どその大した。
密教のほうでは、人の運命を見ることをするという。
人間が生まれつき行っているもの一切をひっくるめて「因」という。 恵まれつき持っているものとは、質、体質、およびこれに付随する一切のものである。
というものは、生まれつきみじかなおうような質
というようにいろいろなっている!
そのほら、あしこい人、おろかな人、ふつう人みの人、というように、生まれつき定まったある。色のい人、白い人、鼻の高い人、低い人。これも生まれつきである。とういう一生まれつきその人にそなわっているもの。これを「因」というのである。生まれつきの才能、 など、するに持って生まれたその人の「条件」であり、かんたんに「生まれつき」 ふえばよい。「種」というのは、その因をとりまく腐のことである。
といえば、まず家生活の学業職業、友人等、その人をとりまきかに一切の現である。これらのものを「種」という。
つまり、というのは、その人を成り立たせているところのすべての芸術、要因のことであだから、その人の因縁を見るというのは、その人の性格、健康、環境について、過去、現在、 にわたり。ナべて知るということである。
のは、人とあい対したとき、まずその人の因縁をざっと見てとってしまう。もちろ好奇心や成心でするのではない。相手の回瞳がわからなくては、指導のしようがないからコジチルダントが本の指導をするとき、まずその事業体の過去から現在にいたるまでの説をできるだけ詳細に記しようとするであろう。そうしなければ適切な指導ができな ※いからだ。
阿国ならその通り、人をしたり、あるいは法の訓練をするにあたり、その人の持って生ま
新しい運命の創造
市教には、自分の因縁を転換し、運命を変える法がある。
といっても、阿梨に祈稿してもらって、他力のなにかの力で運命を変えるというのではない。自分自身が法によって訓練をうけ、トレーニングを積むのである。
が油切であろうこれは、確実に人間の運命を変える。変えるというよりも、新しい運命を創造するというほう
なぜならば、自分の運命の軌道を全く変えて、べつに新しい人生をそこにつくり出すからである。ただたんに運命を変えるというのではなく、それは一つの新たな人生創造なのである。かんたんに説明しよう。
宗教には、古くから、因縁解肌の法というシステムがある。
因解脱というと、抵抗を感ずる人があるかもしれない。
「それは、要するに、思考パターンと行動様式の変更である。これを必要としない人間はいない。
教は、それを「法」でもっておこなおうというのである。
「今日では、「成功型のパーソナリティ」「失敗型のパーソナリティ」「幸福になりやすいパーソナリティ」「不幸になりやすいパーソナリティ」「健康になりやすいパーソナリティ」「病気になりやすいパーソナリティ」があるということは、個人心理学、精神身体医学、産業心理学の分野において、ほんばくしがたい臨床的事実になっている。
これらのパーソナリティを独特の方式で分析して、その要因を分類し、これを「因縁」という
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これらのページナリティ業で現すると思っていただこう。 ので分析して、その要因を分類し、これを「後」という
この「因縁」が、その人の人生を形成してゆく。これが「運命」である。 だから、因縁を変えれば、おのずから運命も変わらざるを得ないのだ。
密教は、独特のシステムで、この因縁を変え、運命を字える。これが「因縁解脱法」である。 ただし、私は、私自身この法でトレーニングを積み、また、多くの人を指導するうちに、ごの後に一つの点のあることに気がついた。
それは、因縁を解説するだけでは不十分であるということである。
人をかし、
るのである。 悪い因縁を消滅させれば、その分だけ運命が変わるわけだが、げんみつにいうならば、悪い因縁が消読したということは、悪い運命が無くなったというだけで、無くなったあとになにを生み出すかというところまでの答えにはなっていないのである。悪い因縁が無くなって、一つの不幸が熱くなったというだけでは、どうしても十分ではない。無くなったあとによりよき創造がなければならぬ。悪い因縁を無くして、そのあとにどういう新しい因縁を生み出すかという問題が残
因縁という言葉になじみにくい人には、要素という言葉におきかえて考えてもらう。悪い要素のほかに、よい要素をも持つ人ならば、悪い要素を無くせば、よい要素がその力を発揮するから、 因縁解説の法がその人の運命に非常な効果をあたえたことになる。
しかし、悪い要素のほかに、これといってよい要素を持たない人間の場合、悪い要素をとり去
かとはいえない。
てもそれは悪い不幸な運命が無くなったというだけで、要するに沈香も賛かず尻もひらずとい ・平均的人間が出来るだけだ。(たをすると、無気力なアキラメ型人間が出来るおそれもある。 解説して悪い要素をなくすると同時に、人間としてすぐれた力と才能をあたえなければ十
こう私は考えた。
しかも、完数にはそういう能力開発の法がいくつもあるのである。
そこで私は、能力開発の法を選択して、因縁解説の法の中に組み入れ、だれでもが実行できる
ステムをつくりあげた。
思う。 私の教団以外にも、一、二の帝教団体で因縁解脱法の指導をしているところがあるようであるあまり効果を上げ得ず、反響を呼ばないのは、そこのところに気がついておらぬからである
どうしてそういうことになったのかというと、密教の目標は、すでにしばしば言う通り、ホトになるということである。そこで、本格的な修行をする阿闍梨は、すべて、ホトケになるため法、すなわち得道法の修行をする。ホトケになる得道法を修行しつつの因縁解脱法であるから、 解説しただけということにはならない。得道法がモノを言うわけである。
ところが、得道法抜きの、因縁解脱の修行では、ただたんに因縁解脱しただけという結果になりやすい。このところに気がつかないわけである。
考校の進行は、前にも言ったように、専門家の養成を目的としたものであるから、いろいろな
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専門課程をいくつも履修していって、プロとしての技能を身につけるようになっており、その中の一つの法だけをつかみ出してきて、そのまま一般人の役に立たせようとしても無理なのである。 しかし、因縁解脱法そのものは、プロであろうと一般人であろうと、人間として根本的に大切
人を動かし、物を動かす実例の数々
な修行法であるから、私は、これを中心に、人間として最高度の能力を持つことができる能力開発法を組みこんで、完全な運命転換法のシステムをつくり出したのである。一般人に、ホトケになる得道法の修行をさせる必要はないから、これをはぶいて、能力開発法を付加したわけだ。得道法を希望する者には、いつでも得道法がさずけられるわけであるから、いっこうにさしつかえないのである。
生である。 このシステムにしたがってトレーニングを積んでゆけば、いやでも運命は転換する。それは悪い因縁――運命上の悪い要素を一切消滅すると同時に、すぐれた能力をそなえた新しい人間の誕
「無くなります」
刑獄の因縁をたち切る
「先生、その密教の法をお受けして、トレーニングを積めば、Kの横変死の因縁、刑獄の因縁はかならず無くなるのでございますか?」
K君のお母さんは、真剣なまなざしで私を見つめた。
「わかりました。私は、明日といわず、今日これからでも、その御法をKに受けさせたいと思




