まさに、私の脳の内部に一大異変が生じていることにはまちがいはなかった。しかし、それはどういう異変であろうか?
それは一種の化学反応によるショックであったのだ。
かんわう脳の混則、「提下部」に異変が起きたのである。すべての秘密は、間脳の内部の視床下常にあった。ここが秘密の原点だったのである。
私がさきの章で内分泌腺の機構について図までかかげて説明したのは、これを知ってほしいためであった。専門学者はさぞかし片はらいたく思われるのにちがいなかろう。それを承知でおくめんもなく素人の私があえてそれをしたのは、この視床下部の秘密を読者に知ってほしいためであった。図(一八八ベージ)を見ればわかる通り、すべての内分泌腺を統御しているのは視床下部である。そしてここが、ヨーガでいうブラーマ・ランドラ(梵の座)であり、サハスララ・チャクラなのである。今までのヨーガの指導者のいうように、それは、松果服、松果体ではない。視床下部が、サハスララ・チャクラなのである。もっとも、視床下部のすぐそばに松果体があるので、それを見あやまったのであろう。もっとも、松果体自身もある重要な役わりを受けもつ。けれども、サハスララ・チャクラそのものは松果腺ではなく、視床下部であった。
視床下部はいまいったように、下垂体系を通じて全内分泌器官を統御する。それでは、な
185思念による王者の担承
にをもって統御するのかというと、もちろんそれは神経」である。したがって視床下部には重要な神経がたくさん集まっている。私は、古代ヨーガのなかから、この部分を動かすポーズとムドラーを創案してここにつよい圧力をくわえ、同時に、強烈な思念(念力)を集中していた。百日のあいだ、たえまなく、私はここに、物質的、精神的、両面にわたるつよいエネルギーを集中した。その結果、ここの神経線維に一大異変が生じたのだ。その異変により、神経線維が異常分泌をおこしたか、それともそこにある分泌液、神経液に変化がおきたのか、そのいずれであるかはわからぬが、それらの分泌液が複雑に混合し合って、化学反応をおこしたのだ。あの火は、その化学反応による衝撃が、視床の神経をはげしく打って、刺肌に光を走らせたのだ。その衝撃はここの神経節にシナプスをむすび、その火はいつでも私の思うまま私の脳の内奥に明星をまたたかせることとなった。同時に私の脳の構造も一変した。求聞持聰明法の成就である。求聞持聡明法とは、脳の内部の化学反応による
脳組織の変革であったのだ。
視床下部の生理学的機構
では、視床下部の機構を生理学的にみてみよう。(図説「内分泌病への手引」土屋雅春、他著による)
——神経症状
錐体路症状
錐体外路症状
知覚障害
運動失調症
三精神症状
意識障害(種々の程度の意識障害、せん妄、朦臓など) うろう
幻覚(幻覚、幻聴、幻臭、異常身体感覚など)
感情の変化(抑うつ、衝動行為、多食多飲、性欲亢進、喜怒哀楽の変化など)
人格の変化
(以上、「内分泌病への手引」による。傍線は桐山)
このなかでとくに注目をひくのは、「眼の異常」と、「人格の変化」である。いろいろな精神症状が起こるところであるから、人格の変化が起きるのも当然であるという論も出そうであるが、精神症状や神経症状と「人格の変化」ということはまったくちがう。精神症状や神経症状というのは病的なものを意味するが、人格の変化はかならずしも病的なものとはかぎらない。病的症状をともなって人格の変わることももちろんあるが、病的症状をともなわず
して入格が一変することもある。
人格が変化する場所――、「変身の部位」であることを生理学もみとめているのである。
歌は、サハスララ・チャクラ(梵の座)としてこれを用い、人格の転換に利用するのである。いまさきに引用した文章は病的異変による変化の状態(症状)であるが、もしこれを
その正反対の、よい異常を生ずるように用いたら、どんなよき異常が生ずるであろうか? 宗教は、『絶対の健康、超人的記憶力、『クンダリニー覚醒の原動力」という超人への転換の場としてこれを用いるのである。
では、密教はどのようにしてそのよき転換をなすのであるか?
