滅亡の論理 ――ある覚者の記録――
世界は、静かに、しかし確実に、滅びへと進んでいた。
だれもが気づいていないわけではない。だが、だれもが本当には見ようとしなかった。
なぜなら、滅びの正体は「希望」の仮面をかぶっていたからだ。
――知識と技術によって、世界はつねに前進する。
――進歩は善であり、発展は正義であり、繁栄は幸福である。
それは、思想ではなかった。
もはや信仰だった。
第一章 機械に囲まれた幸福
その日、私は研究所の白い廊下を歩いていた。
床は光を反射し、天井の格子は均一に輝いている。
人間は、いつのまにか、自然よりも機械に囲まれて生きることを選んだ。
遊びは電子ゲーム。
娯楽はスクリーンの中の映像。
仕事はモニターの前での操作と調整。
家事は機械に任せ、文字を書くことさえ、指先のタッチだけになった。
人はもはや、身体を使わない。
考えることさえ、代行されつつある。
それでも人々は言う。
「便利になった」「楽になった」「豊かになった」と。
だが、その「豊かさ」は、本当に生命を豊かにしているのだろうか。
私は、かつての思想家たちの書物をひもといた。
フランシス・ベーコン。
ルネ・デカルト。
アイザック・ニュートン。
彼らは世界を「機械」として理解した。
自然を支配し、計測し、分解し、制御する対象として捉えた。
そして、その世界観を社会へと移した者たちがいた。
ジョン・ロック。
アダム・スミス。
彼らは言った。
「個人が富めば、社会も富む。」
「自己利益の追求は、社会全体の利益へと自然に導かれる。」
自然は無限にあり、資源は尽きることなく、
人間の欲望は善であり、
技術はすべてを解決する。
それは、完璧な物語だった。
だが――それは、作られた神話だった。
第二章 見えない法則
ある夜、私は一冊の本を開いた。
『エントロピーの法則』――ジェレミー・リフキン。
その一行目を読んだ瞬間、背中に冷たいものが走った。
「エントロピーは、すべての科学にとって第一の法則である。」
エントロピーとは何か。
それは、利用可能なエネルギーが、利用不可能な状態へと変わっていく度合いのことである。
宇宙には、二つの絶対法則がある。
第一法則。
――エネルギーは創造されず、消滅しない。ただ形を変えるだけである。
第二法則。
――しかし、そのエネルギーは、必ず秩序から無秩序へと流れ、再び元に戻ることはない。
一度燃やした石炭は、二度と燃やせない。
一度散らばった金属分子は、再び鉱石の塊には戻らない。
一度拡散した熱は、自然には集まらない。
人類が「進歩」と呼んできたものは、
実はただ、利用可能な秩序を、利用不可能な無秩序へと変換してきただけなのではないか。
私は、静かに気づいた。
私たちは、創造していなかった。
私たちは、消費していただけだった。
第三章 枯れゆく大地
私は、かつての農村を訪れた。
そこでは、土地が疲弊していた。
毎年同じ作物を植え、同じ栄養を吸い上げ、
やがて土は痩せ、実りは減り、収穫は途絶えた。
農民は言った。
「昔は、ここは黄金の土地だった。」
だが、黄金は掘り尽くされたのだ。
エントロピーの法則は、土壌にも働く。
今日一枚の草が育つということは、
未来の草の一枚が、失われたということなのだ。
同じことが、石油にも、石炭にも、金属にも、森林にも、水にも起きている。
人類は、地球という閉ざされた系の中で、
蓄えられた秩序を、猛烈な勢いで無秩序へと変え続けている。
そして、それを「発展」と呼んでいる。
第四章 代替エネルギーという幻想
「では、新しいエネルギーを見つければよいのではないか?」
そう言う者は多い。
石炭液化。
シェールオイル。
タールサンド。
原子力。
太陽光。
風力。
だが、私は知った。
どんなエネルギーも、変換には必ず別のエネルギーを必要とする。
正味のエネルギーは、決して無限にはならない。
ある技術は、
十のエネルギーを得るために、
二十のエネルギーを消費する。
それは、前進ではない。
後退を速めているだけなのだ。
太陽エネルギーは、家庭を支えることはできても、
文明全体を支えることはできない。
原子力は、巨大なリスクと、回復不能な無秩序を伴う。
どこにも、「魔法の解決策」は存在しなかった。
第五章 死の惑星へ
私は、ある夜、夢を見た。
荒れ果てた大地。
黒く乾いた川。
空は曇り、風は吹かず、
星は冷たく光っていた。
そこには、人間がいた。
だが、かつての人間ではなかった。
彼らは、生きてはいた。
だが、生きる意味を失っていた。
資源を使い果たした惑星に、
後から生まれた子どもたちは、
何も与えられず、何も創れず、
ただ残骸の上で息をしているだけだった。
私は、そこで理解した。
この文明は、未来の世代の生存可能性を食いつぶすことで、
現在の快楽を支えている。
それは、進歩ではない。
緩やかな自殺だ。
第六章 霊性という出口
では、出口はどこにあるのか。
技術ではなかった。
経済でもなかった。
政治でもなかった。
それらはすべて、
物質世界の法則――エントロピーの法則――の内部にある。
そこから脱出する道は、
ただ一つしかない。
霊性である。
私は、ある古い言葉を思い出した。
「すべての苦は、欲より生ず。」
それは、シャカ――釈尊の言葉だった。
彼は、人間が物質世界の法則に縛られていることを見抜き、
そこから脱出する道を示した。
それが、「成仏法」である。
成仏とは、
死んで仏になることではない。
欲望の連鎖を断ち、
霊的次元へと生き方の重心を移すことである。
それは、消費から、覚醒へ。
所有から、解放へ。
支配から、調和へ。
物質の増大ではなく、
意識の深化によって生きる文明への転換。
第七章 失われた教え、再び現る
だが、この成仏法は、
長いあいだ、歴史の中で埋もれてきた。
日本においても、
千年以上にわたり、
本来の霊的実践としての仏法は、
儀式と制度の中に閉じ込められ、
その核心は失われてきた。
だが――
いま、世界は限界に達している。
エネルギーは枯れ、
環境は崩れ、
社会は分断され、
人々の心は疲弊している。
だからこそ、
無意識のうちに、人類は探しはじめている。
物質ではなく、意味を。
支配ではなく、調和を。
拡張ではなく、覚醒を。
そのとき、
この成仏法は、
再び世界の前に現れる。
それは、救済ではない。
進化の次元を変えることなのだ。
最終章 新たなる世界へ
私たちが、
物欲を生きるかぎり、
エントロピーの法則から逃れることはできない。
だが、
私たちが霊性を生きるなら、
私たちは、
物質世界の法則の上位に立つことができる。
そこでは、
「持つこと」ではなく、「在ること」が価値となり、
「消費」ではなく、「覚醒」が進歩となり、
「競争」ではなく、「慈悲」が力となる。
シャカは、それを示した。
そして、いま、世界はそれを必要としている。
私は、書き終え、静かに筆を置いた。
これは、滅亡の物語ではない。
これは、転生の物語である。
滅亡の論理の終わりに、
覚醒の論理が、いかに生まれつつある。




