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ミラクルの池 ― 光と水の境界

《ミラクルの池 ― 光と水の境界》

「待ってください」

私は思わず手をあげ、師の言葉を制した。
胸の鼓動が急に高鳴り、呼吸が深くなる。

「……いま、ものすごいバイブレーションを感じました。あの方向からです」

私が指さした先、五十メートルほど離れた草の茂る凹地が、夕陽を受けて淡く光っていた。
風が止み、そこだけ時間が凝縮されたような沈黙が広がっていた。

「ああ、あれですか」
師は静かにうなずいた。
「――ミラクルの池です」

「ミラクルの……池?」
「そう。仏陀が奇蹟をお示しになった場所です。
この地では昔から、あそこを“ミラクルの池”と呼ぶのですよ。」

「そのミラクルとは、どんな奇蹟なのですか?」

師は少し目を閉じ、静かに語り始めた。

昔、スラヴァスティの大長者スダッタが、仏陀のために黄金を惜しまず土地を買い取り、
壮麗な祇園精舎を建立した。

その名声は四方に響き渡り、人々は教えを乞うために列をなした。
だが、外道の指導者たちはその光をねたみ、
「仏陀は口先だけの山師にすぎぬ」と嘲った。

「神通力のない者に何が教主か」と。

当時のインドでは、霊的指導者は必ず超常の証明を持つべきものとされた。
仏陀は沈黙を守り、決してその力を示そうとはしなかった。
だがついに、外道の挑発と信者の懇願が重なり、
仏陀はひとたびだけ、その力を示すことを許された。

その日、群衆が祇園精舎に集まった。
夕陽が塔の屋根を黄金に染め、空気は緊張に満ちていた。

外道たちは次々に術を披露し、火を操り、水を裂き、幻影を見せた。
そして最後、仏陀が高楼の露台に姿を現された。
その瞬間、あたりは静まり返る。

仏陀は手すりを越え、空中へと一歩を踏み出された――。
誰もが息を呑んだ。だが、墜落はなかった。

仏陀は、ゆっくりと空中を進み、
人々の頭上を越えて、池の上に降り立たれた。

水はたわみ、波紋がひとつだけ広がった。
やがて――

仏陀の上半身は炎と化し、
下半身は玉のような水に変わった。

風が吹き抜け、炎はゆらぎ、水はきらめいた。
人々はその光景の前にひれ伏し、涙を流した。
火と水が共に在る――
それは、生と死、動と静、智慧と慈悲の合一そのものだった。

「……それが、ミラクルの池の由来です」
師の声が、遠くで響いていた。

私は額に手をあて、ふと目を閉じた。
その瞬間、柔らかな波動が脳の奥を流れ込む。
ひとつの“思考”――いや、“概念”が音もなく流れ込み、
全身が白く震える。

光と闇、熱と冷、水と火。
それらが一点に溶けあい、名状しがたい戦慄が走った。
血の気がひく。恐怖と歓喜が同時に押し寄せた。

目を開けると、師が静かに言った。

「ああ、それは――チャクラの共鳴です。
仏陀が空中に浮かぶため、全身のチャクラを同時に開かれたのです。
そのエネルギーが炎のように見えたのでしょう。
チャクラが全開すれば、身体は光を放ち、透明になることがあります。
下半身が水に見えたのは、光が水面を透過して反映したのです。」

師は空を見上げ、微笑んだ。

「つまり、あの奇蹟とは――
クンダリニー・ヨーガの究極の顕現。
仏陀は肉体の制約を超え、エネルギーそのものとなったのです。」

私は言葉を失い、ただ池の方を見つめた。
風がやみ、夕陽が池の面を黄金に染めている。
その水面の下に、今も炎が眠っているような気がした。

――光と水の境界に、奇蹟は今も息づいている。

 

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