さきの章で述べた「変身物質」の酵素がこのとき登場するのである。
視床下部の奥に、松果体がある。松果腺ともいわれて、内分泌腺のひとつにかぞえられるけれども、これが内分泌腺としてのはたらきをしているということに疑問を持つ学者も多く、そのはたらきは多分にナゾとされているのである。どういうはたらきをする器官なのか、はっきりしていないのだ。この松果体は、成人になると石灰化して、「脂砂」とよぶ乳石状の結石になる。脳砂は、リン酸カルシウムとリン酸マグネシウム、および炭酸カルシウムと炭酸マグネシウムを主成分とする粒状の物質であるが、その機能は、これまた、医学的、生理学的にはまったく解明されていない。人体にどういう役にたっているのか全然わか
視床下部の奥に、松果体がある。松果腺ともいわれて、内分泌腺のひとつにかぞえられるけれども、これが内分泌腺としてのはたらきをしているということに疑問を持つ学者も多く、そのはたらきは多分にナゾとされているのである。どういうはたらきをする器官なのか、はっきりしていないのだ。この松果体は、成人になると石灰化して、「脂砂」とよぶ乳石状の結石になる。脳砂は、リン酸カルシウムとリン酸マグネシウム、および炭酸カルシウムと炭酸マグネシウムを主成分とする粒状の物質であるが、その機能は、これまた、医学的、生理学的にはまったく解明されていない。人体にどういう役にたっているのか全然わか
ようであると報告している。
ここでおもい出されねばならぬのは、G・R・テイラー、「人間に未来はあるか」の脳に関する未来展望のことばである。彼はこういっている。
『脳についての第二の新しい洞察は、それがまた複雑な化学装置であるということである。 ある脳細胞は、脳の別の部分を刺激したり、鎮静したりする制御物質や、あるいは神経液を分泌する』
この複雑な化学装置を、密教は最高度に利用するのだ。ところで、その脳内の制御物質や神経液を操作するこの化学装置を動かしているものはいったいなんであろうか? それは 「神経」である。
である。 そして神経は、それらの化学装置を動かすと同時に、それらの物質をつくり出すという二重の機能を持っているのである。これは、さいきん、次第に明らかにされつつある神経機序
それについて内分泌物質カテコラミン(ホルモン) 研究の権威、山田律爾博士は、その著、 「神経内分泌と臨床」のなかで、こう述べておられる。『神経分泌の概念」という章で、 『歴史的発展の経過をみても、光学顕微鏡から電子顕微鏡へと学問の進歩とともに、すべでの神経は分泌をもっているということになってきそうである。本項のはじめに、神経の
と述べている。
体液性伝達機序はすくなくとも五つあり、神経はすべてこうした体液性機序(ニューロンが化学的物質を分泌する)を持っているとしたのと符節を合わせる。特殊な神経細胞としての神経分泌細胞といっても、しょせんは神経細胞の本質的機能以外のものをもっているのではない。発生学的にみてもミミズなどは内分泌腺はなく、神経が唯一の調節系であって、しかも神経分泌をしていて体液性(ホルモン性)の調節をしていることは、神経が何かの化学物質を分泌するのは本質的な機能であることを示唆している』
さらにもっと重要で、私たちが注目しなければならぬことを、山田博士はつづいて述べておられる。
『一九二〇年頃より追求され、最近になって問題となってきた神経分泌細胞は、ニューロンの本質的にもっている化学的物質分泌の機能が特殊に発達した細胞である。
一般の神経線維の終末端は細胞の基底膜などに接していて、そこに化学的物質を分泌して、その部位で作用するのであるが、神経分泌細胞として別格にとり扱うものは普通の内分読脈と同じような様式で分泌し、その分泌物はホルモンと同じく作用するのである。すなわち、「神経」分泌細胞は化学的物質を分泌し、それが循環系を介して遠くの標的器官に作用をおよぼすものである、とする必要がある(分泌顆粒の有無如何にかかわらず)』(ゴジック6
