地獄の業火か、きよらかな霊光か
夜は、異様なほど静まり返っていた。
机の上には一冊の経典が開かれている。
その一行が、まるで生き物のように、彼の意識に食い込んでいた。
――「如来のみもとにおいて功徳を植えよ」
「如来とは……像ではない。」
彼は、ふと呟いた。
仏像は模型だ。
金色に輝こうと、木で彫られようと、石で刻まれようと、それは象徴にすぎない。
シャカが説いたのは、像ではない。
“生ける如来”だ。
それならば――
いま、この時代に如来はどこにいるのか。
彼は探した。
山を歩き、寺を巡り、聖地と呼ばれる場所を訪ね歩いた。
だが、どこにもいなかった。
やがて彼は、七科三十七道品の修行へと沈んでいく。
厳しい観察。
息の統御。
意識の層を削り落とす苦行。
だが、どこかに虚しさがあった。
もし、成仏がこれほど困難であるならば――
いったい何人が到達できるのか。
出家者のみ。
選ばれた修行者のみ。
それでは衆生は救われない。
その疑念は、彼の胸の奥に燻り続けていた。
そして、あの日。
サヘト・マヘト。
夕暮れの空が赤く染まった瞬間、
それは起こった。
言葉ではなかった。
理論でもなかった。
――白銀の震動。
頭頂から貫く光。
脳の奥が、音もなく開く。
修行も、学問も、理屈も、
すべてが吹き飛んだ。
一瞬。
たった一瞬。
だが、その一瞬は、百年の修行よりも強烈だった。
「……これだ」
彼は震えた。
シャカは、未来に向かって語ったのだ。
時間を越え、
空間を越え、
未来に現れる如来のために。
“必要なとき、如来は顕現する。”
その直感が、雷のように彼の内側を貫いた。
花山に現れた「法無作の如来」――
それこそが、あの経の示す如来だったのだ。
供養とは、像への供物ではない。
顕現した如来との霊的接触だ。
そこに功徳が植えられる。
修行を超えた成仏法。
王者の相承。
選ばれし僧だけではない。
すべての人に開かれた道。
だが――
彼の胸には、なお影があった。
この光は何か。
地獄の業火か。
それとも、清らかな霊光か。
強烈すぎる光は、しばしば人を焼く。
誓願を立てるたびに、
むなしさと絶望が忍び寄る。
「自分は選ばれたのだ」と思う瞬間、
同時に「錯覚ではないか」という声が響く。
炎か、光か。
業火か、オーラか。
それを分けるものは何か。
彼は静かに理解しはじめていた。
光が本物であるならば――
それは自我を拡大させない。
むしろ、自我を溶かす。
選民思想を生まない。
すべての人に開かれる。
「わたしが聖者だ」ではない。
「誰もが聖性を持つ」へと向かう。
そのとき初めて、
それは業火ではなく霊光となる。
東の国に聖地をつくる。
それは、場所を移すことではない。
白銀の震動を、
万人に開くこと。
出家仏教を超え、
在家も、迷える者も、
誰もが触れられる霊性へ。
彼は夜空を見上げた。
星は沈黙している。
だがその沈黙の奥で、
かすかな震動が響いていた。
地獄の業火か、
きよらかな霊光か。
それを決めるのは、
光そのものではない。
受け取る者の、心の透明度なのだ。
もしよろしければ、




