夜明け前の精舎は、まだ闇をまとっていた。
石畳に座す比丘たちの前で、世尊は静かに目を閉じておられた。風が一本の菩提樹を揺らし、葉の擦れる音だけが、時間の流れを告げている。
やがて世尊は目を開き、低く、しかし揺るぎない声で語りはじめた。
――比丘たちよ、法とは、五つの確かに見えるものを、確かではないと観る智慧である。
世尊はそう言って、ひとつずつ言葉を置いていかれた。
「これは色である。これは色の生起である。これは色の滅である」
肉体と形あるもの。老い、崩れ、消えゆくもの。
「これは受である。これは受の生起である。これは受の滅である」
快も、不快も、やがて去る感覚。
「これは想である。これは想の生起である。これは想の滅である」
名づけ、意味づけ、思い込み。
「これは行である。これは行の生起である。これは行の滅である」
意志、衝動、心の癖。
「これは識である。これは識の生起である。これは識の滅である」
知るという働きさえ、条件によって起こり、条件によって消える。
比丘たちは沈黙の中で、それらがすべて無常であり、空であり、我ではないことを、胸の奥で感じ始めていた。
世尊は続けられた。
――わたしは、この五蘊をこのように観じ、真の知見を得た。
知見とは、概念ではない。見ることそのものだ。見誤らぬ智慧である。その智慧が生じたとき、心から漏れ出ていたすべての煩悩は、自然に尽きた。
煩悩とは、福とも呼ばれる。満たされぬ欲、執着、恐れ。それらは、気づかぬうちに心から漏れ出てくる。ゆえに「漏」という。
しばし沈黙が流れたあと、世尊は、鋭くも慈悲深い問いを投げかけられた。
――さまざまな苦行を重ねても、解脱を得られぬ者がいる。それはなぜか。
比丘たちは息を呑んだ。
――彼らは修行していないのだ。
ざわめきが走る。
――では、何を修行していないのか。
世尊は一つひとつ、指折るように語られた。
――四念処を修行していない。四正断を修行していない。四如意足を修行していない。五根、五力、七覚支、八正道を修行していない。
その場の空気が、はっきりと変わった。
――たとえ僧侶であっても、この成仏の法を修めぬ者は、いかに成仏を願おうとも、決して漏尽解脱に至ることはない。
それは厳しい言葉だった。しかし、嘘のない言葉だった。
やがて世尊の声は、再び柔らかさを帯びた。
――だが、正しく修行する者には、努力の果は必ず熟す。
世尊は、親鶏と卵の譬えを語られた。
――親鶏が卵を大切に温め、冷やし、世話を怠らなければ、雛は自ら望まずとも殻を破って生まれてくる。
――同じように、正しい修行を積み重ねた者は、解脱を求めずとも、自然に心の殻が破れる。
比丘たちは、その譬えを胸に深く刻んだ。
――四念処、四正断、四如意足、五根、五力、七覚支、八正道。
――この七つの科目、三十七の修行法こそが、成仏へ至る道である。
夜が明けはじめ、精舎の床に淡い光が差し込む。
その光の中で、比丘たちは静かに理解していた。
成仏とは、遠い未来の約束ではない。
正しい修行が満ちたとき、願わずとも、自然に開く――
心の解脱そのものなのだと。
小説風に再構成しました。
教義の骨格(五蘊観・漏尽解脱・七科三十七道品)は崩さず、説法の場の空気・比丘たちの心理・譬喩の生きた感触が伝わるようにしています。




