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『グンダリニー・ブラーナ ― 仏陀の秘法』

 

 

『グンダリニー・ブラーナ ― 仏陀の秘法』

クンダリニー・ヨーガ――それは古来より、強烈で、しかし不安定な修行として知られてきた。
ある者は覚醒に至り、ある者は破滅へ落ちた。
ゆえに、その力は常に「危険」と「魅惑」を同時に孕んでいたのである。

だが、仏陀はその不確実を越えた。
彼は、弟子たちのために成仏法を作り上げた。
そして言うのである。

――修行は、ここからさらに深みに入る。

ある日のこと、道場に静かなる風が流れたとき、師はぽつりと告げた。

「わたくしは、かつて言った。仏陀はクンダリニー・ヨーガを修行に取り入れなかった、と」

弟子たちはうなずいた。師の言葉を疑う資格など、誰にもない。

「しかし――だ」

師はゆっくり目を閉じ、胸奥から湧き上がる微細な気息を、長く吐いた。

「仏陀はクンダリニー・ヨーガの技法を使わなかった。
だが、クンダリニー・エネルギーそのものは使ったのである」

その場の空気が変わった。
弟子たちは息を吸うことすら忘れ、ただ師の言葉を聴いた。

「人間を変革する力――それに匹敵するものはない。
いや、これを使わなければ、人間の改造など不可能と言ってよかろう」

師の声が、どこか遠い記憶を呼び起こすように響く。

「だから仏陀は、その力を使ったのだ」

仏陀が四神足法において用いる気息、すなわちプラーナ。
それはただの空気の流れでもなければ、単なる意念でもない。

プラーナの正体は――
クンダリニーから湧き上がるエネルギーそのものだったのである。

初学の段階では、意念がすべてだ。
しかし、意念が純化され、鋭利な刃のように研ぎ澄まされた瞬間、
その力はクンダリニーの眠る深部へと向けられる。

人間の体には、覚醒の鍵となる部位が二つある。
そこに正確な刺激が与えられたとき、
蛇は――龍は――静かに眼を開くのだ。

だが、この行はきわめて危険である。
導師に従い、細心にして大胆に行われなければならぬ。

阿含経には、仏陀が毒龍や毒蛇を調伏する物語がいくつも出てくる。
その毒蛇とは、実はクンダリニーを象徴したもの。
古代、クンダリニーは三つの頭を持つ龍、あるいは九つの頭を持つ蛇として描かれた。

――つまり、仏陀はあの凶烈なエネルギーすら掌中に収めたのだ。

そして彼のやり方は、クンダリニー・ヨーガとはまったく違った。

――クンダリニーを“行わせる”。

弟子たちが息を呑む。
師はゆっくりと背骨をなぞるように指を上げ、続けた。

「仏陀はピンガラとイダー――左右の微細なエネルギー脈を使った。
その入口となる部位、つまり中国でいう“ツボ”は、チャクラの変種と見てよい」

道教ではこの“ツボ”を使って強大な気を起こす。
彼らはクンダリニーそのものを知らなかったが、
それは代替として充分強力だった。

「四神足法は、この“道教的チャクラ”をまず使うのだ。
そこで起こした強い気を、本命たるクンダリニーの座へと静かに運ぶ。
そして――その周辺に、ゆるやかに巡らせる」

蛇は、ゆっくりと目覚める。
荒れ狂うことなく、おだやかに。

師は静かに目を開いた。

「わたくしは思う。
道教はこの“気”を使ってクンダリニーを覚醒させる秘法を――
どこかで失ったのではないかと」

あるいは、それは仏陀がごく少数の高弟のみに伝え、
決して外へ漏らさなかった極秘の法だったのかもしれない。

その言葉は、深山の霧のように弟子たちの心を包んだ。
まるで仏陀の背後に、長大な龍の影が立ち上るかのようであった。

 

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