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阿含宗報

(1)

全12月20日

「抜苦与楽の観世音」などと言いますが、仏さまはまず、わたくしたちの苦を取り去ってくだ

「大悲方便」とありますが、仏さまは大慈大悲の当体とされま抜く大きまり苦しみを 取抜く、つまり、苦しみを取り去ることを意味します。一方の大意は与楽と言って、楽しみを与えることを指します。

「家運衰退の因縁」があるから、 る。命に仕事や商売へ励んでも、だんだんジリ貧になってしまう。良い運期に入れば、たまには幸運に恵まれることもあるけれども、全体的に見れば、この因縁のためにどうしても衰えていく。

「肉親血縁相剋の因縁」がある

とま

して、 便とけ

仏の慈悲のかぎりなく

大悲方便止まずして末世の衆生救わんと舎利をとどめ置き給う変化法身仏舎利尊

納め祀れる霊詞なり

と『仏舎利宝珠尊和讚」(以下、 「和談」)にありますが、仏舎利とはいったいどういうものか?

仏さまは末世の衆生も救わなければならない。そこで、末世の衆生を一人でも多く救おうという大悲の御心から、仏舎利をとどめおかれました。

「夫婦縁障害の因縁」があるから、夫婦のことについてさまざまな悩み、苦しみが生ずる。

「中途挫折の因縁」があるから、

物事を成功させようと思って一

生懸命に努力をしても、中途で

失敗してしまう。

中途で

苦をよっ方便」 みをという 「嘘

など

便とてしま 「方仏さま

す。1

めるためになった解型」

ましてや仏さまというのは

なにもかもお見通しで、

ことですよ

のですかくる人がかではないかな便り

しむのか?なぜ、いろいろな苦しみに遭うのか?

思い因縁を持っているからです。いかなることも、因縁因果の道理なくして生ずることはない。人間の悲しみや苦しみも全て、悪い因縁から発している。 したがって、苦しみをなくすには因縁を切るしかない。

上っの不苦しれた因緣にも

解脱によって解脱のおつまり「恋春を解いて取ってあげよを指すのです

「そんなことをやっていたらろくなことにならんぞ!」

と即座に分かります。それ心構えや言動を改めよと論さるけれども、凡夫はそれが面くて楽しいものですから、結やめずに地獄行きとなる。

しかし、なんとかそれを押とどめなければと考え、仏さ

傷つ

ある

な方法や手段を調凝らして、人々ることです。

仏さまは、わたを救うために、さをなさり、いろいろなれます。凡夫といい忠告を聞いてもしないことが多いどもね、その人をていろいろと指導し懸命に設えるのだれが耳に入らなかをする人が随分ともましてや仏さまなにもかもお見通 「そんなことをろくなことにならと即座に分かり構えやるけれども、夫くて楽しいものでやめずに地獄行きしかし、なんととどめなければとはさまざまな方のです。工夫を

の下で助けようとなさる。それか大想方便なのですが、凡夫には、その仏さまの尊い男心が分からないのですね。

仏さまの恋を持たれた存在ですから、凡夫に愛想をばかすと、うことがない。逆に、 凡夫はすぐに愛想を尽かしてしまう。わボーでさえ、あまりに道楽がひどければ愛想を尽かすでしょう。大でも同じですね「一生仲良く、白でげましょう」

とだい合って結婚しても、亭上があまりにも沿楽すれば、 れも愛想をかして離婚を申し出る。昔は亭主が威張っていて、 君に三行手を叩きつけることが多かったわけですが、最近はで、女性の方から離婚を突きつけるのが増えたそうですね。 を戻すと、最愛の夫婦でも、 提子でさえも愛想を尽かしてしまうことがあるけれども、広さまのは気ですから、愛想をぼかすということがない。 夫に正夫を重ねて、なんとか救おうとなきる。それが、

ということです。そこに、凡夫と仏さまとの大きな違いがあるわけです。

末世の業生を救う力の本体

「末世の

とどめ置き給う」とありますが、 世の東生というものは、もう、 教えや法だけでは救われなくなっています。救うだけのお力を持ったなにかを、仏さまがしておかなければ、末世の来生は後われません。

正己の時代ならば、そうではない正法の時代に生まれるのは、本当に徳のある人々ですから、仏さまの教えを聞いて着るだけで使われました。

先日の愛布教所のオーブン

に際し、管長メッセージを贈ったわけですが、その中で、わたくしはこのことに触れました。 正法の時代の人々は祈るだけでも救われたけれども、今のような末法の時代に生まれる者は業が深いため、仏や神に祈るだけでは救われないのですよ。やはり、救われるだけの実行・実践が必須です。救われるだけの徳を積まなければならない。

ればよい」 「ただ、一生懸命に祈りさえす現代人はそこを勘違いして。

「大方便止まずして」

と思っている。しかし、断る人たちのみです。 だけで救われるのは正法時代の

仏教では正法・法・末法という。三つの時代があるとします。打釈さまの教法がそのまま生きている、それが

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