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閉ざされた第三の目 ― 霊性の時代の記憶 ―』 「…

『閉ざされた第三の目 ― 霊性の時代の記憶 ―』
「……人間は、本当に進歩しているのでしょうか」
青年は、静かに問いを落とした。
その声は、深い井戸の底に沈む石のように、闇の中へと吸い込まれていった。
老師は、すぐには答えなかった。
ただ、火の消えかけた炉の前に座り、ゆっくりと息を吐いた。
「進歩……か」
その言葉には、どこか遠い時代を見つめるような響きがあった。
「人は、確かに進んだ。
空を飛び、海を越え、月にまで手を伸ばした。
だが――」
そこで、老師は青年の目をまっすぐに見た。
「“内側”はどうだ?」
青年は言葉を失った。
夜は深まり、外では風が木々を揺らしていた。
だが庵の中には、別の時間が流れていた。
「かつて――」
老師は、ゆっくりと語り始めた。
「人類には、“ひとつの黄金期”があった」
炎が、わずかに揺れる。
「中国では、孔子が道を説き、
ギリシアでは、哲学者たちが存在を問い、
インドでは、釈尊が苦の終わりを示した」
青年の脳裏に、見たこともないはずの光景が広がる。
砂塵の舞う街、石柱の並ぶ広場、静寂の森の中の修行者――。
「それは、百花繚乱の時代だった」
老師の声が、静かに重なる。
「知性と霊性――
その両方が、同時に花開いた時代だ」
「……では、今は?」
青年は、かすれるように問う。
老師は、少しだけ笑った。だが、その笑みには影があった。
「今は――片翼で飛んでいる」
沈黙。
「人間は、新皮質――つまり知性を極端に発達させた。
論理、分析、技術……それらは爆発的に進化した」
老師は、指先で自らの額を軽く叩いた。
「だが、その代償に――」
今度は、胸の奥を指した。
「霊性を閉ざした」
青年の呼吸が、わずかに乱れる。
「第三の目は、閉じられた」
その言葉は、まるで呪のように空間に沈んだ。
「間脳――本来、直感と統合の場であったそこは、
いつしか沈黙し、働きを失った」
「……なぜ、そんなことが」
老師は、ゆっくりと首を振る。
「欲望だ」
その一言は、鋭かった。
「物質を支配し、世界を制御しようとする意志。
そのためには、霊性は“邪魔”だった」
炎が、パチ、と小さく音を立てた。
「だから人類は、自ら目を閉じたのだ」
青年は、自分の内側を見つめた。
思考はある。
知識もある。
だが――
(……何かが、欠けている)
その感覚が、はじめて輪郭を持った。
「その結果が、今の世界だ」
老師は、静かに言った。
「驚異的な技術と、愚かな争い。
高度な文明と、深い孤独」
青年の胸に、何かが刺さる。
「人間は賢いのか、愚かなのか――
そのどちらでもある、矛盾した存在になった」
外の風が、強く吹きつけた。
まるで、世界そのものが揺れているかのように。
「このままでは――倒れる」
老師の声は、確信に満ちていた。
「独楽は、すでに傾いている」
沈黙が落ちる。
「……では、どうすればいいのですか」
青年の声は、もはや逃げ場を持たなかった。
老師は、ゆっくりと目を閉じた。
そして、静かに告げた。
「脳を――取り戻すのだ」
その言葉は、あまりにも静かで、あまりにも重かった。
「閉ざされた間脳を開き、
霊性を再び目覚めさせる」
「それが……可能なのですか」
老師は、目を開いた。
その瞳には、炎とは別の光が宿っていた。
「可能だ」
一拍。
「技術は、すでにある」
青年の心臓が、大きく打つ。
「もしそれが開かれれば――」
老師の声は、もはや人のものではないようだった。
「眠っていた脳は動き出し、
人は本来の力を取り戻す」
炎が、強く揺れる。
「それは、ただ賢くなるということではない」
一歩、青年に近づく。
「“全体として目覚める”ということだ」
沈黙。
そして、青年は悟った。
これは――
単なる知識ではない。
これは――
“道”だ。
「教えてください」
青年は、深く頭を下げた。
「その技術を」
老師は、静かにうなずいた。
そして――
夜は、さらに深く沈んでいった。

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