ノストラダムスが「日の国によって保たれる」と予言したのは、まさにこのことをいっているのだ。
日の国の法と金星の法が競いあう
予言のエスプリをわがものとしながら
双方たがいに耳をかたむけないが
偉大なるメシアの法は日の国によって保たれるだろう
日の国の法と金星の法が競いあう、という。この競い合うということばを、衝突す
る、争う、という意味に解いているひとがほとんどだが、前にのべたように、競いあ
って目的に進む、協力し合う、という意味にもとれるのである。
つまり、日の国の法と金星の法が、競いあってメシアの法を完成する、という意味に解釈できる。
「予言のエスプリをわがものとしながら
双方たがいに耳をかたむけないが、
ということばは、前の詩句の、日の国の法と金星の法、にかかるのではなく、そのあとの、偉大なるメシアの法、にかかるのである。
つまり、こうなる。
日の国の法と金星の法が競いあう
予言のエスプリをわがものとしながら双方たがいに耳をかたむけないが偉大なるメシアの法は日の国によって保たれるだろう
これで、意味が通ずるようになる。
大体、メシアの思想というのは、他の宗教にもないことはないが、ユダヤ教、キリスト教に最も顕著のものである。そこで、双方たがいに、というのは、ユダヤ教とキリスト教のことと思われる。この双方は、おなじ根から出ていて、『おなじ予言のエスプリ。すなわち、ともにメシアの救済の予言を持っている。それでいて、たがいにあい容れないでいる。たがいに自己主張をしていて、双方、耳をかたむけようとしな
い。
この二行の句の意味は、ユダヤ教もキリスト教も、メシア救済を説くが、どちらにもメシアは期待できない、偉大なメシアの法は、日本によって保たれ、日本から出現するであろう。
という意味なのである。
われわれはすでに、このことを知っている。
日の国の法と、金星の法が一つになって、仏陀の成仏法の中心である四神足法が完成される。その過程をあなたはつぶさに見てきた。
つよこのままでは、確実に地球は潰され、人類は滅亡するだろう。われわれは、つい昨日、神の名を口にする人たちによって大量の殺し合いがおこなわれ、すさまじい環境破壊がおこなわれるのを目にしてきた。そしてそれはいまもつづいている。
いまがギリギリのタイムリミットだ。
起て! 日の国の、メシアの法の使徒たちよ。
191 仏陀の法のメカニズム