山
カッコ内でことわった通り、この引用文のなかのゴジック活字は、山田博士の原者のままで、博士はこの点につよく重点をおいていっておられるのであるが、この文章に重点をおいで注目をしてもらいたいのは、氏よりもむしろ私自身のほうであるかもしれない。私は、求間持法を成就し、アンダリニーを覚醒したときにこの機能に気がついたのだ。私は専門学者ではないから学的にはわからなかったが、直感的に、自分のからだのなかでおこなわれているこの機構に気がついた。私のからだのなかでたしかにひとつの異変が生じ、それは、山田博士のいう「化学的物質分泌の機能が特殊に発達」し、動きはじめたものであることを、 直感的にさとった。もちろん、そのときはまだ山田博士の著書を手にしていなかった当時であるから、生理学的に説明はできなかったが、まさしくそれであることを、直感が私にさとらせたのだった。
ある。 ところで、ここで問題は、それではその神経を動かすものはいったいなにかということで
その答は、神経を動かすものは神経である、というよりほかはないのであるが、それをさらに具体的にいうならば、それは『こころ』というものであろう。すくなくとも、ある種の 「後」を積んだごごかによって、それは可能になることである。いや、そういう種類
別な訓練を積んだごころによってのみ、それは可能になることなのだ。それ以外のなにものがそれをなし得ようか? もちろん、それは、だれでもすぐにごごろのままにできる機構ではない。しかし、私は、抽者「変身の原理」で、密教とは不随意機構を随意機構に変える技術であるといった。それがここでもなされるのである。微妙至極な化学装置である神経を、 訓練したごごろで自由にあやつって、密教は、脳の内部に強力な火をつけて脳の組織を一変させ、さらに、クンダリニーという生命の秘密の原子炉に反応を起こさせる。
これが、密教の超秘密技術なのだ。これこそが、五〇〇〇年のあいだ秘密のうちに伝承されてきた密教の、超人をつくり出す技術の根本原理だったのである。
それは呪術などとはほど遠い、化学反応による人体組織の一大変革だったのだ。これで、 ヒトは、おろかなホモ・サピエンスから、超・ヒト、ホモ・エクセレンスに変身する!
(『密教・超能力の秘密』)
わたくしのいうtapasが、どのようなものであるか、だいたいおわかりいただけたことと思う。いまから考えると、これは「求聞持聡明法」そのものの成就ではなかったかも知れない。まったくあたらしい法の開発ではなかったかと思う。
そのいずれであるかはべつとして、霊視・霊魂、ホトケの現形といった霊的な超常的パワ
わたくしにあたえてくれたことだけはたしかであった。
そしてまたそれは、それだけのことではなかった。つぎの次元への大きな飛躍台となるものだ
ったのである。それはおよそ十年のちに起きた。
いまから三年前、昭和五十五年十一月、わたくしはインド仏跡巡拝の旅に出た。その旅行にお
いてそれは起こった。
る。 昭和五十六年七月発行の『一九九九年カルマと霊障からの脱出』(平河出版社)よりの抜粋であ
白銀の輝きにみちたバイブレーション
五日、六日、七日、と旅程は順調にすすんでいった。
しかし、日を経るにしたがって、わたくしのこころは沈んでいった。
仏跡のひとつひとつみなすばらしいものではあったが、わたくしのこころひそかに期待していたような感動はあたえてくれなかったのである。まことに不運ないいかただが、このわたくしがこうしてインドまできたのだ。なにかあるはずだ、そう気負っていたものが崩れおちていた。
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一思念による王者の承




