団の分裂を阻止する役割を果たすなど、その智慧と指導力は教団の支柱として大いに認められていた。
しかし、外道によって撲殺された目連の後、舎利弗もまた病に倒れ、釈迦の許しを得て故郷へ帰り、母に看取られながら静かに息を引き取った。彼の死後、教団は摩訶迦葉が引き継ぐこととなる。
こうして、目連と舎利弗の物語は、一つの時代の終わりと共に、仏教の教えが次なる世代へと受け継がれていく姿を示すのであった。




